第三十一話 シャルルロアの戦い・モンスの戦い 3/5

『一九〇三年から一九一四年までの自動車の発達ぶりに思いを致せば、今次大戦の緒戦期において、またその終末期において、いかに自動車の利用されることが少なかったかに驚かざるを得ない!』

                    ―リデル・ハート『第一次世界大戦』―


「戦争をしましょう」

「ん?なんだね、そのポーズは?」

ペタンは両手を文房具類で一杯にしてポーズをとる春菜を見て首を傾げた。

「分かる人には分かる冗談ですよ」

「そっ……そうか。すまんな、わからなくて」

「いいえ、ペタン大佐は知らなくて当然です」

キッパリと春菜は言い切る。当然であった。第一次世界大戦時代の人間に、現代日本のサブカルネタをやってみせたところで分かるはずがなかった。

「なら、いいのだが」

「松本君だったら、ホッチキスステープラーで頬の内側を綴じることになりますけど」

時々、ペタンには春菜の発言が冗談なのか、それとも本気なのか分かりかねるところがあった。冗談のような本気。本気のような冗談。それらを巧みに使い分ける春菜は狡猾な外交官のように映った。のらりくらり飄々とした態度は胡散臭さすら漂わせていたのである。ペタンはこの発言はきっと冗談だろうと思って、おどけた表情で皮肉じみた返答をする。

「君達の関係性はどこか倒錯してるね」

「ふふっ。そりゃそうです。このイカれた時代でマトモに生きようとするほうが難しいでしょう。倒錯した時代で倒錯せずに生きていられるとお思いでして?」

ペタンは面食らった。こうやって冗談を本気で返してくることが多いのでペタンはいつも驚いてしまう。ペタンにとって諧謔精神ユーモアに溢れる春菜の話は面白かったが、疲れるものであった。心臓に非常に悪いからである。

「……まぁ、それはそれとして。本当に戦争を始めようか」

「えぇ、現代の戦争を始めましょう」

現代の戦争。それは、決して戦場の第一線で行われるものではない。勝敗を決するのは個人の武勇ではない。統率された軍隊が計画された作戦に則ることが勝敗を決するのだ。つまり、言ってしまえば現代の戦争は文房具で決着がつく。『ペンは剣よりも強し』。至言である。

春菜は手に持っていた文房具を繰り出し、作戦図に情報を書き込む。次々と届けられる報告に目を通し、それに従って地図上に線が描かれる。

「吸血鬼隊が戦線を突破。裕太が大隊長を捕縛したらしいぞ」

ペタンとその副官のボーディセリが情報の整理に手を貸す。三人を中心に司令部が廻る。

「ボーディセリ君、松本君につなげ」

「了解、繋ぎました」

「松本君、私だ。旅団司令部は掴めそうか?」

「大隊長に尋問して聞き出せましたから恐らく可能です。旅団は恐慌状態で混乱してますから、旅団司令部は大隊長が吐いたところにまだいると思います」

「了解、そのまま前進せよ。後方部隊との連絡は保たれている。安心して前方旅団の指揮を奪え」

「了解です」

淡々と進む戦況。問題は特になかった。規定通りの進行。砲撃と銃声が聞こえるが、仮設司令部の周りは平和そのものだった。戦争は地図の上で問題なく行われていた。線と線の間でどれだけの血が流れているのか。それはただ抽象的な数字でしか春菜は計り知れなかった。数字と線こそが春菜にとっての戦争の姿であった。ボードゲームと何ら変わらない。春菜は現実感を喪失しそうだった。

「砲撃中止。歩兵部隊、前進してください」

「あい、分かった。ボーディセリ、砲兵中隊長とド・ゴールにつなげ」

「了解、繋ぎました」

「砲兵中隊、砲撃中止。第一大隊、眼前敵旅団を攻撃せよ」

「こちら砲兵中隊、了解」

「こちら第一歩兵大隊、了解です。因みに、ペタン大佐。魔法兵の援護がもらえると嬉しいんですが」

「西園殿、ペタンの大隊が魔法兵の援護を要請しているが送って大丈夫か?」

「魔法兵の使用を許可します」

「喜べ、ド・ゴール。魔法兵を送ってやる」

「了解、ありがとうございます」

次々とペタンと春菜は指示を与えていく。高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応する。場当たり的と揶揄されかねない戦略ではあるが、春菜とペタンは現実にそれを実践していた。短期間の訓練ではあったが、ペタンの連隊と吸血鬼の連携は実戦に耐えうるものであった。

