第一九話 パパジョフル

『驚くべきことには、彼[ジョフル]は部隊を指揮したことは図上作戦のうえですらなく、参謀本部の機能については知識を持たなかった』

                       ―尾鍋輝彦『第一次世界大戦』―



「侍従殿。

思ったんだけど、王妹殿下はどこに行ったんだ?

一緒にガリアの参謀本部に行ってたよね?」

ワラキア大王国西欧州派遣軍第一大隊指揮官シャンデル・メンギア少佐は西欧州派遣軍副官の西園春菜に問うた。


「あぁ、それですか。」

西園春菜はニヤリと厭らしく嗤う。


「うわぁ……厭な顔。

絶対こんな奴と友達になりたくないわ……絶対友達少なかったでしょ?」


「さっきまで一個分隊を挽肉ミンチにしようとしていた貴方に言われたくありませんよ!!」

春菜は少しだけ不機嫌な顔になった。(気にしていることをメンギアに言われたのかもしれない。)


「まぁまぁ、会長落ち着いて。ミレーア殿下の所在について答えないと。」

松本裕太が仲裁に入る。


「むぅ……友達はいたと思うんだがなぁ……まあ良い。


メンギア少佐。

単刀直入に言います。ミレーア王妹殿下は今、ガリアの参謀本部にいます。」


「えっ。ちょっとまって。今、私の予想を超えた回答が聞こえたような気がするんだけど。」

メンギアは目を見開き、驚いた表情を見せた。

それもそうである。

実務はメンギア少佐や西園春菜が取り仕切っているとはいえ、王妹殿下はワラキア大王国西欧州派遣軍団長なのだ。

それにミレーア殿下は言うまでもなく王族。

何をどう考えても、他国の参謀本部に置いておくには高価過ぎる置物なのである。

しかもミレーア殿下は戦闘に関しては申し分ないが、政治ができる様な方ではない。参謀なんて以ての外である。

メンギア少佐は全く意味がわからず混乱した。


松本裕太が述べる。

「実はですね。

ガリアの参謀長ジョフルにいくらか兵士を貸せと言ったら断られてしまいまして。」


「…え?ガリアから部隊の指揮権を貰おうとしたの?」


春菜が答える。

「えぇ、そうですよ。

吸血鬼だけでははできませんので。」

短期間とはいえ、東方の三博士マギが抱える英雄の薫陶を受けた西園春菜は気づいていた。

吸血鬼は個では最強無比であるが、数が少ない以上集団ではさしたる戦力には成り得ないと。

たかだが50人程度で何ができようか。

戦線を突破し、蹂躙しようが何になろうか。


戦線を食い破ったとしても、そのを維持する兵力がなければ意味が無いのだ。

いななく軍馬や戦列歩兵、槍衾を備えた槍兵が戦場を支配していた時代とはもう違うのだ。

そう、現在いまは近代。

個は個でしかない。

個の力は集団の力には及ぶべくもないのである。


「んな無茶な……」

メンギアは衝撃を受けた。

非常識なのだ。

他国の軍隊の、それも列強の軍隊の指揮権を手に入れようとするなんて。

とてもじゃないが正気の沙汰ではなかった。


「えぇ、無茶でした。

軍をくれと言ったら勿論断られましたし、泣きついても一個大隊すらくれませんでした。だからですね。ミレーア殿下の『魅了』の能力を使ったんですよ。」

春菜は淡々と答えた。


「なっ…なんという!……うちの王族をなんだと思ってるんだ!!」


――『魅了』

それは吸血鬼が持つ特性の一つである。

吸血鬼は人間の正常な判断能力を奪い、己の意のままに操ることが出来る。

といっても、全ての人間にこの能力が無制限にかかるわけではない。

吸血鬼によってもこの特性の強さには個人差が存在するし、この特性にかかりやすい人間とかかりにくい人間も存在する。

因みに、直系の血を引く王妹ミレーアは無論、最高度の魅了を有していた――


「勿論、王妹殿下のことは尊敬しておりますよ。

でも、仕方がないでしょう?世界がかかっているのですから。

利用できるものは全て利用するべきです。それがたとい王族だとしても。」


「はぁ……

まぁ仕方ないか。侍従殿はそういう人間だしねえ。

禁忌タブーを冒してしまう人だから……まったく喰えない嫌なやつだよ。これだから友達ができないんだ。」


「なっ!だから友達はいましたって!!帰り道に一緒に駅前のパフェを食べに行くぐらいの友達はいましたって!!」


「えらく具体的ですね会長。それ、会長の妄想じゃないんですか?」

松本裕太がおちゃらけて冗談を言った。


「もう!松本君!!


