Action.15【 月下の宴 】
明るい満月の下で、戦勝の
生還を果たした武将たちは、晴れやかな顔で酒を煽っては、
普段は人々の
月下の宴、一人の男から長い溜息が零れた。
月光に照らされた横顔に
「殿、殿!」
皆が酒に酔い騒いでいる様を横目に独り杯を口に運んでいると、円陣を組むようにして座る武将たちの脇を、小走りに抜け一人の男が
「何やら浮かない顔をされておりますな」
「
「いえ、殿の杯も空になられた頃合いかと」
荀攸と呼ばれた男、赤ら顔で手にした酒瓶を揺らす。小さく失礼をと口にすると、曹操の杯に酒を注ぎ足し脇に腰を下ろした。
「殿は何を
何も語らず、曹操は月を見上げる。
「
「うん」
「それとも殿は呂布が欲しゅうございましたか? しかし、あやつが大人しく飼い慣らされる武将ではあるまい」
「うむ……」
「知っておいででしょう?」
少し
「私は呂布などのことで憂いているのではない。ただ、一人諦めきれぬ者がおってなあ」
「呂布ではなく?」
杯を持った手を膝に置き、曹操はゆっくりと
呂布軍より三人の武将が手土産を
手土産の内容は彼らの主君である呂布の身柄である。しかし曹操は兵の報告にあがった別の手土産の方に興味を示した。
『
かつて、曹操が
しばらくして、呂伯奢は酒を買ってくると家を出て行き、曹操と陳宮は一室で休憩していたが、なかなか帰ってこなかった。
遅い帰りに気を揉んでいると、不意に刀を砥ぐような音が曹操の耳に届いた。
いったい何をする気だ? 呂伯奢は酒を買いにいくと嘘をついて、もしや朝廷に自分達を売ろうしているのではないだろうか?
――曹操は
先に殺らなければ、こっちが殺される!
いきなり刀を抜くと、曹操は問答無用で呂伯奢の家族や召使いたちを皆殺しにしていった。実は客人の為に猪を料理しようと包丁を砥いでいたのだが、そんなこと微塵も考えなかった。
事実を確かめず、逆上して女子どもまで刀にかけた主君の
やがて、敵対する武将呂布の元で軍師としてその才を奮う。
寒空の下、両脇を兵に固められ小突かれるように男が引き立てられてきた。
「縄を解いてやれ」
その言葉に兵は硬い縛めを解いた。
「曹操……殿、久しゅうございますな」
「おお、陳宮よ。我がもとでお前の才を再び奮う気はないか?」
旧友に話し掛けるような柔らかな口調で問うと、
『残念ながら、貴殿が望むような応えをできそうにありません』
頑なに陳宮は首を横に振る。一度大きく息を吸うとそれを吐き出すように声を張った。
『臣として不忠、子として不孝の罪を犯したのですから殺されて当然です。早く、軍法を明らかにして頂こう!』
これ以上話すことは無いと陳宮は口を
解けた拘束で悠々と立ち上ったのを見て、曹操も背を向けてその場を去った。
命乞いして助かったとしても、私の配下に戻るのを拒絶した。ずいぶんと嫌われたものだな。結局、陳宮は呂布に殉じ死を賜ったという。
最後は私ではなく呂布を選んだのか。あれほど慕い従ってくれる者が、果たして私にはいるのだろうか?
「私にも命をかけて忠義を守る家臣が欲しいものだ」
曹操の独りごとに荀攸は思わず、はぁ? と目を丸めてみせたが、すぐに我々がおりましょうと冗談めかしく返事をした。そうだったなと口角を上げて笑い、一気に杯を仰いだ。
祝杯を酌み交わす武将たちの輪に曹操も入っていき、月下の宴は夜を徹して行われた。
【 短歌行 曹操 】
對酒當歌 酒に対しては当(まさ)に歌うべし
人生幾何 人生幾何(いくばく)ぞ
譬如朝露 譬(たと)えば朝露の如し
去日苦多 去る日は苦(はなは)だ多し
慨當以康 慨して当に以て康すべし
幽思難忘 幽思 忘れ難し
何以解憂 何を以てか憂いを解かん
唯有杜康 唯だ杜康有るのみ
青青子衿 青青たる子の衿
悠悠我心 悠悠たる我が心
但爲君故 但だ君が故が為に
沈吟至今 沈吟して今に至る
幼幼鹿鳴 幼幼として鹿鳴き
食野之苹 野の苹(よもぎ)を食う
我有嘉賓 我に嘉賓有り
鼓瑟吹笙 瑟を鼓し笙を吹く
明明如月 明明たること月の如き
何時可採 何れの時にか採るべき
憂從中來 憂いは中より来たり
不可斷絶 断絶す可からず
越陌度阡 陌を越え阡を度り
枉用相存 枉げて用って相存す
契闊談讌 契闊談讌して
心念舊恩 心に旧恩を念う
月明星稀 月明らかに星稀に
烏鵲南飛 烏鵲南へ飛ぶ
紆樹三匝 樹を紆ること三匝
何枝可依 何れの枝か依る可き
山不厭高 山は高きを厭わず
海不厭深 海は深きを厭わず
周公吐哺 周公哺を吐きて
天下歸心 天下心を帰す
※ 曹操が、『短歌行』を詠んだのは、実際はこの戦の後ではなく、 赤壁でのことではないかと言われています。
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