第八話 女王の秘密

『ミネルヴァのふくろう黄昏たそがれに飛翔す』

   ―ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『法の哲学』(序文)―



豪勢な赤い絨毯が敷かれ、荘厳な大きな長方形の机が置かれたある一室。

議長席(わかりやすく言えばお誕生日席)に一人の少女が座り、その右手と左手には国を支える重臣、近臣が控える。


「勅令である。彼奴きゃつを即刻処刑台に送れ」

議長席に座った美しい銀色の髪の少女が、涼しい顔で外見に全く似つかわしくない台詞を吐いた。


「やっちゃえお姉ちゃん!!ぶっ殺せ!!」

議長席からみて左手の二席目に座った美しい金色の髪の少女が、上気した顔で外見に全く似つかわしくない台詞を吐いた。


国璽こくじと紙とペンを持ってきなさい。君主大権を発動し、裁判を経ずに処刑する」


議長席からみて左手の三席目に座った軍装の女性が身を乗り出して諫言かんげんする。

「女王陛下!!畏れながら申し上げます!

憲法上、主権は陛下にあれど、実際的には国民に主権がございます!君臨すれども統治せず、は我が国の覆されざるべき慣例であります!!大権は発動されるべきではありません!!」


議長席からみて右手に座る小太りでバーコードヘア―の中年おっさんが続けて言う。

「畏れながら親愛なるアードレア女王陛下!

西園殿の仰るとおりです!小官は死んでもそのような勅令に署名はできません!!」


女王陛下と呼ばれる議長席のあるじは背筋が凍るような冷徹な瞳で中年オッサンを睨めつけた。

「黙れフェルディナンド首相。王室への陵辱りょうじょくは重罪だ。彼奴きゃつにはしかるべき罰を受けてもらう」


議長席から見て左手に座る胸元がはだけ浅黒い肌をした妖艶ようえんな女性が述べる。

「でもア―ドリアちゃん……勅令が効力を持つには首相以下内閣全員の署名が必要よ。それに、お父様も言っていたじゃありませんか。『王族と吸血鬼バンピーアがすべてを決める時代は終わった。これから吸血鬼バンピーア人間ウマーンは手を取り合って生きていかなければならない。』って。君主大権は発動するべきじゃないわ。裁きは司法に任せるべきよ」


背筋の細胞が凍傷で壊死しそうな鋭い視線が妖艶な女性、もとい侍従長じじゅうちょうエレナ・バゼスクに注がれる。

不穏な沈黙が暫し数秒。

しかし、その間エレナは艶笑えんしょうを崩さない。

なぜなら目の前にいる小さな女王は吸血鬼バンピーアヴラド・ドラキュラ王の血を引く賢王であると彼女は知っているからである。


「…如何にもそのとおりだ。取り乱してしまって済まなかった。この件は通常の司法手続きによって解決されるべき問題だ」


部屋に安堵の空気が流れる。事態は急進化せずに穏健に済みそうだという見通しが重臣らに安心を与えた。

だがしかし、妹ちゃんだけは別であった。

「えぇ!!お姉ちゃん!!あいつにあんな酷いことされたんだよ?ぶっ殺そうよ!!」

妹ちゃんは顔を左右に振り乱しながら、あくまでも勅令による事態解決を望んだ。


「ミレーア。我儘は言うな。

なんなら後でメイド長にお願いして美味しいプリン作ってもらうからそれで許せ」

頬杖をつきながら親愛なる女王陛下、王国の守護者、国家の象徴、神聖不可侵の存在、ワラキア大王国が唯一の主権者、ヴラド・アードリアは妹のヴラド・ミレーアをプリンで釣ってなだめた。


「わーい!!私、プリン大好き!!」

屈託のない笑顔でプリンへの讃歌を口にする王妹殿下の姿がそこにはあった。

重臣らには笑みが漏れ、安堵の空気がさらに緩む。

が、次のアードリア陛下の言葉で空気が締まる。


「しかし、通常の司法手続きに彼奴きゃつを委ねたところで速やかに解決しなければならない問題は残る。

彼奴は如何にして宮殿へ侵入した?宮殿の対魔法結界と警備は問題なかったのだろう?」


「はい、陛下。

宮殿の警備は近衛兵がついており、問題ありませんでした。また事件発生時、宮殿の対魔法結界は作動しており、瞬間移動をはじめとするあらゆる魔法は相当な使い手でない限り完全詠唱でも発動すらしません」

宰相フェルディナンドが答える。


「私が咄嗟に使った魔法も相当効果が抑えられてたしね。結界は問題なく作動してたと思うよ」

妹、ミレーアがフェルディナンドの言を裏付ける。


「では、彼奴は近衛兵の警備を掻い潜ったか、相当な魔法の使い手であるかのどっちかであると?莫迦な。とてもじゃないがそうは見えなかったぞ。それにそれだけの力量の持ち主なら余を即座に殺すことができたはずだ」

女王アードリアはいぶかしむ。

彼奴は魔法を使わなかったし、第一魔法使いにはとても見えなかった。だとしたら彼奴はその身一つで近衛兵の警備を掻い潜らなくてはならない。しかし近衛兵相手にそれは不可能である、と女王は結論づけた。

