未来へ(4)

「びっくりだろ? 俺も乗るまで信じられなかったんだけど、これ本物」

 同僚の桐野が銀色の丸い物体を触りながら言う。

「乗るまでって……お前、乗ったのか?」

 田坂は驚いて桐野に聞いた。

「ああ、第一号さ。昨日に行って来た。ホント昨日だった。自分に見つからないようにこっそり見てきたんだけど、なんか変な感じでさ」

 桐野は興奮冷めやらぬといった感じで、早口で感想を並べた。

「ほん……もの? まさか」

「いや、そのまさかなんだ」

 東野が楽しそうに口を挟む。

「課長……」

「うちの取引先の砂田商事。お前も知ってるだろ? あそこがこれを開発したんだ。まだ試作品なんだけど、いろんなサンプルが欲しいってことで、うちに持ってきたんだ。発表前だから、技術を盗まれる心配の無いここにしたんだろう」

 まだ極秘な、と東野は釘を刺した。

 にわかには信じ難い話だったが、東野は嘘を吐くようなタイプではないし、桐野の様子も演技ではないだろう。となると、これは本物の――

「タイムマシン……」

 思わず口を吐いて出た言葉に、課長は素早く反応した。

「そうだ、タイムマシン。お前、乗ってみないか?」

「俺……ですか?」

「ああ。桐野君は昨日へ飛んでみた。二十分くらいだったか?」

 桐野は頷いた。

「田坂君は? 行って見たい過去か未来はないか?」

 東野は手元の冊子を見ながら田坂に聞いた。

「俺は……そうですね、過去より未来かなぁ」

 一瞬、田坂の頭の中にあの駄菓子屋店主の顔が浮かんだ。

「未来……な。未来、未来っと」

 東野は取扱説明書を開き、未来の項目を調べ始めた。

「課長。俺、昨日言ってた駄菓子屋に行ってきたんですが、やっぱ駄目でした。で、その店のご主人とちょっと話して、過去に戻りたいかとかの話題だったんですよ。すごい偶然だと思いませんか?」

「ああ……駄目だったか。やっぱりな。まあ次が……っと、あったあった。えーっと未来は――」

 東野は田坂の話よりも取扱説明書を読むのに必死だった。桐野は、自分が昨日へタイムスリップしたことのレポートを書いていて、もちろん田坂の話など聞いていない。

「まっ、いいけど」

 田坂は誰に言うとも無く言い、銀色の丸い物体を眺めたり撫でたりした。そして、最初に感じた奇妙な感覚は、次第に好奇心へと変わっていった。

「まずはだな、そこのボタン、押してみてくれ」

「これ……ですか?」

 見たところ、一般的にボタンといわれるようものは無く、表面が少しだけ盛り上がっている部分がある。他にそれらしいものが見当たらないので、田坂はそのなだらかで微かな膨らみに触れてみた。

「うわっ!」

 途端に音も無く現れた入り口に驚き、思わず後ずさる。同じく東野も後ろへ退いていた。

「何度見ても驚くな、これは。最新鋭の技術を駆使したそうだ」

「はあ……俺には到底考え付かないですが」

「俺もだ。次に……その下を押すと、タラップが出てくる」

 またしても言われるがまま操作する。

「うおっ!」

「すごいよな。人が二人乗れば目一杯のこの球体のどこに、そんなもん収納されてるんだって話だ」

「たしかに……」

 田坂は、その球体を下から覗いたり、くるりと周囲を回ったりしてみたが、何の継ぎ目も無い見事な球体であるということしか分からなかった。

 田坂がうろつき、東野は取扱説明書に噛り付いている。それを見ていた同僚の桐野は「俺、机戻ってレポートまとめていいっすか?」と東野に打診した。

「ああ、そうしてくれ。なんだったら他の奴をここに呼んでくれてもいい。サンプルは多いほど助かるからな」

「了解しました。それじゃ田坂、楽しんでこいよ!」

「おう」

 二人は右手を少し上げて、暫しの別れの挨拶をした。

 それから引き続き、東野は分厚い取扱説明書と格闘していた。田坂は、代わって自分が操作方法を調べようかとも思ったが、壊しでもしたら取り返しがつかないことになる。ここは黙って東野に任せることにした。

 まだ暫くかかりそうだ。その間、どの未来へ行こうかと思いを巡らせる。

 日本がこの先どうなるのか見てみたいし、地球の終わりがいつかくるならそれも見てみたい。いや、それよりも、結婚できるのか――田坂の頭の中は、目まぐるしく時間を飛び越えていく。

「……よし。それじゃ、乗ってみてくれ」

 東野の声で田坂は我に返った。



「あ……はい」

 恐る恐るといった感じでタラップを踏み、球体の中へと体を滑り込ませる。中は思ったほど狭くはなく、一人なら十分手足が伸ばせそうだ。

「そこに座って、ベルトで体を固定して……そうだ。それから、その前にあるパネルで、お前の情報を入力し、行きたい年月日を打ち込む」

 車にたとえるなら、フロントガラス部分がスクリーンになっており、その下部に情報を入力するためのタッチパネルが付いている。

『初めてですか?』という表示とともに、女性の声も聞こえてきた。

「すげー……思わず返事しちゃいそうだ」

「一応、音声認識機能も付いてるみたいだが、とりあえずパネルで操作してみてくれ」

「分かりました」

 表示と音声からなる質問に、田坂は次々と答えていく。

 生年月日と時間、身長や体重、血液型などのデータを順番に聞かれ、入力していく。

「結構、細かいことまで入れるんですね」

 出身小学校の名前を入力しながら、田坂は言った。

 東野は「なんでも、これは本人を本人が望む正確な時間と場所へ運ぶための道具なんだそうだ。よく映画なんかであるタイムマシンは、年代を決めるだけで好きな場所へ空間移動してくれるだろ? あれを再現するためには、本人とマシンが記憶の共有をしないといけないそうなんだ。……俺にはよく分からんが、そうらしい」と、分かるような分からないような説明をした。

