第二六話 模擬戦闘訓練 2/2

『国民は一つの共同体として想像される。なぜなら、国民のなかにたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は、常に、水平的な深い同志愛として心に思い描かれるからである。そして結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである』

               ―ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』―



「ちょっ。メンギア少佐!楽勝とかさっき言ってましたよね!?」

無数の銃弾が松本の頭の上で空を切る。ヒュン、ヒュン、ヒュン。現代日本では絶対に聞こえない音だった。松本は必死に身体を地面に押し付ける。土と草の匂いが一気に鼻腔に登ってむせ返りそうになる。ヒュン、ヒュン。ダダダダダ。銃弾が掠める度、背中に何かゾワゾワしたものを感じる。粟立つ皮膚が生命の危険を警告していた。一刻も早くここから立ち去りたい衝動に駆られていたが、だからといって立ち上がると良い的だ。いくらメンギアの保護魔法で防御しているとはいえ、それも万全ではない。第一、当たったら死ぬより痛いらしいので立ち上がる勇気はなかった。松本にできることは楽勝だとホラを吹いたメンギアを攻め立てることだけだった。


「いやぁ、やるねぇ。防衛陣地は完璧なことに加えて、火力も十分。のべつ幕なしにこちらに撃ちこんでいるのも賢明な判断だ。弾幕を張って我々を近づかせない腹づもりだ」

メンギアも腹ばいになってガリアの面々が作り上げた防御陣地を見つめる。土嚢が積まれ、多数の機関銃が設置された陣地。それは射線までも計算された完璧なものだった。さらに、少数の侵入者に対する備えも万全だった。吸血鬼兵が浸透するのを見越して防御陣地の回りには罠が仕掛けられていた。仕掛けられた罠は吸血鬼の鋭敏な注意力を掻い潜る程、非常に巧妙なものであった。

メンギアですらその罠には気づけなかった。勘では何か仕掛けていることが分かっていたが、ここまで大量に、しかも効果的な罠を仕掛けているなどとは予想外であった。狩猟用の虎挟み。細いワイヤーと手榴弾で作られた即席の対人地雷。その他諸々が綿密に配置され、そして注意深く隠されていた。結果、連隊本部の奇襲は失敗。罠に引っかかったせいで近づいた事がバレてしまった。


「そんなことはどうでもいいんです!!どうしますかメンギア少佐!?このまま突破するんですか!?」

松本がメンギアをまくし立てる。メンギアはその様を見て、一言。


「そう喚くな、戦争童貞チェリー戦争セックスはこれからだ。いきなり動くと悲しい思いをするぞ」

ハッハッハ。早漏はダサいぞー、早漏とかだっさ。回りの吸血鬼は呑気に野次を飛ばす。松本は童貞をバカにされたのに加えて、このような状況でもまったく動じない吸血鬼にはイライラした。

まるで酒場のおっさんどもだ。こいつらはこの状況を楽しんでいる。やつらにとって、これこそが生きがいだ。鉄火場こそが酒場だ。まったく狂ってやがる。酒と銃弾はこいつらにとって等号イコールで結ばれるんだ。


「いいか?戦争セックスのやり方を教えてやる。果敢に攻めて、屈服させるんだ。完膚なきまでに蹂躙しろ。構いやしないさ。支配しろ。君臨しろ。凱歌を歌え。全てを引き受ける覚悟がなければ戦争女の相手なんてするな」


「一体なんの話をしてるんですかっ!?」


「なに、今のお前に必要な助言だろうさ。

さて、諸君。こいつに戦争セックスの手本を見せてやるぞ。

――突撃せよ、化け物共」

メンギアが堰を切る。そう、堰を切るという表現が正しいだろう。堰き止められていた殺意が、今溢れだした。殺意の渦の真っ只中に自分がいることを松本は感じ取った。皮膚が痛い。松本は皮膚が裂ける錯覚に囚われた。恐ろしい。歯がガタガタと音を立てる。次々と吸血鬼が自分の脇を通り過ぎていく。松本は顔を少し上げて恐る恐る隣のメンギアを見る。

