第2話 魔界召喚・次



「……まおう?」


 まおう。魔王。魔族の中でも最高位に座する存在。

 この辺境の小さな村における禁じられた書物にも、それと匂わせる存在の記述があるほどに、それは遥かに強大で絶大なる存在。

 本来ならば、あのような略式且つ歪な召喚では呼び出すことなど到底叶わない絶対者。いや、或いは歪だったからこそ、のか。


『この文献にも載っているな。……尤も、これが記されたのは数百年も前。私の先代の、さらに先代の王のことになるか』


 黒く焼け焦げた本をぱらぱらと捲り、その内容に目を通していく魔王。

 その表情は至って静かで、とても内容に興味を持っているようには見えない。


「はぁ……」


 そんな凄い存在を呼び出したというのに、少女は未だ現実を飲み込めずにいた。


『君は、名は何と言う?』


 本から目を上げずに、静かな声で問う。


「あ、えと……ボク、オルハ」


『そうか……ではオルハ。これからいくつか君に質問をする。その全てに正直に答えてほしい』


「は、はい……」


 パラ、と頁を捲り、文面を指でなぞりながらそれを読み上げるようにして言葉を紡いでいく。


『……君のご両親は、今どちらに?』


「それは……分からない」


『分からない?』


 少女オルハは、目を伏せ、握った拳を一層強く握る。まるで何かを堪えるかのように。


「……ボクね、孤児なんだ。だから、ボクにとっての家族は、ボクに禁書の読み方を教えてくれた、おじいちゃんだけだよ」


『そうか……では、次の質問だ。君はこの魔導書を使って何をしようとしていた?』


だよ。……ホントは禁じられてるけど、それでも、ボクは……」


『悪魔を呼び出したかった?』


 少女は静かに頷く。強く握りすぎた拳は僅かに震え、その全身からは底の知れない殺気と憎悪が溢れていた。


『悪魔を呼び出して……? 君はどうするつもりだったんだ?』


「それは……、かな。……ううん、もっと漠然とした何か……こんな世界は亡くなってしまえばいい。そう思ってた。悪魔を呼び出すには、そういう気持ちが大事だって」


……ということかな?』


「ううん、その思いは今もまだ残ってる。でも、今はもっと強い思いがある。……、っていう思いが」


 悪魔を呼び出すことには、結果として失敗してしまっている。それよりも高位の存在を呼び出すことはできたが……。


『なるほど……君が私を呼び出すに至ったは分かった。あとはその儀式が何故、したのかだが……』


……? やっぱり、失敗したんだ、ボク……」


 はぁーあ、と息を吐き、全身に滾っていた力を抜く。撒き散らしていた殺気も憎悪も、同じように霧散していった。


「はぁもう、ホントどうしよう……」


『……オルハ。私を呼び出したは分かった。だが、がまだはっきりしていない。

 ……君は、悪魔を呼び出して、何をするつもりだったんだ?』


「これ、言っちゃっても平気かな……もういいか、どうでも」


 ブツブツと独り言のように呟き、オルハは力ない声で語り出す。


「実はね、ボク魔導士の卵なの。この村は魔導士たちの隠れ里。

 この村に住む魔導士の卵はみんな、16歳になるとその本を渡されて、魔導人生の伴侶となる存在を召喚するの。

 まぁ、普通は精霊とか、万物霊プリズアニマの類なんだけど、ボクはおじいちゃんから、禁じられてる悪魔召喚について聞いてたから……」


『それで、こっそり悪魔を召喚しようとしていたわけか』


「そういうこと。明日ね、ちゃんと召喚できたかどうかの最終チェックなの。

 そこで何も連れてないと、魔導士としての資格は授与されない……この村からも追い出されて、一生黒い森ゲルムントから出られない」


『なるほどな……』


「でも、結局召喚は。魔導士としての資格は与えられず、この村を追い出される……まぁ、ある意味になったわけね。

 やっぱり悪魔召喚なんて選ぶんじゃなかったなぁ……でも、普通の精霊たちの召喚はウンともスンとも言わなかったんだから、やっぱりボクには魔導士としての才能がなかったってことなのかな……」