………後で折檻ね。」


「えぇえぇ!!俺そんなに酷いこと言いました!!??」


「松本君。この世には本当のことでも言っていいことと悪いことがあるのよ。

知っておきなさい。そして問答無用で私に蹴られなさい。」


「メンギア少佐に痛いところ突かれた鬱憤を俺で晴らさないでくださいよ。」


「ちょっと待ち給え松本君。

私に友達がいないという前提で話をすすめるのは可笑しいと思うのだが?」


「えーコホン。友達のいない侍従殿。

ミレーア殿下を駒に使って得られたのはいかほどの兵力で?」

話を逸らした原因はメンギアに他ならなかったが、さすがにこれ以上ふざけるのは問題なので真面目な話をしようと彼女は軌道修正を行った。


「(だから友達いたって……)

完全充足で正規兵の一個連隊です。」

春菜は友達のいない侍従と言われて不満しかなかったが、そこはぐっと抑えて質問に答えた。


「一個連隊ぃ?ミレーア殿下の『魅了』ならそれこそ一個軍団、もっといえば全軍の指揮権を奪えてもおかしくないだろうに。」

メンギアは少しだけ不審に思った。

一個連隊は少なすぎるのだ。

王妹殿下の実力ならもっと指揮権を奪えてもおかしくはなかった。


「えぇ。そうでありましょうね。

相手がどうでもいい無能なら全指揮権を奪えたんですがねえ。

さすがはあのジョフル。なかなかしぶとい。」

そう、メンギアの不審は尤もであったのであるが、相手のことを考慮に入れていなかったのである。

ガリア共和国軍最高司令官兼参謀総長ジョゼフ・ジャック・セゼール・ジョフル。

多数の問題を抱えていたとはいえ、腐っても列強の1つであるガリアの最高指揮官相手ではさすがのミレーアの『魅了』といえどもその効果を十全に発揮することはできなかった。


連隊の指揮権を引き渡したとはいえ、ジョフルは吸血鬼の始祖の血を引く王妹ミレーアの『魅了』を防いだのである。


「ほう。ミレーア殿下の『魅了』を防ぐとはなかなかやる人間もいるではないか。」


「しかもミレーア殿下が常に近くにいないと直ぐに命令を取り消そうとしますからね。なかなか精神力の強い男です。」

松本はメンギアに同調する。


「ですのでミレーア殿下を連れて帰ることはできませんでした。

戦闘が始まってしまえばどうにでもなるので、戦闘開始後に帰ってきてもらう手筈になっています。」


「そうか、ミレーア殿下をガリアの参謀本部に置きたい事情はよくわかった。


……でも、ミレーア殿下、参謀本部で何してんの?

絶対一人で馴染めていないと思うんだけど。」

メンギア少佐はミレーア殿下がどう過ごしているのか心配だった。

精神的に幼い王妹殿下が参謀本部のような面白くもない加齢臭がするおっさん達に囲まれていることを想像すると、なんとも不憫な思いに駆られた。


「そんなことないですよ。凄い馴染んでましたよ。」


「うむ、松本君の言うとおり凄い馴染んでましたよ。」


「えっ……どうやったらそんな馴染めんの?」


「どうっていわれても……どうなんでしょうね会長?」


「うーむ、おじいちゃんと孫みたいな感じだろうか?」


「あーそれ近いですね。」


「え、ちょっとまって。そんな馴染み方してんの?どうなってんだ??

まぁ、仲良くしてんならいいけど……」


「そうですよ。なにも問題はありません。」

松本裕太は屈託のない笑顔を浮かべた。

そう、何も問題はないのだ。あの馴染みようなら。

あの牧歌的風景に問題などあろうはずはない。



松本裕太が笑顔を浮かべているのとちょうど同じ時、ジョフルも屈託のない笑顔を浮かべていた。

「おぉ、そうかそうか。プリンが食べたいか。

よーし、ジョフルおじさん。パリから一流のシェフを呼んでくるぞー」


『ミレーア殿下、ジョフル閣下はパリからプリン職人を呼んでくると言っています。』


「わーい!!プリン大好きー!!ジョフルパパ大好きー!!」


「おい君、ミレーア殿下はなんと申した?」


『プリン大好き、パパジョフル好き、と申しています。』


「ははははそうかそうか。ならよかった。パパもミレーア殿下のことを愛していると伝えてくれ。」


『ミレーア殿下。閣下は殿下の事を愛しておられるとのことです。』



――おかしい。何かがおかしい。


急に参謀本部に呼ばれたワラキア出身の元ガリア外人部隊所属の通訳はジョフル閣下の異変に気づいていた。明らかにジョフルの様子は聞いていたものと全く違っていたのである。

