第5話 夏

 夏。


 それは透明な季節。


 「三輪透子、おかえり」

 久々に会うと必ず第一声はなぜか透子のことをそうフルネームで呼ぶ。

 幼なじみである佐次田洋一の昔からの妙な癖だ。


 夏休み。

 世間はお盆だというのに、先祖や故人の霊を祀るという古いしきたりはどこへやら、個々人の単なる夏休みだ。


 そんな透子も仏に手を合わせるという名目のもと、故郷の沖縄に今年も帰ってきたわけだが、本音は大好きな海で無心に泳ぐためだ。


 気温だけでみたら沖縄のが暑いはずなのに、都会の作られた奇妙な暑さはここにはない。白い砂浜、透き通る青の海、天然素材だけを運ぶ風、ごく自然に存在する緑、生きてる人々の流れるゆっくりな時間、それらすべてが沖縄を沖縄たらしめ、太陽が照りつければ照りつけるほ透子には心地よく愛おしくも感じる。

 

 「相変わらず精気を失くした顔で帰ってくんのなぁ」

 沖縄で漁師をしてるからといって全身真っ黒かといえばそうではなく、むしろ色白で痩せっぽっちな洋一が高校生のような童顔を曝け出していた。

 「洋一、久しぶり。元気にしてた?」


 洋一に船を出してもらい沖に行く。

 沖に出るまでの間に透子と洋一に会話はない。何も言わなくてもわかってくれる。透子の顔を見て、泳ぎを見たらすべて理解してくれる。そこに言葉なんて必要なかった。

 

 小さな頃から透子のそばには洋一がいた。中学生にもなれば周りがカップルとはやし立てる。素直になれない若造はその言葉に煽られ抗い微妙な距離感を生み出す。

 お互いにお互いの存在があるために恋人というものを作れずにいた。

 「自分に女としての魅力がないことを棚に上げて洋一のせいにしてない?」

 友人に何度かそう言われたことがあったっけ。


 洋一と恋人になるには長く近くにいすぎた。

 透子はそんな想いを一度リセットできるかもと思って都会に出た。

 無理して恋を求めるとろくな事がない。

 

 一年都会でどんなに辛い嫌なことがあっても海に潜れば全部が透明になる。

 都会では考えられない色鮮やかな魚たちが透子を迎えた。透明な世界の中で魚たちの色が際立ち、その世界にお邪魔する透子の体も自然と力が抜けて力が湧く。


 泳いで疲れれば疲れるほど元気になっていく。ここにはそんな素敵な矛盾がある。


 船に上がるとき洋一が勢いよく手を引っ張りあげ、その勢いあまっていつも透子はいつも洋一の胸に飛び込んでしまう。洋一はいつだって全身で受け止めてくれる。

 「なんでそんな都会で頑張んの?こっちで暮らせばいいのに」

 「あら?私のこと養ってくれんの?」

 もう何年この会話をしたことだろう。


 お互いに変な意地を張らなければごく自然に結ばれたであろう透子と洋一。

 沖縄の海でもっても二人の心を完全な透明に戻すことはできないでいた。


 夏が終わればまた二人の心は濁っていく。


 


 


 

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