日常

第一話 生徒総会

『一九一四年の第一次世界大戦の勃発は、一時代の終焉を告げるとともに、新時代の到来を象徴するものであったように思われる。……ロシア革命、一九一八‐二二年の全ヨーロッパを覆う政治的・社会的激動、地図の線引き修正による新興諸国の出現など、戦争がもたらした直接の結果は、二〇世紀史の針路を決定づけた。』

           ―ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起源 改訂版』―



「さて、話を続けよう」

世界史教師の田村先生はバルカン戦争の話が終わると、そう言って話を切り出した。


「第一次世界大戦というのを諸君は知っているだろうか」

生徒の中から嘲笑が漏れる。曰く、「馬鹿にするな」と。

高校生に聞くような内容ではない。ここにいる人間はとうの昔に中学校の歴史の授業で習ったに違いないのだ。


「よろしい、自信満々のようだ。

では聞こう。問題、第二次世界大戦が始まるまで第一次世界大戦はどのように呼ばれていたか答えよ」

田村先生の悪い癖がまた始まった。

田村先生はいつもこうだ。受験に出ないような雑学クイズを出して生徒をいびるのが大好きなのだ。テストも通常の一〇〇点分とは別個に追加点として鬼畜な論述問題を出す。

前回はウォーラーステインの「世界システム論」について説明せよ、なんて問題が出た。どうしようかと思った。というか誰だよそれ。

(でも先生が言うには、学年である女の子が完答ではないものの部分点を掠め取ったらしい。ヤダ、カッコいい…)

田村先生は趣味に走り過ぎている感はあるが、授業自体は面白いので俺たちは彼の趣味に乗ってあげている。


「松本、先生ノ問題ニ答エヨ」

先生からのご指名だ。

田村先生、右口角上がっていやらしい顔つきですよ。というか胡散臭い。

いやらしい顔つきをしすぎて口周りの筋肉が異様に発達しているじゃありませんか。田村先生はそのせいで普段の真顔でも(真顔自体を余り見ることはないのだが…)くっきりとほうれい線が浮かび上がってしまっている。まぁ歳の所為もあるが。


「世界大戦、ですか?」

それらしい答えをそれらしく答えとく。間違いとはいえないはずだ。

田村先生の厭らしい質問にはどっちつかずの回答を用意してやればよい。


だが、こういう回答をしてしまった時は次のような応答が返ってくる。

「ボケるわけでもなく、世界大戦とかいう無難な答えを選んじゃう君の主体性には重大な欠陥があるな!!」

「…生徒の主体性を攻撃するなんて、あなたは教師として重大な欠陥がありますね!!」

「ふふ、違いない」

田村先生はいつもこんな感じなので、いつもこんな感じで反駁はんばくしてやる。それが心地よいのかしらないが、先生はいつも俺にこういった質問をする。


適当に答えているだけなのに。


少ない笑いが教室に力なく響く。

「答えたいものは他にいるか?」

別に俺は答えたくて答えたのではないが…


しばしの沈黙――

さっきまで嘲笑をフフンと漏らしてた奴は答えろよ、と少しばかり名も無き一般生徒に悪態づく。田村先生は沈黙に痺れを来して…と言うよりはいつもの光景でこの手の沈黙は慣れっこなのだが、授業が止まってしまうので話をすすめた。


「では、答えを言おう。答えは大戦争、大戦争グレートウォーだ。第二次世界大戦が始まるまで第一次世界大戦はそう呼ばれていた。第二次世界大戦を経験している我々からすれば第二次世界大戦の方がその名にふさわしいような気がするが、当時のヨーロッパ人からすれば第一次世界大戦は空前絶後の戦争だったわけだ。

