第十八話 二人の閣下

『(中略) 中世以来の建築的精華に充ちたパリの破壊を免れるために、これを敵の手に渡したペタンの行為によくあらわれている。パリは一フランスの文化であるのみではなく、人類全体の文化的遺産であるから、これを破壊から護ることについては敵味方は一致するが、政治的局面においては、一方が他方に降伏したのである。そして国民精神を代償として、パリの保存を購ったのである。このことは明らかに国民精神に荒廃をもたらしたが、それは目に見えぬ破壊であり、目に見える破壊に比べたらはるかに恕しうるものだった!』

                        ―三島由紀夫『文化防衛論』―


連隊長とアスパラガスのような長身痩躯の分隊長は足早に車に飛び乗った。


「し、死ぬかと思った……君の提案に乗って吸血鬼共の実力を見てやろうと思ったのが莫迦だった。こんなことなら君に分隊じゃなく中隊を預けるべきだった。」

連隊長が座席にどっかりと座り込み、天を仰ぎながら述べる。


「そんなことしたら、こんなんじゃすみませんよ。

それに……まさか、大佐自身が来るとは思いませんでした。手筈では別の人間が来ることになっていたではありませんか。」

車の天井に頭がつきそうな分隊長、もといは述べた。


「僕もそうするつもりだったんだが、奴らに睨まれてね。」


「……といいますと?大佐は随分離れたところで待機していた筈では?」


「街の尖塔から双眼鏡で見ていたのさ。

そしたら奴らめ、こちらに気づいていやがったんだよ。」


大佐は思い出す。

あの冷徹な目を、あの殺意がこもった目を、あの厭な口元を。

獲物を前に獣が舌なめずりをするかのような、あの舌の動きを。

背筋に冷たい汗が流れた。


「あぁ……そりゃ駄目ですよ。絶対奴ら気づくでしょう。」


そう、奴らは欧州最強の最古参。

ましてや吸血鬼。

気づかない訳がないのだ。

まったく頼もしい化物共め!!

中隊長は人知れず口角をあげた。


「その後君が発泡するし、なんか吸血鬼が本気出そうとするし……

君が殺されそうだったし……まったく心配させおって………


君のような優秀な人材にまだ死なれるわけにはいかんのだよ、大尉?」


大佐こそ、そうであります。

どうかご自愛を。ガリアは大佐を必要とするでしょう。」


「カカクククッ…この老いぼれにかね?」


既に御年五八歳。にも関わらず階級は大佐。

エリートコースから外れたのはとうの昔である。

だが、それには理由があった。

その理由こそド・ゴールが、この眼前の老いぼれがガリアにとって必要だと判断させていた。


「はい、。上層部は攻撃精神エラン・ビタールなどという観念的な戦闘教義を信奉しておりますが、精神力だけで勝利できるほどゲーマルトは甘くはありません。閣下の提唱する堡塁防御戦術、そして火力重視の戦術の方が現実的であります。」


そう、眼前にいる軍人はただの老いぼれではなかった。

彼は冷徹な現実主義者リアリストであり、これから来る戦争の一端を既に推知していた数少ない軍人であった。

事実、彼の唱える防衛的な戦闘教義は的を射ていたのである。


が、しかし、ド・ゴール大尉の唱える戦闘教義はを行っていた。


「カカクククククッ……よくもいけしゃあしゃあと。

僕の教義ドクトリンを灰燼に帰すような………トチ狂ったとしか思えないような戦闘教義を唱える君がねぇ。」


「はい、閣下。閣下の提唱する教義は近い将来時代遅れとなるでしょう。



鉄条網を踏み潰し、塹壕を踏み越え、敵の後背を蹂躙する『機甲部隊』が戦争の趨勢を決定することになります。」


そう、このド・ゴールは幾千万の屍を積み上げて、やっと至るはずである第二次世界大戦の戦闘教義ドクトリン―つまりは『電撃戦』―の骨子まで己の推論能力だけで辿り着いてしまっていたのである。


「ド・ゴール

やはり君は優秀だ!!世代を一つ飛んでるぞ!!一体どこからそんな発想が出てくるのだ!!


だが……だがな。問題があるぞ。

そのような機甲部隊は一体全体いかなるものなのかね??」


「はい、閣下。たしかにそのような機甲部隊はただの自動車では駄目であります……そう例えば農業用トラクターのキャタピラを付けた堅牢な自動車が適当でありましょう。もっとも、上層部はそれを絶対認めないでしょうがね。」


「当然だ。僕の教義ですら彼らはアレルギー反応を示している。」


第一次世界大戦の経験を得た戦後でも、シャルル・ド・ゴールの機甲戦理論は受け入れられることはなかった。

機関銃の前にうず高く積まれた大量の屍を見ていない今の上層部に、それを受け入れろといったところで皆目無駄な話であろう。

それは、わかっている。

だが、シャルル・ド・ゴールは先の「威力偵察」で一筋の光明を見出していた。


そう、彼女らだ。彼女らこそが相応しい。


「そこで、彼女ら吸血鬼の出番であります、閣下。」


「……なるほど。彼女らを機甲部隊の代わりに使うと?」


「はい、閣下。彼女らは機甲部隊の三つの要件、つまり火力、機動力、耐久力、すべてを兼ね備えております。」


「……ククカカカカッ!!なるほど!なるほどなるほど!!

