第九話 知らない、天井

『私は長い間、君たちに法律に従うように説いてきた。その私が、どうしてここから脱出できよう。死ぬことと、自分の信念とどちらが大切だろうか』

                               ―ソクラテス―



「知らない天井だ…」

松本裕太は苔むした石造りの天井を見て小さくつぶやいた。

体を起こすが、手首に違和感を感じる。

松本はうつむいた。

両手に嵌められた冷たい色をした手錠が見える。

手錠――其れは人生の終焉を意味する。

受刑者は刑期を終えれば、罪を償ったとして他の市民と同様の権利を与えられる。

彼は肉体的には滅びない。だがしかし社会的には死んでいる。

生きながらにして死んでいる者。さながらさまよい歩くものゾンビである。

松本はあの時のことを思い出した。


胸から何かふつふつとしたものが込み上がってくる。

彼の頬には深い後悔と諦観から涙が…



流れてなどいなかった。


「はぁ!?ナンデ!!??ナンデナンデ!!??

俺、なんにも悪いことしてないじゃん!!

見知らぬ可愛い小学生二人と高校生が一緒に寝ていただけじゃないですか!!

弁護士を呼んでこい!!国選弁護人でもええから弁護士を!!」


「黙れ変態!!死にたいのか!?」

看守―驚くことに、肌が浅黒い豊麗ほうれい(といっても胸は普通)な『女性』―が怒鳴りつける。


「やれるもんならやってみろ木っ端役人が!!」


「ちぃ…どうやら本気で死にたいらしいな」


「あ!!恫喝ですよそれ!!いーけないんだ、いけないんだ!!

弁護士に言いつけてやる!!

ここの法律知りませんけど、法治国家においては法こそが正義ですよ!!」


「ムカつくなぁ!!コイツ!!」


―さて、ここで一つ付言しなければならないだろう。

それは松本裕太はなぜここまで強気なのか、という問題についてである。

その問題の答えは彼の状況認識、正確に言えば時代認識にある。

松本裕太は手錠、看守、そして今閉じ込められている部屋の灯りをみて大方の推論がついていた。

現代とほとんど変わらない手錠、現代西洋式の軍装に身を包み、腰に小銃を突っ込んだホルスターを巻きつけた浅黒い肌(といっても、その顔立ちはアラビックな雰囲気ではない)をした看守、そして白熱電球のあかり…

ここから導き出される答えは彼にとってはなはだ不愉快なものであったが、仕方ないと彼は諦めた。

…ここは中世なんぞ遠くはるか昔に過ぎ去った後期近代である、というのが彼の時代認識であった。そして、それゆえに近代的な法律、憲法が存在するはずである、と彼は考えを敷衍ふえんしているわけである。

技術体系が近代だとしても、法律体系が近代だとは限らないのであるが、まぁ、彼の推論は幸運なことにまとを得ていた。実際、看守が彼に手を出すことはできなかったのである――


「数十年前ならお前なんて串刺しにしていたものを…」


「うわっ!!物騒!野蛮すぎるわ!!土人かよ!!」


「お前のほうが野蛮だよ!!」


「やっぱり、俺思うんだけど。フランス革命とか見てるとさ、君たち西欧人って案外野蛮だよね」


「知らんわ!!大体なんだフランス革命って!!どこの革命だよそれ!!」


「そうですか、知りませんか」

どれだけ目の前の女が無教養だとしても、もっと言えば、義務教育を受けてなかったとしても、西欧人でフランス革命を知らない奴がいるはずがない(ここが近代なら多分、たった百年程前にコルシカ生まれのあいつが暴れまわったばかりだ)。違う世界線だから仕方ないか。

松本は一人で納得し頷いた。


「さて、――」


「お前に仕切られるのはなんか癪に障るな」


「俺はこれからどうなるんで?」


「さぁな、女王陛下の御心次第だな」


「ん?なぜここで女王陛下とかいう言葉が?」


「えっ。お前、なぜって…そりゃぁ……」

松本裕太の頬に涙ではなく冷や汗が流れた。

いつも引きこもっている勘が働いた。

いやいやいやいや。んな莫迦な。

先程から松本の脳内シナプスはある情報を伝えまくっている。

あぁ、これあれですね。ライトノベルでよくあるやつですわ。

何かの事故で高貴な方とお知り合いになる、あれですね。


「お前が襲ったのが女王陛下だからだよ」


「くそったれが!!絶対そんなの死刑じゃん!!」

松本は頭を抱えた。チェーンが額に少しめり込んでひんやりとする。

あ、いいなこれ。冷えピタみたい。

ふぅ…。落ちつ………かんわ!!

