第弐幕 中篇 人の裏切り者


「ひゃあああああ!?」

「……口を閉じていろ」

 ゼストは、セーラー服と呼ばれる独特な光沢を放つ服装に着替えたサキを抱きかかえながら駆けていた――空を。

 正確には、駆けるというよりも、跳ねているのだが、結果としてはあまり変わらない。

 アルトヴィーラ、正しくは『零刃れいじん アルトヴィーラ』は、ありとあらゆるモノを凍りつかせるという代物。

 それは例えば――空気中の水分。

 そう、ゼストは今、空に足場を創りだし、跳ね進んでいる。

 彼らが向かっているのは、ディアナとミルアの元、つまりは帝都。

 理由は、遠く離れた場所にいるディアナから伝えられた言葉。それを聞いたゼストとサキが、急ぎ向かっている。地上を行けば半日はかかる行程を、一刻程度の短い間でたどり着けたことは、幸いと言える。

 しかし、運が良いとは決して口にはできないであろう、現在の状況――鉄でできた巨大な魔物達による帝都襲撃。

 ディアナからもたらされた情報は、それだ。

 この先に待ち受ける者は、先刻ゼストが斬り捨てた【アイアンフィアー】で間違いないと、ゼストは考えている。

 問題があるとすれば――タイミングだ。ゼストが懸念しているのは、その一点だけである。 

 とはいえ、今のゼストにできること、そして求められていることは非常にシンプルである。

 故に――

「……全て斬るだけだ」

「うひゃああああっ!?」

 掛け値無しの全力で、斬殺者は、鉄の異形の群れに突っ込んでいく――サキを左肩に抱えながら。

 さて、ゼストは先ほどの闘いで、鵺には、いくつかの弱みが存在することに気づいていた。とはいえ、それは、ゼスト・エンドヘイターという斬殺者だからこそ可能な、凡百な戦士達にとっては実現不可能な領域での、おとぎ話さながらの、荒唐無稽な弱点。

 空を跳ね駆け、帝都に到着したゼストらを出迎えたのは、鵺。その姿を捉えたゼストは、一息に接近する。

「いやああああ、死ぬ死ぬ死んじゃうううううううっ!?」

「……ここだ」

 それはさながら、空を舞うツバメの如く。

 襲いくる灼熱、それはゼストたちの視界全てを覆い尽くすものの、はなから存在していないかのように通過――したかと錯覚するほどの挙動をゼストはいともたやすく成し、無防備な鵺の頭上へと現れる。

 急速な旋回、回避ののち転進。それを瞬時に実行、結果として鵺の頭上へとその身を運び、まるで炎の壁をすり抜けたかのような錯覚を産んだのは――ひとえにゼストの身体機能とアルトヴィーラの能力の高さにある。

 からくりはこうだ。

 炎の前面の空気および炎の一部を凍結、足場とし炎を迂回、鵺を目視可能な位置に到達した瞬間に転進、距離を詰める。

 この一連の動作を瞬時に、かつ、たやすく行えるのが、人の超越者――『授名者』と呼ばれる者であり、アルトヴィーラという剣の実力である。

 鵺の炎全てを凍らせ、一直線に突き抜けることも可能ではあったが、無駄な消耗を避けるため、若干の手間をゼストはかけたということも付け加えておこう。

 いずれにせよ――今現在ゼストと対峙している鵺が、危機的状況に追い込まれている現実は、なんら変わることはない。

 炎を回避し、頭上に位置したゼストは、まず、頭部へ向け刃を振るう。だが、頭部は鋼鉄に覆われている為、片手で断つことが至難であることはゼストも承知している。しかし、その一撃で鵺はバランスを崩す。

 その隙に背中を駆け、無防備な鵺の尻尾にアルトヴィーラを突き刺す。すぐさま刃を付け根まで滑らせ、身体を捻り回し、その勢いのまま素直に胴体を縦に斬り抜く。

 続け様に、アルトヴィーラを逆手に持ちかえ、斬り裂いた胴体へ向け、体重をしっかり乗せて刃を胴体深くへ突き入れる。瞬時に順手に持ちかえ、獅子に似た鋼鉄のこうべまで一気に斬り裂き、アルトヴィーラの美しい白蒼の剣身を掲げるように、逃げ惑う帝都の民に示した。

 ゼストいわく、これが、鵺と呼ばれし鉄の異形を、簡単に斬り殺す方法。

 ――炎を生み出す尻尾の先端は硬くない故に、斬り易い。

 そんな、多くの者にとって、まったく参考にならない戦い方。ゼスト自身に自覚はないが、彼の感性は、一般人のそれと違いすぎているため、多くの場合、彼の助言は助けにならないことが多い。