それで君はそんなに奴らの力を試したかったのか!!いやはや合点がいった!!」


「それに、彼女らに出会ったことで一つ分かったことがあります。


彼女らは、彼女らだけでは軍事的な脅威とは成り得ません。

いくらの能力が優れていようとも、いくらが人間をボロ雑巾のように引きちぎろうとも、いくらが戦線を突破しようとも、結局、の力には勝てますまい。

ただ彼女らが出来るのは、戦線を突破することだけであります、閣下。」


いくら個の能力が優れていようが、いくら個が最強であろうが、いくら個が伝説であろうが、時代は近代である。

剣と弓、マスケット銃が主兵力だった時代はとうの昔に過ぎ去った。

それに動員兵力も桁違いである。

数万の世界ではない。数百万の世界なのだ。


「戦線を突破できようが、たかだが50名ではな……

大隊というから気構えたが、近衛兵団の編成は我々と違うようだ。」


大隊は四個中隊程度、つまり1,000人近くの兵員を擁するのが普通である。

50人というのは、本来ならば一個小隊程度の兵員でしかない。


「吸血鬼兵は数が多くないのでしょう。それに大兵力をこちらに送ってくるだけの余裕はバルカンの軍事大国といえどもないと見るべきです。」


「……つまり、だ。

とどのつまりだ、ド・ゴール君。


君は一体のだね?」


ペタンはド・ゴールを横目で見やりながら問う。


一泊、間が空いてド・ゴールは答えた。



「――彼女らを閣下の指揮権の下に置きたいと思っております。」


彼女らをただ戦場で好き勝手させるのには余りにも惜しいのだ。

的確なタイミングで、的確な場所に、的確な戦力を配置する。

彼女らの使いようによって、大げさでも何でもなく、戦局をひっくり返すことは可能であるようにド・ゴール大尉には思われた。


といっても、このド・ゴールの提案は荒唐無稽と言わざるを得ない。

軍隊の統帥権は国家主権の中でも最高度のものである。

おいそれと他国に統帥権を渡せる軍隊は、普通ならば存在しない。

当然、ペタン大佐の答えは次のようなものだった。


「そういうと思ったが、残念ながらそれは無理だ。

ましてや相手は誇り高き近衛だぞ。こちらの指揮下に入れといったとしても入らないだろう。」


「まぁ、そりゃそうですな。

それなら、平平ペーペーの此方があちらの指揮下に入る可能性のほうがまだあると言えるでしょう。」


「滅多なことを言うものではないぞド・ゴール君。


……本当になったらどうなるのだ。

僕は絶対奴らのように頭のネジが数本取れている狂人と仕事はしたくないぞ。」


「カカクククッ……連隊長殿は心配性でありますなぁ!!

冗談ですよ。

あの参謀長ジョフルが指揮権を渡すわけがないじゃないですか。」


「確かに……あのジョフルが自分の軍隊を他国に引き渡すとは考えにくい。

いやはや、趣味が悪い冗談だな。」


車が連隊本部に到着する。

出迎えの人間が右手には二つの傘を、左手にはを持って出てくる。


「連隊長殿!!参謀本部からの緊急辞令であります!!」

傘を差し出すのと同時に、参謀本部からの電報を突き出す。


ペタン大佐はこの時、嫌な汗が流れた。

閑職に追いやられて早十数年。

今更辞令など不吉の印でしかなかった。


「まさか……大佐?」

ド・ゴールも嫌な雰囲気を察した。


「カカ……ククク…そんな……そんな莫迦な……これは別の辞令に違いない。」

渇いた笑いを漏らしながらも電報を受け取り、恐る恐る電報の内容を読み取る。


「えーと……」


『本辞令ヲ以テ貴官以下ガリア共和国軍第三十三聯隊ハ

ワラキア大王国軍西欧州派遣軍団指揮下ニ入ル可シ』


「……ふむ。そうか。


ありがとう。建物の中に帰って温かいコーヒーでも飲んでくるといい。」

二つの傘を受け取り、出迎えの人間を作り笑いで返す。


「さて、ド・ゴール大尉。すこしばかり雨の中の散歩と洒落込もうではないか。」

車から出ようとするド・ゴールの方を向き直ってペタンは言った。

その表情は諦観と失望、得も言われぬ恐怖感で彩られており、ド・ゴールの同情を誘った。

差し出された傘をド・ゴールは無言で受け取る。


車が去った後、連隊本部の玄関前には傘をさす二人の男が残る。

その後姿からは上官の命令に逆らうことが叶わない職業的軍人の悲哀が読み取れた。


ペタンとド・ゴールは連隊本部の玄関から少し離れ、人気のない裏路地に入り込んだ。


すると、ペタンの抑えていた憤激がここぞとばかりに爆発した。


「な……なぜ…?なぜだ……なぜなのだ!!!!!

