3.未来へ

未来へ(1)

「……ん?」

 外回り中、たまに立ち寄る公園が何やら騒がしい。

 いつもはあまり人影がなく、仕事をさぼるにはうってつけの場所なのだが、今日は遠目に見ても人垣ができている。

「何かあったか……いや、やめとこう。面倒なことには関わりたくないしな」

 田坂はここのところ、かなりの疲れを感じていた。

 商品開発部から営業部に異動を命じられて三ヶ月。慣れない外回りに加え、今年の記録的な暑さは初秋を迎えても一向に収まらない。

 流れ出る汗を拭いながら、ネクタイを少し緩める。首元から熱い空気が入り込み、ますます不快指数が上昇する。しかしあの人だかりでは、いつもの木陰で一息つく訳にはいかない。

「ふう……」

 溜息を一つ吐き、下を向いてとぼとぼと歩く。そこから徒歩で二十分ほどの会社へ帰る途中、不意に冷たい風が一筋、田坂の目の前を通り過ぎた――気がした。

 はっとして顔を上げると、左手に古びた家が見える。

 強い日差しを手のひらで遮りよく見てみると、駄菓子屋の看板が小さく掲げられている。半分だけ開けられた戸口から窺う店内は薄暗く、並べられているはずの商品さえも見えない。

「……こんなところに駄菓子屋なんてあったっけ」

 毎日とまではいかないまでも、よく通るこの道。あれば今まで気づかないはずは無いが、新しく建てられたとは到底思えない。

「ちょっと調べて、明日にでも行ってみるか」

 田坂は鞄を左手に持ち替えて、少しだけ軽い足取りで会社へと向かった。




「帰りました」

 部屋の入り口で一声かけ、自分の机へ向かう。程よく冷えた室内は、外から帰ってきた田坂には冷えすぎているくらいだ。

「お疲れ様でした。外は暑かったでしょ」

 派遣社員の美佳が、冷たいコーヒーを差し出した。

「ああ、ありがとう。暑いなんてもんじゃなかったよ。ここは天国だな」

「汗が冷えて、風邪ひかないように気をつけてくださいね」

 にこりと微笑んで、盆を手に給湯室へと消える美佳の背中を眺めていると、前から「田坂君」と太い声で呼ばれ、急いで振り向いた。

「は……はい!」

「今日はどうだった?」

 以前、今の田坂の席に座り、同じように営業に走り回っていた東野は、彼のことを気にかけていた。

「あ……はい、今日も新規は取れなくて……」

「そうか。ま、焦らなくてもそのうち取れるだろう。まだ三ヶ月だし、既存の顧客に顔を売っておくのも大事な仕事だ」

 そう言われても、この三ヶ月で一件も新規契約を取れていない田坂は、内心かなり焦っていた。

 文房具を納めるこの会社は、取引先がある程度限定されるため、新規開拓は難しい。それでも東野は、何件もの新規店舗との契約に成功し、最年少で課長に昇進している。

 なんとも言えない気持ちを抑えつつ、業務日報を打ち込んでいるとき、ふと気になっていたことを思い出した。

「課長……あの、ちょっといいですか?」

 向かいの東野に声をかける。

「なんだ?」

「あの公園、知ってますか? ここからちょっと行ったとこにある……」

「ああ。あの、木陰のベンチの公園な。俺もよく行ってた」

「あ……課長も。いや、それで、その公園の近くに駄菓子屋があって。オンボロの」

 課長は手を休めて、田坂の顔をじっと見つめた。

「……駄菓子屋? そんなのあったか?」

「自分も今日、初めて気がついたんです。結構通るのに今まで気がつかなくて」

「駄菓子屋……」

 東野は顎に手を当てて、呟いた。

「はい。明日行ってみようと思うんですけど……どうでしょうか」

「駄菓子屋で文房具を置いているところは少なくない。もしかしたら新規取れるかも知れないが――」

 そこまで言って、東野は腕を組み天井を仰いだ。

「……やっぱ、オンボロ小屋は駄目っすかね」

 田坂が恐る恐る聞くと、「いやいや、そうじゃない。逆に、そんな風に見た目で判断してはいけない」と厳しく制した後、東野はポツリと言った。

「駄菓子屋……公園……なんだったかな」

「……何か知ってるんですか?」

 東野の表情になんとなく不安を覚えながら、田坂は再度聞いた。

「いや……なんでもない。その駄菓子屋、行くだけ行ってみてもいいんじゃないか?」

 あまり期待せずにな――最後にそう言って、東野の視線はパソコンの画面へと移行した。田坂も、先ほどまで打っていた業務日報を仕上げることにした。

 そして、明日の予定欄に『新規開拓予定 駄菓子屋』と入れた。



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