モラトリアム少年とニート志望の魔道士 3
『朱里っ!朱里っ!』
馬車の窓に手を掛けて、ミサキがそう叫んでいるのが聞こえた。
「何やってんだ、やめろ、ミサキ!」
「この馬車を、インディラ・アディラ様のものと知っての狼籍か?」
シリウスが叫んだのとほぼ同時に、別の声が、それに重なった。女騎士サラが、一瞬の間に抜き放った剣をミサキに突き付けていた。
「……」
「なんの目的があってのことか。答えろ」
剣先を見据えて黙ったままのミサキに、サラが再度、問い掛けた。だが恐らく、彼女の言っていることはミサキには分かっていないのだ。シリウスはそう確信した。
何しろミサキは皇帝語しか解さないのだから。しかし、サラはどう見ても本気である。放っておけば、ミサキは殺されかねない。
『おいっ、ミサキ。なんでもいいから、早く謝れ。相手が悪い』
ミサキを馬車から引きはがし、シリウスが皇帝語でそっと耳打ちする。
『やっぱり、怒られてたのか。言葉は分からないけどそんな気がした』
ミサキは平然とした顔で、そう答えた。
『皇帝語なら、分かるって訳?さあ、言いなさい、あなた何者?何故、インディラ様の馬車を止めたの?』
サラは皇帝語が使えるらしく、そうミサキに問い質した。
『俺は、ミサキ。それ、退けてくれないか。剣を向けられるのは、好きじゃない』
『よせ、ミサキ……』
どう見ても、サラに対して挑発している様にしか見えないミサキを、シリウスが止めようとしたその時、馬車の中から少女の声がした。
「剣を収めなさい、サラ。ここはまだカーシア自治区。協定違反になります」
気が付くと、馬車の窓から少女が顔を覗かせていた。
「は、申し訳ございません」
サラは素早く剣を納め、その身を引いた。
ミサキはゆっくりと馬車に近付いて、少女に顔を寄せた。
『朱里。やっと見つけた。俺だよ、ミサキ。迎えに来たんだ。一緒に帰ろう』
ミサキの言葉に、少女は戸惑った顔をした。
『……どなたかと勘違いなさってるのかしら。私の名前はインディラ・アディラ……あなたは誰?』
……あなたは、誰?……
少女の問いに、今度はミサキの方が、戸惑いを見せる。
『朱里……まさか俺が分からないのか?』
そう言ったミサキの顔を、不思議そうに眺めていたインディラは、やがてゆっくりと首を横に振った。
『ごめんなさい』
インディラはそう言って、馬車の中に引っ込んでしまった。それを確認して、サラが御者に合図を送った。馬車がゆっくりと走り出す。
『朱里!待ってくれ。まだ……』
その馬車を追い、ミサキも一緒に走り出した。
『朱里!朱里!あ、か、り-っ!!』
ミサキの必死の叫び声にも、馬車はもう止まる事はなかった。そんなミサキに、馬上のサラが、冷めた目を向け、嘲笑しながら言う。
『インディラ様と話したくば、都まで追って来るがいいよ、ミサキとやら。ただし、都で会った時には容赦しないからね』
『ちょっと待てよ、おいっ、ミサキってば』
馬車を追って走り続けるミサキを、わずかに遅れてシリウスが追う。シリウスが後ろから声を掛けても、ミサキの足は止まらない。
『おいっ、このまま城門を越えて行くつもりじゃないだろうな。冗談じゃないぞ……とーまーれ、ミサキっ!』
城門の門番が、門に向かって走ってくるミサキ達に気付いて、手にしている槍を構え直すのが見えた。
「そこの二人、止まりなさい」
門番が叫ぶ声が聞こえた。
『止まれ、ミサキっ』
シリウスがそう言って、ミサキの肩に手を掛けるのと、門番がミサキを取り押さえたのと、ほぼ同時だった。
『離せよ。朱里を見失ってしまう……』
門の向こうへ顔を向けたまま、ミサキはもがいたが、馬車はすでに城門の向こうに消えていた。
『おやめなさい。彼女は過去を持たぬ者。今は追っても無駄だ』
不意に、背後から言葉が投げかけられて、少年達は振り向いた。
何時の間に現われたのか、黒いマントに身を包んだ若い男が二人の後ろに立っていた。
『どういうことだ』
ミサキが男のほうへ向き直りながら、問い掛けた。
『全ては、予言書の導くがまま……君の捜すお姫様に再会するために、君にはやらなくてはならないことがある、という事ですよ。ああ、自己紹介が遅れたね。私の名は、ランディス・フラーム』
『ミサキ、惑わされるな。奴は魔道師だ』
シリウスが、ミサキに注意を促した。
『おやおや、海竜族の魔道師嫌いは、相変わらずなんですねぇ。そんなことじゃ、都でやっていくのは大変ですよ。カディスは魔道師の都という異名を持つくらいなのに……』
笑いながらそう言ったランディスに、シリウスは心の中を見透かされている様な気がして、口をつぐんだ。
『俺にどうしろと?』
ミサキが真剣な顔をして、ランディスに聞いた。
『昔から、お姫様を救い出すのは、騎士だと相場が決まってるもんです』
『で?』
『騎士の資格を得る事が先決です。それには、騎士の証である剣を手に入れる必要があるんですよ。インディラ様はね、ある大事な役目を果たすために、そして、それに伴う危険から身を守るために、自分の過去を消してしまわれた。そうして、現在、この帝国を支える柱として、働いていらっしゃる。そのインディラ様をお守りするとなれば、君は、最強の剣を手に入れなければなりません』
『最強の剣?』
