第弐幕 前篇 『授名者』 

 

 イヴァラド帝国。

 ノーリス最南部に位置する帝政国家。

 歴史の浅い新興国でありながら、隣国である、ノーリス南部の強国――ヴェルノ王国にいささかも劣らぬ強国であり、好敵手のような間柄である。

 だが、その関係は唐突に崩れることとなる。

 ヴェルノ王を中心とした、ヴェルノ王国中枢を担う者達全員の殺害。

 その結果、長きに渡るヴェルノとの戦は終わりを迎え、西のアード皇国と領土を分け合う事となる。


 今より二ヵ月前の出来事である。




 イヴァラド帝国における主戦力は、傭兵ではなく騎士のみ。つまりは、イヴァラド帝国の兵力イコール騎士の数である。

 他国、正確にはノーリス列島群諸国のほとんどが傭兵を主戦力としている現状をみれば、異端と呼べる軍編成ではある。だが、ゆるぎない事実として、周辺諸国に軍事的な脅威として扱われていることから、イヴァラド帝国騎士の強壮さがうかがえる。 

 さて、ノーリス南部にてその実力を認められている帝国騎士だが、国に志願し、試験を通過すれば、誰でも騎士見習いとなれる。

 その後、一定の功績を重ね、主君である皇帝を初めとした地位高き者達の前で、騎士団長との模擬戦を行ない、実力を示すことで、正騎士として認められる。

 正騎士として認められれば、国から土地を与えられ定住を約束されるため、移住者の絶えない国として、その名は列島群全域に広まっている。

「騎士見習い、ザイル・バッカード、前へ」

「はっ!」

 そして今日、新たな正騎士が誕生する。


 その赤髪の新米正騎士は、二ヵ月前、帝都に移住してきた兄妹の兄である。




 イヴァラド帝都、ヴァラダール。

 帝都唯一の出入口である、帝国鍛冶師総動員で造りあげた、分厚い鉄扉。

 そこから伸びる、ひし形に築かれた、苛烈な投石にも強烈な破城槌はじょうついの一撃にも簡単に耐えうる、堅固な石造りの城壁。

 乱雑に敷かれた石畳。むしろ、そうであるからこそ猛々しさを感じるそれは、出入口から三本の通りを形成し、イヴァラド帝城へと伸びる。

 質実剛剣を信条とするイヴァラド帝国を象徴する、飾り気のない、無骨という言葉が良く似合う整然とした街並みは、全ての帝国民へと静かに、しかし、この上なく雄弁に告げている――我が帝国こそ、ノーリスの覇を競うにふさわしき強国である、と。

 そんな、軍人のみならず、民草までもが気を引き締めるような街並みを、姉妹が軽快に進んで……いや、不安げな表情の赤髪の妹が、ご機嫌な蒼髪の姉に連れられていた。

「やっほー、ザイルお兄ちゃん!」

「お、お弁当、持ってきました……」

 姉妹が辿りついた場所は、帝都中心に位置する、帝国騎士団本部。

「……ああ、うっかりしてたね。助かったよ、二人とも」

 弁当を受け取ったのは、兄である赤髪の騎士――ザイル・バッカード。

 彼の周りにいるのは、

「うおおおお、ディアナちゃあああん、笑顔をこっちにお願いしまああああす!」

「ぐあ、眩しい……ミルアちゃんの健気な姿が眩しすぎるぜ……」

「はあはあ……ディアナたん、ミルアたん、はあはあ……」

「なんたる……なんたる愛くるしさ……たまらんな……」

「ミ、ミルアちゃん……お、おお、お兄ちゃんって、よよ、よよ、呼んでは、くれまいか?」

 美少女姉妹に、激しく悶え、うち奮え、顔をにやけさせる帝国騎士達のあられもない姿。

 もしも、今の彼らのみっともない姿を、帝国の将来を担うであろう子供達にみせた場合、帝国騎士を志すものが激減することは間違いない。

 それほどの醜態しゅうたいを惜しげもなく晒してしまう程度に、ザイルの妹たちは可愛いようだ。

 そんな中、ディアナの笑顔にのたうつ者らの中に、ひとり抜け駆け気味な要望を届けたものがいた。

 届けられた赤髪の少女――ミルアが、

「えと、えと……お、お兄ちゃん?」

 照れくさそうに頬を赤らめ、もじもじしながら要望に応えた。

 この時、その場にいた帝国騎士三七名は思っていた。

 ミルアちゃん可愛いよホント最高の妹だよ、キタコレ、ウッヒャアアアア、と。

 そして、こうも思った。

 ザイル死ねザイル死ねザイル死ねザイル死ねザイル死ねザイル死ね、と。

 そんな、男達の羨望と妬みをその身にこれでもかと浴び続けているザイルは、心の中で今回の犯人に対して呆れていた。

(またか、ディアナ……)

