「王」から学ぶ魔界術

黎夜

ゲルムント

第1話 魔界召喚・始

「これが……こうで、こっちは……こう、と。

 で、ここに図形を……あっ、歪んじゃった……! ……ま、まぁ少しくらい大丈夫だよ、ね……?

 後は中央に供物……お供え物かぁ、うーんと……これで平気かなぁ……」


 深夜。

 月光も星明かりもない曇天の下、脇に広げた分厚く古ぼけた大ぶりの本と、その横に自ら描いた図柄を何度も見比べながら最終調整を行う影がひとつ。


「よし、と。これでいいかな……うーん、上手くいく自信が全くない……」


 開いていた分厚い本をズドォッ!と閉じ、影は肩を落として溜め息ひとつ。


「……でも、もう後戻りはできない。ここまで準備したんだから……」


 両手で重そうに抱えた本を図柄――魔法陣に叩きつけるようにして置き、その裏表紙に描かれた円陣に両手を重ねる。


「小さな火の玉ひとつだっていい。何でもいいから呼び出すんだ……!

 それでボクに力があるってことが証明されるんだから……!」


 呪文、というよりは呪詛を吐き散らし、一心不乱に願い祈る。


「異界の住人よ、我が呼びかけに応え、その姿を我が前に現したまえ――!」


 魔法陣に紫光が走り、本へと収束していく。

 妖しく輝く円陣が革の手袋を焼き、本の中に棲む者が押し拡げようとするのを全体重を掛けて抑え込む。

 陣を中心に風が起き、始めは微風だったそれは直ぐに暴風へと変わった。

 周囲の木々がざわめき、曇天からは局地的な雷光が瞬く。


「くっ――!!」


 光が、風が、音が、ひと際強くなった一瞬の後、それらは何事もなかったかのように消え失せていた。


「……ッ、はっ、はっ、はぁ……っ」


 息を荒げ、焼け焦げた自らの両手を見つめる。陣は擦り切れ、本は黒く焼け焦げて黒煙を上げていた。


「……やっぱり、失敗……?」


 ――絶望と焦燥が、空虚となった心を埋め尽くす。


「手応えあったんだけどなぁ……今回はイケる!って、そう思ったのに……」


 震える声で呟きながら、顔を手で覆う。透明な雫が手指の隙間から毀れ弾けた。


「はぁぁぁ……どうしよう。書庫から禁書を盗み出したのバレたら今度こそ追い出されちゃうよ……」


 覆っていた手を力なく下げ、天を仰いだ少女はそこで思いがけないものを目にする。


「……は?」


 そこには、豪奢な椅子に腰かけ、膝を組み、肘掛に肘を置き、拳で頬を支え、気だるげな表情でこちらを睨め下ろす異形のモノが、紫に輝く月弧を背後に、音もなく浮いていた。

 それはこちらが気づいたのを知ると、深々と溜め息を吐き、すらりと長い脚を組みかえ、口を開いた。


『私を喚んだのは君か?』


 それは、見た目にそぐわぬ……いや、見た目通りの凛とした透き通るような静かな声で、視点をズラすことなく尋ねた。


「……………………はい?」


 まだ現実を飲み込めていないのか、大きな瞳をさらに大きく見開き、笑顔のような泣き顔のような、妙に引きつった顔を傾げて曖昧に答える。

 そんな召喚主の様子に、それは細く深く息をつき、ゆっくりと地上に降り立ち、豪奢な椅子の上で姿勢を正して改めて問うた。


『今一度訊く。私を喚んだのは君ではないのか?』


 その表情や声色は静かなものだったが、存在自体が放つ威圧で、少女は我を取り戻し、がくがくと声もなく頷いた。


『そうか……しかし、よくもまぁこんな杜撰な儀式で私を喚べたものだ。

 これは何だ? 魔導書の類のようだが……どう見ても魔界の門を開くためのものじゃない。

