第12話 飼い犬/3


 それから数日。少女オルハは自分の使役する力、地獄猟犬ヘルハウンドのクロと共に、ときにキャッチボールをし、ときにブラッシングをし、またあるときは自由に散歩をしたりと、“躾け”の時間を過ごした。

 それによって、少女と犬の間には、確かな信頼の関係が築かれつつあった。


「はぁーっ、つかれた……シルバ、ちょっと休憩してもいい?」


『ああ、いいとも』


 木陰に入り、木の根元に腰を下ろし、幹に背を預けて座り込むと、少女はすぐに寝息を立て始めてしまった。よほど疲れていたのだろうか。

 少女が眠ったのを確認したクロは、起さないようにするりとその場を離れ、シルバの足元に座した。


『どうだ? 上手くやれているか』


 その頭を、淡く発光する手で撫でつけながら、シルバは犬に語りかける。否、犬は影となって形を変え、シルバの掌の上で小さな姿になって、注がれる光を受けていた。


『シルバ様よぉ、あいつの体力はどうなってやがるんだ? まるで疲れというものを知らないみたいだぜ……』


 少女との“戯れ”によって失われた魔力を、シルバに供給されながら、魔犬は掌の上でころころと転がる。


『フ……主はまだ若いからな。それだけ体力もあれば、快復も早いのさ。お前はよくやっているよ、主の魔力を喰うのを堪えているのだろ?』


『だってよぉ、オレと遊ぶときでさえ魔力を使うんだぜ? そこからさらに喰っちまったら、それこそまたブッ倒れちまうしよぉ』


『そうなれば、また私からきつい“仕置き”がある――と、主に言われているからな。フフ、難儀なものだね?』


『まったくだぜ……』


 二人と一匹がひと時の安寧を享受していると、学び舎の向こうから歩いてくる影がひとつ。


「あら。ごきげんよう、オルハの召喚者ソーサラー


 灼熱蜥蜴サラマンデルを連れてやってきたのは、先日オルハと〈決闘〉をした相手、魔導士の少女レーアンであった。


『やぁ、少女よ。君も散歩の途中かな?』


「そんなところよ。あなたたちはこんなところで何をしていたのかしら?」


 レーアンは木陰で眠る少女オルハのほうをちらりと見る。レーアンは別段声を低く抑えるなどの配慮はしていなかったが、オルハは目を覚ましそうにない。


「……また魔力の使いすぎで倒れでもしたの?」


『フ……いいや、今はただの休憩時間だ。しばらくすれば目を覚ますだろう』


「ふぅん、そう」


 レーアンはそれきり、腰に手を当てて黙ってしまう。その視線はシルバへと向けられているが、シルバはしばらく気付かない振りをして、手の上の影を玩んだ。

 森を駆ける午後の風が、静かに木々をさざめかせる頃、シルバは漸くレーアンのほうを向いた。


『おや、まだ何か?』


「え? ……ああ、そうね、うん――ぼうっとしていたわ」


 レーアンはそこで漸く、シルバの手の上にある影に気が付く。


「それは何かしら?」


『これか? ふむ、そうだな……』


 シルバは顎に手を当て、何事かを考え、木陰に眠る少女と、横に立つ少女とを交互に見た。

 それから愉しげに口元を歪ませると、手の中の影をレーアンのほうへと放った。


『受け取りたまえ』


「……?」


 それを両手で掬うようにして受け取る。レーアンは、己の手の内に転がり込んできた黒い球状のものを、訝しげに見つめる。と、


『――ワン!』

「犬……!?」


 くるん、と身を回して、レーアンの掌の上に黒い小犬が現れた。少女は反射的に背を反らし近づけていた顔を遠のける。


『――


 シルバが小さく呟くと、小さな黒犬は今一度吠え、その身を影へと転じていった。


「な、なななな何ですの!? ――ひっ!?」


 少女の手の上で渦巻いていた影は、するりと少女の腕を伝い、服の裾の中へと身を滑り込ませた。



    †


「ん……くぁ――ぁふ……」


 少女オルハが大きな欠伸と共に眠りから覚めると、日は既に午後に大きく傾いていた。

 寝惚けた目を擦って周囲を観察すると、自分の覚醒を待っていたように、が覆い被さってきた。


「わっ! ちょっ、なに……クロっ!?」


『ワン!』


 低い声で鳴くそれはまさに少女の使役する地獄猟犬ヘルハウンドクロだ。クロは少女の頬に顔を寄せ、頸元から頬に掛けてをざりざりとした舌で舐めていた。


「あはは、くすぐったいよ! わっぷ!?」


 最後に大きく一舐めすると、満足したのか、クロは少女から離れる。


「はぁ……にしても、どうしたの急にそんな大きくなっちゃって?」


 木の根元に座る自分の目線よりも随分高い位置となった犬の顔を見上げるようにして、少女は驚きに目を丸くする。

 それから、クロの背のほうに視線をやると、そこに思いがけないものを見つけて声を上げた。


「――レーアン!?」


 そこには、少女レーアンがうつ伏せに倒れていたのだった。


「ちょ……シルバ! 何があったの? っていうか、何したの!」


 立ち上がり、レーアンのほうへと早足で歩み寄りながら、オルハは眉を立てた顔を己の召喚者へと向ける。


『私は何も。ただ、その少女がウチの駄犬とだけさ』


 オルハはレーアンを抱き起こし、うつ伏せから仰向けへと体勢を変える。レーアンは目を閉じ、眉根を詰めた苦悶の表情だ。


「レーアン、しっかりして!」


「ぅ……んん……そこは、やぁ……ッ!」


 苦悶に歪む少女は、頬を朱に染めて身を捩る。


「レーアン! レーアン、起きて! レーアン!」


「んん……はっ!?」


 オルハの呼びかけに、少女レーアンは漸く目をカッと見開いて覚醒する。それからオルハの顔を数秒見つめた後、顔全体を上気させて慌てた様子で身を起した。


「だ、大丈夫? レーアン、怪我とか……」


「だ、だだだ大丈夫ですわっ!」


 己の身を見回し、何も異常がないことを確認して、少女レーアンは漸く一息を吐いた。それからオルハに右手人差し指を突きつけると、目尻に浮いた涙を振り払って言った。


「いいこと!? これで二度もあなたに敗北してしまいましたけれど、この屈辱はいつか倍にして返してやりますからね! 覚えておきなさいっ!」


「えぇっ!? ボク何もしてないよ!? してないよね!?」


 ねっ!? と同意を求められた黒犬は、一瞬「えっ!?」という顔をした後、『ワン!』と一つ吠えた。


「ヒッ……! い、いいい、犬……!」


 少女レーアンは黒い犬の姿に大いに狼狽し、一歩二歩と後退していく。それから勢いよく踵を返し、駆け出しながら叫んだ。


「覚えてなさいよぉぉぉぉぉ―――!!」


 よぉぉぉ……という叫びの余韻が響き渡る中、事態が飲み込めない少女オルハはえぇぇぇ……と声を漏らし、魔王シルバは大層愉しげに笑い、地獄猟犬はワン!と吠えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る