(ご、ごめんなさい、ゼ、じゃなくて……ザイルお兄ちゃん)

(いや……大方、ディアナに無理矢理連れてこられたんだろう。ご丁寧に、弁当と同じ重さの石をかばんに詰めるなんてこと、こいつ以外にしないだろうからな)

(あんまり褒めないでよー)

(……ああ、そうだな)

(ちょっとっ! そこは、誰も褒めてねえんだよおいっ、って感じで、荒々しく男らしく指摘しないと駄目じゃーん! もう、わかってないなー)

(あはは……)

 今回のようないたずらを二ヵ月の間、ディアナの手引きの元で幾度も行なわれれば、どんな者でも誰が企てたかは一目瞭然だろう。

 騒ぎを聞きつけたのか、一人の騎士がザイル達の元にやってきた。その場に現れた騎士の、その流れるような所作は、歴戦の勇士たる証。

「ずいぶん騒がしいと思って来てみたら、案の定か」

 彼の名は、ギバル・イードラング。帝国騎士団長そのひとだ。

「申し訳ありません。妹達が――」

「いや、かまわないさ。人々と触れ合うこういった時間こそが、有事の際の原動力になる。それが騎士なんだよ、ザイル」

「はっ!」

「しかし、これだけ可愛いと、兄としては心配になるんじゃないか?」

「まあ、そうで――」

「安心してください、お義兄さん。ディアナさんは俺が守りますから」

「ばっか、おめえじゃ世間の荒波から守れねえよ、ここは俺が……」

「ちょっと待った! ここは俺の出番だろ!」

「ミルアちゃんは俺が守るから、ね?」

「ミ、ミルアたんは、ぼ、ぼぼ、僕が……」

「おい、紳士協定はどこにいった」

「そうだ、ミルアちゃんはみんなの妹だろうがっ!」

「……帝都に居るかぎり心配はなさそうだな」

「ですね……はは……」

 苦笑いを浮かべるザイル。

 そして、周囲の視線が二人に注がれた瞬間、

(……間違いないな)

 それまでの穏やかな表情を霧散させ、一切の感情を悟らせまいとするような無表情へと変えた。

 そんな彼と、

(え、私たちが美少女ってことが?) 

(……ああ、そうだな)

(聞いた聞いたミルアちゃん! 私たち美少女だって!)

(そんな……は、恥ずかしいです……)

 いつもどおりに彼へと絡んでいくディアナと、顔を真っ赤にしているミルアが、まわりの騎士たちに知られることなく、心の中で会話していた。

 この二ヵ月、いつも繰り広げられていた光景の中で、唯一彼だけが違うものを見ていた。

 

 そう、彼の視線は――




 労働力は、国を成立させる為に、非常に重要な要素である。こと、ノーリスの現状――戦乱の世であることを鑑みれば、不可欠であることは論ずるまでもないことであり、列島群各国は、常に高い労働力を欲している。

 では、労働力を向上させる為には?

