Action.11【 ピンポン小僧 】

 この一瞬のスリルに俺はすべてを賭ける。

 各家のチャイムを押して回ると、誰にも見つからない内に、疾風はやてごとくに逃げ去るのだ。単純なイタズラだけに面白くて止められない!


 希望退職をつのっていたので、このまま働き続けても出世も昇給も望めそうもない俺は退職金20%上乗せという甘い言葉に思い切って決めた。自分一人の判断なのでギリギリまで家族には黙っていた。

 まだ五十五歳、次の仕事はすぐに見つかるとたかを括っていた。

 下請会社の社長から酒の席で、『うちの会社にあなたみたいな優秀な人材が来てくれたらね。退職したら、ぜひ働いてください』と言われていたので、その会社に再就職のつもりだった。いざ退職が決まって就職を頼みにいったら……今は人が余っているので要らないと素っ気なく断わられた。

 これは宛てが外れた! 酒の席でのオベンチャラをに受けた俺が馬鹿だった。

 勝手に会社を辞めたので、妻の機嫌は最悪だ。口を利かなくなった。飯は作らない。小遣いも減らされ、俺が購読していた新聞まで止めやがった!

「まだ定年でもないのに家に居られたら世間体が悪いわ。近所には病気で休職中って言ってるけど、早く仕事みつけてよ!」

 怖い顔で妻に言われたが、すぐに仕事はみつからない。

 ハローワークに何度も足を運んだが、中高年の事務職求人は極端に少ないのだ。この歳で肉体労働は嫌だし……退職金もあるのだから、もう少しのんびりしたかった。 

 早期退職をしたからといって、なぜ責められなければならないのだ。前の会社で三十年間働いたではないか。家のローンも完済したし、息子二人も大学を卒業して就職している。

 長い間の中間管理職で心身ともに消耗していた自分を楽させてやりたかっただけなのに……。ここまで家族に冷遇されるとは思ってもみなかった。

 無職の夫と一緒にいると、イライラしてストレスが溜まると不機嫌な妻は、やれカラオケだ、やれ同窓会だ、元ママ友の女子会だと外出が多くなった。


 それに比べて、この俺は会社を辞めて無職になった途端、友達付き合いもなくなった。

 家に居ても退屈だし、運動不足なので犬を連れて散歩に出るが、近所の人に見られないように気を使いながら……我ながら情けない。

 そんな時に見たのが、小学生の男の子が各家のチャイムを押して回っていた。

 そして猛スピードで逃げていったら、チャイムを鳴らされた家から人が次々出てきて、門の前でキョロキョロ、誰もいないことが判ると、みんな狐につままれたような顔して引っ込むのだ。――その姿があまりに滑稽こっけいで思わず笑いこけてしまった。

 憂さ晴らしにピンポンダッシュやってみようかと思った。いい運動になるぞ、昔から逃げ足だけは速いといわれてきた、この俺だ。

 いきなり猛ダッシュで走っても足がもつれないように毎日のストレッチは欠かせない。アキレス腱を切ったらお終いだ。毎朝、町内のラジオ体操にも参加している。

 そうやって体調を整えて、家から少し離れた古い家が立ち並ぶ一角で、チャイムを鳴らして回った。

 なぜ、古い家かというと最近のインターフォンはカメラが付いてるし、中にはメモリー機能もあって、何時にチャイムを鳴らしたか画像を残すからだ。俺はシンプルな呼び鈴しか付いてない家を狙った。

 そして週に何度か犬の散歩に行く振りをして、公園に犬を繋いだまま、物色した古い家ばかりを狙ってチャイムを鳴らして回った。『ピンポン小僧参上!』そんな名刺まで作ってポストに投げ入れてやった。

 ある日、スーパーに昼飯を買いにいったら、主婦が立ち話をしていた。

「チャイムが鳴って出たら誰もいないのよ」

「あらっ? お宅も。うちも先日あったわ」

「ピンポン小僧参上とか紙が入ってて、ホント気味が悪い」

 巷で俺のことが噂になっている。いよいよ面白くなってきたぞ!


 その日も俺はマスクを付け、サングラスをかけ、帽子を深く被ると家々のチャイムを鳴らして回った。人々が出てくるのを電信柱に隠れて笑いながら見ていたら、いきなり背後から肩を掴まれた。振り向いたら警察官が立っていた。

「不審者がうろついていると通報があった」

「えっ!」

 俺のことか?

「氏名、年齢、住所、それから職業は?」

 いきなり職務質問されたが、俺は無職だ。どうしよう、無職というのは印象が悪すぎる。無職の男が少女にイタズラとか、無職の父親が幼児を虐待とか……無職は犯罪者の定番なので、これはマズイ!

「お、俺はピンポン小僧だ」

「はあ~?」

 呆れ顔の警察官、その制服の胸ボタンを押した。

「ピンポ―――ン!!」

 そう叫ぶと、猛ダッシュで駆け出した。

「おい止まれ! 止まるんだぁ―――!!」

 警察官の制止を振り切って、俺は猛スピードで走り続けた。俺は無職じゃないぞ、ピンポン小僧だ! 

 その時、前方から疾走してくる自転車が見えた。目前に迫る自転車、背後から警察官が追ってくる、逃げ切れるか、この俺!?



 ピンポ―――ン!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る