 だがそれでも、この暴虐の塊とも呼べる魔物を殺したという事実は、当人以外にとって紛れもない希望であり、この上ない助けになったことだろう。

 そんななか、死に絶えた鵺の上でゼストは理解していた。

 上がる悲鳴と火の手、崩れゆく建物、ひび割れた石畳。勇壮な帝都の町並みは、見る影もなくなっていた。 

 この惨状を理解したゼストの胸中の全てを知ることのできる人は存在しない。だが、今もっともゼストの近くにいるサキは気づいていた。 

(なんか……怒ってる?)

 彼と出会ってからほんの数時間。

 そんなわずかな時間で、ゼストの人となりの全てを理解しているなどと、恥知らずな考えをしてしまうような愚か者ではないサキだ。ゼストが寡黙な人間であり、感情を表に出しにくい人種であるということくらいはわかる。

 だからこそ、明らかに雰囲気が変わっているゼストに驚く。

 言動も、表情も、佇まいも、出会った時と何ひとつ変わっていないのに、ただその雰囲気だけが変化している。

 あの見知らぬ場所で鵺に対して放っていた殺気とは違う、激しすぎる怒りの感情が彼の全身から噴き出しているような、そんな感覚をサキは覚えていたのだ。

 その激情の出所がなんなのか、今のサキに理解することはできない。


 だからこそサキは、ゼスト・エンドヘイターという斬殺者がどういった人物なのか、気になってしょうがなくなっていた。


 サキがそんなことを考えている中、ゼストが行ったことは二つ。

 アルトヴィーラによる速やかな鎮火と――

「サキ、奴らは?」

「えっとね……」

 ――新たな鉄の異形の観察。

 帝都上空を飛びまわる、大型の鳥のような異形、鳳鈷ほうこ

鵺より二回りほど小柄な、狼のような異形、嚇徒かくと

 いずれもゼストがこれまでに見たことのない、鵺と同じ、鉄の異形。帝国騎士達が襲いかかるも、その脅威的な硬さに悪戦苦闘していた。

 鉄の異形には明確に強弱があることを、ゼストはサキから教えられる。

 そして、あの鵺が、この三種の中では上位に当たるということを認識したゼストは、鵺を優先的に狩ることを決めたようだ。

 鎮火と観察を終え、再度跳ね駆け始めたゼスト。せわしなく視線を巡らせると同時に、冷気を帝都中へと撒き、状況を把握。

 状況が切迫している者達を助け、暴れまわる鵺を穿ち、抉り、斬り断ちながら、帝都を先へ先へと進んでいく。

「ゼストさん!」

「やっと来た、って……えーと?」

 目的は当然、ディアナとミルア。二人の周囲にいた鵺を斬り散らし、合流。

「……何処から攫ってきたの?」

「奴隷収容所……のような場所だ」

「いやいやゼスト。そこはね……おいおいディアナ、この女が勝手についてきただけだぜ、って、カッコよく切り返すとこじゃん、っていうか、収容所のようなって、どゆこと? 何のことかサッパリだよー、説明しろー!」

