第二三話 リエージュ要塞攻防戦 4/4
『大砲はあまりにも大きくて、われわれは目を疑わざるを得なかった……怪物は二つの部分に分けられ、三十六頭の馬に引かれて行った……巨砲のそばを行く兵士たちは、おごそかな宗教の儀式にでも加わったように、堅苦しい態度で歩を運んだ。それは大砲の悪魔だった……』
―バーバラ・タックマン『八月の砲声(上)』
(リエージュ副市長セレスタン・ダンブロン)―
「まったく、長生きはするもんじゃない。
仮に長生きしたとしても、
ロンサン堡塁で最期の指揮を執っていたジェラール・ルマンは指揮官室でポツリと呟いた。
立て続けに各堡塁がゲーマルトの新兵器によって陥落したとの報告を聞いてルマンは悟った。既に堡塁は過去の遺物と化したということに。
敵の新兵器がどれだけ馬鹿でかい大砲かはわからなかったが、ただひとつ分かることは、その新兵器の砲弾が堡塁のコンクリート防壁を貫通することが出来るということであった。
これからはどれだけ強固な堡塁であろうと、最早意味を成さなくなるだろう。
「はぁ、近いうちにあれはこっちに来るだろうね。
いや、敵は今すぐにでも撃ってくるだろう」
ルマンは椅子に深く腰をかけ、肘掛けを強く握りしめた。何を見つめるわけでもなく眼光は鋭さを増し、目つきはだんだん険しくなった。苦虫を潰したように顔が苦渋の色を濃く見せる。
奴らは既に照準を定め終えているだろう。
奴らは既に砲弾を込め終えているだろう。
だが、我々は何が出来るだろうか?
何もない。そう、何もないのだ。
ただただあちらの為すがままだ。
なんと情けないことか!なんと残酷なことか!してやられるがままとは!!
戦いは斯くも残酷に成り果てていたとは!
これは戦いではない。これは戦争ではない。
これではただ一方的な虐殺だ!!
騎士道精神は消え失せた!!
機関銃と巨大な大砲は戦争を益々悲惨に、益々残酷にしてしまった!!
ルマンは戦争の転換を目撃していた。
戦場は一変してしまっていたのである。彼は機関銃が敵兵を無残にもなぎ倒すのを見て、そして巨大な大砲が堡塁を次々と陥落せしめているのを見て戦争は変わったということをいやというほど理解した。
もう、これは自分が教えていた戦争ではない。いや、正しく言えば教えてきた戦争と連続性はあるが、質的なものは違っていたのである。
彼が父から伝え聞いた普我戦争は、まだ「戦場の煌めき」の微かな残り香があった。それは敵軍と自軍が正面切って相戦う戦争であった。確かに彼我の軍隊の技術的な格差はあった。しかし、それは絶望的なものではなかった。少なくとも、個々人の勇気と誇りがまだ意味をなしていたのだ。
それが、今ではどうか?
眼前に広がる
そして、ゲーマルトの攻撃を為す術もなく待ち受けることしかできない我々はどうしたことか?
死を……敗北を受け止めることしかできない指揮官の私はどうしたことか!?
「大口叩いてみたものの、どうやら私に出来るのは歴史の授業だけらしい。陸軍学校では軍事史を教え、そして今は堡塁戦術が過去の遺物と化した歴史を教えている……まったく、因果なものだ」
ルマンは自らの無力さに打ちひしがれた。どうすることもできないのだ。この堡塁に残っている五百人の部下達に掛ける言葉が何も見つからなかった。その時、指揮官が普段ならば言うべきではない一言が、振り絞るような嗚咽と共に漏れでた。
「すまない皆、本当にすまない。むざむざ死ににいかせてしまうなんて。本当に、すまない……
嗚呼!陛下!!親愛なるフランドル国王陛下!!