 国の人口を増やすことである、が、簡単に増やせるわけがない、簡単ではないのだ。

 だからこそ行なわれる――人狩りが。

 だからこそ、取引される――奴隷が。

 全ては、ノーリス列島群を統べる為。 

「――だからって、俺らにやらせんじゃねえよ! 上からの命令とか、知らねえっつうの!」

「ですね」

 イヴァラド帝国において、人狩りは、若手騎士達の仕事。

 ザイルを含む偵察部隊は、東のローラス王国領へとやってきた。

 当然ながら偵察部隊というのは表向きの話。彼らは、れっきとした人狩り部隊である。

「ザイルも災難だな。騎士になって初めての人狩りだろ?」

「ええ、まあ。けど、妹達の為にも、しっかり稼がないといけませんし」

 ザイルの言葉に、十数人からなる部隊の男達が、涙ぐみ、ザイルの肩や背中をバシバシ叩きながら、応援の声をかける。

「ディアナちゃんもミルアちゃんも、いい子なんだよなぁ……兄冥利に尽きるな、おい!」

「ええ、まったくです」

 みなが口々にバッカード姉妹の可愛らしさを褒め称えて――いられるのは、彼らが既に、襲撃すべき村を発見し、野営を行なっているからである。

 襲撃は村が完全に寝静まってから決行される。

 密かに、けれど大胆に、無辜なる人々の自由を奪い、淡々と捕らえていく。それが人狩りである。

 運搬方法は、とても単純。

 専用の巨大麻袋――一枚に成人男性四人は楽に入るそれに、手、足、口を縛った状態で納める。その後、専用の馬車隊が待つ国境付近まで、二人体勢で抱えて運び、引き渡すことで、彼らの任務が完了する。

 ザイルたちはローラス兵と出会うことなく、無事、引き渡すことに成功。

 部隊は、深く安堵し、帰路に就く。

 そんな最中、

(……任せたぞ)

(はいはい、任せなさーい)


 彼は、相棒に、ある頼み事をしていた。




 人狩りは、大きく分けて二種類存在する。

 ――売買型。

 決して表に出ることのない奴隷商人との取引の為、人を狩る者達。主目的は金銭である。売買型の人狩りは、その多くが傭兵である場合が多い。

 ――使役型。

 こちらは、国が労働力確保の為に、他国に潜入し、人を狩る場合がほとんどである。

(……あそこか)

 取り扱うモノがモノゆえに、秘匿性ひとくせいが高い場所に捕らえられた者たちが収容されていることを、彼は重々承知している。

 だからこそ彼は、六日前、人狩りを終えて帰還しようとした際、ディアナに馬車を追跡させて位置を特定させたわけだ。

 ――奴隷収容所。

 イヴァラドのように人狩りが国主導で行なわれているような国であれば、存在しても不思議はない施設であり、彼にとっては忌々しい存在であり、斬り殺すべき対象。

 夜空に浮かぶ三日月に見守られながら、彼が動く。

 見張りの門番二人の周囲の空気を凍りつかせ、動きと反応を鈍らせる。その後、静かに刺し殺す。所要時間はほんの数秒。その間、わずかな悲鳴も上げさせることはなかった。

 すぐさま潜入。

 彼が、まず行なった事は、建物内の空気を冷やすこと。そうすることで、奴隷収容所は、彼の為の狩り場へと変貌する。

 建物内をくまなく調べ、漏れなく殺す――のだ、彼は。

 彼が自発的に冷やした空気は、それ自体が目や鼻の役割を代替する。生物である以上、必ず備えている体温を感知することが可能となる。そしてそれは、感覚として彼に届けられる。その事実は、敵が生物である限り、彼が得られる情報に誤認はないということだ。

 敵に弱みを見せず、敵の死角を突く――彼は、これを一方的に行なっているのである。

 彼は、知りえた情報をもとに、警護の数が増える方へと進む。守るべき何かがそちらにあるということを理解していない彼ではない。

 探り、進み、殺す。

 その行程を繰り返していた彼だが、やがてその歩みが止まり、逡巡しゅんじゅんすることとなる。

 他とは趣きの異なる意匠と、彼の既知にはない材質で造られたであろう巨大な扉と思しきソレが、人を狩る外道と呼べる者達を、淡々と斬り殺しながら歩を進める斬殺者をためらわせた。

 例えるならば、白き壁、だろうか。

 彼のこれまでの生涯で、このように奇妙な扉を見たことは決してないはずだ。また、彼がそれを扉と認識したのは、白いローブを纏った全身白づくめの男たち達が出入りしていたからだ。

 とはいえ、彼がいつまでも迷うわけもなく。

 再度、空気を冷やした上で、勝手に開閉する白い扉をくぐる。

 そこは――

(なんだこれは……)

 彼ですら動揺してしまうほどの、あまりに現実味に欠けた、不可思議な空間だった。

 だが。

 それでも彼は、自分がすべき事を見失うような男ではない。

 すぐさま、壁一面が白塗りの、あまりに広い部屋にいる者達を斬り殺しだす。

 妙なのは、部屋だけではなかった。

 その中にいた、おそらく警備兵であろう白い戦闘服のような何かを着込んだ者達が、黒い塊を彼に向け、何かをしようとしていた。

 彼らの多くは、その何かをする前に斬り殺されたが、その何かを使えた者もいた。

 何かが弾ける――例えば山栗が火の中で弾けたような、そんな音が連続して、部屋に響く。次の瞬間、あまりの音の大きさに顔をしかめた彼の周りには、鉄の木の実と呼べそうな、そんな何かが、地面に数え切れないほど散らばっていた。

