2.永遠に
永遠に
奈緒は緊張していた。
「……早く来過ぎちゃった」
約束の時間までは、まだ三十分以上ある。
「なんか喉渇いちゃったな」
待ち合わせ場所の公園へと歩いていると、前方に古ぼけた駄菓子屋を見つけた。
「こんなとこに、こんなお店あったっけ?」
不思議に思いながらも喉の渇きには勝てず、フラフラと吸い寄せられるように近付く。店先から店内を覗くが、薄暗くてよく見えない。
なんとなく足を踏み入れるのを躊躇い、店先に置いてある自動販売機へと手を伸ばす。
「飲み物は新しいんだ……って、当たり前か」
店の雰囲気にそぐわない機械から、緑茶のペットボトルを取り出す。すぐに蓋を開け、一口二口と喉に流し込む。冷えた液体は、心地よく奈緒の体内へと流れ込み、染み渡る。
「ふう……」
少し落ち着き、もう一口飲んでいると「ねえねえ、お姉ちゃん」と、背後から話しかけられた。
「ん?」
奈緒が振り向くと、そこには小さな男の子が立っていた。
「お姉ちゃん、これあげる」
そう言って差し出した右手には、七色に光る綺麗な飴が一つ乗っていた。
「綺麗な飴ね。でもこれ、ボクのでしょ? もらっちゃ悪いわ」
奈緒が断ると「いいの。いっぱい持ってるから。これ美味しいんだよ。はい、どうぞ」と、にっこり笑って腕を前に伸ばした。
笑顔で言われると断りにくいし、何より本当に美味しそうだった。今からのことを考えると、甘いものを食べてリラックスするのも悪くない。奈緒は礼を言い、そのキ飴を口に放り込んだ。
「ん! ホント美味しい! ありがとね」
「どういたしまして。あのね、それね、なんでも願いゴトが一つだけ叶うキャンディなんだよ」
「願いごと、か……」
子どもの戯言とは思いながらも、願いごとと言われて奈緒は考えずにはいられなかった。
――真一くんと、永遠に結ばれますように
「どうかしたの?」
男の子の声にハッとし「あっ……ううん、なんでもない。ありがとね」と再度礼を言い、軽く手を振って店先から離れた。
いよいよ公園へと向かう奈緒の後姿を、いつのまにか駄菓子屋から出てきた老店主がじっと見つめていた。
「待った?」
公園の中ほど、木々に囲まれたベンチに座っていた奈緒は、背後からのその声に急いで立ち上がって振り向いた。
「あっ……ううん、全然! 呼び出してごめんね」
真一は、構わないよと言って微笑んだ。その柔らかな表情に、奈緒の鼓動は高まる。
「来てくれてありがとう」
真一と向き合い、頭を下げた奈緒は、なかなか視線を真一の靴から外すことができない。
「こちらこそ、お呼び出しありがとう」
笑いながら答えてくれたおかげで少しだけ緊張が解れて、ようやく顔を上げる。その様子や、今日ここに来てくれたことで、きっと嫌われてはいないだろうという思いが奈緒の背中を押した。
「あの……あのね、私……」
「ん?」
首を傾げる真一から目を逸らし、再び頭を下げて言った。
「私、ずっと真一くんのことが好きでした。私と……付き合ってください!」
言い切った奈緒の頭上からは何の返事も無く、風に揺れる木々のざわめきのみが耳に届く。
長い時間が経過したように、奈緒には感じた。しかし、実際にはほんの数秒間の沈黙だった。恥ずかしさで体が震え、涙が溢れ出しそうになった時、ふわりと空気が動いた。それと同時に「僕もずっと君のことが好きだったんだ。嬉しいよ」という声が聞こえ、そっと体を引き寄せられた。
「え……」
奈緒は戸惑いながらもその言葉を反芻し、今度は喜びのあまりに体が震えて涙が流れた。
「呼び出された時、もしかしてと思ってたんだけど。女の子に告白させちゃったね。ごめんね」
真一の優しさに幸せが増し、奈緒はそっと体を預けその背中に腕を回す。
「ううん、ごめんなんて、そんな」
少しの間二人は黙ってお互いの鼓動を感じていた。その音に落ち着き、奈緒はようやく泣き止んで、「それにしても」と呟いた。
「……願いごとが叶うって、本当だったのかもね」