「話は後だ……やるぞ、ディアナ」

「はいはーい!」

 陽気な彼女らしい返事の言葉が、ミルアとサキに届いた瞬間、それは起きた。

「ふふふ……もう、何がなにやらですよ、お兄さんっ!?」

「ディアナさんは何処に……」

 目の前にいたはずのディアナがその場から忽然と姿を消したのだ。

 そのことにミルアとサキが気づき、驚いた瞬間を見計らったように、

「私はここだあああああ!」

 なぜか、ゼストから聞こえてきたディアナの声に、呆気に取られる少女二人にアルトヴィーラの切っ先が向く。

「……話は後だ。ディアナ――」

「ういうい。せーの、とりゃああああ!」

 すると、ミルアとサキの周囲に、氷で造られたテントのような何かが現れる。それの意図は、誰が見ても理解できることだろう。

「ディアナお姉さん特製、氷結界ひょうけっかいの完成だー」

「この中にいれば安全だ。しばし待っていろ――」

 ――氷結界。

 周囲に近づくあらゆるモノの熱を全て奪い尽くす、事実上、その中にいる者に生物が接触することを不可能とする、護りの力。

 これで、二人の身の安全は保障された。

 ならば、

「――すぐに終わらせる」

「あっはっはー、全力全開だ、いえーい!」

 彼と彼女が動かない道理はない。

 空気が変わっていく。

 急速に世界が変わっていく。

 それは彼らが望んだが故に。

 その光景――まるでゼストが雪を創りだしているような、そんな非日常な光景にミルアとサキは眼を奪われていた。

 ゼスト、正確にはアルトヴィーラから止むことなく発生し続ける雪のようなソレは、あっというまに帝都全域に広がる。

 同時に、ゼストの周囲から、まるで鉄の兜を脚でゆっくり押し潰しているような、甲高い破裂音が断続的に鳴り始める。

 それは、彼らの準備が整ったということ。

「『斬愧』ゼスト・エンドヘイター」

 改めて世界に名を示し、自分の存在を、其処に斬殺者が、

「俺は――ここにいる」

 相棒とともに、この世界を――ここを往く。

 名を示した斬殺者と『零刃 アルトヴィーラ』が共に在るという現実は、鉄の異形達にとって、ただただ不幸なことでしかない。

 空を翔け、炎を街に向けて放つ鋼鉄の鳥――鳳鈷にあっという間に接近。両羽、胴体、頭部と続けざまに斬断。

 上空から街全体を見下ろすことで、地上に残る鵺の残数を確認したゼスト。

 残り四体のうち、最も近い鵺目掛け急降下。勢い全てを刃に乗せ、胴体を強引に穿ち貫き、地面に陥没させる。穴を基点に身体を六つに分かち斬った斬殺者は、鉄の狼たち――嚇徒に狙いを定める。

