消えた時間と予言書の魔法使い 3

 その夜、都心の摩天楼は十六夜の月に照らしだされて、神秘的な様相を示していた。そして、その深夜の人影のない街にミサキはいた。

 摩天楼の一角を占める、ハンドレットビルの一階のエレベーターホール。

 目的地はそこである。

 ハンドレットビルというのは、その名の示すとおり、地上百階建てのオフィスビルで、醐醍ごだい電子産業というコンピューター会社が、昨年、その本社ビルとして建て、都心の新名所となったところである。もちろん、ミサキはそんなことは知らない。


 ビルの裏手にある通用口を抜け、正面玄関の三十階まで続くアトリウムを抜け、目的の場所へと向かうミサキの足は、無意識のうちに軽くなっていた。

 静寂の支配する闇の中に、ミサキの足音だけが響き渡っている。普通なら、不法侵入なわけだから、もっと静かに歩くものなのだろうけど、ミサキはそんなことはお構い無しで、彼の足取りは、かなり軽快だった。


 辿り着いたエレベーターホールには、十数機のエレベーターが、行く先の階層ごとに数機ずつ並んでいた。迷わずミサキはその一番奥にある一機に向かう。ダーク・ブランカの教えてくれた各階止まりのエレベーターだ。ここの会長が、特別に造らせたと言う専用機である。用途は社内視察のためということらしいが、実際のところ会長が何に使っているのかは明らかでない。会長しか乗ってはいけないというものだが、仮に使用許可が出ても、忙しい社員達が各階止まりのエレベーターなど使うはずもなかった。


 ミサキがエレベーターの呼び出しボタンを押すと、五秒ほどの間を置いて、ゆっくりと扉が開き、中の光がホールの闇を切り裂いた。ミサキはダーク・ブランカに言われた通りに、中にはいり、扉が閉まらないように、“開”のボタンを押した。そのボタンの下に、百のボタンが連なっているのを見て、さすがに一瞬あきれてそれを見入ってしまったが、すぐに気を取り直して作業に取りかかった。 


 魔法使いに教わったように、注意深く特定のボタンを点滅させていく。光の点が次第に星の形を成し始めた。

「あと一個」

 ミサキがそう言って、仕上げの点を押そうとした時、突然の怒鳴り声がミサキの集中していた精神を一瞬乱した。

「そこで何やってる!」

「あ。しまった……」

 一瞬、ほんの一瞬だったが、“開”のボタンを押していた指の力が抜けた。閉まる扉の隙間から、不法侵入者を見つけたガードマンが駆け寄って来るのが見えた。

「やり直しは利かないか」

 鈍い音を立ててしまった扉に、ミサキの声がぶつかった。エレベーターはゆっくりと上昇を始め、点滅していたボタンの光が一つづつ消えていった。やがて、最後のボタンの光が消えた時、ミサキは最初で最後の停止階に降り立った。


 目の前に、薄暗いトンネルが続いていた。これがダーク・ブランカの言っていた、なのだろう。そう思って、ミサキは歩き始めた。背後でエレベーターの扉の閉まる音がしたが、ミサキは振り向かない。やがて、一つの扉に突き当たった。ためらうことなく、その扉を開ける。と、まぶしい光が、ミサキの全身を包んだ。



「これが、ランドメイア……」

 扉の向こうに広がる風景は、ミサキにとっては初めて見るはずのものなのに、どこか懐かしい気がした。この空の下に朱里がいる。そう考えると、居ても立ってもいられなくなって足を踏み出していた。ところが、前に進もうとしたミサキはたちまち扉に押し戻される羽目になった。扉の入り口に見えない壁があったのだ。

「ああ、そっか。ダーク・ブランカの封印を解かなくちゃ。ええと、呪文は確か……」

 頭の中でダーク・ブランカに教わった奇妙な呪文をゆっくり繰り返す。それから大きく深呼吸して、ミサキは呪文を唱えた。

「………」

 果たして次の瞬間、扉は跡形もなく消え去り、ミサキはランドメイアの大地に立っていた。


 始めに耳についたのは、潮騒の音だった。

「海…?」

 丘を駆け登り、目の前に、大海原が広がっているのを見て、ミサキは自分の穴抜けに五十点を付けた。

「やっぱ、ボタン一個押さなかったからかなぁ」

 予定では、ランドメイアのカリディア帝国の都、カディスの宮殿に出るはずだったのだが……

「あーあ。街はどっちだ?」

 ミサキには、当てなんかなかったが、とりあえず歩き始めることにした。立ち止まっていては何も始まらないことだけはわかっていたから……



 さて、舞台をランドメイアへ移し……

 海洋暦四四七年。

 ランドメイアの南端。

 カーシアという港街。

 ここから、一つの冒険が幕を開けることになる。






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