「ん? なに?」
優しく抱きしめられたまま真一に聞かれ、奈緒は七色に光るキャンディのことを話し始めた。
「ここに来る前、駄菓子屋さんの前で男の子に飴をもらったの。その時その子が、これは願いごとが何でも叶うキャンディなんだって言ったの。嘘だって分かってたけど、思わず心の中で唱えて……それ叶っちゃったから、本当だったのかなって」
今でもそれを信じているわけではないが、なんとなく勇気をもらえて成功したような気がしていた。
「へえ……面白いことがあったんだね。で、願いゴトは何だったの?」
真一に聞かれ、奈緒は背中に回した腕に少しだけ力を込めた。
「ん……恥ずかしいんだけど。真一くんと、永遠に結ばれますようにって」
恥ずかしさで奈緒の体は熱くなる。
「永遠に……結ばれ――」
真一がそう繰り返し呟いた途端、その腕が物凄い力で奈緒の体を締め付け始めた。
「ちょっ! 真い……うっ……苦し――」
奈緒の胸を真一の胸が圧迫し、呼吸が苦しくなる。
「永遠……結ば……」
途切れ途切れに呟く真一の声もまた、かなり苦しそうだ。
奈緒は何がなんだか訳の分からないままに、真一の腕から逃れようともがいた。すると不意に真一の右腕が奈緒の体から離れ、左半身が楽になった。
「はあ……ふう」
奈緒は急いで大きく息を吸い込んだ瞬間、左腕を真一に掴まれ捻り上げられた。
肩が外れるほどの勢いで左腕を引っ張られ、更に肘から先を外側へ曲げられようとしている。
「なっ……なんなの! 真一くんっ! やめて! やめてって……」
その腕を振り解こうと体を左に向けた時、小さな人影が見えた。
「え……君は……え? ちょっ……なに……いや……」
そこには、あの七色に光る綺麗なキャンディをくれた男の子が立っていた。
「お姉ちゃん、難しい願いゴト言うからさ、結構大変なんだよね」
笑いながらそう言う男の子に対して、奈緒はおそらく本能で物凄い恐怖を感じていた。
「あっち行って……なんなの……なんなのよーっ!」
思い切り叫んでも真一はその手を離さず、いよいよ奈緒の腕はあり得ない方向へと捻じ曲げられていく。
男の子は、きょとんとした顔で首を傾げ、無邪気な声で言い放った。
「なんなのって。言ったじゃない、願いゴトが一つだけ叶うって」
奈緒の腕に激痛が走る。悲鳴を上げながら再び叫ぶ。
「私の願いごとは真一くんと永遠に結ばれるようにってことよ! こんな……こんなこと……腕を折られることじゃないわっ!」
「――だから、結ばれたいんでしょ?」
少しだけ低い声で男の子が呟いた。
それが耳に届いたのか、次に真一は奈緒の上半身を右横に、直角に曲げようとし始めた。
「いやーっ! い……うっ……」
信じられない力で体が歪んでいく。
「どうやったら上手く結べるのかなあ。僕……蝶々結びへたくそだから、いつもおじいちゃんに怒られるんだ」
体中が、それこそ髪の毛一本までもが痛みを感じ、いよいよ精神は限界を迎え、奈緒の意識は朦朧としてきている。
――結ぶ
……ああ、そうか
結ばれるって、紐を結ぶのとは違うのよ――そう言ったつもりだったが、実際には喉の奥からヒューヒューと空気が漏れる音がするのみ。もはや喋ることはおろか、口を閉じることもできない。
「あっ、そうか! 僕、間違えちゃった!」
わざとらしく口に手をあてる仕草を、奈緒の目は、ただ映していた。
「かた結びでいいんだね……お姉ちゃん」
奈緒の体は右へ、真一の体は左へ折れ、真一の胸から飛び出た肋骨のささくれた先が、奈緒の肺を突き刺す。
お互いの上半身が、お互いの下半身に口づけるように折れ曲がる。腕は脚に絡まり合い、体液が艶かしく光りながら滴り落ちる。
男の子の姿は既にそこにはなく、それに気付く人も、もういない。
仕上げにバタリと倒れ込み、肩から筋のみが繋がった腕できつく抱き合う。永遠に。
(第二話・完)
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