第三十話 シャルルロアの戦い・モンスの戦い 2/5
『人皆な人に忍びざるの心有りと謂ふ所以の者は、
―『孟子 公孫丑上』―
「―――おいっ……童……起き……」
んぁ?何だ一体?耳がとても痛い。キーン。耳鳴りが酷い。ふわふわとした浮遊感。鮮やかな碧が見える。空だ。真っ白な雲と真蒼な空。あぁ、そういえばこういう風に空を見るのは久しぶりだな。
大きくなってから見えるのは目の前のことばかり。空は背景でしかない。ビルやマンションの後ろに見える空が俺にとっての空だ。ビルとマンションが
大きくなれば、なんでも見えると思っていた。背が届かなかったキッチンの上の棚はなんとか頑張れば見えるようにはなった。でも、見えないものもある。灯台下暗し。上も下も灯台からは見えないし、灯台の外からも上と下は見えないのだ。暗いからな。
「おいっ!!童貞クソ野郎!!起きやがれ!お前が指揮しなければ誰が指揮を執るんだ!!」
うるさいな。人がせっかく考え事をしているのに。
――ってあれ?俺何していたっけ?
「松本君!!大丈夫か!?」
耳に響く女の声。その声色にはなんだか想うものを感じる。大事な人の声。忘れられないその声色。ああ、思い出した。
――そうだ、俺は『戦争』をしていたのだった。
「すいません、会長。砲弾が近くで炸裂したせいで一時気を失っていたみたいです」
「そうか、良かった。しかし、怪我の心配をしてあげたいところだが時間がない。早く指揮に戻って欲しい。計画通りゲーマルト軍に突撃して浸透。そのまま荒らし回りつつ上級司令部を狙ってくれ」
「了解。健闘を祈ります」
「ええ。松本君もどうか気をつけて」
「吸血鬼のお嬢様方。大変申し訳無い。一時気を失っていた」
「雑魚が!!」「だらしないなぁ!!」「この童貞野郎!!」「松本お兄ちゃんの意気地なし!!」
口々に罵倒が飛んでくる。まぁ、この罵倒も慣れた。これはこれでいい奴らだ。あいつらの親愛の証だと思っておこう。
「前に説明したように我らの目的は上級司令部、つまり旅団或いは師団規模の敵司令部の制圧にある。要はお偉いさん共をぶち殺せばいい訳だ」
吸血鬼のお嬢様方は難しいことは分からないので、できるだけ要点を絞って話さなければならない。まぁ、実際は勘が鋭いから案外どうとでもなるのだが。それでもできるだけやさしく説明する。
「途中抵抗にあうだろうが、あまりそれには構うな。可能であれば髭を生やした奴の脳天をぶち抜け。髭を生やしてるやつはだいたい偉い。ただ、殺すなと俺が言ったときは絶対に殺すな。情報を吐いてもらわなくちゃならん」
尉官クラスだと怪しいが、佐官クラスだと確実に立派な髭を生やしているのがこの時代。髭での判断方法は吸血鬼でも指揮官の見分けがすぐつくので簡単だ。卑怯と言えば卑怯だが仕方ない。騎士道精神なんぞ、ここでは一ミリも役に立たない。仲間の死体のほうが盾として役に立つのだ。あぁ、あな恐ろしや。
「では、淑女の皆様。大変長らくお待たせした。本日の演目は『
堰を切る。慣れないが、堰を切る。吸血鬼が走り出す。手加減無しの本気の突撃。口々に必要とあらば魔法を発動し、或いは手に持ったライフルで器用にも狙撃する。前口上があまりしっくりとこなかったことを嘆きつつ、俺も置いてかれないように全力で走る。
左手には地図を右手には鉛筆を。戦う気は一切ゼロだ。俺がやる仕事は本来ならば後方司令部でのお仕事だが、どうしようもない。会長の傍らで会長を眺める仕事をしたかったが、それは叶わなかった。
「おい童貞!!右上空から敵魔法兵!!規模およそ一個連隊(約百八名)!!」
メンギアが叫ぶ。
「
俺は走りながら、なんとか指揮を飛ばす。なんでこんなめんどくさいことになったのかというと、吸血鬼兵は欧州最強の古参兵とか言われているが、実のところ近代戦をしたことがないからなのだ。奴らは高度な連携なんてしたことがない。集団で突っ込んで敵をちぎっては投げ、ちぎっては投げ(比喩ではない)を繰り返したら最後まで立っていたのは吸血鬼だけだったと言うだけの話。良く言えば一騎当千、悪く言えばゴリ押しなのだ。でも、さすがに今それをするのは非常にまずい。近代軍に包囲されればさすがの吸血鬼も死んでしまう。それに非効率だ。一人一人が戦車並みの戦力なのだからそんなに集中投入する必要はない。高度な指揮が可能であればしたほうが良い。
そういうわけで、俺がこんなそんな役回りをさせられている。会長は会長で吸血鬼兵とその他諸々の連携をしなくちゃならんし、ペタンとかド・ゴールは歩兵の指揮がある。なので手が空いているのが俺しか居ないのだ。それに、高度で柔軟な指揮が必要だから後方の司令部でぬくぬく指揮をする訳にはいかない。結果、俺が最前線で吸血鬼についていってその場で指揮をするとかいう意味不明なことになってしまっている。現代だったらドローン飛ばしてどうにかなっていただろうに!!ほんと電子機器は偉大だなぁ!!