嗤っている。嗤っているのだ。視線を後ろに移して他の吸血鬼を見る。整った顔立ちをしたある一人の女性が、狂人のような嗤みを浮かべながら突撃していく。『笑うという行為は本来攻撃的なものであり 獣が牙をむく行為が原点である』。彼は、昔読んだ漫画にそんなことが書かれていたことを思い出した。奴らは獣なのだ。人間の形をした獣なのだ。端正な顔立ちをした獣たちは喜々として機関銃の銃雨に突っ込んでいる。仕掛けられた罠が彼女たちの足を捉える。虎挟みが喰らいつく。しかし、彼女たちはお構い無しだ。全力で走る走る。虎挟みと地面とを結ぶ鎖が破断する。ワイヤーに引っかかり、手榴弾が爆発する。機関銃の金切り声と爆発音が戦場を支配する。

彼女たちの肢体が吹き飛ぶ。血が吹き出し、辺りの木々にそれがべっとりとこびり付いた。頬が撃ちぬかれ、歯が露出しながらも彼女たちは突撃をやめない。腕が吹き飛ぼうが、足が吹き飛ぼうが、半身になろうが、脳梁が飛び散ろうが、頭の一部がなくなろうが、彼女たちは防御陣地に迫る。人の形をした化物。彼女たちは嗤い始めた。ハハハハハ!!高嗤い。精神がれたかのような嗤声だ。


「よし、いくぞ!!」

メンギアが松本に話しかける。眼の前の地獄絵図に茫然自失となっていた彼は返事ができない。手を握られてはっとする。その手は柔和で温かかった。化物。いや、人間。松本は何がなんだかわからなくなった。

「なにを呆けている。これからが本番だぞ。私についてこい」


「へっ?」

メンギアが手を握り、松本を死地へと誘う。無理やり立たされる。流れ弾が空を切る。メンギアは走り始めた。松本はその後を必死でついていく。彼は知っていた。メンギアの傍らこそがこの殺戮場キリング・フィールドで一番安全であるということに。この化物の小さな背中が、生きてきた中で一番頼もしかった。メンギアの後ろをピッタリと付いて行く。メンギアが道を切り開く。自分はその道を踏みしめて走る。罠と銃弾は全てメンギアが引き受けてくれる。


一方、不死者の軍隊の突撃を真正面から待ち構えるガリア兵は半ば恐慌状態にあった。撃っても、撃っても、撃っても止まらない。林の中で吸血鬼たちの嬌声が響く。発砲音でそれをかき消そうとするが、それも叶わない。寧ろますます凱歌は大きくなるばかり。

「来るな!!来るな!!ああ!来るな!!」

機関銃の銃手は叫びながら銃弾をばら撒く。

「死だ!!死が近づいている!!」

ガリアの歩兵はボルトハンドルを引いて即座に銃弾を装填する。

撃つ。命中。撃つ。命中。撃つ。命中。しかし止まらない、止まらないのだ。頬があった場所から白い歯が覗く。頭蓋が露出する。右手があらぬ方向にひん曲がっている。だが、それでも死なない。不死者アンデッド吸血鬼ドラクル。防御陣地全体に恐怖が蔓延する。持ち場を離れて逃げ出したい。こんな化物の相手などしてられない。根源的な恐怖。死の恐怖。彼らガリア兵にとって経験したことがない感情だった。植民地蜂起の鎮圧を経験したことがある熟練の兵士でさえ、その表情には死への恐怖が深く見て取れた。この場を預かる小隊長は小型通信機インカムに向かって援軍を要請することしかできなかった。戦線崩壊。小隊長はその四文字が頭に浮かんだ。

丁度、その時。防御陣地の空気が変わった。続々と到着する援軍。その中に、一際身長が高い兵士が居た。その兵士は拳銃を構えて一言。

「ガリアの諸君!!持ち場を離れるな!!己の義務を果たせ!!ガリアは君たちが自らの義務を果たすことを期待している!!!」

ド・ゴールの声はよく通る。野太いその声は恐慌状態にあった兵士を正気に戻した。

「中隊長だ!!中隊長が来たぞ!!」


「五分だ!!五分耐えろ!!魔法中隊が援軍に駆けつける!!」

ド・ゴールがあらん限りの大声を張り上げる。五分、たった五分耐えれば魔法中隊の援軍が駆けつける。防御陣地に詰めるガリア兵の目には死への恐怖ではなく、希望の光りが灯り始めていた。まだだ、まだ勝機はある。我々が耐えれば耐えるほど、逆に奴らを包囲できるのだ!!

