第3章
召喚された皇帝と行方不明の巫女姫 1
帝都カディスの、その年の春は、ひっそりとしたものだった。
都を訪れるカーシアの商人や、遠く異郷の地からやって来る旅人達の数もまばらで、いつもなら、この時期に繰り広げられているはずである春の祭りは、その気配すらない。それもこれも皆、皇帝ラディウスⅡ世の帝都不在が原因であった。ラディウスⅡ世は、ここ数年来煩っている病の療養のため、昨夏の終わりから、カーシアに滞在していた。
閑散とした街並を眺めながら、インディラは溜め息をついた。皇帝が回復する見込みはなかった。それに近頃、目に見えて衰弱してきている。ランディスの言った通り、インディラにも、もはやどんな魔法を使っても、皇帝がこれ以上持ちこたえるのは、難しい様に思われた。
「後継者が、まだ見付からないというのに……」
ラディウスⅡ世は若い皇帝で、年は二十代の半ばに差し掛かったところである。まだ結婚はしていなかったから、現皇帝には世継ぎがいなかった。
現在、その後継者とされているのは、従兄弟に当たるリート・ラカランダ卿である。ダーク・ブランカによれば、カリディスの予言書に、このリートが次期皇帝になると記されているのだという。だが、問題のリート卿は、現在、行方不明だった。
ダーク・ブランカが封印の地へ向かったのは、彼を捜す為だと、インディラはそう聞いていた。そして彼女は、ダーク・ブランカの声に導かれ、その魔法の力を少しだけ身に付け、このカディスにやってきたのである。滅びの淵にある、この国を救うために……
記憶を封じてしまったから、自分が何故そんな大事に巻き込まれてしまったのか、今は分からない。ただ、この国を守りたいという強い思いが、自分の中に確かに存在する。その思いがどこから生まれて来るものなのか……それもやはり、良く分からない。それでも、この国へ来て、ダーク・ブランカという人物の偉大さを感じる度に、自分がその代理を任されたという事には、何か意味があるのだろうと、そう思っていた。
だが、次第に深刻化していく事態の中で、インディラは自分の非力さを感じ始めていた。何故自分が選ばれたのか。たいした魔力も持たない自分に、出来る事などあるのか。不安は募る一方だった。
……一緒に、帰ろう……
そんな時、ミサキに掛けられた言葉は、インディラの心に、小さな波紋を起こした。何もかも投げ出して、逃げ出したい。気付けば、そんな事を考えている自分がいる。
馬車が少しの衝撃を伴って止まった。サラが馬車の扉を開いたので、馬車の中が急に明るくなった。インディラは思考の淵に沈んでいた意識を、慌てて現実世界に戻した。
「天陽宮に到着致しました」
サラの声が馬車の外で聞こえた。インディラは物憂げに身を起こすと、狭い扉をくぐり、馬車のタラップに足を掛けて、サラが差し出した手を取り、馬車を降りた。
「お帰りなさいませ、インディラ様」
そこに迎えに来ていた少年が、インディラの姿を確認すると、元気な声で言った。
風の騎士、レオンハルト・ハスヴェルだった。サラと同じく、太陽の称号を持つ騎士である。
「……あれ?ランディスは一緒じゃなかったのか?サラ」
サラが、さっさと馬車の扉を閉めてしまったのを見て、レオンが言った。
「またいつもの、よ。我等が司令官様は」
サラが肩をすくめて答える。
「ああ、じゃあ、フィリスの神殿へ、直接行っちゃったんだ。ちぇっ、それなら俺もクリス達と一緒に行けば良かった」
「フィリスの神殿……って、クリスの氷の神殿よね?一緒にって、まさか、ラスとクリスは……」
「出掛けたよ。昨日、ランディスから口伝鳥が来てね」
「口伝鳥?何かの間違いじゃないの?だってランディスは、太陽の四騎士を都に集めておけって、そう言ったのよ」
「間違いだなんて、とんでもない。その口伝鳥が、皇帝崩御の知らせを持ってきたんだぞ。それで昨日から、宮殿中が大騒ぎ。宰相なんか大慌てでさ……」
「皇帝崩御ですって?」
インディラが、素っ頓狂な声を上げた。
「嘘よ、まだ……生きているのに……」
インディラがそう言い掛けて、言葉を切った。
「……やだ、何?……これ……何なの?」
インディラが、急に苦しそうに顔を歪めて、両手で自分の肩を抱くようにして体を丸めた。
「インディラ様、どうなさったのですか?お加減でも……」
サラが心配して、その顔を覗き込むように屈んだ。
「……違う。何か、大きな……魔法の……波動が伝わってくるの。まさかこれは……禁じられた魔法……サラ、お願い。私を、魔法の塔へ連れていって」
サラは頷くと、インディラに肩を貸した。
「ほら、レオン。あんたも手伝って」