 彼は、彼らが携える黒い鉄の塊を新型の弩弓とでも判断したのだろう。向けられた場合、すぐさま左右に乱れ動き、的を絞らせないよう警戒し、余計な時間をかけずに斬り殺す。

 多くの間も無く訪れる静寂。その場で動きまわる者は、彼以外、存在しない。

(……生きて、いるのか?)

 そう、動きまわる者は。

 しかし、この部屋にはもう一人、いるのだ。

 部屋の中央に、見た目から予測できる年齢ならばディアナとそうは変わらない、ノーリスでは珍しい黒く長い髪の少女が。

 一糸纏わぬ姿で、水の柱とでも呼ぶべき何かの中でゆらゆらと、その少女は漂っていた。その水の柱は、ガラスのような何かで覆われていることを、彼は確認する。

 彼は幾ばくかの間、考える仕草を取っていたものの、意を決したのか、ガラスとは思えぬほど硬質なそれに剣の柄を叩きつける。

 すると、鏡が割れるような音と共に、彼が開けた穴から、少女を覆っていた水のような妙な液体が吐き出されていった。

 同時に、少女がへたり込む。彼は、ガラスのような何かで出来ている入れ物を慎重に壊し、少女を引っ張り出して、気づく。

(……やはり、生きている)

 初めこそ弱々しかったものの、徐々に呼吸し始め、冷え切っていた身体に熱が宿りはじめていた。部屋の中を探し、手ごろな布を見つけ、手早く身体を拭き、彼女に布を纏わせる。

(他の者はどこだ……)

 この場にいたのは彼女だけ。彼女以外の囚われた人々が見当たらない。

 施設の一つ一つの部屋を冷気でくまなく調べ、その結果、彼はこの部屋にたどり着いた。見落としがあるとは考えにくいと、彼がそう思っていても不思議ではない。

 そんな中、彼の腕の中で、少女が身じろぎする。どうやら目を覚ましたようだ。

「お、おはよう、ございます」

「……ああ」

「えーと……人さらいさん、ですか?」

「そう見えるか?」

「……いえ。とてもカッコイイお兄さんに見えます」

 彼女の問いに、さらなる問いで返した彼に向け、なんとも緊張感に欠ける返答でもって、彼の問いに応える彼女。

「……立てるか?」

「えと……はい、大丈夫そうです、ピンピンしてます」

「……何故ここにいる?」

「ここ、って……何処ですか?」

「……わかった。行くぞ」

「へっ? ちょ、ちょっと待ってくださいよ、お兄さん!」

 彼女が、この奇妙な場所について何も知らないと結論付けた彼は、この場を離れることを決めた、次の瞬間――

「キマイラ……亜種か?」

「あわわわ……ぬ、ぬえっ!?」

 部屋を出ようとした二人を遮るように、巨大な魔物が入口の前に突如として出現した。

 出現の仕方――部屋の壁、天井、床などに一切の外傷も与えず、その場に現れたという事実自体も、彼を困惑させはしたが、それ以上に目の前の魔物そのものの不可解さが、彼を思考の海へと追いやる結果となる。