というか、吸血鬼についていって指揮するとか正気の沙汰じゃない。ド・ゴールにもらった改造便利アイテムをつけてやっと吸血鬼についていけるかどうかというレベル。全力疾走で指揮をしろとか俺の求められてる能力高すぎ!!本当、ブラック!!
「前の方、たぶん旅団規模(六千名前後)だよ。どうする松本お兄ちゃん!?」
ヴラド・ミレーア殿下が聞いてくる。血気盛んなお姫様だ。というか、王族が普通に前線にいるのがワラキアという国家の闇を体現している。王族は常に先頭にいるというのが国家のルールらしい。こんな少女を前線に立たせるとか頭おかしいよ、絶対。
「突っ切ります!!総員、偉そうな奴か髭の生えてる奴がいたら生け捕りにすること!!絶対に殺すな!!尋問する!!」
第一村人ならぬ、第一旅団だ。可哀想だが、指揮官には上級司令部の場所を吐いてもらわなくては。
「松本君、戦況を報告せよ」
会長の声だ!!もう、これがなきゃやってられないわ!!
「現在、地点25-13にて一個歩兵旅団に突撃を敢行。右方より接近中の一個魔法連隊には一個中隊にて対応中」
「了解。現在ド・ゴール少佐の大隊を先頭に歩兵戦力がついていっている。露払いをしてくれ。あと五分後には砲撃を開始する。どうか気をつけて」
あっ、ド・ゴール昇進したんですね。大尉から少佐昇進おめでとうございます。って、いやいや、それよりも重要なのは――
「あのぉ……俺達がいるのに砲撃ですか?」
「えっ?死なないから大丈夫でしょう?」
「えっ?俺は人間なのですが…?」
「………コホンッ。私は松本君の献身にいつも感謝している。これからの奮闘にも最大限の期待を――」
「話をずらさないで会長!!」
「……気合で避けて?」
「………マジですか?」
同士討ち上等の砲撃計画。そりゃ、俺以外は不死だから良いですよ!!万一当たっても身体が吹き飛ぶだけですむんですから!!でも、俺死んじゃいますって!!会長!!俺に死ねというのですか!!
「お願いだ。松本裕太君。後で何でもしてあげるから許してくれ」
ん?今何でもするって言ったよね?……まぁね。仕方ないよね。会長がそんなに頼むのなら俺も覚悟を決めよう。
「いいえ、俺は会長の犬ですから。
そうだ。俺は会長の犬なのだ。従僕なのだから、これぐらいなんということはない。砲弾に当たればそれまでだ。運がなかったとしてもがき苦しんで死のう。
「総員傾注!!五分後に砲撃が開始される!!偉そうなやつを引きずり出せ!!」
「松本お兄ちゃん!!右!!右の方に髭のなんか偉そうなおじちゃんが居る!!」
「足を撃て足を!!逃がすな!!」
俺からは丘陵を降りてくる灰色の集団以外何も見えないが、王妹殿下には見えるのだろう。一瞬立ち止まり、人形のような可愛いロリータが不相応なライフルを構える。――パンッ。一発。
「殿下。お上手です」
メンギアがミレーア殿下を褒める。当たったのね。俺には見えないけど。
「
偉そうなやつを尋問して上級司令部の位置を教えてもらわなければならない。もし、それが叶わなくても指揮に重大なダメージを与えられるから損なことなど一つもない。ほんと、我軍は将校に厳しい。
「わーい!」
一応第一中隊長を務めるミレーア殿下が灰色の集団に先陣切って突撃する。なんだこのピクニック行くみたいなテンションは。ほんと怖い。
と、やっとここで敵が俺たちに気づいたのか、此方にめちゃくちゃ撃ってくる。しかし、そんなことお構いなし。殿下は突っ切る。銃弾が俺達を掠める。何重にも防護魔法がかけられている俺は普通のライフル弾ぐらいなら当たっても死にはしないが、でもそれでも怖い。吸血鬼の数人が被弾する。血飛沫が飛ぶがまったくその足は止まらない。
「
王妹殿下が右手で空を薙ぎ払う。するとゲーマルト兵の陣地で暴風が吹き荒れ、幾人かが吹き飛ばされる。吹き飛ばされていないゲーマルト兵も射撃ができなくなり、弾幕が薄くなる。
「急げ急げ!!俺はまだ死にたくはない!!」
砲撃開始まであとちょっと。急がなければならない。――パンッ、パンッ、パンッ。吸血鬼が走りながら次々と手に持っているライフルでゲーマルト兵の命を刈っていく。遠目ではあるが、バタバタとゲーマルト兵が倒れていくのが見える。あれ?これ別に突撃しなくても良かったんじゃね?このまま
「えいっ!!」
王妹殿下が飛び上がり、空を飛ぶ。因みに吸血鬼は陸空どっちでも戦える。王妹殿下が飛び上がったということは、最後の詰めに入ったということだろう。古今東西、吸血鬼の接近を許して勝利した軍隊は存在しない。遠い昔、スレイマン大帝時代の
さて、鬼のいぬ間に何とやら。第二中隊が魔法兵を抑えてくれている間に指揮系統をズタボロにしておこう。
「えいっ!えいっ!!」
王妹殿下が灰色の集団に突っ込む。空高く投げられる哀れなゲーマルト兵が多数見える。ロリータが大の大人を投げ捨てるその姿は中々圧巻だ。俺も走ってなんとか王妹殿下に追いつこうとする。一緒に随伴してくれている吸血鬼のお姉さんに守られながらなんとか走る。
――ヒュー。軽い音。空を切る大きい何か。近づいてくる。
「――っ!!