指導者がある人物、ある集団、ある考えイデオロギーに全幅の信頼を置くのは危険なことであるが、賢王アードリアは近衛兵に絶対の信頼を置いている。

なぜなら彼らは文字通り「欧州最古参の古強者」であるからだ。彼らはワラキア公国とオスト=マルーク間の熾烈な戦争から戦場の第一線に立ち続けている。

つまり、彼らは中世から今まで約間、延々と国家を守護し続けている。

百戦錬磨の吸血鬼による警護を突破できる生物はこの世に存在しない。


とすれば…答えは一つだ。

なに、驚くことはない。彼女の時と一緒ではないか。

女王、ヴラド・アードリアは得心した。


女王が答えにたどり着いたのとほぼ同時に西園春菜が発言する。

「…私に少し心あたりがあります」

侍従、西園春菜に視線が集まる。

西園はなにかが胸につっかえていた。

直感。

否、理論的な推論から導き出された予感は一つの答えを指し示す。

完全に警護された宮殿、いわば密室。

そこに突如として現れた一人の男。

そう、恐らく彼は…転移者だ。


「畏れながら陛下、私にすべてお任せを」


「許可する。

侍従、西園春菜を『王族身辺警護に関する問題調査委員会』の委員長に任命し、その活動を一任する。尚、可及的且つ速やかに活動の報告をせよ。因みに、彼奴は地下牢に繋がれている」


「はっ。恐れ多くも拝命いたしました」

春菜は立ち上がり、一礼して部屋から去る。


「これにて会議を終了する。各自散会せよ」


「おねぇちゃん!プリンの約束忘れちゃ嫌よ!」


「ふぁあ…疲れたぁ……」

王妹ミレーアと侍従長エレナ・バゼスクは退出する。

部屋に残ったのは女王ヴラド・アードリアと宰相フェルナンドの二人である。


「春菜が言っていた援軍か?」

右を流し目で見る。


「はい、陛下。おそらくそうでありましょう」

こちらは女王に向かい合いながら答える。


「春菜が急に来た時もびっくりしたが、此度はタイミングと場所が悪かったな。お陰で醜態を晒してしまったわ」


「はい、陛下。そのような陛下を見るのは小官も初めてでございます」

微笑を浮かべながら答える。


「ふふ…。知らなかったのか?存外、余はこんなものだよ」

流し目でフェルナンドを見つめ、歯を見せて自嘲じみた笑みを浮かべる。


「知っておりますとも、陛下」


「で、あろうな」

ハハハ、と快活な二人の笑いが部屋に響いた。


「先日提出された春菜の報告を読んだか?」


「はい、陛下」


「戦争が近いな…それもとびきり最悪のやつが」


「はい…陛下」


総力戦トータル・ウォーにわかには信じがたいよ。国家と国家が己のすべてを動員して戦争をするなどとは……正気の沙汰ではない。

国家間の結びつきが強まる昨今、かような大戦争が起こり得るのか?」


「はい、陛下。小官も完全には信じられません。

がしかし、新大陸リベリオンでの南北戦争シビル・ウォー、そして極東での扶瑠ふる戦争が次の戦争の形態であるとの西園殿の主張は確かに説得力があります」


「ミネルヴァのふくろう黄昏たそがれに飛翔す(Die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug)…か」


「はい、殿下。彼女は黄昏未来から歴史を見てきております。

我が国の国益の為に、そして世界滅亡を防ぐため、彼女の言に従い協力するのが得策かと」


「ふぅ…まったく。人間はよく飽きもせず殺し合いをするものだな」


「はい、陛下。人間の私には耳が痛い言葉でありますが、がしかし、吸血鬼もよく飽きもせずに生き血を吸っているものだ、と小官は思いますよ」


「む……そりゃあ、余ら吸血鬼は昔は人間殺して血を吸ってただろうさ。でも、最近は医療衛生技術の発達で人間を殺さずに十分な血を手に入れることが可能になったじゃないか。

それに……余には関係のない話だな」


「恐れながら質問申し上げます。

……血は今でもやはり飲めないのですか?」


暫しの沈黙。

聞いてはいけないことを聞いてしまった時のあの嫌な静寂が部屋を支配する。


「……あぁ。やはり駄目だな。血を見たら吐き気がするし、飲んでみたら吐いてしまう。お陰で吸血鬼としての能力は今となってはほとんどゼロだよ。今となってはは、か弱い少女とほとんど何の違いもない」


「……陛下。血を飲めとはもう申しますまい。

ですが、恐れ多くもこれだけは一言申し上げたく存じます。

陛下、親愛なる女王陛下……最期までお供いたします」


「ふふっ…悠久の時を生きる吸血鬼が刹那を生きる人間より早く死ぬかもしれないとはね……


まぁ、宰相フェルディナンド。地獄に落ちるその時までお伴してもらおうか」

王女陛下はいつもの自嘲じみた笑みではなく、珍しく朗らかな笑顔をフェルディナンドに向ける。

その笑顔を見てフェルディナンドは昔を思い出した。

そう――あれは陛下の教育係を務めていた時のことである。青空が輝き、太陽が酷く眩しい平穏なある日。良く手入れされた宮廷の庭園で遊ばれていた陛下は、恐れ多くも花飾りを小官にお作りになられたのだ。

吸血鬼の始祖の血を引く陛下にとって日光は致命的な弱点ではないが、だからといって全然平気なわけではない。

いたむ日光を我慢して他ならぬ小官に花飾りをたまわったのだ。

あの時の笑顔だ。花飾りを小官にくださった時の可憐な笑顔だ。

フェルディナンドはなにか胸に熱い思いが溢れてくるのを抑えきれなかった。

太陽に照らされたあの時の少女の笑顔が、十年以上経った今も全く変わらず目の前にあった。


「はい、陛下。

今際いまわきわ、いえ……地獄の底までお供したく存じます」

ワラキア大王国宰相フェルディナンドは震える声を抑えることはできなかった。

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