第4話 魔導士見習/2



 オルハたちが食堂に踏み入れると、様々な香りが鼻腔をくすぐる。

 食堂全体を包むように、芳醇な木の匂いがある。木造ということも然ることながら、開かれた窓の外から、集落を覆う森林の深緑が朝の冷ややかな風とともに吹き抜けているのだ。

 さらには、朝食として提供されるパンの焼ける香ばしい匂いや、肉や魚、野菜に卵といった、様々な食事の香りが広い食堂に充満していた。


「う~ん、いい匂い」


 既に食堂内にごった返す大勢の学徒たちに追随する形で、朝食を受け取るためのカウンターへの列の最後尾に並ぶ。


『あぁ、確かにいい匂いだ。では嗅ぐ機会もなかったから新鮮だね』


 少女オルハの一歩後ろに続くように、シルバが腕を組んで付き従う。


『しかし、いいのか主よ。私のような者がこれに混じっても』


「心配しなくても大丈夫よ。今朝も言ったでしょ、召喚主マスター召喚者ソーサラーの身を常に案じるものなの。召喚者の中には、あなたのように食事を必要とするものは多いわ。そうでなくとも、こっちの世界に留まり続けるには“代価”がいるんだもの。それを“食事”で賄う召喚主もいるし、魔導士以外の存在が居ても誰も疑問に思う人はいないわ」


『そうかね?』


「そうよ。まぁ、あなたのようなちゃんとした人型の存在は珍しいかもしれないけど……でも、いないわけではないのよ。ほら――」


 オルハは、既に食堂の奥のテーブルで食事をとっている一団を指し示す。そこでは、オルハと似た格好をした少女たち数人と、異形のモノたちが同席していた。


『あれは?』


「この学び舎の同志、と言うべきかしら。彼女たちもボクと同じ、魔導士の卵だよ」


『なるほど、召喚者を従えた召喚士たち……主のライバルというわけだ』


「別に、そんなんじゃないわ。彼女たちは先達……ボクよりも年上で、すでに魔導士としての資格を得ている方たちよ。ライバルだなんて、畏れ多いわ」


『フフ、主は礼儀を心得ているようだ』


「ボクを何だと思ってるの、もう……」


 そうこう話している間に、列は進みもうすぐカウンターに辿り着く。


「シルバ、何にする?」


『ふむ……』


 カウンター上には「本日の朝食」と題字されたメニュー表がある。各種肉や魚などの料理をメインにしたもの、それらの脂物を外した菜食者用のものなど、五つほどが用意されているようだ。


赤の酒ワインはないのかね?』


「あのね……ここは学び舎なのよ? あるわけないでしょ」


『それは残念だ……では、この羊肉マトンを使ったメニューで』


「B定ね。ボクは……E定かな」


 それぞれ「B」「E」と書かれた札を取り、カウンターで各々プレートに載ったメニューを受け取り、食堂の端の空いているテーブルを見つけてそこに収まる。


『あれが黒き森ゲルムントか』


 窓に背を向けて座ったオルハの正面、主人に追随して席に着くシルバが、主越しに窓の外へ目を向ける。


「そう。黒き森は“迷いの森”や“闇の森”とも呼ばれるところよ。この学び舎を囲むように群生している……というより、この学び舎が緑深い森の中にポツンと存在する感じね。

 足を踏み入れたら最後、二度と元の場所に帰ることはできないと言われているわ」


『なるほど、自然の防護というわけだ。興味深いね』


 二人が食事を開始する頃、先に食事を済ませた連中が食堂から出て行く流れが少しずつ生まれ始める。

 オルハはふと視線を感じ、その流れを視界に入れる。それに気付いたのか、流れの中でこちらを見ていた三人の少女たちが、流れを外れこちらにやってきた。


、オルハさん」


 三人の中心に立つ少女が、険のある声音を発する。オルハは食事の手を止めることなく、少女たちと挨拶を交わす。


「ごきげんよう。レーアン、フィルマ、シービィ」


「あら、のね。嬉しいわ」


 中心に立つ少女レーアンは、その艶やかな長い髪をパサリと振り払いながら、横柄な態度を崩さない。相手の視線が高いことも相俟って、オルハは見下ろされていることを感じていた。


「そうだよぉ。今朝会ったときは「?」とかって言われて、すっごい傷ついたんだからね!」


 レーアンの左に立つ少女フィルマが、二つに結った髪を跳ねさせながら唇を尖らせる。

 最後の一人シービィは、そんなやり取りをただ黙って眺めている。


「それはごめんなさい。ボク、朝弱くて。ぼーっとしちゃってたのよ」


 オルハはそんな少女たちの顔を見ることなく、目の前の食事を平らげることに集中している。

 そんなオルハの態度が気に入らないのか、レーアンは腰に手を当てさらに言葉を紡ごうとした。が、


「お前たち、何をしている」


 少女たちの背後から新たな声が響く。シルバと同じ羊肉のプレートを両手に、白い髭を蓄えた老齢の紳士が厳しい表情で歩み寄ってくる。


「レーアン、君たちはもう食事を済ませたのだろ? 食事を済ませたものは次に食事を取るもののため、場を空けるのが此処の礼儀だ。忘れたか?」


 レーアンは紳士のほうを振り向くと、苦い顔をさらに苦くする。


「……行こ、レーアン」


 フィルマはそんな紳士に対し、レーアンの背に隠れるようにして、その腕を引きこの場を離れることを促す。レーアンはフンと鼻をひとつ鳴らすと、フィルマを伴って食堂の出口へと向かう。


「――シービィ!」


 途中で立ち止まり、振り向くことなく名を呼ぶと、それまでぼーっとしていた少女シービィはハッと顔を上げ、キョロキョロと周囲を見回して紳士の姿に気付くと、慌てた様子で頭を下げた。


「が、学長先生! おはようございますっ!」


 突然挨拶をされた紳士は、驚いた様子で下げられた少女の頭部を見つめた。


「シービィ!」


 再びレーアンの呼びかけが響くと、シービィはハッと身を正し、もう一度紳士に頭を下げて、レーアンたちに合流する。

 食堂を後にする少女たちの背を見送り、紳士はオルハのほうに向き直ると、それまでとは一転、にかっと笑顔を見せて、空いた席を探して食堂の奥へと歩いていった。

 オルハは紳士に手を振り、その背を見送る。

 静かにやり取りを聴いていたシルバが、ここでようやく口を開いた。


『あの紳士は?』


「この学び舎の長、ドーリヤン先生。……ボクのおじいちゃんだよ」


『ほう、彼が……』


 紳士のほうへ視線を向けるシルバの足を、テーブルの下でオルハは蹴りつける。


「それより……、あなたは」


 レーアンたちがこちらへ歩み寄るその瞬間から、シルバは〈影〉となって彼女たちの知覚から外れていた。つまり、彼女たちにはシルバの姿が見えていなかったのだ。だから、話題に上ることもなかったし、老ドーリヤンも気が付くことはなかった。


『おやおや、乱暴だね』


 パンをちぎり、プレートに残るソースにつけながら、シルバは愉しそうに笑う。

 そんな魔王を半目で見据えながら、少女は内容を全て平らげたプレートにフォークを叩きつけるように置いた。


「まったくもう……」


 ため息とともにぼやく少女に、魔王は一層笑みを深くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る