第一〇話 忠犬裕太

『To be or not to be; that is the question.(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ)』

                      ―シェイクスピア『ハムレット』―



絢爛豪華けんらんごうかな玉座の間。

静謐せいひつおごそかな部屋に全く似つかわしくない珍妙な光景がそこでは繰り広げられていた。

玉座に座るはワラキア大王国の象徴、ヴラド・アードリア。

かたわらに控えるは女王の身の回りの世話を任される侍従、西園春菜である。

そして彼女ら二人の前で、松本裕太が小さくなって土下座していた。


「これが古式ゆかしい極東の島国の謝罪文化なのかね?」

女王ヴラド・アードリアは冷酷無比な視線を眼下の虫螻むしけらに向ける。


「はい、陛下。ですが、これよりもう一段階上の謝罪方法があります」

右こめかみの青い筋をピクピクさせながら侍従西園春菜は答える。


「おぉ、春菜よ。

ちょうど、はこれだけでは謝罪と言うにはいささか足りぬと思っていたのだよ。是非ともそれを教えてはくれんか?」


「はい、陛下。土下座DOGEZAよりも一段階上の謝罪方法はこのようにします」

西園春菜は玉座の横を通り過ぎ、虫螻に近づく。


そして、スラっと長いお御足で……思い切り虫螻の頭を踏み抜いた。


(痛ぇ!!

いや、でもこういう時はたしかこう言うんだ!!

ありがとうございます!!)


「これは……うん、遠慮しとこう。

にはちょっと…あの……なんというか刺激が強すぎる」


――さて、ここで一つ付言しなければならないだろう。

それは、なぜヴラド・アードリアがここでどもったか、という問題についてである。

アードリアは実はここで赤面している。

なぜ赤面しているのか。

それは一重に、彼女が初心うぶであることに尽きる。

しかし、よく考えて欲しい。

ヴラド・アードリアの外見年齢は日本の小学3年乃至ないし4年生(つまり8から10歳の間)であり、この反応は外見年齢にそって考えれば至極真っ当であるが、彼女の実年齢は✕✕であり、そこらの女子大学生よりも高いのだ。

このことは一体いかなる事実を指し示すか。読者諸兄の想像にお任せしたい。


けだし、想像力とは創造力であり、つまるところ無限の想像力は無限の可能性を切り開くのである――


「陛下、よろしいので?」

素晴らしいお御足を虫螻むしけらにグリグリと突き刺す。


「よい。はやく足をのけてやれ」


「はい、陛下」

お御足が虫螻の頭から離れる。


(ありがとうございました!!ありがとうございました!!)


「松本裕太。――おもてをあげよ」


「ははっ!!」

松本裕太は指示通り面を上げる。

彼は高貴なる方を直視して良いものなのかどうか迷ったが、舐められるのは癪に障るのでここは敢えて女王の眼をガン見した。


「フッ…春菜と違って随分と間抜けな面だな」

松本はすこしだけ、ムッと思ったが抑えた。

自分は悪いことをした覚えはないが、先方は自分が悪いことをしたと思っているので何をどうしようが無駄だと思ったのである。まして相手が女王なら尚更だ。


(見てみよ!!見た目からして傲岸不遜な生意気ガキンチョではないか!!)

松本は心のなかで悪態づく。がしかし、彼は気づいた。


(あれ?このガキンチョ女王、本当にガキンチョか?

風体はJSだが、言葉遣いと雰囲気は随分と大人びているな…)

そう。彼は馬鹿ではない。気づくことには気づくのである。

といっても彼は女王が吸血鬼だということには気づかなかった。

まぁ、無理からぬ事であるだろう。


「春菜に聞いたぞ。お前も春菜と同じ世界の生まれだそうだな。

フフッ…よりにもよってとミレーアがぐっすり就寝おねんね中に転移するとはな」


「ははっ!!私の運がないばかりに、事件となってしまいました!」

不運な事件であったことを強調する。

できるだけ責任を回避しようという魂胆こんたんが見え見えである。

そして、その魂胆は静かに怒れる女王には無駄であった。


「しかし、それで王室への陵辱の罪が帳消しになるわけではない。

通常の司法手続きに則っても貴様の処刑は避けられない」

情状酌量の余地なし。

それがワラキア大王国における司法の言葉である。

松本の頬には今になってやっと脂汗が流れた。

しかし、次の一言で脂汗は消え去り、その代わりに冷や汗が流れた。


「しかし、は誠に寛大である」


(あぁ…これはよくないやつだ)

松本は不穏な空気を感じ取る。

死にはしないが、死ぬような、もっと言えば死んだほうがマシな辛い目に遭う未来が彼には見えた。


「選び給え青年。

この世で地獄を体験するか、或いは首を吊られてから地獄を体験するかを」

魔王嗤う。白い二本の犬歯がむき出しになる。


(ほれ来た。選択肢がない選択だ。

仕方がない。首を吊られるよりかは、この世にとどまるほうが生存率は高いだろう)

そう思って松本は決断した。


「この世で地獄を体験しようと思います」


「ですって、春菜」


「はい、陛下。地獄へのともが増えてまことに嬉しく思います。」

われんばかりの満面の笑みを春菜はアードリアに向けた。

それは田村先生を髣髴ほうふつとさせる、あの醜悪な笑顔ではなく猫を被った明朗な笑顔であった。


その時、絶望の淵にあった松本は空から天女が降ってきたような心持ちになった。


(あ、これ。あれじゃね?逆転勝ちじゃね?

会長となにをするかしらないけど、とにもかくにも会長の犬奴隷になるという本来の俺の目標は達成されるんじゃね?

やった!!会長の犬奴隷だ!!

会長!!俺はどこまでもついていきます!!

ワンワン!!)

松本は気持ち悪い妄想を経て、急に前向きになった。


「話はまとまった。

侍従西園春菜の「虫螻むしけらに王妹ミレーアが驚いただけであり、警備上の問題はなかった」との報告を持って『王族身辺警護に関する問題調査委員会』の活動はこれで終了する。お疲れ様だ。下がって良いぞ」


「はい、陛下。失礼致します。


松本裕太君、立ち給え。私についてきてもらう。

なに、安心して欲しい。

地獄旅行のまえに、一通りの軍事教練を受けてもらうだけだ」

春菜は松本の方に向き、右口角をあげた嫌らしい笑顔をする。


松本はその嫌らしい笑顔と『軍事教練』という言葉に少し引っかかるものを感じた。

だがしかし、そんなことは彼にとってはあまり重要ではない。


飼い主の言葉は絶対であり、故にその飼い主の問いかけには、了承を意味する『ワン』を答えるしかないのだ。


ワンワンはい、分かりました会長!」

虫螻むしけらから忠犬にランクアップした松本裕太は元気いっぱいに答えた。

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