第3話 はる

 春。


 それは想いを乗せる季節。


 「じゃあ、気をつけてね」

 「うん、バイバイ」

 桜のアーケードの中にお姉ちゃんは飲み込まれていく。そのあまりに美しい風景はその先が異世界につながっているかのように思える。

 こんなにも綺麗で美しいのに、どうして見ててどこか悲しさが湧いてくるんだろう。


 お姉ちゃんは坂の上の高校に通っている。

 由真はその坂を右手に真っ直ぐ進む。ほどなくして左に曲がると、ささやかな桜の木が見えてきた。由真が通う小学校には年齢に相応とでも言うかのように本当に可愛げな小さな桜の木があるだけだ。


 (私にはこのくらいの桜がいいや。あんなにたくさんの桜をまじまじと見たら涙が出てきそうだもん……)


 5年生になり、抱負や願いを掲げる掲示板に投稿する上級生特権が与えられた。

 始業式から最初の1週間の間、希望者だけが自分の内なる気持ちを所定の紙に書き、所定の封筒に入れて教室のポストに入れる。名前は書いても書かなくてもいい。


 男の子は掲示板にあまり興味がない。

 女の子は、掲示板に貼られた願いや想いが毎年一つ神様に選ばれて確実に叶うという噂に心を踊らせてみんな興味津々だ。


 由真ももちろんその一人で、今年も同じクラスになれた清水くんへの恋心をそこに乗せようと考えていた。


 お姉ちゃんは高校2年生にもなって恋愛経験なしと偉そうに言うが、その年まで色恋沙汰が皆無なんて女としてどうなんだと思ってしまう。そのためアドバイスなどもらえるはずもなく、由真は一人この想いを内に秘めていた。


 名前など書かなくても筆跡などからなんとなく誰が書いたのかはバレてしまう。想いは伝えたいが騒ぎにしたくない。そっとしておいてほしい。

 小学生で恋人同士なんてのは周りにいない。男子は女の子を好きという気持ちを素直に認めたがらないし、女子も話は盛り上がるが最後の一歩を踏み出す勇気に欠けて秘密にしたがるものだ。


 由真は刑事ドラマで見た犯行声明に使われるような様々な新聞、雑誌の文字の切り抜きで文章を作ることにした。

 

 清・水・く・ん・の・こ・と・が・大・好・き・で・す

 

 少し生々しくて気持ち悪いかなとも由真は思ったが、大胆な告白文句に胸が高鳴り冷静な判断がうまくできなかった。


 翌朝は学校に行くまで、学校にいる間ずっとドキドキだった。封筒をポストに入れるのも誰にも見られないようにしたいし、それまで絶対に失くすわけにもいかない。


 けれどもポストの投函は意外なほどにあっけなく成功した。

 来週から掲示板に由真の想いが貼られる。


 桜はあっという間に散り、すでに葉桜へと移りゆく状態だった。

 毎年のこととはいえ、あっさりと散る桜はやはりどこか物悲しい。


 そんな桜を見て一瞬紛れたドキドキも掲示板を前にして最高潮に。

 けれども由真の想いはそのままの姿ではなかった。


 清水くんのことが大好きです


 達筆な大人の文字で書かれたものが貼られていた。

 それが由真の想いなのか最初はわからなかったが、貼られているものを隅から隅まで探しても見つけることはできず、清水くんへの想いが書かれたのもそれだけしかなかった。


 (どうして……?)


 「今年も掲示板にたくさんのみんなの気持ちが貼られていますね。あの掲示板は神聖なものです。自分の想いは自分の手で書いた文字で表現しましょう」


 担任の先生の言葉に周りの生徒たちは少し疑問を感じていたようだったが、由真にはわかった。由真の想いは先生によって直されてしまったのだ。


 想いを貼ることができるのは来年のあと一回だけ。


 由真は緑の増えてきた桜を見上げながら、来年は自分の手でしっかりと小さくても花を咲かせようと思った。




 

  

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