サラに促されて、レオンは慌ててインディラの反対の肩を支えた。
カイ・ステファンは、その薄暗い空間の中、彼の目の前で行なわれている魔法を固唾を飲んで見守っていた。
床に描かれた魔法陣の前で、組み合わせた両手を高く掲げ、長い呪文を唱えていた彼の師匠が、突然、その手を勢い良く振り下ろす。するとその刹那、魔法陣の中に小さな空気の渦が発生し、それは稲妻のような青白い光を伴いながら、次第に大きくなっていった。
「……来る」
その魔法の波動を体に感じながら、カイには、そこに彼らの待っていた人物が呼び寄せられた事が分かった。彼の魔法の師であり、現在は帝国宰相となっているラーラ・マルクスの背中を眺めながら、カイは、ふと背筋に冷たいものを感じて、小さく身震いをした。
「これが、禁忌の魔法か」
それは、異世界からの召喚魔法。かつての魔道師長、ルト・フォレルが、皇帝騎士団の騎士達を召喚した時に使ったのも、この魔法だったという。その魔法をきっかけに、このランドメイアには異変が始まったのだと、かつて、ラーラは言っていた。
魔道師ルトは、禁を犯した罪により、魔道師長の座を追われ、幽閉された。その半年後、ルトの弟子であった天空の騎士シルフィウスが、一部の騎士を率いて反乱を起こし、カディスは戦禍に晒された。帝国史上初めての魔道師同士の戦い、そして騎士団が二つに分かれて戦うという事態に帝国は混乱した。その鎮圧に力を使い果たしたせいで皇帝ラディウスⅡ世は、以来、病の床に伏せっていた。その皇帝が、崩御したという。今のこの状況は、切羽詰まった最悪の状況であると言わざるを得ない。
「ダーク・ブランカ様だって、分かってくださるはずだ。このままでは、この帝国は本当に滅んでしまうのだから……」
心に後ろめたさを感じながら、カイはそっと呟いた。
天井近くにまで立ち上った渦が大きく膨らんで球体を成し、弾けるように四散して消えた。そして、魔法陣の中央には人が出現していた。どうやら、師の召喚魔法は成功したようだ。そう思った瞬間、その人物を姿形を見て、カイは眉をひそめることになった。
「これは……ラリサ様の封印が、掛かったままなのか」
師ラーラの失望したような声が耳に入る。その言葉に重なるように、こちらにやってくる足音が聞こえ、少女の悲鳴のような声がそれに続いた。
「ラーラ・マルクス!」
振り向くと、彼らを非難する様に見据える、インディラの姿があった。
「あなたは一体、自分が何をしたか分かっているの?ダーク・ブランカ様は、この様なこと、絶対にお許しにはならないわ」
「皇帝陛下が崩御された今、その後を継ぐ者がいなければ、この帝国は滅んでしまうのですよ」
ラーラの言葉に、インディラは激しく頭をふった。
「ダーク・ブランカ様が召喚魔法を使わずに、自ら封印の地に赴かれたのは、何の為だと思うの?」
「そのダーク・ブランカ様は、未だ戻られない。我々には、もう時間がないのです。幸い、こうして殿下にお戻りいただけた」
「あなたは、何も分かっていない……この者は……」
インディラの瞳が魔法陣の上に立つ人物を捕えて、彼女は言葉を失った。
そこにいたのは、少年だった。
黒い髪、黒い瞳、そして、黒い服に身を包んだ少年。頭のてっぺんから、足の爪先まで黒一色に包まれている。
ランドメイアでは、黒は魔道師の色なのだ。金色のボタンだけがその黒色の中で光っていた。我々の世界でいえば、この服は単なる学生服なのだが、彼らの目には異様な出で立ちとして映った様である。インディラの視線は、幾度か上下にその少年を辿った後、最後に彼の顔に止まった。
「……ミサキ」
インディラが息を飲んで絶句した。
そこにいたのは、紛れもなく彼女がカーシアで会ったミサキという少年だった。インディラは、頭から血が引いたように感じて、よろめいた。慌てて彼女の身を支えたレオンの声が、遠くで聞こえたのを最後に、彼女は気を失った。
学生カバンを脇に抱えたまま、少年はその場所に立ち尽くしていた。
一体自分の身に何が起こったのか……
薄暗い部屋の中にいる人々の顔を、一つ一つ丁寧に見ていきながら、少年は、彼らが自分の敵なのか、それとも味方なのかを決めかねていた。
『ご無事で何よりでした、リート殿下』
その中の、一番年を取っている男が彼に近付き、跪いてそう言った。
『殿下?』
『はい。リート・ラカランダ様。あなた様は、このランドメイアの皇帝となられる御方なのです』
『皇帝……ねぇ』
少年は男の言葉を繰り返しながら、どうやら状況は自分にとって、それ程悪いものではないという結論を下した。
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