第26話 「右足は、神様に預けてあるんだよ」
――右足は、神様に預けてあるんだよ。
曾祖父
===
2018年4月
母方の曾祖父は99歳まで生きた。当時の総理大臣から《賞状》も貰ったとか。長い闘病もなしの大往生である。
ひいおじいちゃんが元気な頃私はまだ小学生だった。
なにぶん記憶が危ういが、片足なのに手の力で難なく廊下をスイスイ移動していたような気がする。
右足が無いことに関して詳しく聞いたことはないけれど、なんとなく戦争に関係しているんだろうなとは幼心に察していた。
曾祖父:「右足は、神様に預けてあるんだよ」
ひいおじいちゃんは柔らかい口調でそう言った。
小学生幼女だった私には誤魔化してるのか本当のことだか判断がつかなかったので、神様に預けたという方を信じることにした。
嫌な顔ひとつせずに笑ってそんな風に言えるなんて、ひいおじいちゃんてすごいんだなぁ、……そう思ったものだ。
一緒に廊下で日向ぼっこした。
膝の上に座らせてもらった時は特別に感じた。
ひいおじいちゃんの特等席が好きで、ひいおじいちゃんが居ない時もよくそこで一人座って日向ぼっこしていた。
ただ。
私がひいおじいちゃんについてはっきりと覚えているのはそれくらいだ。
会うのは年に1、2度。ひいおじいちゃんはあまり自分のことを語らなかったから、どんな人だったのかもよく知らない。
ああ、色々思い出しちゃって前置きが長くなってしまった。
……今にして思えばもっと話を聞きたかったなぁと、そう思ったんだ。
ひいおじいちゃんは自分のことを幼い私に語らなかった。私が大人だったとしてもやっぱり語らないだろう。
自分の経験したことは生々しくて、直接孫に話そうは思わないだろうから。
昔先生が言っていた。
「祖父や祖母の経験したことを聞きたければ親に聞け。曾祖父や曾祖母の事を聞きたければ祖父母に聞け。人は自分の経験は語りたがらないが、親の姿を見てきている」
当時は意味はわかっても実感がなかったけど、こういうことだったのかと理解する。
深く考えることなかったみたいだ。
だって、自分のことって何を話せばいいんだか判らない。
ああ、このことを教えてくれた先生は誰だっただろうか…。
ひいおじいちゃんのこと、今度おばあちゃんに聞いてみようかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます