嘘つきな魔法使いの手のひらで踊るのは善人 3

 さて、そんな二人の後方を、彼らと適当な間隔を保ちながら、件の騎士ラシャは馬を引き、風の中を歩いていた。ラシャは頬に、冷たいものが当たったのを感じて、鬱陶しげに曇天を見上げた。

「ちぇっ。降ってきやがった」

 言いながらラシャは、自分の引いている馬に乗っている人物の反応を伺った。すっぽりと大きなフードを被り、顔を隠すようにうつむき加減でいながら、それでもその澄んだ瞳は、前方を行く二人の後ろ姿をしっかりと捕えている。

 何故、彼女が、彼らにそれ程の興味を抱くのか、ラシャは不思議に思った。彼女、ダーク・ブランカにとって、ミサキとはどういう意味を持つ人間なのか……

「あなたが来るのなら、そもそも俺なんか居なくたって良かったでしょうに」

 やや皮肉っぽく、ラシャがダーク・ブランカに呼び掛けた。

「私は、都の貴族の家庭教師。休暇を貰って、神殿巡りをしているところ。昨日の話、忘れたの?」

「覚えてますよ、レイディ・ファレン。そして、俺はあなたのボディガード、でしたね。俺の言いたいのは、大魔法使いのあなたが……」

「大魔法使いは、今のランドメイアにはいないのよ」

 右手でわずかにフードを上げて、彼女が顔を覗かせた。その顔は、少しいたずらっぽい笑みを浮かべていた。


 ファレンシア・クララバード。

 都の貴族、エスティラ公爵家のお抱え家庭教師。

 旅の目的は、神殿巡礼。


 通行証の記載事項による、彼女のプロフィールはそうなっている。

……それにしても……

 ラシャの頭の中では、幾つ目かの疑問が沸き起こっていた。変身の魔法によって、髪の色から、瞳の色まで、ファレンシアという女に成り切っている、ダーク・ブランカのこの念の入れ様は、一体何なのか。大魔法使いの彼女が、そうまでして、身を隠さなければならない理由とは……

「ラシャ」

 ファレンが馬上から、彼を呼んだ。丁度、街を抜け、人家が途絶えたあたりだった。

「ほら、お客様がいらしたわ」

 十数人もの男達が、前にいた二人を取り巻くようにして、その行く手を遮っていた。

「何です?あれは……」

「山賊、追剥、そんなところでしょう。彼らとお近付きになれるチャンスだわ。行って加勢してらっしゃいな。シリウスが剣の達人だと言っても、少し数が多すぎるわ」

 ラシャは言われるままに、すでに切り合いの始まった、その騒ぎの方へ走っていった。



 ラシャは、その場所に着いても、すぐには加勢せず、シリウスの剣技を少しの間、観察していた。

「成程、海竜族の剣使いは見事なものだな。あの炎の騎士のサラが、自慢するだけのことはある」

 剣をまるで自分の体の一部であるように使う。その見事な技を目で追ううちに、ラシャはシリウスの剣の紋章に目を止めた。

「三日月に明星……あれは、天空の騎士の紋じゃないか。なぜ、あの少年が……」

考えかけて、手っ取り早くその訳を知る方法を思い付いて、ラシャは剣を抜き、騒ぎの中に分け入った。



 さてこの騒ぎ、ミサキにとっては、全くの災難と言っていい。剣を持つのも、そして、剣を向けられるのも、彼にとっては生まれて初めての事である。

……少なくとも、記憶にある限りにおいては。

 シリウスが、護身用にとあつらえてくれた剣は、細身で女子供が使う様な華奢なものだったが、それでもミサキには、それを振り回す程度の事しかできない。シリウスの後ろに庇われながら、ミサキは、自分がちょっぴり情けないものに思われた。


