第11話 飼い犬/2


 夜。少女オルハの体力・魔力の快復を待ち、シルバは少女を伴って黒き森の縁にいた。


「――クロっ!」


 少女が両手を差し出して名を呼ぶと、その腕を伝って影が落ち、足元に渦巻いて形を成す。ふかふかとした毛並みを持った、漆黒の犬だ。


『アオ―――ン!!』


 両前足を踏ん張って首を反らし、天に向かって高く吠える。が、


『うるさいぞ』

『ハイっ、すいまっせんしたぁ……!』


 シルバにお叱りを受け、その身を竦めて縮こまってしまう。

 少女はそんな主従を見て乾いた笑いを漏らす。

 

「はは……それで、シルバ。ここで何をするの?」


『躾けだ。君にはこの駄犬の使い方を覚えてもらう』


「使い方って……」


 まるで物に対する扱いのようで、少女は少し心が痛む。


『言い方が気に入らないなら、主のいいように言い換えてくれて構わんが』


「うーん……まぁ、それは置いておいて。具体的にはどうするの?」


『うむ。ひとまず“出し入れ”だが、主はもう出来るようだな。

 ならば次だ。駄犬それを己の力として、意のままに振るうことを憶えよう』


「……というと?」


『ふむ。まぁ、最初はこの辺りからか』


 言うと、シルバはその手の内に小さな光の球を作り出す。

 それを少女に与えながら、シルバは指を立てて言う。


『犬の躾けに重要なのは、誰が主人かをはっきりとさせることだ。

 そして、主人の言うことは何事も忠実に遂行しなければならないことを教え込む。

 君がこれを放り投げ、「取って来い」と言えば取ってくるように』


「ふーん……」


 少女は光の球を受け取り、それから横に座る犬にその球を示し、


「いい、クロ? 今からこれを投げるから、探して取ってきてね」


『ワン!』


「よーし、いっくよー……!」


 少女が上半身を捻り力を溜めて、球を放り投げる。


「それッ!」


 オルハ的には、軽い力で投げたつもりだった。

 しかし、光の球はドシュッ!と風を切る音を残して、凄まじい勢いで飛んでいってしまう。


「あ、あれ……っ!?」


『――何をしている駄犬。早く追い駆けないと見失ってしまうぞ?』


『わ、ワフッ!!』


 少女とともに球の行く末を見つめていた犬が、シルバの命を受けて一目散に駆けていく。


「えっ、だ、大丈夫なの? 森の中まで飛んでいったと思うけど……」


『さぁ? もしかしたら帰ってこないかもな。ククク……』


 そんな無責任な……と少女は呆気に取られる。

 それからしばらくして、入っていったところとは違う森の陰から、黒き犬が光る球を咥え、影を引き連れてずるりと這い出てきた。


『ぜひゅー、へふゅー……わ、わふ……』


 息を切らせてぐったりと横たわる犬の口から光の球を受け取り、少女は苦く笑う。


「あ、はは……ごめんね? あんなに飛ぶとは思ってなくて……」


『ぐ、ぐふ……』


 少女が黒犬の頭に触れると、犬は影となって少女の腕に吸い付く。


「え、ちょっと――グっ!?」


 影は少女の身体をぐるりと廻って再び腕先から飛び出してくる。


『――ワン!』


「ち、ちょっ……なにしたの、いま……?」


 飛び出してきた犬は、元気に尾を振り次の指示を待っている。少女オルハは、対照的に膝に手を付き、汗だくになって肩で息をしていた。


『フ……駄犬が受けた“疲労”を主にのだ。昼間、魔導士の少女と〈決闘〉をしたときも、それが喰らった“火炎”を主に渡したろう?』


「そ、それ……それも、クロの力なの……?」


『然様。地獄猟犬ヘルハウンドは“虚無”の魔素的存在だ。それは“なんの魔素も持たない”代わりに、“他の魔素を喰らい、別のものに転嫁する”力がある』


「そ、そう、なんだ……ふぅ」


 少女は漸く息を整え、額に浮いた汗を拭う。それからパッと笑顔を咲かせて、


「じゃ、もう一回ね!」

『エェッ!?』


 犬が驚愕に声を上げるが、少女はぽかんとしている。


「どうしたの? あ、大丈夫だよ、次はもっと軽くやるから」


『イヤ、そうじゃなくて……マァいいか。よっしゃこぉい!』


 犬は後ろ足を器用に使って自分の頭を掻くと、くるりと回って駆ける体勢を取った。

 シルバはその様子を愉快そうに眺めている。


「よぉーし……! いっくよー!」


 再び振りかぶって軽く投げるオルハ。しかし今度は握りが軽すぎたせいで、途中ですっぽ抜けてしまった。


「あっ!?」


 ポォン!と高い音を立てて、球は直上へと空気を切って駆け上っていく。少女は消え行く球を見てえぇぇぇ……と声を漏らす。

 その少女の肩に、トン、と足を付く黒犬。


「えっ」

『ヒャッ――ハァァァァァァ!!!』


 ドヒュッ、と風を切る音を残して、影と化した犬が光の球を追って天空へと駆け昇っていく。


『ほう……』


 その影を目で追うシルバ。同じように見上げるが、夜闇に紛れてしまって見極められない少女オルハ。しばらくして、少女の足元にサク、と草を踏む音を立てて、影を引き連れた犬が光る球を咥えて降り立つ。


『ワフっ!』


「おぉぅ……すごいね、クロ!」


『デェヘヘヘヘ……』


 少女に褒められ、だらしなく笑う黒犬。それから頭を撫でる少女の手を伝って影を巻く。今度は飛び出してくることなく、その身の内に収まった。


「あれ、もうお終い?」


『これ以上は、せっかく溜めた君の魔力を消費しすぎてしまうからな。それから、次からは別のものでやることだ』


 少女の手から光の球を取り上げ、光の粒に戻して己の手に握り締める。


「……もしかして、何か細工してた?」


『うん? ……フフ、今気が付いたのか?』


 もーっ!とむくれる少女を、軽くあしらう魔王であった。

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