ジョフルは元々無口なことで知られていた。

にも関わらず眼前にいるジョフルは饒舌なことこの上ない。

参謀本部の幾人かもニヘラぁと笑っているジョフルの顔を見て青褪めている。


「ふーん。そうなんだ。

なら、私に一個師団くれない?」


『……閣下、ミレーア殿下は一個師団をご所望です。』


「なにぃ??一個師団だと???


よし、直ぐにあげよう。紙とペンを持って来い。」


幕僚のうちの一人がこらえきれず発言する。

「閣下!!畏れながら申し上げます!!

連隊でも大問題ですが、さらに一個師団のような大兵力を他国に譲渡するのはいくらなんでも…」


「黙り給え。つべこべ言わず持ってきたまえ。」


「しかし……」


「くどいぞ!!!クビにされたいのか!!!」

ジョフルはものすごい剣幕で幕僚を怒鳴りつける。

それに気圧され、ついに幕僚は紙とペンをもってくる。


「えーと……どこの師団をあげようかな。

そうだなぁ。外国人が多く含まれている精鋭をあげようかな……

よし、決めた。」


ジョフルはテキパキと手書きの命令書を作成する。

しかし、最期のサインをする段になってペン先が止まった。


「あっうあ……あああぁ!!」

ペン先が震える。ジョフルは左こめかみを左手で押さえる。

口から苦しそうな嗚咽が漏れる。


ミレーア殿下の『魅了』の力とジョフルの中の理性がせめぎ合っているのである。


ミレーアはここぞとばかりに最期のダメ押しをする。



「頑張れ♡頑張れ♡」


『閣下、ミレーア殿下は頑張れと申しています。』


「あぁぁぁあああああ!!」

ジョフルは雄叫びにも似た、言葉にもならない悲鳴を上げた。


「はぁはああああ!!」

息が上がる。肩で大きな息をする。

腰が砕けたかのようにガクガクと身体が小刻みに痙攣する。

目は血走り、額には青筋が浮かんでいた。


「頑張れ♡頑張れ♡頑張れ♡」


『閣下、ミレーア殿下は更に頑張れと申しています。』


「ひゃあああいかああうう……イッイイッ……グウウウーー」

嬌声にも似た断末魔が部屋を満たす。


そののち、数秒の静寂。


重苦しい空気が流れる。

この事態に幕僚のうち殆どがジョフルを直視できず、机を凝視していた。


――グシャリ。

静寂の中、紙を握りつぶす音が響く。


そう、ジョフルは打ち克ったのだ。ミレーアの『魅了』に。


「ミレーア殿下に伝えてくれ。

我がガリアが貴国に指揮権を渡せるのは連隊が限界だと。

それ以上は無理だと伝えてくれ。」


『ミレーア殿下……連隊以上の規模の軍隊をガリア軍は譲渡することができないと閣下は申しています。』


「チッ……後もうちょっとだったのに……

しぶとくてうざいおっさん。使えないね。

パパなんて大嫌い。死ねばいいのに。」


「ミレーア殿下はなんと申しているのだ??パパなんて嫌いだと言っているんじゃないか?」

ジョフルは脂汗を額に浮かべながら、虚ろな瞳を通訳に向けた。


『……いえ、ミレーア殿下は気にしていないとのことです。ただ早くプリンがほしいと申しております。』

通訳は嘘をついた。優しい味がする嘘であった。



後日、従軍記者が訪れ、ミレーア殿下とジョフルの親と子供のような、孫とおじいちゃんのような(仮初かりそめの)仲睦まじい関係を見てジョフルのことを「パパ・ジョフル」という渾名で読んだ。


この「パパ・ジョフル」という渾名はガリアの一般兵士に瞬く間に広まり、人口に膾炙することとなる。

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