 彼らを襲った男達は、シリウスの剣の前に次々と倒されていったが、如何せん、多勢に無勢である。次第に、シリウスの動きが冴えなくなってきていた。彼が幾人目かの男を切り伏せた後で、大きく肩で息をした時、まるで隙を伺っていたかの様に、別のほうから剣先が飛んできた。シリウスは、それを受け損なって、手にしていた剣を叩き落とされた。剣は彼方の地面に深々と刺さった。

『ミサキ、剣貸せ』

 ミサキが言われるままに剣を差し出すと、シリウスはそれを受け取りしな、地面に転がって、相手の足を払った。バランスを崩した男が転びかけたところを、シリウスの剣が捕えた。

『すげぇ』

 ミサキはその一瞬の出来事を、感心して見入っていた。自分が全く無防備であると、ミサキが気付いたのは、その頬を剣先が掠めた時である。


 短剣を手にした別の男が、彼に襲い掛かってきていた。その男の剣先を避けようとして、ミサキは足元の石につまづき、あろうことか背中から地面に引っ繰り返ってしまった。すると男はミサキに馬乗りになるように覆い被さってきた。ミサキは無我夢中で男の剣を避けようとして、両手で相手の手首を捕まえた。

 剣先はミサキの眼前から僅かな距離で止まった。だが、男の力は強く、それを辛うじて押し留めているミサキの腕は、頼りないものだった。その銀色の光に対する恐怖心だけが、ミサキに力を与えていたのだが、やがて頭に血が上って、集中力がなくなり始め、その腕に感覚がなくなり始めた。

『……だめ……だ。も……限…界……』

 シリウスは、何故助けに来てくれないのだろう。ミサキがそう思って、目を閉じた瞬間、彼の体を大きな重圧感が襲った。

『え……』

 体に全ての感覚が残っている……要するに自分はまだ、死んでいない。ミサキが驚いて目を開けると、体の上に気を失った男の体が乗っかっていた。そして、彼の顔を愛想の良さそうな顔をした若い男……ラシャが覗き込んでいた。

「よしよし、まだ生きてるな。ほらっ」

 ラシャの差し出した手を、ミサキは何も考えずに反射的に取った。ラシャに引っ張ってもらって、起き上がったミサキは、シリウスが剣を鞘に仕舞いながら、こちらに歩いてくるのを見て、どうやら自分達は危機を脱した様だと理解した。



 ラシャの剣の紋章を見るなり、シリウスは途端に眉をひそめた。突然現われた助っ人が、何者であるか分かったからであるが、それによって彼が何故、自分たちを助けたのかが、より大きな疑問となってシリウスの心に浮かび上がったせいである。

「皇帝騎士団の雪の騎士……が、何故こんなところに?」

 シリウスの第一声を聞いて、自分の正体がいとも簡単に看破された事に、ラシャは肩をすくめた。ダーク・ブランカは身分を隠せと言ったが、ばれた時の方策は教えてくれていなかったのだ。まぁいい。彼女の正体がばれたという訳ではないのだから……ラシャは言い逃れの口実を考えながら、心の中でそう呟いた。


「任務中だ。君の質問には答えられない。ただ、通り掛かって、助っ人に入った。皇帝騎士団は正義の味方、だからね。君達を見殺しにするのは、騎士団の精神に反する。とまあ、そういうことだ」

「了解……それなら、そういうことにしておきましょう」

 シリウスが、疑わしげにラシャを見据えて、そう言った。ラシャはシリウスの視線に、軽い溜め息をついて、渋々というふうに……もちろんそれは、彼の演技にすぎないのだが……言った。

「仕方ない。ここだけの話だぞ。ほら、馬でこっちにやって来るレイディがいるだろう?彼女は、レイディ・ファレン。ある事件の重要参考人というところだ。彼女を都に、無事連れ帰るのが、俺の任務」