「はあ……俺にも分かりません」

「だろうな。いいから、入力しながら聞いてくれ。時空間を移動する上での注意点だ。まず、過去や未来を変えてはいけない」

 映画や漫画では、定番の注意点である。

「それに付随してだが、物を持ち帰ってはいけない。雑誌とかもだぞ。それから、金銭にまつわることも不可」

「……金銭?」

「例えば、何日か先へ行って競馬の結果を見てくるとか、宝くじの数字を見てくるとか」

 先ほどちらりと、それらが田坂の脳裏を掠めたことは黙っておくことにした。

「分かりました」

 でも、それを見たってことは絶対にばれないよな、と田坂は勤務先の住所を入力しつつ、ほくそ笑んだ。

「それから」

 最後の注意点だと前置きをして、東野は球体の中を覗き込みながら言った。

「タイムマシンで行けるのは、お前が生まれてから死ぬまでの期間のみ、だ」

「それって、どういうことですか?」

 田坂はよく意味が分からなかった。

「言ったとおりだ。例えば千年前に行きたいとか、二百年後の日本を見たいとか、そういうのはできないらしい。タイムマシンに乗る人間が生まれてから今までの過去か、これから死ぬまでの未来か、そのどちらかにしか行くことはできないんだ」

 なるほど、言われてみれば納得できるし、そのほうが本当のタイムマシンのような気がしてきた。

「まあ、たしかに、いつの時代にも自由に行けると言われたら嘘っぽいけど、自分の時間のみ行き来するんだったら、全然アリっすよね」

「何があるのかよく分からんが」

「あー、いえ、自分の情報を細かく入力したりするのもそれで納得だなぁ、なんて……」

 アリの説明をするのが面倒で、田坂は笑ってごまかした。

「そうだな。じゃ、扉をそこのボタンで閉めて、それから行きたい日時を入力。前方中央にある、その赤い四角いボタンで移動開始。分かったかな?」

「分かりました」

「未来への滞在時間は二十分以内にしてくれ。次が控えてるからな。あちらを発つ時は、今日の日付とここの場所を入力。さっき桐野君がメモリーに入れてくれてるから、それを使うといい。到着したら、赤いボタンの左横の緑色のボタンを押すと、動力停止しベルトを外すことができる。扉を閉める時に押すボタンで、今度は扉が開く仕組みになっている」

「赤……緑……っと……」

 田坂が口に出して確認するのを聞いて、東野は「おいおい、大丈夫か? 取扱説明書持って行くか?」と心配そうに尋ねた。

「いや、大丈夫です。赤と緑と扉ボタン。あとはメモリーボタン!」

「……だな」

 東野は不安げな顔を隠そうともせず、覗き込んでいた銀色の球体から体を離した。

 逆に田坂は上機嫌で、ふざけて敬礼をしながら言った。

「それじゃ、いってきます」

「……気をつけてな」

 さすがに東野は敬礼を返さず、ひらひらと手を振った。

 早速扉を閉めるボタンを押してみると、やはり音を立てずに、まずタラップが床下に格納され、次に扉が出てきた。閉まった、というより出てきたというほうが的確だった。

「タイムマシンってか、UFOっぽいよな」

 どちらにも乗ったことは無いが、田坂は自分のこの表現に満足していた。

 深呼吸を二回して背筋を伸ばし、パネルを見つめる。


『どちらがご希望ですか?

  過去   未来   』


 右の囲みを指で押す。


『未来でよろしいですか?

  はい   いいえ  』


 次は左側。


『行き先の表示方法を選んでください

  西暦    ○○年後  』


「めちゃくちゃ親切だな、これ」

 質問に感動しながら、右側を選ぶ。


『何年後がよろしいですか? 数字を入力してください』


「一週間後とかって……どうやるんだろう」

 田坂は迷いながらゼロを入力した。


『何ヵ月後がよろしいですか? 数字を入力してください』


「おおっ! あってた! じゃ、次もゼロだな」


『何日後がよろしいですか? 数字を入力してください』


 田坂は『7』を押した。

 すると、次の画面に赤い文字が浮かび上がってきた。


『ERROR』


「……エラー? どういうことだ?」

 田坂は首を傾げながら、次に『6』を押した。


『ERROR』


『5』

『ERROR』

『4』

『ERROR』

『3』

『ERROR』


「……なんなんだ、一体。こんなことなら取扱説明書貸してもらっとけばよかった」

 田坂は少し苛立ちながら、次々と数字を少なくしていった。


『2』

『ERROR』

『1』

『ERROR』

『0』

『何時間後がよろしいですか? 数字を入力してください』


「なんだよ……数字ってゼロ以外駄目なのか? 訳分かんないな、これ」

 ようやく次の質問に移ったものの、田坂は言いようの無い不安に包まれつつあった。

 とりあえず、一週間後の『168』を押そうとするが、機械が二桁までしか受け付けてくれない。


『入力間違いです。再度数字を入力してください』


 しかたなく『24』を押す。


『ERROR』


『23』

『ERROR』


 一つずつ数を減らして入力していく田坂の指先は、僅かに震え出していた。

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