 ――キマイラ種。

 獅子の頭、山羊の身体に、蛇の尻尾を併せ持つ大型の魔物。

 しかし、彼らの前に現れた者は、キマイラに似てはいるものの、まったくの別物。

 例えるならば、キマイラの姿形をした――鉄の異形。そのような正体不明な魔物が突如出現するという異常事態。

「……名前は?」

「え、えっと、あれは鵺っていう――」

「違う、君の名だ」

 このような状況下に彼がとった行動は、思考を放棄し、彼女の名を尋ねることだった。彼女は大いに戸惑ったことだろう、無理もない。 

「わ、私ですか? 私は兵藤ひょうどう 沙希さきですけど……」

「……陽乃元の者か。まあいい――」

 彼が突然、サキの前に刃を突き出す。その意図が何一つわからない為、サキの身体がガタガタ震え、眼には大粒の涙が溢れ、大いにおののいていた。

「ひ、ひえええっ、お、お助けー!?」

「触るんだ」

「き、斬っちゃわないですか?」

「……早くしろ」

 彼の雰囲気に圧された彼女が、おっかなびっくりな挙動で、目の前に突き出された白蒼の刃に触れる。

 そのことを確認した彼が、告げる。

「この者はヒョウドウ・サキ。我らに敵対するものではないと知れ――アルトヴィーラ」

 相棒へ、彼女は敵ではないということを。

 続くように彼女が気づく、自身の変化に。

「お……おー? あれ、なんかポカポカしてきた……」

「少し離れていろ」

「う、うん、って、危な――」

 鉄の異形――鵺と呼ばれた魔物がとった選択は、奇襲。

 敵を屠ろうとする者が、己から目を逸らしていることを確認しているならば、その選択は正しい。そのことに気づいたサキが心配するのも当然ではある、が、それはまったくの杞憂だった。

 なにせ、彼に襲いかかろうとした鵺は、彼に近づくにつれ、その動きを鈍らせ、苦しげに地面に伏せたのだから。

「え、ええっ!?」

「……ヌエと言ったか?」

「う、うん……ええとね、【アイアンフィアー】っていう魔導なんだけど」

「魔導なのか、こいつは」

「な、なんで知ってるの!?」

「……なぜそれほど驚く?」

「だ、だって……お兄さんっ!?」

 鵺が、怒りの咆哮と共に尻尾から巨大な炎球を放つ。二人を覆い尽くすには充分すぎる。

 だが、

「ふむ……動く巨大魔導器、か……」

「す、すすす、凄すぎますよ……」

 彼の間近にたどり着いた頃には、元の大きさの半分ほどにまでしぼんでいた炎球を、アルトヴィーラと呼んだ刃で水平に薙ぎ払い、完全に打ち消した彼の姿に、サキは驚くしかなかった。

 知っているから。

 彼女は、鵺と呼ばれる魔導機の恐ろしさを知っているから。

 だからこそ驚くしかなかったのだ。生身の人間が【アイアンフィアー】を圧倒する光景を――その眼で見ることになるとは思っていなかったから。

「……いささか興味は湧くが、あまり時間もかけられないのでな」

 彼が動いた。

 そのことをサキが認識したのは、いつの間にか魔物の眼前に姿を見せていた彼が、刃を振り抜く――も、鵺の、鎧と見間違う鋼鉄の皮膚に阻まれ、硬い金属同士がぶつかり合う音が部屋中に響き、その音を聞き入れたその瞬間、その時にサキは、彼が動いたことを理解した。

 それは、一秒にも満たない間に鳴らされた、戦闘開始の鐘である。

 その後も、鵺の前脚から繰り出される、触れれば肉を削がれて当然といえる凶暴極まる猛攻を潜り抜けながら、彼が刃を閃かせる。だがそれは、部屋に硬い音を響かせるだけの結果にしかならなかった。

 だからこそ、

「……いいだろう」

 彼は理解した。

 目の前の者には、認めるに足るだけの価値があることを。

 だから、名乗る。

 エレク・ブリガンダと呼ばれた傭兵が。

 ザイル・バッカードと名乗った騎士が。

 己のを、眼前にそびえ立つ鉄の異形に、伝える。

「『斬愧ざんき』ゼスト・エンドヘイター」

 そう。

 彼こそが、国殺し。

 斬ることで己の意思を伝えし斬殺者。

「俺は――ここにいる」

 彼は、其処そこにいながら、今、ここにいる。

 そのことを――『授名者じゅめいしゃ』という存在が、この世界にとってどういう存在であるかを知っているからこそ、サキは、より一層驚いていた。

「じゅ、授名してなかったんですかっ!?」

 世界より名を授かりし者――『授名者』。

 サキは、彼がそうであることを察していたものの、今の今まで、授名していないとは夢にも思っていなかったのだろう。

 授名していない者が【アイアンフィアー】と互角以上に闘えていたというその現実は、聞く者次第では、にべもなく一笑されるような、世迷言の類と言えるほどにありえない話なのだ。

 だからこそ、サキがどれだけ驚いたのかを知れるというものだ。


 その後、わずかな時間をかけたものの、結果、鵺をいとも簡単に斬り殺した斬殺者の姿に、サキはただただ唖然あぜんとするしかなかった。



       

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