「近寄らせるな!!各自持ち場を離れるな!!まだ我々は負けてはいない!!」

ド・ゴールがまくし立てる。そうだ、そのとおりだ!!我らは誇り高きガリア大陸軍ラ・グランド・アルメが末裔だ!!欧州最古参の化物が相手でも我らは怖れない!!無様に負けてやるものか!!

「舐めるな化け物共が!!ガリア我々の力を思い知れ!!」

ガリア兵を結ぶ紐帯。それは伝統であり、誇りであった。連綿と続く歴史。栄光と挫折の歴史。我らが祖父母、我らが父母を育てた我らが祖国。今、自分たちは祖国ガリアさきがけなのだと感じた。那由多なゆたの彼方から続く祖国の歴史の先頭に、今まさに自分が位置しているのだという信念。それが彼らを奮い立たせた。個人が国家と同一化する感覚ナショナリズム。ロマン主義的な興奮が彼らを包み込んだ。

「総員、着剣!!肉弾戦用意!!」

ド・ゴールの声が響く。終わりの時が近づいてきた。ガリア兵はそう感じ取った。しかし、そこに悲観的な感情は特に湧いてこなかった。死ぬのは怖い。確かに怖い。だが、自分の死は意味のある死なのだと感じられた。個人ではなく、国家にとって意味のある死。自分も悠久の歴史の中に溶け込むのかと思うと、それほど悲観することはない。そのようなある面では奇妙な信念が場を支配した。

凱歌が近づいてくる。死の歌だ。ハハハハハ!!調子がずれた嗤い声。鉄条網を一気に飛び越えてくる。尋常ならざるもの、人ならざるもの。ガリア兵は銃剣を前に突き出した。しかし、それらは難なく避けられ、即座に組み伏せられた。戦友が組み伏せられているのを見て、別のガリア兵が銃剣を突き立てる。しかし、吸血鬼は感極まった表情をしながら、ライフル銃をつかむ。次々とガリア兵たちは放り投げられた。まるで子供と大人のケンカ。いや、彼女たちにとってこれは赤子をあやしているに過ぎない。圧倒的な力量差。埋められない差。

「ハハハハ!!戦争!!戦争だ!!昔を思い出す!!」

化物は大声で喚き立てた。その意味はガリア兵には分からない。彼らにとって、意味不明な言葉の羅列は、彼女らを一層不気味なものとした。また一人、また一人とガリア兵は彼女らに突っかかり、そして倒れていく。しかし、誰も彼もが最期まで戦う。己のもちうるすべての力を彼女らにぶつける。だが、戦場に立つ人間がみるみるうちに減っていく。もはやこうなってしまえば戦術も何もない。蹂躙。一言で形容するならばそうなるだろう。

……ここらへんで仕舞いにしよう。少し離れた所で事の次第を見ていたペタンは小型通信機インカムでド・ゴールに武装解除の指示をした。降伏。ペタンはこれ以上の抵抗は無意味だと悟った。魔法中隊の援軍はもうすぐ到着するだろうが、こう混戦してしまっては彼らは十全には戦えないだろう。第二大隊の到着はもう間に合わない。もはや勝負あった。完全敗北だ。

ド・ゴールは声を張り上げる。

「総員、銃を置け!!」

ガリア兵の精神的支柱であったド・ゴールが武装解除を命令する。ガリア兵の闘志はポッキリと折れ、膝から崩れていく。敗北。完膚無きまでの敗北であった。兵力差4:1。防衛戦であれば万が一にでも負けるわけはなかった。ド・ゴールらが設営した防御陣地は何ら咎められるところはなかった。寧ろ最善であったといえるだろう。人間と化物の差。勝敗の差は余りにも単純な生物学的差によってもたらされた。仕方がない。ド・ゴールはため息をつく。

しかし、ド・ゴールはただやられるのは癪に障った。それに、部下に無理をさせたのにもかかわらず、自分だけこうやって突っ立ているのは不公平に思えた。ド・ゴールは小型通信機インカムでペタンに頼み込む。