松本は置かれた状況が存外絶望的なのを知って項垂うなだれた


「…因みにあなた達の法律では王室への陵辱りょうじょくはどうなってるので?」

一応、罪状の確認をする。


「陛下が君主大権を発動したら即刻お前は処刑台送りだ。

まぁ、陛下のことだろうから通常の司法手続きに任せるだろうが、それでも王族に対する罪は三審制は取られずに一審制。あと、お前の場合は刑法第七三条の『王族ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス』が適用されるからな。

おめでとう。どう足掻いても死刑だな」

看守は莞爾かんじ(にっこり)として笑った。

鋭く尖った二本の白い犬歯が白熱電球の光に反射する。

悪魔わらう。松本は本能に訴えかけてくるものがあるのを感じた。

だがしかし、彼にとってはそれよりも大事なことがある。


「いやあああああああ!!死にたくないいいいいいいい!!」

法治国家においては法律こそが正義であり、力である。

法律を盾にとり、散々看守を煽って虐めていた松本が法律に裏切られた瞬間だった。


「悪法だ!悪法だ!憲法違反だ!!」


「すまんな。我が国の憲法は欽定きんてい憲法で君主権が強い。

その条文は憲法違反じゃないんだよねぇ。

だいたい、違憲立法審査なんてこの国には存在せんぞ。


まぁ、悪法もまた法なり、って言うだろ?

ソクラテスみたいに毒杯をちょいとあおる感じで」


「毒人参で死にとうないわ!!

というかフランス大革命は知らんくせに、ソクラテスは知っとるんかい!!」


「む…ソクラテスを知っているということは只の狂人ではないようだな。

ふうむ…フランス大革命ねぇ。大革命…大革命……

あぁ!!フランスというのは知らんがガリア大革命なら知っとるぞ!!ナポ公がそのあと大暴れしたやつだな」


「それそれ!!それだよそれ!!」


「いやぁ、あいつはすごかったなぁ。物見遊山代わりに偵察と称して戦いぶりを見ていたが、いやはや、用兵に関しては見事というしかない。魔法使いを効果的に戦争に組み込んだのも評価が高い」


「ははは。なんだか実際に見てきたような口ぶりだな」


「なにを寝ぼけたことを。実際に見てきてるぞ」


「ははは。ご冗談を。冗談はその小っちゃい胸だけにしてください」


「守護龍ズメイの口火(フラケーレ・ピロート・デ・ズメイ・ペンテゥルー・ア・プロテヤ・サーガ)」

松本裕太の大変失礼な発言から間髪をいれず看守は魔法を詠唱する。

看守の右手から一条の炎の筋が彼の頬の近くを射す。


「あっちぃ!!!なにするんだ!!」


「決して小さくないわ!!次小さいとか言ったら当てるぞ」


「…はい」

松本裕太は精神的に疲れた。

ベッドの右側の壁にもたれかかる。

石造りの壁はザラザラしており、手錠の鎖とは比較にならないほど冷たい。

火傷やけどしかけた頬には優しい。

彼は考える。

(どうやら、俺は勇者にはなれそうにない。

美女、美少女の前に白馬の王子のように颯爽と現れ、しかる後、ハーレム帝国を作るという俺の野望は潰えた。儚い夢だったなぁ…)



――カツカツ。誰かが石畳のジメジメと湿った廊下を歩いてくる。

どうやら右の方から歩いてきているらしく、松本裕太の視界に彼女はまだ入らない。


「おお。これはこれは侍従じじゅう殿ではないか。沙汰さたは決まりましたので?」


「いや、まだ決まっていない。私が直接彼にあってから決まることになった」


松本裕太はとても懐かしい声だと思った。この声色、どこかで聞いたような。

冷たく澄んだ、それでいて親しみを感じる声。

アナウンサーか司会者か、或いは政治家か、とにもかくにも声を出す仕事に向きそうな声だと松本は思った。

彼女が現れる。

彼女は黒壇の長い髪を揺らして振り向いた。松本は彼女の姿を見て驚いた。


あぁ!!そういえば!!あの茶髪癖っ毛幼女が言っていたではないか!!

主人公は俺ではなく彼女だと!!


「ふふっ…やっぱり転移者か。

君が来るとは思わなかったが、まぁそんなことはどうでもよい。

ようこそ地獄へ!歓迎する!」

この芝居がかった言い回し!!間違いない!!会長だ!!


「シャンテル・メンギア少佐殿。彼を外に」


「いいんですか」

看守、もとい王族の守護を預かる近衛軍第一大隊指揮官シャンテル・メンギア少佐は反駁はんばくする。


「構わん。彼のような小市民チキンが大それたことはできないよ。

それに元いた世界では、彼は私の大切な同志でね。ここから出してやりたい」


「まぁ、貴女の同志であるなら別にいっか」


ガチャッ――牢の鍵が開く。


「会長…」

よろよろになりながら牢から出る。


「久しいな松本裕太君。

ふふっ…別世界のここで、その呼び名で呼んでくれるのは君だけだ」

寂しそうに笑う。


(きっと苦労されているのであろう。

えんもゆかりもないこの土地で会長は過ごしておられたのだ。

おぉ、おいたわしや…)

松本裕太が会長に同情し、ねぎらいの言葉をかけようとした時、会長は右頬を引きつりあげて嗤った。

――あ、懐かしい。田村先生の嗤い方だ。

と松本が思うやいなや。


「では、さっそくであるが――女王陛下の前で土下座してもらう。

なに、喜べ。私からの折檻せっかん付きだ」

会長の眼は酷く歪み、女の子がしてはいけない笑顔を顔面に貼り付けていた。

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