 描いてある図柄も同様、ひどいものだ……私が顕れたのはまさに奇跡と言えよう』


「あ、あの……不躾な質問で恐縮なんですが、あなたは一体……?」


 椅子から立ち、ゆっくりと近づきながら、落ちていた魔導書だったものを軽く持ち上げ、パラパラと捲るそれに、僅かに震える足で立ち上がりながら恐る恐る尋ねた。


『何……? まさか貴様、私が誰かも分からないで喚び出したのか……?』


「は、はぁ……すすすいません、無学なもので……」


 ぎろり、と睨まれ、少女は肩をすくめて後ずさる。今にも泣き出しそうな声と表情に、それはただ溜め息だけを吐いた。


『……まぁ、無理もないだろうな。こんなものしかない世界だ。私のことを知らなくても当然、か……』


 黒く焦げた魔導書を適当に捲り、頁の間に人差し指を当て、何事かを呟く。


『お前たちもこんなところに閉じ込められていては窮屈だろう……? 出てきていいぞ』


 指を放し、本を無造作に放る。

 すると、先ほどのように風が吹き荒れ、頁がバラバラと捲られていく。その頁の一枚一枚から、黒く光る墨汁の塊のようなものが下卑た嗤いを上げながら次々と飛び出して行った。


「ひゃっ!?」


 引きつった声を上げて後ろに二歩三歩と下がり、勢いのまま尻もちをつく。

 バラバラと捲れていた本がようやく最後の一枚まで捲り終わり、無数の黒い塊が異形のモノの周囲を飛び交いながら、喝采を挙げる。


『自由だぁぁぁ!!』『いやっほぉぉぉ!!』『やっぱ外はサイコーだぜぇぇぇ!!』


 ウォオオオ!!、と地響きのような大喝采で、数百年ぶりの娑婆の空気を堪能する。


『ふふ……喜んでもらえたようで何よりだ』


『あぁぁぁだがなぁぁぁんか物足りねぇぇぇ!!』『力だぁぁぁ……力が欲しいぃぃぃ……!!』


 黒い塊たちはその動きをピタリと止めると、ぐるり、と言った感じで腰を抜かしている哀れな子羊に狙いを定めた。


『あいつだぁぁぁ!!』『力を寄越せぇぇぇ……!!』『ヒャッハァァァ!!』


「えっ……!?」


 弾かれるように少女の元へと殺到する黒い塊たち。咄嗟の事で反応が遅れた少女は、ただただ眼を見開くばかり。と、


『――


 異形のモノの一声で、黒い塊たちは再びピタと動きを止める。それからまたぐるり、といった感じで一斉に異形のモノを見た。


『どういう経緯であれ、それは私の召喚主マスターだ。危害を加えるというのなら、貴様らの毒牙が届く前に、私の炎が貴様らを焼き尽くすだろう』


『……でもよぉ』『俺ら腹ペコなんだよぉぉ』『ぺっこぺこなんだよぉぉぉ!!』


 グチグチ言いだした黒い塊たちに、それは何度目か分からない溜め息をひとつ吐き、苦笑を湛えて言った。


『仕様がないな……私の力を少し分けてやろう。私の駒として従うのだな』


 差しのべた手先から淡い光が浮遊し、ゆっくりと黒い塊を包みこんだ。


『おぉぉぉ……!!』『力が溢れるぅぅぅ……!!』『きたきたきたぁぁぁぁ!!』


 再びウォオオオ!!、と唸りを上げ、黒い塊たちは其々本来の姿を取り戻していく。

 それは丸い体に蝙蝠のような翼を持った下級の悪魔たちや、青い火の玉や、黒い影の体をした小さい狼などであった。


『おやおや、これはまた可愛らしい魔物たちだ』


 姿を取り戻した魔物たちに囲まれて、異形のモノは改めて召喚主たる少女に相対する。


『さて、と……改めて自己紹介といこうか。私は……"魔王"だ。向こうの世界ではそう呼ばれていた』

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