消えた時間と予言書の魔法使い 2

 どこが事の始まりだったのか、実際のところは、ミサキにもよく分からない。

 要するに記憶がないのだ。

 ただ、事の重大性に気付いたのは、

 “十八回目の誕生日に二十二才になってしまった”

 という事実が判明した時だった。


「昨日までは、確かに十七歳だったんだ。で、今日で十八になるはずだったのが……」

「目が覚めたら、二十二歳だった?」

「ピンポーン」

「つまり、一晩寝たつもりが、四年もたっていたと」

「更に、浦島太郎より始末が悪いのは、それより前の記憶もなんか、あやふやで……」

「要するに、記憶喪失?それでも、朱里さんの事は覚えていたんだ」

 ミサキは頷いた。


 ただ単に、四年後の世界にジャンプしてしまった、というのなら、ありがちなタイムトラベル……いや、それだって、そうそうあるわけでもないけれど……という結論が妥当だ。だがしかし、ジャンプついでにしっかり四歳分年をとってしまっているというのは、どういうことなのか。四年間眠り続けていた、とか。……そういう話?

……いやいや、さすがに、病院で点滴でもしてもらってなければ、四年間飲まず食わずって、普通に死んじゃうでしょ……


「朝起きて、新聞見たら日付がいきなり四年後になってるし、身長も伸びてたみたいで、ドア潜ろうとしたら、思いきし頭ぶつけてさぁ。鏡見たら見たで、顔もなんか老け込んでるしっ。分かります?俺がどんだけパニクったかって。もう、なんじゃこりゃ~って絶叫するしかない、みたいな?」

 自虐的にそうまくしたて、ミサキが笑う。

 それにしても、このミサキという子は根っからの楽天家なのだろうか……

 ダーク・ブランカは話を聞きながら、そんなことを考えた。


 記憶喪失だと言う割には、深刻なところがなく、むしろ不自然なぐらいに明るい。ミサキには、まるでゲームを楽しんでいるような面持ちさえあった。もし、ランドメイアの話が出ていなければ、ダーク・ブランカは、ミサキの言うことなど信用しなかっただろう。

 それにしても、ミサキにランドメイアの存在を教えた“朱里”という少女は何者なのだろうか。ミサキの話をひとしきり聞いて、ダーク・ブランカが思ったのは、そのことだった。


……もしかして、この子が、紋章の持ち主なのかしら……


 ふと、一つの心当たりを思いつく。が、この件に関わっているのだとすれば、この子をここに寄越した理由は、恐らく一つだけだ。

「……相変わらず回りくどいことをするんだから」

 ダーク・ブランカがふと呟いて、苦笑した。ミサキが怪訝そうな顔をして、彼女を見た。そういうことなら、彼の質問に対する答えは、これしかない。

「行く先は、多分、ランドメイア…かな」

「えっ?」

「朱里さんの行く先よ。予言書が読めれば、もう少し上手な謎解きをしてあげられるんだけど……」

「自分で書いたんでしょ、これ」

「そう、書いたのは確かにダーク・ブランカだけど。……それって、かなり前の話だし、この世界じゃ魔法が使えないし」

「一体どういう……」

「魔法で封印してあるのよ。これはね、誰でも読めるって訳じゃないの。ダーク・ブランカの封印を、解くぐらいの魔法使いでないとね。帝国の未来が判ってしまう物だもの。当然でしょ?」

「大魔法使いよりもすごい人なんて、いるんですか?」

「ま、何人かはね。さてと、取り敢えず、彼女の行き先は判明したわよ。これで君の用件は、済んだわね?」

 ダーク・ブランカが、遠回しにミサキに退去を促す。ミサキは立ち上がりかけて、少し思案するように俯いて動作を止め、それから顔を上げて徐に言った。


「ダーク・ブランカ、俺をランドメイアへ連れてって欲しい」

 ダーク・ブランカは、ミサキの顔を見据えたまま、黙っている。

「どうしても行かなきゃならないんだ。記憶がないとか、四年分の時間が無くなってたとか、そんなことは、この際どうでもいい。だけど“朱里”のことは、このままにしておく訳にはいかないんだ」

「……どうしてそう“朱里”にこだわるの?」

 そう問うた彼女に、ミサキの声が言った。


「記憶は消えても、大事なことはちゃんと残ってる。頭で覚えたことじゃないからね。心が覚えているんだよ。そう……“朱里”の事だけは覚えていたんだ。その“朱里”がいなくなって、残された手掛かりがランドメイアへ繋がるっていうんなら、俺は、ランドメイアへ行かなくちゃならない」


 その真っ直ぐな瞳に、ダーク・ブランカはしばし見入っていた。

 “朱里”という少女が手掛かりを残していったという事は、きっと、ミサキに追いかけて来てほしいという事なのだろう。記憶がないと言いながら、このミサキには、大事なことがちゃんと分かっているのだ。

「これが、運命ってやつなのかしらね」

「ダーク・ブランカ……」

「分かったわ、契約成立。ただ、一つだけ、忠告しておくわ」

 ダーク・ブランカが、予言書の最後のページを開いた。

「実は、ここには、帝国は滅亡して、ランドメイアは世界から消える。と書かれているのよ」

「さっきは、これ、読めないっていいませんでした?」

「読んだんじゃなくて、さすがに、そんな大事な事は忘れようがないでしょう?それに、あたしが今ここにいるのは、その予言のせいなんだから。あたしは、そのランドメイアを救える、ある人物を捜していたのよ。あなたが行こうとしているのは、そういう場所なんだってこと、忘れないでね」

「覚えておくよ。ありがとう」

「どういたしまして」

 ダーク・ブランカは、ミサキの持ってきた紙切れを裏返すと、ある建物の名前を書き込む。

「……ここに、ランドメイアに通じる、があるから……」

 異世界につながる秘密の穴。ダーク・ブランカはその潜り方をミサキに教えた。

「それから、この情報の対価として、予言書は返してもらうけど、構わない?」

「まあ、もともとこれはあなたのものなんだろうし、構いませんよ」

 ミサキの答えを聞いて、ダーク・ブランカが紙切れを渡した。

「幸運を」

 そう言うと、ミサキは笑顔を見せて天幕を出て行った。まるで、未来は希望に満あふれているのだと言わんばかりの、とびきりの笑顔。そんなものを見せられて、胸のどこかがチクリと痛んだ。


 ミサキを見送ってから、ダーク・ブランカは残された予言書を手に取り、感慨深そうにページをめくる。滅亡を迎える帝国の混乱の中で、ミサキは朱里を探し出すことができるのか。それは分からない。そこに待つのはおそらく、楽しい旅になど、なろうはずもない道行。でもこれは、彼にとっては、きっと必要な一歩なのだろう。


 ダーク・ブランカは軽い溜息をつくと、引き出しから携帯を取り出した。

「もしもし?しーちゃん?来たわよ、彼、ここに。今、帰ったところ。契約は成立したから、後はよろしくね……って、いつも思うんだけど、こんなまどろっこしいことしなくたって、しーちゃんが直接、話を聞いてあげれば、それで済んだ話だったんでしょうに」

「……」

 電話口に返って来た返事に、ダーク・ブランカは苦笑する。

「はいはい、守秘義務ね。仕事のことは理解してるわよ。でも、三年も一つ屋根の下で暮らしてた子に、随分他人行儀なのね……って、思っただけだから、時雨しぐれ姉さん」

 お互いの仕事には、口を挟まない主義だが、切り際に、つい嫌味の一つも言いたくなる。この予言書の持ち主が、すでにのだということが、分かっていたなら、こっちの仕事の片は、とうに着いていたのだ。


 時雨から、メールが着信した。言い忘れたことでもあったのかと思いながら、携帯を見る。

……お世話になりました。布結姫ふゆきちゃんの魔法使いさんにも、よろしくね……

 その文面を見て、布結姫は、自分の仕事が終ったことに、初めて気付いた。

「そっか、今日で、魔法使いは、おしまいかあ……」

 仕事が終ったのなら、自分はもうダーク・ブランカではないのだ。被っていたベールを外して、ため息をつく。

「夢の中でいいから、お礼ぐらい言いに来なさいよね、あたしの魔法使いさん……厄介事が、片付いてからで、いいからさ」

 呟きながら、布結姫は人差し指で水晶球を弾いた。

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