 何気なく接近し、刃が踊り、鼻っ面から尻尾の先までを一息に斬り断った――ことには見向きもしない斬殺者は、凶猛無比な一振りの刃となり、狩り場を斬り抜ける。

 地上、空、再び地上と、縦横無尽に帝都を斬り翔けるゼストの姿に、騎士も民も見惚みとれることしかできないでいた。

 帝国騎士団が死力を尽くすことでようやく討ちとれるような化け物を、間断なく斬り伏せ、斬り堕とす剣士の姿を見せられては、ほうけるのも致し方ない。

 ほどなくして、鉄の異形を斬殺し尽くしたゼストたちが、ミルアとサキの傍らへと戻ってきた。

「ディアナ、二人を……どうした?」

 次にすべきことを行なうため、指示を与えようとしたゼストが、思わず声を掛けたのは――サキ。身体をプルプルさせ、なにやら様子がおかしかったからだ。

「ゼ、ゼストさん……」

 サキがくわっと眼を見開き、口を開く。

 その内容は、

「お、おおお、おとおと、お友達から始めませんかっ!?」

「……大丈夫か?」

 いわゆる恋愛における告白の際に使われる常套句だが、通常は告白された側が返事をするときに使うソレを、サキが伝えた真意は、いわずもがなである。

「だだ、だだ、大丈夫です、サキは元気です、サキは元気ですよおおおおっ!」

「おやおやおやー、ゼストったらモテモテだねー」

「サキさん、積極的ですね……」

「……何の話だ?」

 当然のように気づく女性陣の盛り上がりに比べ、あまりにも反応が薄いゼスト。

 さて、このゼストという青年、非常に世間知らずな朴念仁である。そんな彼が、恋愛感情という、複雑極まりない機微を理解できるわけもなく。


 そのことにうすうす感づいていたものの、やっぱりなー、と思いながら肩を落とすサキの受難の日々は、この瞬間から始まった。


「……ディアナ、二人を頼む」

「はいはーい。ていやー!」

 ディアナが元気な掛け声を上げ、ミルアとサキの前に現れた。

 ただし――

「か……可愛いですっ!」

「えーと、あれ……あれ?」

「あははー、まあ、そういう反応になっちゃうよねー」

 ディアナより小柄なサキ。そんなサキより小柄なミルアが、目の前に現れた小さな蒼髪の女の子に抱きつき、普段の物静かな様子からは想像も出来ないほどに興奮していた。

「いやー、ミルアちゃんにたべられちゃうよー」

「ゼ、ゼストさん、これって……」

「アルトヴィーラを強く行使すると、こうなる」

「えーと……つまり、ディアナさんは、剣の中の人?」

「むふふー、半分正解だね、実に惜しい!」

「話は後だ」

「次はどこに行く?」

「……北だ」

「はいはーい。じゃあ二人とも出発だ!」

 見た目に則したような言動で、二人に先んじ歩きだしたディアナを、ミルアとサキが追いかけるのを確認したゼスト。


 その視線は、イヴァラド帝城へと向けられていた。



 イヴァラド帝城。 

 華美な装いを完全に廃した、ただただ無骨な、戦いを想定した建築物。

 城への出入りが可能なのは、正面の城門のみ。

 城の周囲は、長大な堀。

 窓は、城壁にはめ込む型で、外から開ける事は不可能。

 階段は、最上階まで吹き抜けている大広間中央部に設けられた螺旋階段のみ。上り下りする者の判別を容易くし、有事の際には、一方的に攻撃することが可能となる。

 その防衛力は、ゼストがこれまでに斬り陥とした七つの国とは比べるべくもないほどに、強固なものだった。騎士ザイルとして訪れていた時に、そのことはよく理解していた。

 強固な意志で築かれた次なる戦場を、ゼストが駆け抜ける。

 大広間まで続く通路を塞ぐように現れた警護の兵を、斬り――殺さずに、側壁、天井と跳ね動き、突破。

 そうしてたどり着いた螺旋階段。

 待ちうけていたのは多くの弓兵。

 数十の弓兵からもたらせられた暴雨の如き矢は、ゼストに全て払われ、同時にゼストは速やかに駆けていく。

 そんなゼストを追う者、いや、追える者はいない。追跡をさせないようにと、ゼストが螺旋階段を凍らせたからだ。

 最上階に配置されていた騎士達を斬り――殺すことなく、その全てを昏倒させたゼストが向かったのは、

「只者じゃねえと思ってはいたが、まさかおまえが、あの国殺しとはな」

「……問おう。民とはなんだ」

「はっ、聞くまでもねえだろうが――」

 ここは国主の間。

 ならば、そこにいるのは、国の主。

 ゼストから放たれた殺気、向けられた剣先に、臆すことなどあってはならぬといった不敵な笑みを見せた、その藍色の髪の青年。

 二十代半ばの若者といった風体の、ただし、この国にあっては異質と呼ぶべき服装は、はるか北方の島国――陽乃元伝来の、着物と呼ばれる服飾を軽やかに着流す、この男こそ、

「――民とは国そのもの。そんでもって、国を護るのが俺の使命。ただそれだけだ」

 イヴァラド帝国初代皇帝、イクス・イヴァラド・ガーランドである。

「……そうか」

「なんだ、納めんのか」

 皇帝からの言葉に、ゼストが剣を納め、尋ねる。

「この国にて奴隷はどのような扱いか?」

「おいおい、随分おもしれえ事言うんだな、国殺しってのはよ――ふざけたこと言ってんじゃねえぞっ!」

 簡素でいて厳粛な、華やかさなどまったく感じさせない玉座に座る資格を持つその男が、ゼストを見据え、国の主にふさわしい、あまりに巨大な威声を上げる。

 あのゼストですらたじろぐほどの怒気をみなぎらせるイクスが、そこにいた。

「俺の国に奴隷なんて奴らはいねえ。いるのは、俺と俺の家族だけだっ!」

「……南西の森深くに、奴隷収容所らしき建物がある」

「……何だと?」

「そこに運ばれる奴隷達は、で、騎士団が他国で捕獲した者たち。この現実、どのように思われるか」

「ふうん……嘘ついてる眼じゃねえな……」

「……その言葉、そのまま返そう。やはり貴方ではなかったか――」

 ゼストが考えていた、イヴァラド帝国における人狩りの首謀者、その候補は二人。

 一人は皇帝。

 しかし、ゼストは、先程まで行なわれていた【アイアンフィアー】による帝都襲撃を知った時から、皇帝が首謀者である可能性は低いと考えていた。

 なぜならば【アイアンフィアー】に帝都を襲撃させることで得られる利益が、皇帝には皆無と思えたからだ。

 無論、自身の知らぬ思惑の有無についても考慮したゼストだが、何も思いつかなかった。

 なればこそゼストは、自身の考えに素直に従うべきと判断し、速やかに皇帝の元にやってきた――ある可能性に備えて。

「そのとおりだよ、ザイル、いや、ゼスト――

 国殺しと皇帝が語らう場に、とある訪問者が加わる。

 その男こそ、ゼストが考えていた、今回の人狩りの首謀者候補。

 その男とは――

「なるほどな……上からの命令か……」

「そう、騎士団に指示を与えることのできる人物は限られる。皇帝陛下やその親族などの、国の中枢に在る者。もしくは軍を率いる者。例えば――

「ギバル、てめえ、俺の国でなにしてくれてんだっ!」


 その訪問者の名は――ギバル・イードラング。帝国騎士団長そのひとだ。



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