第二話 幸運な邂逅
『全体主義は政治の消滅である、と彼女[ハンナ・アーレント]は論じた。すなわち、それは政治を破壊する統治形態であり、語り、行為する人間を組織的に排除し、最初にある集団を選別して彼らの人間性そのものを攻撃し、それからすべての集団に同じような手を伸ばす。このようにして、全体主義は、人びとを人間として余計な存在にするのである。これがその根源的な悪なのだ。』
―ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』―
生徒総会の翌日。
多くの生徒がセーターで登校している。
といっても季節は夏にさしかかろうとしているので少し暑そうだ(季節的にあと少しで制服が夏服に変わる)。それでもセーターを着ているのはセーターで登校できるかどうか試してみたいからなのだろう。
先生陣からの抵抗はほとんどゼロ。
先生方は苦虫を潰したような不愉快な顔をしているような気がする。
でも、注意はしていないようだ。
生徒会長の好戦的な演説が効いているのだろう。
このまま抗争が激化してしまえば、武力闘争にまで発展してしまうかもしれないからだろうか。
ゲバ棒を持って、ヘルメットをかぶり、机や椅子でバリ封、そして時計台の上から火炎瓶を機動隊に投げつける。
一九六〇年代、七〇年代の学生闘争の再現だ。
あの会長ならやりかねん。
「同士同胞諸君、革命だ!ブルジョア共を引き摺り下ろせ!!」
生徒をアジる会長が容易に想像できる。
そして、ゲバ棒を担いでいる俺も容易に想像できる。
さて、会長の妄想はこれぐらいにして、、、
かくいう俺も朝、元気にセーターで登校した。
別に俺自体はこの問題に対して特に思うところはないのだが、、、
まぁ会長の力になりたい、という感じだ。ハズカシイケレドナ
ところで、
お察しのことだとは思うが、
俺は会長とは話したことはない。
友達でも何でもない。ただ一方的なあこがれの関係。
いや、関係と呼ぶことすらできない関係。
ハハ、捻くり屋の俺がまるで恋する乙女のようだ。
キモチ悪い。
トイレに行こうと教室から出て廊下を歩く。
む、12時の方向から会長が歩いてくる。あぁ!今日も美人ですね。
だがしかし、けれどもbut、
目は合わせない。
さり気なく、路端の石のように存在感を消す。
十メートル、八メートル、六メートル、、、
Coolになれ松本裕太。目を向けてはならない。素数を数えて落ち着くんだ。
五メートル、三メートル、二メートル、、、
ふむ、困った。生徒会長様がちょうど俺の進路上に立っている。
というか、明らかに俺に話しかける雰囲気を醸し出している。
身体の向きもこっちに向いてるし、今まさに声を出そうとしている、、、ような気がする。なんか俺に用があるのかな?
はっ!
まさか、俺が隠れてスマホの秘蔵フォルダに会長を収めたことがバレたのか?
そんな馬鹿な!セキュリティは完璧なはず。
パターンロックは9つの点全て使った最難関だぞ!!突破できるわけがない!!
第一、スマホは命より大切なもの。常に肌見放さすもっている。
会長にバレるわけがない。
はっ!
まさか俺の知的雰囲気につられて、、、
いやぁ、嬉しいなぁ、俺のことを好きになってくれたんだなぁ!
どうですか、会長?
もしお暇であるなら、グランドの端にあるベンチで夏目漱石の『私の個人主義』について語り合いましょうぞ(読んだことないけど)。
、、、いや、ダマされないぞ!!
きっとこれは後ろにイケメンか友人がいて、そいつに話しかけようとしているに違いない。俺には関係のない話だ。無視しよう。
「そこの君、止まり給え……確か松本裕太と言ったな?」
「ひょぇ!、い、いかにも、、、吾輩は松本裕太である。名前はまだない」
「………ふっ、、君はヒトではなく松本裕太という生き物なのか?」
まさかである。まさかまさかのまさかだ。話しかけられるとは思わなかった。
夏目漱石を引っ張りすぎた。
思ったことをそのまま言ってしまった。
一度気をとりなそう。
「、、、これは大変失礼した。生徒会長の
「いや、大した用事ではない。今日の朝、登校しているときに偶然セーターで登校する君を見てな。正式に校則改正が決定されたわけではないにもかかわらず、セーターで登校するその勇気に賞賛を送りたいと思っただけだ。
……ありがとう。
私は君のような協力者を常に必要としている。
私は君のような協力者がいるから闘える。これからも協力してほしい」
なんということだ。感謝されてしまった。
「いえいえいえいえ!セーターで登校してたのは俺だけじゃないですよ。
たくさんの生徒がセーターで登校してましたよ」
「ん?……ふ、知っているよ。別に君のことを特別扱いして感謝を述べているわけじゃない。私の思想、方針に共感してくれている人は誰でもこうやって感謝を述べて協力をお願いしているんだよ。選挙活動みたいなもんだ」
少しがっかり。
「そ、、、そうなんですか」
少しがっかり感を出してしまった。
「ふふ、選挙活動だとしても感謝しているのは本当だ。本当にありがとう。私は君のような人がいるから頑張れる」
会長はそう言うと手を差し伸べる。握手を求めているのだ。
なんという会長だ!ここまで完璧な生徒会長が存在しただろうか!!
下手な政治家よりも政治家してるではないか!
しかも会長の口ぶりからすると見かけた人間全員に話しかけているのだろう。
完璧すぎやろ!!惚れてまうやろ!!あ、もう惚れてるか!!
握手を求められて断る文化は俺にはない。
俺も手を差し伸べて握手をする。
柔らかくて温かい手だ。白魚のような手は労働を知らない手だ。上級国民の手だ。
スラリと伸びた黒壇のような髪の毛が美しい。
モデルのようなスタイルは無言の圧力を放つ。
彼女の雰囲気は独特だ。
彼女だけがもっている雰囲気。英雄の雰囲気。
カリスマ、一言で言えばそうなるだろう。
会長に逆らえる気が起きない。いや、逆らおうとすら思わない。
会長の雰囲気は命じる。「服従せよ」と。
我々の劣った部分を隠して、会長は我々を何処かの高みに連れて行ってくれるのではないか?付いて行きたい。会長が何を見ようとしているのか知りたい!
ふぅ、、、落ち着いた。
出来るならこのまま握っていたいが、それは気持ち悪いのでやめておこう。
十分、会長の雰囲気は堪能できた。
握手が終わる。
俺と握手をしていた右手をゆっくりと身体の後ろに回し、腰のあたりで左手と手を組む。その後どうしたことか。
会長は身長が俺より高いのにもかかわらず、上目遣いで俺の眼を覗き込む。
そして、目を細めて右の口角を引き上げる。
俺はその時、世界史の田村とか言う
「――君は
彼女はそう言い残して
長い髪がたなびいて揺れている。
颯爽と去る彼女の後には口を開けて茫然自失の俺が立っていた。
断言しよう。俺はこの時、本気で恋に落ちた。
この瞬間は俺の人生でもっとも忘れられない瞬間となった。
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