「ある事件?」

「これ以上は勘弁してくれよ。とにかく、彼女には、俺の正体は秘密だから、そういうことで、よろしく頼むぞ」

 馬をゆっくりと歩かせて、こちらにやってくる女性を、シリウスは興味深そうに見据えた。その少年の疑惑を、取り敢えずかわせたのを確認して、ラシャは空に向かって軽く息を吐き出した。



「怪我がなくて、何よりでしたわ」

 レイディ・ファレンがにこやかにいった。聡明そうな瞳の色は光族のグリーン。日に焼けて色があせたような薄い色の長い金髪は緩やかに編まれて彼女の背中に下がっていた。家庭教師という職業の女性らしく、地味な雰囲気を持つ彼女を、シリウスは何と無く好ましく思った。

 光族の女というのは、一般的にもっと華やかなものだ。シリウスの頭の中にはそういう認識がある。気位が高く遊び好きで、パーティや舞踏会に明け暮れる。彼の母親や、彼が小さい頃、都で見た貴族の女達は皆そうだったから、彼がそう思ってしまったのも無理はない。

 輝くような黄金の髪と、宝石のような緑の瞳。

 光族という名前そのままの女達。

 シリウスは半分だけ、その光族の血を引いている。にもかかわらず、シリウスはそんな光族が、どうしても好きにはなれなかった。残りの半分に海竜族の血を引くシリウスを、純血を尊いものとする光族は、決して同族とは認めなかったからだ。選民意識の強い光族の中では、彼は他民族の異邦人に過ぎなかったのだ。


「そちらの方は、ちっともおしゃべりになりませんのね」

 ファレンが、ミサキの反応を伺うように言った。ミサキがファレンの様子を見て、シリウスに説明を求めるように視線を向けた。シリウスがそれに気付いて、ファレンに説明をした。

「ああ、ミサキは、カリディア語はちょっと……皇帝語なら分かるんだけど」

「あら、皇帝語?私も、少しは覚えましたけど……うまく話せるかしら」

 ファレンがミサキの方を向いて、語りかけた。

『私は、ファレンシア・クララバートと申します。都で、家庭教師をしてますの。あなたは、カーシアからいらしたの?ああ、でも、海竜族でブラウンの瞳って珍しいわ……もしかして、大陸の方かしら?』

『ええ……と』

 ファレンが奇麗なソプラノの声で、矢継ぎ早に話すのに圧倒されて、ミサキは言葉に詰まった。

『……私、文法を間違えてしまったかしら』

 ファレンが心配そうにシリウスの顔を見た。

『いいえ、ご心配なく。間違ってなんかいませんよ。な、ミサキ』

 シリウスが、早く答えろという様に肘でミサキをつっついた。

『……文法も発音も正確ですよ。宮廷に出られても、恥ずかしくない言葉遣いです』

『まあ、宮廷だなんて恐れ多いですわ』

 ファレンが大袈裟に驚いて言った。


 そんな彼らのやり取りを見ていて、ラシャはファレンシア・クララバートという人間が、本当に実在するような錯覚を覚えた。今、彼の前で、喋っている人間は、ダーク・ブランカのはずだった。しかし、ファレンの身のこなし、それに話し方まで……全てが、ダーク・ブランカのものとは違う。それは確かに、ファレンのもので、それ以外の何ものでもなかった。

……これが、魔法の力なんだろうか……

 そう考えて、ラシャは背筋が寒くなった。


 家庭教師、ファレンシア。

 でも本当は、ランドメイアの大魔法使い。


 その護衛の騎士、ラシャ。

 極秘任務を帯びた雪の騎士。


 カーシアの三商家、

 リヴィウス家のシリウス。

 商人の通行証を持つ、家出少年。


 そして、ミサキ。

 とりあえずシリウスの従者。

 だけど身元不明の記憶喪失青年。


 それぞれ、偽りの名や、偽りの身分という衣を纏って、半分だけ偶然に出会った一行は、氷の神殿、フィリスの神殿を指して、街道を北上していった。

 それぞれの胸に、それぞれの思いを抱えながら……

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