「ペタン大佐。連隊機を持ってきてはもらえませんか?」

「どうするつもりだ?」

「最期の戦いをするんです」

ペタンはその一言で察した。どこまでも部下思いのいい奴だ。ペタンはド・ゴールのそういった所を気に入っていた。そうだ。英雄というのはそういう人間的な魅力も必要だ。


「松本裕太殿!!もしおられるのなら、来てください!!」

ド・ゴールの声が静かになった戦場に響く。


「ひゃ、ひゃい」

松本は足腰がほとんど立たない状態ではあったが、前に進み出た。松本の右頬は無残にも腫れていた。軍服はところどころに穴が空いてヨレヨレであった。

「そのような状態で、ものを頼むのは非常に申し訳ないのですが……」

ペタンは松本が最前線に立つには不向きであると前々から思っていた。そんな彼がこれからこんな化け物どもと死線を超えなければならないと思うと、非常に不憫な境遇に彼は置かれているとド・ゴールには思われた。その頬の腫れも恐らくガリア兵によって殴られたか何かされた痕なのだろう。仕方ないとは言え、なんだか申し訳ない気分に駆られた。

「いいえ、訓練にけふぁはつきものですひゃら」

松本は手を振り、ド・ゴールに攻められる故はないと伝える。頬の腫れが酷いせいで発音がうまくできない。

「では……メンギア少佐を呼んで頂きたい。決闘を申し込む」

「決闘でふか……?なじぇそんな?」

「けじめだよ。それに、前は君が割り込んだおかげで勝負がお預けになってしまった

からね。それの続きだ」

「はぁ……了解しましゅた」

松本は足を引きずりながら、メンギアに近づく。カクカクシカジカ。痛む頬を我慢しながら松本が説明すると、メンギアは嬉々とした表情を見せた。直ぐにド・ゴールの元に飛んでいく。


「決闘だとぉ?まったく、殊勝な奴だ。騎士道精神が未だに頭から離れないと見る。いいだろう、本当に久しぶりの決闘だ。なに、殺しはしない。精々楽しませてくれよ?」

メンギアは今日一番の嗤顔を見せた。本当に嬉しくて仕方がないのだろう。この中世からの生き残りは凄惨な戦場も経験しているが、高貴な戦場も経験している。古き良きヨーロッパ。文化への愛。確かにそれは存在していた。

『決闘はうへてやる。ほろしはしないが、楽しまへてくれ』

「決闘を受けていただき、ありがとうございますメンギア少佐。賭けるのは、連隊旗でよろしいですか?」

メンギアの醜悪な嗤顔を見てド・ゴールはだいたいを察した。この化物は嬉しくて仕方がないのだ。戦いに飢えているのだ。そうか、そんなに戦争が好きか。では、安心して頂きたいメンギア少佐。これからの戦争は貴方が今まで経験してきた中で、きっと最高のものとなるでしょう。

『連隊旗をはけてよろひいか?』

「あぁ、構わん。万が一にも負けることはないからな」

『良い。でふって。では、ひゃじめましょう。立会人ははたしでふ。巡るは連隊旗。双方、位置について――』

松本は一歩退く。拳銃を手に取り、空に掲げる。


――パンッ!!渇いた音が戦場に木霊する。ボロボロの生き残ったガリア兵と余裕綽々しゃくしゃくの吸血鬼が取り囲んで決闘の行末を見守る。

発砲音と同時にメンギアが目にも留まらぬ速さで、ド・ゴールに突っ込む。右拳を下から突き上げ、顎を狙う。いかにもなオーソドックスな戦法。まるでこれで十分かというような余裕が見て取れた。といっても、この場にいる人間にはこの動きは殆ど見て取れなかった。松本も例外ではなく、ただ輪郭だけで姿を追っていた。勝負あり。吸血鬼兵の大半は勝負が決したと思った。人間の反応限界速度すれすれの動きであった。反応できないという訳ではないが、しかしド・ゴールがそれを回避できるようには思えなかった。軍人とは言え、このような高速の肉弾戦は訓練していないだろう。あっけない。そう、思った。

しかし、メンギアの拳は。拳の軌道に沿って鮮血が飛び散る。避けた。避けたのだ。ド・ゴールは皮一枚が裂けるが、すんでのところでメンギアの拳を避けた。不可能ではないとは言え、人間の反応速度を考えれば神業の域に入る。しかし、姿勢が崩れる。後ろに仰け反った。メンギアは追撃に入る。容赦ない一撃が左の拳からド・ゴールの腹部に向かって放たれようとする。ド・ゴールはそれを阻もうとメンギアに組み付く。メンギアの一撃は放たれるが振り抜くには空間が足りなかった。しかし、吸血鬼の一撃である。振り抜けなかったとは言え、普通の人間なら悶絶しておかしくない。だが、ド・ゴールは少し苦しい顔を見せただけだった。吸血鬼兵はいぶかしんだ。まさか、こいつ。魔力を有している?男の魔法使いウィザード?これは珍しい。吸血鬼が色めき立つ。ド・ゴールはメンギアを抱え込み、両腕で締めようとする。しかし、流石にそれは吸血鬼相手には不可能だった。軽々と拘束を解かれ、間合いを取られる。ド・ゴールが吸血鬼相手に互角に(実際のところ、メンギアは手を抜いていたのだが)渡り合っているのを見て、ガリア兵は歓声を上げた。エルフよりも優れた魔法力、ドワーフよりも優れた筋力、ケンタウロスよりも優れた足力を持つ吸血鬼。あの吸血鬼がただの人間を一蹴できないでいた。


「いやぁ、これは驚いた。魔法使いとこんな泥臭い殴り合いをするのは初めてだ。只の人間だと思って手を抜いていたが、ちょっとは本腰を入れなきゃならんようだ」

メンギアは舌なめずりをした。気分が高揚してくる。魔法使いと魔法戦ではなく、このように正面切って拳と拳をぶつけるのは初めての経験だった。


一方、ド・ゴールはメンギアが何を言っているかはわからなかった。しかし、雰囲気で察した。恐らく、自分のことを魔法使いかなんかだと思っているのだろう。ド・ゴールは心の中で嗤った。そんな訳はない。私はただの人間だ。ただ少し小細工をしているだけだ。魔法石を利用して小型通信機インカムに魔力を供給できるならば、人間に魔力を供給できない道理はない。魔法中隊のアドルフ・ペリーヌ大尉には無理を言ってそれ専用の機械を作ってもらった。注射用の針を刺すのは少し痛いが、それで魔力が一時的に得られるのならば安いものだ。現代の技術と魔法技術の結晶というわけだ。

「さぁ、吸血鬼。まだ勝負はついていない。殴り合いを続けよう」

ド・ゴールも気分が高揚してきた。実は、ド・ゴールもどちらかと言えばメンギア側の人間であった。戦場に浪漫を持つ人間というのは少なからずいる。特にド・ゴールのような国家主義者ナショナリストならば尚更である。個人をより大きな存在である国家に埋没させる多幸感。民族、国家に対する憧憬。それはでしかなかったが、しかし、戦場においてその共同体はした。ナポレオン戦争が、イタリア独立戦争が、普仏戦争が、国民国家の設立に決定的な役割を果たしたのは当然の成り行きであった。

ド・ゴールは人差し指をクイ、クイ、と動かす。かかってこいよ。言葉は通じずとも、意味は通じた。メンギアはさらに口元を歪ませる。そうだ、それこそが人間の強みだ。人間とは何か。人間とは意志の生き物だ。意志こそが彼らの武器。

『化物を倒すのはいつだって人間だ』。偉大な吸血鬼の一言を思い出す。そうだな、そうだよ吸血鬼の王ノーライフキング。まったく、私達を置いて逝っちまって……私たちは未だに死に損ないだ。

「ハハハハハ!!そうだ!!そうこなくては!!さぁ、戦争をしよう!!」

メンギアが叫びながらもう一度ド・ゴールに突っ込もうとする。体勢を低くする。両手を地面につき、足を踏ん張る。不可視であるはずの魔力が吹き出す。禍々しい魔力。魔力の奔流。この世の憎悪をぶちまけたような醜悪極まりない魔力が見物人たちの間を通り抜ける。今まさに獣が獲物に食らいつことしていた。メンギアの本気だ。松本は場の雰囲気でそれを察した。空気がピンと張りつめる。痛いほどの緊張。誰もが口をつぐみ、これからの戦争の行末を見守る。