いや、人類にとって悲しいことに、その戦争は、、、正しくいうとのであるが――」


キーンコーンカーンコーン、

ウェストミンスターの鐘が教室にかまびすしく鳴り響く。


「おっと、失敬。趣味の世界に没頭しすぎて時間が来てしまったようだ。次の世界史の授業は第一次世界大戦の開戦前夜、つまり七月危機についてやる。乞うご期待」


田村先生は荷物をまとめ始める。すると、思い出したように言葉を続けた。


「あ、そうそう。六限目は生徒会長権限による生徒総会だ。

体育館に集まるように。あの会長、ついぞ決着をつけるみたいだな。ハハハ。楽しみだなぁ。諸君には彼女ぐらいの気概と根性、知性を持ってもらいたいものだな」

田村先生はすこぶる会長にご執心の様だ。

無理もない、彼女のことを好きな人はいても嫌いな人はいない。

かくいう俺も、、、いや、言うのはやめよう。

俺みたいな捻くれた底辺がおこがましい。


めんどくさそうに欠伸あくびをしながら教室を出て体育館に向かう。

致し方がなくという体をあくまでも装う。こういうのにノリノリで行くのは恥ずかしいからな。


広い体育館にぎゅうぎゅうに押し込まれる。何もすることもないのでステージを見つめると、そこに一人の女声が立っている。遠目であるが、今日もやっぱり美人だ。

慈愛と冷たさ、そして意志の強さを感じさせる黒目。

背筋がスラリと伸びた凛とした出で立ち。

彼女の前では誰でも自然と襟を正してしまう。


彼女は口にマイクを近づけて言う。

「学生同胞諸君、集まってくれてありがとう。感謝する」


親しみとはかけ離れた文言。

優しいが、芯の強さを感じさせる声色は傾聴せずにはいられない。


「今回、諸君に集まってもらったのはここ数年の一連の騒動に決着をつけるためだ。可及的かつ速やかに、我々は事態を断固たる決意をもって収集しなくてはならない」


そう、我が学校はある校則を巡って生徒と教師陣は紛争状態にあるのだ。


「今までの生徒会長はこの問題に対して静観を決め込んでいた。これにはいくつかの理由があるだろう。単にめんどくさいからという会長もいただろうし、或いは己の能力が足りなかったからという会長もいただろう。

だが、私はそのような今までの無責任な会長を軽蔑する。

私は就任演説で宣言した通り、不撓不屈ふとうふくつの決意を持ってこの問題に取り組んできた。それがついに先の代議委員会で結実した。

諸君……抑圧されし同胞諸君。諸君は最早モノ言わぬ木偶ではない。

学校において誰が主人公であるか?

そう、ほかならぬ我々生徒自身である。

やつら教師どもに誰が本当の主人か教育してやろう!!

腐ったドアを蹴飛ばせ!!

本生徒総会での決議を持って我々は学校当局に宣戦を布告する!!

賛同する者は右手をあげよ!!」


はい、右手を上げますとも。上げざるを得ないでしょう?だって美人さんがこんなこと言っているんですよ?上げないと男がすたるじゃぁありませんか。

え?衆愚政治?。

え?まるで某ドイツの某政権のようだって?

え?右手を上げるその所作はその証拠だって?

知らないなぁそんな歴史は。


あたりを見回す。

結果は

…圧倒的。圧倒的な賛成多数。

これぞ民主主義の正しい姿である。

民衆の意志は斯くの如く明瞭に、そして統一されて示されねば。

え?全体主義?

知らないなぁそんな言葉も歴史も。


「ありがとう、諸君の決断で名も無き後輩たちの未来は救われるだろう」


さて、こんな大層な演説をぶっておいて問題となっている校則は大したことが無かったりする。学校指定のセーターでの登校の是非、ただそれだけである。

問題は三年前、学校が制服としてセーターの導入を決定したことに端を発する。

当時、セーターに関しての校則は以下のように決定された。

「セーターはブレザーの下に着用すること」

この時は大きな問題を孕んでいるようには思えなかった。

しかし、季節は巡って春先になると、事態は急変する。

教師陣は上記の校則を振りかざし、ブレザーを着ずにセーターで登校するのを禁止したのだ!

温度調節が主目的のセーターがその目的を剥奪された瞬間だった。

セーターが調度良いというのに!!セーターで登校するのが調度良いというのに!!

だから我々はセーターを着るためには、わざわざ暑苦しいことにブレザー+セーターを着て学校に来るか、それかセーターをバックに仕舞い、寒い思いをしてシャツだけで学校に来るかを迫られた。

それでいて校内ではブレザーを着ずにセーターだけでも許されるのだから教師陣の遵法精神は甚だ持って複雑怪奇。そもそも上記の校則事態欠陥であるのが悪い。


兎にも角にも、会長はどうやらこの結果にご満悦らしい。

ステージを降りていく姿はどことなく軽やかだ。長い艶やかな髪の毛がゆらりと跳ねる。


そういや、我々は一体何を決議したのだろうか?代議委員会で何が決まっていたのだろうか。

まぁ、いっか。どうせ陳情願いの類だろう。


副会長が閉会の辞を述べる。

「本日の生徒総会での議題は終了しました。皆さん、ありがとうございました。これにて解散します。皆さんは教室に戻って掃除をしてください」


これにて生徒総会は終了した。

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