大変申し訳ありません。臣は畏れ多くも義務を果たせそうにはありません」
ルマンは頭を抱えて慨歎した。共に戦っている部下達と、ここの防衛を一任してくださったアルベール国王に対して申し訳が立たなかった。
しかし、丁度その時。脳裏に陸軍学校での一幕が浮かび上がった。
そう、あれはアルベール陛下にフリードリヒ二世の内線防御戦術を教えていたときのことである。
「ルマン先生。国土が狭い本国では内線防御戦術は不可能だと思われます。であるならば、撤退戦は意味がないのでは?これ幸いにと一大会戦によって敵軍に一撃を加えるべきなのでは?」
アルベール陛下は優秀な生徒であった。私の講義一つ一つを咀嚼し、それに応じて的確な質問を投げかける。正に生徒の模範とも言うべき方であった。
「アルベール殿下。良い質問です。確かに我が国土は狭い。フリードリヒ二世のように国土を縦横無尽に駆け巡る内線防御は不可能であります。しかし、会戦によって敵軍に一撃加えんとする決戦思想もこれまた不可能であります。なぜなら、我が国はガリアとゲーマルトという強国に挟まれております故、どちらかと戦うとしても、そもそもの動員兵力が桁違いだからです。ならば、いざ戦争に直面した場合どちらかの陣営に与するのが得策であります。援軍が到着するその時まで撤退戦を採るというのが最も現実的でありましょう」
「しかし、それでは……」
「はい、殿下。フランドルの地は蹂躙されるでありましょう。
しかし、殿下。これだけは覚えておいてください。
国家の危急に際して国軍とは、それ即ち国家であります。
国軍が生きている以上、そして殿下が生きている以上はフランドルは滅びません。
祖国の大地も大切でありますが、それよりも大事なのはフランドル国民がどう生きて、どう振る舞うかです。
フランドルは道ではありません。国です。
国とは国民がどのように生きるかについての合意によって成り立っているのです。どうか、そのことをお忘れなきよう……」
それを思い出し、悲観的だったルマンは一転して口元を
なんだ、私は歴史の授業で歴史以上のものを教えていようだ。
私は
老兵はただ消え去るのみ。未来を作るのは
「後は頼みました、
ルマンの独白が終わるやいなや、ロンサン堡塁にディッケ・ベルタが放った砲弾が堡塁のコンクリート防壁を貫通した。運悪く、貫通したその先は火薬庫であった。砲弾の高性能炸薬が炸裂。大量の火薬に引火し、誘爆を起こす。その誘爆は凄まじく、ロンサン堡塁の守備兵五百人の内、三百五十人が死亡した(未だ現代に至っても二百五十人がロンサン堡塁の瓦礫の下に眠っている)。ロンサン堡塁はその時点を以って継戦能力を喪失した。また、ルマンはその爆発の衝撃と高性能炸薬によるガスによって一時気を失ったが、ゲーマルト軍が瓦礫の山から彼を見つけ捕虜となった。
その後、残り全ての堡塁が降伏。ゲーマルトの指揮官フォン・エンミッヒとルマンとの間に会談が行なわれた。
重苦しい雰囲気の中、ルマンが申し出る。
「私は敗軍の将であります。どうかこの軍刀を」
それを聞いたエンミッヒはこう答えた。
「いえ、その軍刀はどうか貴方がお持ちください」
これが「戦場の煌めき」の最期の姿である。騎士道精神はこの後、戦争の暴力に塗り替えられる。「戦場の煌めき」は憎悪と恐怖に取って代わられることとなるのである。
嗚呼、エンミッヒ。君はまだ何も分かっていない。
堡塁の外を見よ。堡塁の内を見よ。
我らが祖父、そして父から聞いてきた戦場の姿はどこにもない。
もう、そのような精神は滅び去った。
我ら老人が居ていい場所じゃない。
ルマンはそう思いながらも、差し出した軍刀を引っ込めた。
そして、エンミッヒの右手に控える女をふと見やる。ルマンに見られているのに気づいて彼女は嗤った。彼女の切れ上がった目は、まるでゴミを見ているかのような嫌悪感に満ちていた。
エンミッヒが退出すると、続いて傍らに控えていた幕僚達も退出する。
しかし、その女だけは最期まで部屋に残り、ルマンの方に近づいてきた。
すると、流暢なフランドル語でなんとルマンを罵倒し始めた。
「お前は負け犬だ。お前が負けたせいで我々はお前たちの国を蹂躙できる」
ルマンはその発言を聞くと、心の底で笑いが湧き出てきた。
これだ。これだ。
これこそがこれからの戦争に相応しい顔だ。
「……君、名前はなんというか?」
「ルーデンドルフだ。覚えておきたまえ」
「ルーデンドルフか……ハッハッハ。
「ハッハッハ!!面白い爺さんだ。旧時代の遺物め。精々カビ臭い独房の中で祖国が滅び去るのを見るが良い」
「フランドルは滅びんよ。でも、お嬢ちゃんの国は滅び去るだろう。それまで嗤っているが良い。
お嬢ちゃんの
「……どういう意味だ?」
「わからないなら結構。もう行き給え。お嬢ちゃんには地獄が待っているぞ」
地獄――そう、地獄なのだ。
地面を
「ふんっ……わけの分からん爺だ。これだから旧時代の遺物は話が合わん」
斯くして、リエージュ要塞は陥落した。しかし、フランドル軍の予想外の抵抗は多数のゲーマルト兵を拘置することに成功した。さらに、フランドルの決死の時間稼ぎはゲーマルトの本来の進軍計画を遅らすことにも成功した。戦争において時は金である。フランドルは莫大な金を稼いだ。その利潤は後々、大きな意味を持つようになる。逆に大損害を蒙ったゲーマルトはそのツケを払わされることとなるのである。
シェリーフェン・プランは足元から徐々に崩れ落ちつつあった。
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