メンギアの腰が少し浮く。来る。そう思った矢先。

ドカン――地面を割る轟音。土塊が周囲に飛び散る。メンギアとド・ゴールの間に可愛らしい少女が立っていた。空から現れた少女。白磁の如きその肌。きらめく金色の髪。黒いレースのドレスを改造した軍服。まだあどけなさを残す丸くて大きな紅い瞳。間違いない。王妹ヴラド・ミレーアである。松本は驚いたが、それも束の間、次々と人が降ってくるのに更に驚いた。地面に打ち付けられ、皆鈍い叫び声を発している。松本の近くにも一人落ちてくる。

「ぐはっ……」

恐る恐る顔を覗き込むと、それはなんと魔法中隊のアドルフ・ペリーヌ大尉であった。

「どうしたんでふか!?」

松本は地面に打ち付けられたペリーヌ大尉を抱きかかえて事情を聞く。

「ペタン連隊長に救援を要請されて………向かっていたら急に…急にその少女が現れて……そしたらいきなり襲われて……うっ……中隊が…中隊がっ……その女の子に………」

涙を浮かべて、ペリーヌ大尉は事の顛末を告げる。

「わかりまひた、わかりまひた。もう、何もいはないで、やしゅんでくだはい」

ガクッ。ペリーヌ大尉は気を失った。吸血鬼兵は降ってきた魔法兵に対して治癒魔法をかける。突然の来訪に、またしても出鼻をくじかれたメンギアは臨戦態勢をもう解いていた。それはド・ゴールも同じようでガリア兵に負傷者の手当を指示している。


「ミレーア殿下。どうしてここに?」

さっきまで禍々しい魔力を纏っていたメンギアは涼しい顔でミレーアに近づく。

「うん。ここで訓練してるって春菜から聞いていたから、来ちゃった」

「ひちゃったって、これまたてひとうな」

松本は痛む頬を抑えながら話す。怪我をしてからずっと喋っているので傷口が塞がることなく、ずっと血が垂れ流しだった。口内に血の味が広がるが致し方ない。

「……なんでそんなほっぺた腫れてるの?」

「いろいろありまひて」

「ふーん。『ルサリィの大いなる癒やしパーリエ・マーレ・デ・ヴィンデカレ・ア・ルサリィ』」

「ありがとうございます!!ありがとうございます!!」

「ちょっ!!気持ち悪い!!近づかないで!!」

「あー治しちゃいましたか。いや、面白いからそのままにしてたんですよねぇー」

「えっ。流石にそれは可哀想……」

「ありがとうございます!!ありがとうございます!!女神様!!」

「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!」

「そんなことよりも、ミレーア殿下。ガリアの参謀本部でジョフルとかいうやつを誑かしてたのでは?」

「うん。でもジョフルパパ忙しくってもうそれどころじゃなくなっちゃった」

「ということは、遂にですか」

「うん、遂にだよ」

ミレーアとメンギアは口角をあげた。

そう、彼女たちにとって遂に待ちに待ったこの時がやってきたのだ。彼女たちの感情を支配していたのは歓喜であった。しかし、松本は冷や汗が流れる。近代の到達点にして、現代の起点。第一次世界大戦。それは忘れられた戦争。それは第二次世界大戦の序章。総力戦の時代が、虐殺の時代が遂に始まったのだ。これからの暴力は際限のないものになる。これからの戦争はすべてを滅ぼす。飛行機からミサイルへ。火薬から核兵器へ。人類は破滅の道へ静かに一歩を踏み出した。絞首台に登る階段に足をかけた瞬間だ。

松本の脳裏に次々と歴史の映像が流れる。それは激動の歴史。それは人類自身が歩んだ血濡れの道程。収容所に入れられる人びと。肉は削げ落ち、骨ばかりになった彼ら。燃え上がる戦艦。特攻する戦闘機。大きなきのこ雲。キューバにおける大国の睨み合い。紅い学生、造反有理。密林に撒かれる枯葉剤。引き倒されるレーニン像。ビルに突っ込む飛行機。パリの劇場での銃の乱射と立て籠り。

全てが、全てがこの瞬間につながっている。終わりの始まり。

「――開戦、だって」

ミレーアが呟く。風向きが変わる。冷たい風であった。

吹き抜ける風の中、松本は静かに身震いをした。

『開戦』。その一言が厭に彼の耳には残った。

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