お姉さんが魔法を発動すると、雷光が空中に走る。同時に爆発音。砲撃だ。遂に始まったのだ、砲撃が。というか、開幕初撃俺に直撃コースとか、運なさすぎない?
砲撃を撃ち込まれ始めたゲーマルト兵は更に浮足立った。そりゃ、突撃されながら砲撃を受けるとか矛盾も甚だしいもんね。普通、突撃と砲撃が一緒になることはないからね。上は洪水、下は大火事。前門の虎、後門の狼。状況的にはそんな感じだ。吸血鬼の突撃を受けただけで恐慌状態なのに、それに加えて砲撃とか俺TUEEEEEにも程がある。というか観測射撃なしで、いきなり効力射を当てに来るとかペタンの連隊練度高すぎ。
しかし、それにしても王妹殿下が砲撃を受けているゲーマルトの陣中で、踊るようにちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返す様は不謹慎ではあるが、なんだか非常に美しい。
ステップを踏む。
「松本お兄ちゃん。コイツだよ」
少女が大の大人を引きずってくる。まったく、この殿下は。屈託のない笑顔を俺に振りまく。純白の肌は泥に汚れ、返り血で頬は染まっていた。
「さすがです、王妹殿下」
ここは戦場だ。そして王妹殿下は吸血鬼だ。少女の形をしているとは言え、この少女は化物だ。合理的に考えれば、別にミレーア殿下が戦場で何しようが人道に
でも。――それでも、やはり、少女の形をしたナニカでも。こうやって『少女』が返り血を浴びて笑っているのは現代日本人の俺にとって何か引っかかるものは少しはあった。
この引っかかる何かは作られた感情なのか?それとも人間本来の感情なのか?井戸に落ちる子供を見てはっとする気持ちは果たして人間本来の感情なのか?中学で学んだ中国古典が頭をよぎる。いや、考えるのはよそう。文学的思索など、この殺戮場では役に立たない。合理的判断に身を委ねよう。俺は俺の出来ることをするだけだ。
ハンカチをポケットから取り出す。既に、ハンカチは土埃に塗れて薄汚れていた。しかし、その汚れたハンカチでミレーア殿下の頬を拭く。まだ乾ききっていない血がハンカチに滲む。
「ん?何?」
ミレーア殿下はキョトンとした目で俺を見る。骨肉の内紛がもたらした悲劇。それから止まった精神の成長。幼いままの精神。成熟しない精神。ミレーア殿下はアードリア女王と違って精神と外見はそれほど乖離していない。少女のままなのだ。
「いえ、なんでもありません」
今、血を拭き取った所でその行動に意味はない。すぐに汚れるのだから。ただただ俺の自己満足だ。でも、このささやかな行動がきっと大きな意味を持つことを期待したい。
「変なの。直ぐにまた汚れるのに」
「ええ。そうですね、ミレーア殿下」
「……やっぱり変なの」
「えぇ、ほんと。まったく、非合理的です」
「まぁ。分かんないけど、なんかありがとう」
また屈託のない笑顔を俺に振り向ける。吸血鬼の王の妹。囚われの身。少女はその生まれが高貴なるがゆえに、国家という鳥籠から出ることは叶わない。吸血鬼契約。臣民に対する義務。
「さぁ、こいつを尋問しましょう。大隊長ぐらいだと嬉しいんですが」
直ぐにでも抱きしめたかったが、それも叶わない。ここは戦場。合理性が最優先事項だ。最高戦力であるミレーア殿下を退かせる訳にはいかない。
俺に出来るのは一刻でも早く、この戦闘を終了させることだけだ。そして、一分一秒でも早く戦争を終結させなければならない。そうしなければ世界が滅ぶ。早くしなければ、全てが滅んでしまう。
カイザー・ヴィルヘルム研究所に提出されたという一つの論文。『核分裂のメカニズム』。あまりにも早すぎる発見。あまりにも時代錯誤な発見。第一次世界大戦後に開かれるはずのパンドラの箱は、もう既に開かれていた。
戦争の歯車は俺たちが知っているよりも急速に、そして容赦なく廻り始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます