第一四話 七月危機 『振谷亞連合王國の外交頓挫』

『大統領閣下[ポアンカレ]は、列強間の平和維持がイギリスの掌中にあるものと確信しておられる。その理由は、オーストリア対セルビア間の現紛争の結果、仏・独間に衝突が起こる場合、イギリス政府がフランス支持を宣言するならば戦争は起こらない。ドイツはただちにその政策を変更するからである』

                    ―在パリ英大使フランシス・バーティ―



「首相閣下。我が国はあくまでも中立を守ると、そういうことですか?」

ブリタニア連合王国外相エドワード・グレイ卿は首相アスキス伯に詰め寄った。


「グレイ卿。君の言いたいことは分かっておる。だが、現状では孤立主義者共の意向を我々は無視できない」

アスキスは人差し指で机をコツコツと叩きながら答える。


「しかし閣下!!

ここで我が国が、ガリア共和国とルーシア帝国の側に立つとゲーマルトに明言すれば事態の悪化を止めれるかもしれませんぞ!!」

エドワード・グレイ卿はサラエボ事件に端を発する欧州各国の緊張を緩和しようとしていた。しかし、もはや事態は混迷を極めつつあり、平和的な事態の収拾は不可能であるように彼には思われた。


そこで、ブリタニアがガリア側につくと明言することでゲーマルトの自制を促し、大陸での戦争勃発を防ごうと彼は考えたのである。


そもそも、ブリタニアの国益上、ガリアがゲーマルトに下る可能性は排除しなければならなかった。

なぜならゲーマルトが大陸の覇者になればブリタニア連合王国の広大な植民地は深刻な危機にさらされるからである。

ブリタニアはゲーマルトを恐れていた。

世界の工場と呼ばれていたブリタニアは斜陽を迎えようとしていたのである。

重工業の生産額は既にリベリオンやゲーマルトに追いぬかれた。

さらに、世界に冠たるブリタニア海軍ロイヤル・ネイビーはその優位を失いつつあった。

ゲーマルト帝国はヴィルヘルム二世が提唱した世界政策ヴェルト・ポリティクに沿って、そして更には急成長を続ける重工業の発展を背景として、その海軍力を増強させつつあったのである。

ブリタニアは海上戦力において、圧倒的な優位を保てなくなった。

故に、ゲーマルトに大陸の覇権を握らせるわけにはいかなかったのである。


「分かっておる!!だが、議会状況から見て我が国は未だに孤立主義的な風潮が強い!!我が内閣ですら過半数が大陸に介入することに難色を示しておるのだぞ!!」


「ですが、閣下!!」


「くどいぞグレイ卿!!

例えゲーマルトがガリアに侵攻したとしても我が国は開戦することができない!!

我が国がガリアの側に立てるとしたら、それは奴らが国際条約で中立化されているフランドル王国に侵攻した場合のみだ!!」

アスキス伯は半ば激昂しながら答える。

実のところ彼は分かっていたのである。

ブリタニアがガリア共和国を支援すると明言することの有効性が。

事実、事態が緊迫するに連れて、ゲーマルトから中立要請が幾度と無く寄せられてきているのだ。ここでガリアを断固支援する姿勢を採れば、戦争を回避できる可能性は十二分にあった。

しかし、ブリタニア連合王国首相としてはその方法を採ることができなかったのだ。分かってはいる。だがそうすることはできない。

アスキス伯は悔しさでギシリと歯を鳴らす。


「…わかりました、閣下。

かくなる上は通常の外交手段によって事態の収拾を図ります。

大変失礼いたしました。私は外務省に戻りますので」

エドワード・グレイ卿は部屋から退出する。

車に乗り込み、外務省へと向かう。


夕暮れが近いせいか、大通りの人通りはまばらであった。

しかし、人がいつも溢れているパブの繁盛は相変わらずであった。


新聞は楽観的にこの外交危機を捉えている。

中には、この機会にゲーマルトを討ち滅ぼせ、という血気盛んな新聞もないではないが、大多数の新聞各社は事態の沈静化を予想していた。


…事態は既に我々政治家の掌中からさえも零れ落ちようとしているにも関わらず、である。


事態が政治家の頭上を飛び越えているのだ。

すべての対応が後手後手に回っている。


しかし、だからといって、この危機で主導権を握っている人間はいるのであろうか?

