第14話 灼炎の魔導士/2


『さて……』


 少女から力を取り上げた魔王は、円庭へと歩みを進める。

 そこでは、球体上に渦巻く影が、炎の煌めきを総て喰い尽さんと奮闘していた。

 その影に、ポンと手を置き、その手に握る〈焦熱〉の魔石を押し付ける。


『もういい』

『ブヘァッちぃぃぃぃぃ!!』


 尻を焦がされた魔犬は、その腹に収めていた炎の蜥蜴をやおら吐き出し、跳ね回って己の身に起きた事態を把握しようと努める。


『な、なにしやがんだシルバァ!』


『―――ぁ?』


『ヒェ……ッ! ななな何でもないですぅぅぅぅぅ!!』


 魔犬はその身を小さく縮こませながら、うつ伏せに倒れる主人の下へと駆け戻る。


『フン……駄犬が』


 それを一瞥し、魔王は足元に転がる蜥蜴をひょいと摘み上げて、もう一人の少女へと歩み寄る。


「はぁ……ッ、はぁ……」


 少女は荒く息を吐いており、その目を伏せていた。殆どの力を使い果たし、今や立っているのがやっとの状態だ。


『導士の少女よ。これを返そう』


 最早吹けば消えてしまいそうな、小さな火を尾の先に灯すのみとなった蜥蜴を、魔王は無造作に少女のほうへ放った。


「く……ッ!」


 ペチャリと音を立てて足元に落ちるそれを、少女は歯噛みし震える両手で掬い上げる。


「――だわ……」


 少女は小さな声で、何事かを呟いた。


『なに?』


「屈辱だわ……ッ!」


 少女の瞳が、金色の輝きを帯びる。否、それは少女の艶やかな長い髪をも包み、熱となって揺らめいた。


「あなたのような、得体の知れないものに敗れるなど……私は認めないッ!!」


『そこまでにしておけ』


 魔王の手指、そこに挟まれた〈焦熱〉の魔石が、少女の額に押し当てられる。


「あぁ――ッ!?」


 業と燃える炎が少女の身を包み、瞳の奥で白熱が瞬く。

 風が吹き荒れ、少女の長い髪を巻き上げる。


「く……っ!」


 少女はしていた。熱に焼かれる痛みはなく、舐めるような感触が少女の肌を支配していた。暖かな風に包まれて少女の意識は茫然とした。


『少女よ……名を何と言ったか』


「あなたに教える、義理はありませんわ……!」


 遠のきそうになる意識を手放すまいと、少女は己の身に爪を立て、唇を噛み締めて堪えていた。唇が切れ、赤い色彩が一筋、零れ落ちる。


「んっ……!?」


 不意に寄せられた魔王の唇が、少女の血を啜り取る。そして


「んん―――ッ!!?」


 赤い色彩を挟んで、接吻が交わされる。少女は抵抗しようとするが、魔王の両手が素早く少女の両手首を抑え、抵抗をさせなくする。


「ぷはっ――な、な、な、な……!!」


 数秒をそうしていただろうか、漸く魔王が身を放し、少女は頬を紅潮させ赤く彩られた唇を歪めて、何かを言おうとする。

 魔王は己の唇に付いた少女の血を舐め取り、それを味わった。


『ふむ……素晴らしい芳醇さだね。赤の酒ワインにも引けを取らないだろう』


「何を言ってるんですの!?」


 最早少女には、自分が今どんな感情を抱いているのか分からなかった。顔には熱があり、全身にじっとりと汗をかいて、心臓は早鐘のように脈を打ち、両手はわなわなと震えていた。


『まぁ、名はこの際どうでもいい。少女よ、私のものになる気はないか』


「はぁ!?」


 呆気に取られるとはまさにこの事を言うのだろうか――レーアンは柄にもなく余計なことを考えていた。



    †


『ときに少女よ。君も〈契約〉を交わしたのなら、大いなる目的があるはずだ。それを聞かせてくれないか』


「ふん……聞いてどうするというのです?」


『もしかしたら、私に“協力”できる部分があるかもしれない。オルハあれの目的にも沿うものなのではないか? 主は君と戦うのを嫌がっていた』


「オルハの……?」


 そこで魔王は一旦言葉を止め、背後、うつ伏せに倒れる少女のほうを見る。少女の側に控える魔犬が、少女の顔を覗き込み、頷きを寄越す。


『今なら主には聞こえん、教えてやろう。私が交わした〈契約〉、その内容を』


「それは……?」


『――――世界征服だ』


 勿体つけることなく、魔王はさらりと言ってのけた。

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