 最後の方は殆ど愚痴になっていた。魔王はそんなオルハの愚痴を聴いているのかいないのか、パラパラと頁をめくり続けている。


「ねぇ。あなた魔王なんでしょ? それだけの力があるなら自分で元いた世界に戻れるだろうし、この世界に留まる必要もないなら、その魔物たち連れてさっさと――」


『いや、どうもそういうわけにはいかないらしい』


 だんだんと八つ当たり気味になってきた少女の言葉を遮り、魔王はパタリと本を閉じた。


『君の召喚はしている。だから、そんなに悩む必要はない』


「……は? いや、だってあなたが言ったのよ? 召喚はって」


な。元々、この本は悪魔を召喚するための本じゃない。初めから悪魔召喚など無理な話だったんだよ』


「……じ、じゃあなんでなんて言えるの?」


『おや、君は目の前にいる存在が夢か何かだと思っているのかな?』


 数瞬、少女は訝しげな顔をしていたが、あ、と声を上げ、不敬にも魔王を指差して言った。


「も、もしかして、ボクが召喚したのって……!」


『そう、だよ』


 えぇぇぇ……と、無意識に声を漏らしながら、少女は驚愕に目を見開く。


『さらに言えば、この本には召喚主マスター召喚者ソーサラーを縛る契約が自動書記されている。

 まぁ、平たく言うと、私がこちらに召喚された時点で君との間に契約が結ばれ、君の許しなく戻る事が出来ない、ということだ』


 契約の了を認められたその頁を本から抜き取り、少女オルハへと差し出しながら、魔王は言う。

 オルハは茫然となりながらも、その頁を受け取り、確かにそこに、己の名が記されていることを確認した。その下にも何事か書かれているようだが、まったく判然としなかった。


「そ、そんな……そんなことって……」


『まぁ、こんなこともあるさ』


「いや、こんなことって……っていうか、なんであなたはそんなに落ち着いているのかしら。むしろあなたの方が慌てないといけないんじゃないの?」


『ふむ……確かにそれは一理あるな。だが、今更慌てても意味はあるまい。

 現に私はこうしてこちらに来てしまった。こうして契約も交わされてしまっている。

 どんなに私が慌てても、君が「帰っていい」と言うまで、私は帰れない』


「じ、じゃあ好きに帰れば――」


 いいじゃない、と言いかけた少女の唇を、魔王の細い指が遮る。


『まぁ事はそう急くものじゃない。私にとっても今回の件は

 もし君が許してくれるなら、私は君の召喚者ソーサラーとして従ってもいい』


「え……で、でも、それじゃあは……」


『君も魔導士の卵なら知っているだろうが……私達魔族と君たち人間とでは流れる時間が違う。

 君のは、私にとっての……気にすることはない』


 いつの間にやら、魔王の顔にはこの状況を楽しんでいるかのような笑みが張り付いていた。


「そ、そうかしら……まぁ、あなたがそう言うなら、そういうことにしといてもいいけど……」


『理解が早くて助かるね』


「んー……でも、ボクとあなたはそれでいいかもしれないけど、他の人たちに知れたらまずいんじゃないかしら。

 ただの悪魔召喚でさえ禁じられているのだし、あなたが魔王だと知れたらどちらにせよボクは村を追われることになるんじゃない?」


『ふむ、そうかもしれないな……では、闇の精霊ダークマターということにしてはどうかな?

 何、心配はいらない。精霊たちから見れば特異な存在に見えるかもしれんが、同じ魔族でない限り私が魔王だということは分かるまい』


「そ、そう? ホントに大丈夫なの?」


『フフ……いざとなったら、私が力ずくでも黙らせよう。……主がそう望むのなら』


 一瞬、その表情に禍々しさを滲ませ、魔王はどこか影のある笑みを浮かべる。

 そんな様子にゾっと背筋を凍らせながら、オルハは目の前の存在が確実にこの状況を楽しんでいることを確信するのだった。


「……分かったわ、じゃあそういうことにしておきましょう、まおう。

 ん、でも人前で魔王って呼ぶのはまずいかな……あなた、名前はなんて言うの?」


『私の名か? ……さぁな』


「さぁな、って……」


『向こうでは"魔王"としか呼ばれなかったのでな。名を名乗ることも長らくしていないから忘れてしまった。ははは』


 はははじゃないし……、と呆れながら、オルハは目の前の存在が本当に魔王なのかどうかを疑い始めていた。


「何か呼び名を決めたほうがいいか……あなたはなんて呼ばれたい?」


『そうさな……君が呼びたいように呼んでくれていい。私もそれに合わせよう』


「そう? じゃあ……シルバ、なんてどうかな?」


『シルバ?』


「そ。あなたの髪、綺麗な銀色をしているから」


『シルバ、か……いいだろう、気に入った』


 シルバ、シルバ……と繰り返す様子は、まるで子供のようだとオルハは苦笑を覚えた。どうやらお気に召してくれたらしい。


「あ、そうだ。ボクからもひとつ訊きたいことがあるのだけど」


『なんだ? 主よ』


「あなた……男? 女?」

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