第5話 魔導士見習/3



 朝食を終え、空腹を満たしたオルハたちは、始業の準備のため一度自室へと戻ってきた。


『本日の予定は如何様だ? 主よ』


 部屋の中央奥、ベッドと木机に挟まれた空間に豪奢な装丁を施した椅子を置き、その上で優雅に足を組んで座るシルバに対し、狭い部屋の中を縦横に忙しなく動き回りながら、オルハは答える。


「昨夜言ったと思うけど、今日は魔導士として本当にやっていく力があるのか、それを確かめるための最終試練があるの。そこでボクたち魔導士の卵は、自分が呼び出した召喚者ソーサラーを己の魔導人生の伴侶として、正式に迎え入れる儀式を行うことになってるんだけど――あぁっ、しまったぁ……!」


 オルハはそこで、力なくへたり込んだ。


『……どうした?』


「いや、これ――」


 少女が差し出す手の上には、ぼろぼろに焼け焦げた皮の手袋が。


「あなたを呼び出したときに、陣が過剰駆動して焼き切れてしまったんだわ……」


『ふむ……そんなに大事なものなのかね?』


 少女の手から襤褸を取り上げ、しげしげと眺める。少女は嘆息すると、


「それはこの学び舎で魔導を学ぶものに提供される魔具アイテムのひとつ。学徒として必要な最低限のことは、それを通して行えるように出来てるの。これから行う式にも必要なものなのに……」


『替えなどはないのか?』


「ない。購買に行けば新しいのを貰えると思うけど、購買が開くのは昼からなの……その頃には儀式の開催時間も終わっちゃう」


『儀式を延期することはできないのか?』


「だめ。もう目一杯延期してもらってるの。おじいちゃんも、他の者に示しがつかないから、これが最後だって……」


『ふぅむ……これを“直す”しかないか』


 魔王はぼろぼろの皮手袋をそれぞれ左右の手に乗せ、肘掛にゆるりと両腕を伸ばし置いた。


「……直せるの?」


『フ……まぁ、見ていたまえ』


 魔王が何事かを唱えると、その両の手に淡い紫の光が立ち上り、皮手袋を包み込んでいった。そして光が収束すると、そこには新品のようにピカピカな皮の手袋が、一揃え出来上がっている。


「すごい……! どうやったの!?」


物質マテリアル魔素ファクターに還元し、魔素を物質に還元し直した。〈変身モーフィング〉の応用だな。これで形を取り繕うことは簡単にできる』


「いや、無理だよ……」


 そもそも、己の姿形を変えることすら、オルハには出来ようはずもない。新しくなった皮手袋をシルバから受け取り、両の手に嵌める。


「サイズもピッタリ! ん? これは……」


 新調された皮手袋の、手首に当たる部分に、小さな輝石が填め込まれている。


「シルバ、これは?」


『それはその手袋の全体を覆っていた〈焦熱〉の魔素を封じ込めた魔石だ。放り出してもよかったが、それではこの“部屋全体”が焼け焦げることになるだろうと思ったのでな、そのような形に纏めておいた』


「そ、そうなんだ、すごいね……」


 手袋どころか危うく自室を焼く恐れもあったと聞かされ、オルハは笑みを歪にする。


『他に用意するものは?』


「あ、そうだった……!」


 少女は揚々立ち上がり、木机の上に置かれている紙片を手に取る。それは魔書の一片で、少女と魔王の間で主従の契約が取り交わされた“証文”である。


「ねぇ、このボクの名前の下に書いてあるのって、あなたの名前でしょ? 何て読むの?」


 “証文”をシルバに見せ、疑問する。


『ふむ。……――――、と書いてあるようだね』


「え? ごめん、聞き取れなかった。もう一度言ってくれる?」


『だから、――――、だ』


 魔王の口が動いているのは見える。見えるが、音が聴覚の手前で

 理解ができない。

 少女のそんな様子を察したのか、魔王は苦笑を浮かべる。


『聞こえないか? それはおそらくだからだろう。精霊や万物霊が言っていることを理解できないのと同じことだ』


。精霊や万物霊とは、魔素を通せば疎通できるもの。でも、あなたのそれはができるものでもない」


『ふむ……? まぁ、普通の精霊の類とは違う存在だからね、私は。こちらのから外れてしまうのは当然と言えよう』


 こちらの世界の基準ルールから外れた存在、魔王。そんな大それたものを呼び出してしまった厄介さと後悔を、少女はじわじわと感じ始めていた。


「うーん……お互いの名を正しく認め合えなければ、契約の受理はされないはずなんだけどなぁ……」


 うんうん唸る少女の手から、魔王は紙片を引き取る。


『ではこうしよう』


 そしてどこからか取り出したペンで、己の名を記した箇所に上から文字を連ねる。

 シルバ、と。


『これなら文句はあるまい?』


「あーっ! ち、ちょっと、勝手なことしないでよ! 大事なものなのよ!?」


 魔王の手から紙片を奪い返し、慌てて書面を見るが、上書きされた名前は消すこともできない。


「だ、大丈夫なのかなぁ、こんなことして……」


『安心したまえ、主よ。もしその名で儀礼が交わせぬのであれば、そのときはその場で私が訂正をする。なに、我が魔界の言語はこちらでは通じんのだから、気付く者などおるまい』


 本当に大丈夫なんだろうか……。

 少女は、目の前で愉快そうに笑う魔王に、どうやったらこの不安を伝えられるか、途方に暮れるしかなかった。

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