「それにしても、西園殿」

「はい、何でしょうか?」

次々と送られてきた報告が一旦止まる。その間隙を利用して、ペタンは気になっていたことを春菜にぶつけた。

「本来、我々の原計画ではここで戦うつもりはなかったはず。一体どういう風の吹き回しだ?」

「前に説明したとおり、あまりにもフランドル方面からの敵圧力が強くなったせいです」

「事実ではあるが、それは嘘だな。もっとなにか深い理由……そう、君の予測を覆すがあったのではないかね?」

「買いかぶりすぎです。予測は常に外れるものですから」

「確かに、予測は常に外れる。だが、重要なのは、予測が外れたというそのものよりも、予測が外れたであろう?」

やはり、この男……

春菜は率直に言って、ペタンの察しの良さに一瞬狼狽うろたえた。勿論外面には出していないが、内心一瞬ヒヤリとした。連合軍結成の裏、春菜はペタンにこの戦争の序盤がどのように推移するかというレポートを提出していた。

プラン十七は完全に失敗。ガリア軍はフランドル方面からの敵圧力に抗しきれなくなりマルヌ河まで撤退するが、そこで反撃に成功する。しかし、ガリア軍は決め手に欠け、森林同盟からドーヴァー海峡にかけて長大な塹壕が築かれる。結果、戦線は膠着。夥しい流血を伴う塹壕戦に移行する。

それがレポートのあらましであった。そのレポートに基き、連合軍はマルヌ会戦から戦争に参加するということで話は纏まっていた。しかし、春菜はその話を急遽反故にした。連合軍は前進し、フランドル方面から迫ってくるゲーマルト軍と一戦交えるという計画に変更したのである。

「普通なら、予測の見立てが甘かったと思うところだが、どうもおかしい。リエージュの陥落を正確に予測してみせた君が、ここに来て計画の大幅な見直しを迫られているのはどうしたことかね?」

ペタンは春菜を睨めつける。眼光は鋭く、二人の間に火花が散る。副官のボーディセリは息苦しさを感じ、喉元のボタンを人知れず一つ外した。

なんで、この二人は一々険悪になるんだろう?仲良くしたらいいのに。いや、もしかしたら逆にこれがペタン大佐と春菜殿とのコミュニケーションなのかな。きっと、そうに違いない。喧嘩するほど仲が良いと言うやつだ。そういうことにしておこう。

「それに、だ。戦場では常に戦術の更新が行われる。新機軸の戦術は遅かれ早かれ模倣される。浸透戦術をこんな早い時期にお披露目してよいのかね?本来、浸透戦術は戦術単位ではなく、戦略単位で行われて威力を発揮するのだろう?」

しかし、ペタンが春菜を睨めつけていたのはコミュニケーションからではなく、実のところ恐れを抱いていたからである。神がかった読みを見せていた春菜がここに来て読みを外したのだ。そして、それへの対応策も場当たり的なものに感じた。持ち運べる機関銃の開発、小型通信機の実用化、浸透戦術の確立、諸政府への根回し。ありとあらゆる物事が、まるでこうなることを知っていたかのように配置されていた。それだけにペタンには今回の急な計画変更は不吉なものに見えたのである。

「……お流石です。ペタン大佐」

春菜は折れた。大きな溜息をついて、事の次第を説明する。

「原計画を変更したのには大きな理由があります。そう、ペタン大佐が言うような原因が存在するのです」

「やはりか。それでどのような原因か?」

「……一つは、ゲーマルト軍の動きが予想よりも早いことです」

「それは事実だ。原因ではない」

「二つは、ゲーマルト軍の補給事情が予想よりも良いことです」

「それも事実だ。原因ではない」

「二つの事実を結ぶ原因。それはつまり、自動車の大量使用です」

『自動車』。それはこの時代、つまり二〇世紀前半において、物資の輸送手段としてはまだ一般的なものではなかった。物資の輸送手段は鉄道が主であったのである。

「自動車の大量使用……だと?いや、しかし。そんなことが果たして可能なのか?数十万の将兵の補給を可能にするような数の自動車を用意していると?」

「いいえ、本国ワラキアの情報部を騙くらかす程度ですから、恐らく全人員の補給を可能にするだけの自動車は用意できていないでしょう。それにゲーマルトの工業力でも物理的にそれは不可能です。精々先鋒部隊だけに集中的に運用されていると見るべきでしょう」