なぜ僕がこんな目にいい!!嫌だああああああああああああ!!」


大佐の慟哭どうこくが雨の中に虚しく響く。


「絶対やつら戦争狂だって!!絶対やつら最前線じゃなきゃ満足しないって!!

だいたいなんでジョフルは簡単に指揮権あげてるんだよクソッタレが!!

くううう………地獄だ。

地獄の奥底まで引きずられていくに決まっている………」


「その通りです大佐。


我々は地獄に引きずり出されるでしょう。」


一拍、間があく。

ド・ゴールの目が据わり、狼狽した大佐を睨めつける。


「――しかし、例え地獄に落ちようとも、我々はガリアを守れる力を手に入れたのです。ガリア軍人としてこれ程のほまれはありますまい。


我らが愛するガリアを……我らが育ったガリアを!

我々こそが!!我々、ガリア軍人こそが守るのです!!!!


腹をどうかくくられよ!!ガリアを守るのは我々を於いて他にはいない!!」



ド・ゴールは強烈な国家主義者ナショナリストだった。

自分が立っている国土を、自分の民族を、自分が所属する国家を……

彼は本気で

愛するものを守るのに何をためらうことがあろうか。

愛するものが危機に陥っているのに、何をためらうことがあろうか。


ただただ己の責務を果たすのみである。



「カカクククッ……こういう時、君は本当にいい目をするな。

そうだ、その目だ。その目こそがの目だ。

人を動かすその純真無垢な目だよ。


人は結局、理論では動かない。


人は結局、想いで動くのだ。


……君は時節が合えば、英雄になれるだろう。

それも救国の英雄に。

僕のような現実主義者リアリストには到底無理だ。」


ペタンは常日頃から感じていた。

ド・ゴールがいつか救国の英雄になるのではないかと。

彼は英雄になれる。彼にはその器がある。その意志がある。

自分は英雄にはなれない。

なれるとしたらそれは偽りの英雄だ。

転がり込んでくる幸運をただつかんだ空虚な英雄にしかなれない。


「はい、閣下。閣下が真の英雄になるのは無理でありましょう。

もし、なれたとしても現実主義者の閣下は英雄らしからぬ振る舞いをするに違いありません。


英雄と持ち上げられ、その後売国奴と罵られるかもしれない。

しかし、閣下の行動はそれはそれで正しいでしょう。

いくら英雄に相応しくなかろうと、売国奴と罵られようとも、ガリアを守るという意志があるかぎり、閣下の選択もまた英雄に相応しい選択であります。」



――相対する未来の『閣下』

一人は自由フランス軍の最高司令官、そしてフランス第五共和制の大統領として、

もう一人はヴィシー・フランスの政府首班として、後に『閣下』と呼ばれることとなる。


祖国を引き裂いた二人の『閣下』。

後世、世間が評するに、かたや英雄、かたや売国奴。


我々第二世界線の歴史では、二人の『英雄』は第二次世界大戦を境に真逆の運命を辿ることとなる。第一次世界大戦で彼ら二人の『英雄』が同じ連隊に所属し、更には上司と部下の関係であったことは、歴史の皮肉アイロニーといわざるをえない。


ド・ゴールがペタンをどのように評価していたのか、そしてペタンはド・ゴールをどのように評価していたのか……

二人は戦後、ついぞ相互のことについて口を開くことはなかったという。


ただ、ド・ゴールが戦後、死刑が確定したペタンを恩赦で無期懲役にしたのは歴史的事実として残っている。


売国奴と罵られた元『英雄』をどのような面持ちでド・ゴールが見ていたかは想像にまかせるより他ないが、何かしら思うところはあったのは確かである。――


「カカククククッ……祖国ガリアを守るためなら。愛する国民を守るためなら。

売国奴の汚名ぐらい甘んじてお受けするさ。」


「カカククッ……まったく、これだから大佐は損をするんですよ。」


「損をしようが皆がプラスになれば良い。


僕はそういう人間だ。


……さて、落ち着いた。本部に帰ろう。

これから忙しくなるぞ。なんたってガリアを救わなければならないんだからな。」


「はい、閣下。死力を尽くしましょう。」


ド・ゴールとペタンの表情からは笑みすらも伺えた。

国家の危機ではあったが、危機だからこそ彼らは分かり合えた、繋がり合えたのである。


しかし、傘に当たる雨の音が大きくなる。雷鳴が轟く。

先程までは小雨だったのにもかかわらず、今ではもうズボンの裾が跳ね返る雨で濡れ始めた。


風雲急を告げる。

激しい風雨は鉄風雷火の嵐を二人に予感させるものであった。


災厄大戦争はすぐそばにまで迫っている。

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