答えは――否である。

誰しもが恐らく事態に振り回されている。

もはや我々政治家が対処できる範囲を超えていた。


あとは…軍人共の仕事になるだろう。


グレイ卿が外務省の大臣室にはいると、もう既に外は黄昏時であった。

窓から炎のような茜色の夕日が差し込む。

グレイ卿は窓辺に立ち、眩いばかりの夕日を見つめる。

愛用しているパイプ煙草に火を付け煙をくゆらせた。


――コンコンッ。ノックの音がする。


「失礼します、外相。ゲーマルトからの回答が届きました」


「そうか……読み上げてくれ給え」


「はっ」

役人は最高機密指定された文書の封を切る。

一瞥いちべつして文章の要旨となる一文を見つけた。

役人の手が震える。冷や汗が流れた。

手に汗が滲み、紙が少しばかり萎びた。


「外相。ベートマン首相は次のように申しています。

『事態ハ、アマリニモ急速ニ展開シツツアリ、貴台ノ申シデニ従ッテ行動スルニハ時期ヲ失シタト言ウベキモノナリ』とのことであります」

声は酷く震えていた。

その役人はこの文書の重要性を知っていた。


ブリタニア連合王国はゲーマルト帝国に対して国際会議を開催し、事態の沈静化を図ろうと提案したのである。

ブリタニアはナポレオン戦争から果たし続けてきたヨーロッパのバランサーとしての役割をここでも果たそうとした。

しかし、その提案はベートマンに一蹴された。

ここにおいて、もはや、ブリタニアが採りうる選択肢は全て潰えたのである。


もう、戦争は避けられない。


夕日が沈もうとしている。

十字架を頂く鐘楼しょうろうの裏に夕日が最後の輝きを発し、影に隠れた。

それに合わせて次々とまわりの建物の灯りが点く。


エドワード・グレイ卿はその光景を見ながら、予言めいた次の言葉を発したという。


『全ヨーロッパで明かりが消えようとしている。我々の生涯でこの明かりがつくのを見ることは、もうなかろう』



グレイ卿にとって、これから起こる大戦争はヨーロッパの衰退を感じさせるものであったのであろう。

そして、グレイ卿の予言通り、第二世界線では第一次世界大戦を境にヨーロッパは衰退を迎えることになるのである。


七月危機と呼ばれる一連の外交危機は遂に佳境を迎えつつあった。


☆☆☆☆☆☆☆

コメンタリー


※この物語は歴史上の事実には基づいていますが、あくまでもフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。


・なぜブリタニア(イギリス)はガリア(フランス)を支持すると言えなかったの?

 これにはイギリス国内の世論といいますか、主義が深く関わっています。

そもそも、イギリスは案外大陸に関しては不干渉政策を採っていました。孤立主義と言われるやつですね。まぁ、イギリスは広大な植民地を持っていますから、イギリスの国益を考えれば、大陸の戦争に関わるぐらいなら自由貿易していたほうがメリットが大きいのです。『光栄ある孤立』とか言うでしょ?それはそんな感じの主張なわけです。厳密にはこの時、『光栄ある孤立』は扶振同盟(日英同盟)で放棄されていましたが、まぁあれはアジア地域に介入するという感じですから限定的な孤立主義の放棄だったわけです。大々的に大陸に介入するのはまだ拒否感があったわけです。そういうわけで、おいそれとガリア(フランス)を支援しますとは言えなかったわけです。

 そこで、そんな戦争イヤイヤモードのイギリスがなぜ戦争に介入できたのかというと、ドイツがフランドル王国(ベルギー)に侵入したからです。実はベルギーは国際条約で中立化されていまして列強各国はそこに介入しないと皆で決めあっていたのです。ですが、ドイツがそれを破ったのでイギリスの孤立主義者も流石に激昂セざるを得なかったのです。

 まぁ、その外交的な裏切りもそうですが、イギリスの国益的にベルギーは中立化されていないと困るのです。ベルギーの港を奪われることはイギリスの海上戦力に対する重大な脅威になりますからね。だから何が何でもイギリス沿岸の国がどっかの覇権国に占領されるのは防がなくてはならなかったのです。

 斯くして、外交上の裏切りに対する怒りと、安全保障上の必要性の二点からイギリスは第一次世界大戦に参戦する事になります。

 そういうわけで、この時点ではまだイギリスは参戦要件は満たしていないのです。国内の反対勢力のせいで危機が現実にならないと動けないんですな。民主主義国家の正しい姿ですが、未来を知る我々からすれば非常に世知辛いところです。

 学者によっては、この時点でイギリスがガリア側に立つことを明言すれば第一次世界大戦は防げたと主張する人もいます。イギリスが悪者だ、というわけです。未来から非難するのはズルいですが、まぁ、でもイギリスが土壇場で勢力均衡バランス・オブ・パワーを崩してしまうようなことをしてしまったのだから、その非難は当たらずとも遠からずという感じがします。



さて、いよいよ次回はゲーマルトの『ある計画』の話です。

お楽しみに。

恐らく後数回で一心不乱の大戦争が始まることでしょう。

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