全部隊の機械化が可能だったのは第二次世界大戦でもアメリカ合衆国ぐらいであった。自動車が大衆化する黎明期であるこの時期に、しかも春菜が整えた諜報組織の目を掻い潜って大量の自動車を用意することなど、到底不可能であった。

「しかし、たったそれだけでもこの状況下では命取りだ」

「えぇ、そのとおりです。プラン十七が失敗する以上、敵がフランドル方面を急速に侵攻してくれば、ガリア軍の中央は包囲されます。そう、セダンの再来です」

「多少の無理を押し通してもここで一戦交えるのは価値ある行動であると、そういうことだな?」

「はい、ペタン大佐。プラン一七が完全に失敗し、戦略的再配置が行われるその時まで、なんとかここで時を稼がなくてはなりません」

「可能なのかね?」

「ゼロではありません。なに、連合軍は現時点では世界最強ですので」

「――魔法中隊からの緊急連絡です!!」

「此方に繋げ」

ホーディセリが魔法中隊からの通信を春菜に繋げる。

「こちら第一魔法中隊!!ブリタニアの竜乗騎兵ドラグーンと接触!!」

「ほう、これはこれは。ブリタニアが虎の子を出してくるとは意外だな」

春菜は人知れず口角を上げた。

優柔不断と聞こえに名高いフレンチが連合軍の突撃に乗じて出てくるかは賭けに近かったが、どうやら私は賭けに勝ったようだ。それにこの世界のフレンチは存外やる。保険でブリタニアの司令部を襲って指揮権を強奪するプランも考えていたが、どうやらそれは実行せずに済みそうだ。

「そのまま竜乗騎兵ドラグーンの現場指揮官と接触し、可能なら共同して事に当たれ。ブリタニアの面々には失礼のないように」

「了解。現場指揮官と接触します」

春菜は地図の上に鉛筆を走らせる。このまま敵中央を突破できれば、一時的にではあるがゲーマルト軍の進撃を止めれるはずだった。

「……勝ったな」

ペタンが呟く。確信を持ったその一言。歩兵戦のプロフェッショナルであったペタンは勝利を確信した。勿論、春菜はペタンがこの時代において最高の指揮官であることは分かっていた。ペタンの確信に満ちたその一言は実戦経験が殆ど無い春菜に安心感を抱かせた。

「えぇ。貴重な竜乗騎兵ドラグーンが前線に出てきたということはブリタニアは総力を挙げて反撃に移ったという事です。中央部が瓦解すれば必然的に右翼と左翼は退かざるを得ない。このまま行けば包囲されたブリタニア軍も救出できるでしょう」

「カカッ……ククク。おめでとう、西園殿。戦史教本入りは確実だ」

「ならば戦果を拡大せねばなりませんね。模範的な勝利を見せなければ」

「我々にかかればそれぐらい造作はないさ。さぁ、戦争をしよう」

「えぇ、戦争をしましょう」

文房具を繰り出す。地図に書き込まれる数字と線。抽象的な記号に還元される人命。一人一人の人生は数字に還元される。悲劇は数字に変わる。そこには戦場の煌めきは微塵も残っていなかった。

地に響く砲撃音。鼻につく火薬の匂い。ただ、それだけだった。自分の判断と決断全てに人命の消費を伴う。それは自覚している。判断と決断に対する責任感はまだあった。しかし、それは不安定なものであった。油断をすれば、すぐにその責任感は消えて無くなりそうだった。

「――厭なものね、現代の戦争って」

春菜はポツリと呟く。しかし、その声は魔法通信の着信音で掻き消された。

「第三大隊からの通信です。『敵反撃に対して防衛中。敵規模およそ二個連隊。我優勢なり』とのことです」

「了解、そのまま防戦して跳ね返せ。ブリタニアの歩兵部隊が到着するであろう二十分後に反撃に移れ」

「了解」


斯くて連合軍はゲーマルト軍に対して楔を打ち込むことに成功する。ゲーマルト軍は中央部の指揮系統が崩壊したことにより、攻勢を中断。戦線の整理のため一時退却する。また、自動車を優先的に配備された先鋒は将校の損耗が激しく、継戦能力を喪失する。

連合軍は戦術的には完全な勝利した。しかし、戦略的には後々禍根を残すことになる。あまりにも少数の手勢で勝ちすぎたのだ。浸透戦術。それが与えた衝撃は研究への十分な誘因インセンティブとなった。

戦術は常に更新される。戦術は反省と実戦を繰り返して進歩する。そして、戦争の終わりは遠い未来である。戦術はどこまで進歩するのか。このときはまだ誰も知らない。

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