『それ即ち、剣の紋章の剣。帝国最高位の騎士に与えられるという魔法の剣。この剣を持つ者は、帝国最強の騎士になれるという代物』
『どこに行けば、そいつを手に入れられるんだ?』
『おい、よせ。ミサキっ。剣の紋章の剣だ?ふざけるなよ。魔道師のおっさん。あれはとんでもない魔剣だって言うぞ。ミサキが何も知らないのをいいことに、こいつに危ない橋を渡らせるつもりか』
シリウスの言葉に、ランディスは少し傷ついた様な顔をする。
『……おっさん、と言われるほど、年はとってないよ。リヴィウス家の放蕩息子』
『なっ……』
自分の出自をずばり言い当てられて、シリウスは絶句した。ランディスが更に畳み掛ける。
『口を挟むのは止めてもらおうか。私はミサキと話をしているんだ。これは、彼が決めることだよ。危険?そりゃそうだろう。帝国最高位の騎士になろうっていうんだ。簡単にはいかないだろうさ』
『いいよ。それで、朱里が取り戻せるなら……』
『朱里、ね。後から、聞いてない、なんて言われると困るから、確認しておくけど、インディラ様の封印された過去に、君がいるという保証はないぞ。仮に、彼女の記憶が戻ったとしても、それが君の言う、朱里って子だとは限らない』
『朱里だよ。俺が間違えるはずない』
きっぱりと言い切ったミサキに、ランディスは頷いた。
『いいでしょう。剣は帝国の北にある氷の神殿……闇と夜の女神、フィリスの神殿だよ』
『分かった。フィリスの神殿だな』
「お話し合いはお済みですか?」
気がつけば城門の監察官が腕組をしてそこに立っていた。門番の一人が呼んで来た様である。
「ええ。すみませんね、お仕事のお邪魔をいたしまして。サフィアス・リヴィウス卿」
ランディスがうやうやしく頭を下げて、後ろに下がった。
監察官がシリウスの正面に立って言った。
「父上のご心配がまさか本当になるとはな。シリウス。どういうことなのだ?これは」
「兄上……これはその」
「その若者は、お前の知り合いなのか?」
「ミサキっていうんだ。ちょっと事情があって……その……」
「ほう。事情がな……父上から
そう言いながら、サフィアスは懐から小さな金属のプレートと財布を取り出すと、シリウスの手に握らせた。
「……兄上?」
「通行証と、都までの路銀。父上からの言付かりものだ。都で士官するなら、ギース伯爵を頼りにしろと」
ギース伯爵家は都の大貴族で、シリウスの母の実家であった。突然に城門の向こうの世界に、シリウスの進む道が出来たのである。
「……それから、これを」
サフィアスが一振りの剣を、シリウスの眼前に差し出して、言った。
「ただし、いったん帝国へ足を踏み入れたなら、再びこの城門をくぐって、このカーシアへ戻ってくることはならぬ。それが父上のお言葉だ。その覚悟があるのなら、この剣を受け取れ」
「……」
それは事実上の勘当であった。呆然としているシリウスに、サフィアスがその肩に手を置いて続けた。
「……今ならば、まだ引き返せるぞ、シリウス。一週間後に出る、第二陣の商船隊に乗れば……」
カーシア。この美しい街と、永遠に別れを告げなければならない。父にも母にも兄弟達にも、もう会えない。そう考えると、シリウスの心は動揺した。
「……行く。都に行く」
シリウスは決心が鈍らないように、はっきりした口調で言って、兄から奪い取る様にして剣を掴んだ。
「シリウス……お前」
「父上に、お伝え下さい。シリウスは都にあっても、リヴィウス家の名を誇りにし、その名に恥じぬよう生きたいと」
「わかった。私には何もしてやれないが、お前の栄達を祈っている。がんばれよ」
「はい」
シリウスが深く頭を下げて挨拶したのを見て、ミサキが話しかける。
『どうなったんだ?』
『都に行く。街道から北へ回って、氷の神殿経由だけどな』
『一緒に来てくれるのか?』
『当然だろ。お前、危なっかしいし……それに、ミサキは身元が分からないから、通行証が貰えない。だから、俺の従者ってことにする』
『従者?』
『そう。だから俺の言うことは聞かなきゃいけないんだぞ』
『ふうん。ま、何でもいいや。神殿に行かれれば』
軽いノリのミサキに、シリウスは呆れ顔で言う。
『お前って、筋金入りの楽天家なんだな』
『目的重視主義なだけだよ。的が決まっているなら、最短距離で行くのが良いに決まってる。いろいろ考えすぎると、余計な回り道したり、道に迷ったりするだろ?』
『……そうだな』
こいつ、見掛けほど馬鹿じゃないな。ミサキの理屈に頷きながら、シリウスはそう思った。一体、ミサキという若者は何者なのか?シリウスは無邪気そうに笑うミサキに圧倒されながら、並んで歩き始めた。
城門を潜り、憧れの地へ足を踏み入れる。それだけで、シリウスの胸は一杯になった。
目の前には、新しい世界が広がっている。
少年は、ただ薔薇色の未来だけをその心に描いて、歩いていった。
インディラは馬車の窓から、横を走るサラの顔を眺めていた。夕暮れに緋色の髪が、オレンジ色に染まっている。その長い髪をなびかせている当人は、全く無表情で駒を進めている。
「怒っているの?サラ……」
「いいえ」
しかし、前方を見詰めたまま、そう答えたサラの声は不機嫌なものであった。
「ランディスが気儘なのは今に始まったことじゃないでしょう。そう、怒らずとも」
「怒っているんじゃありませんわ。ただ、少し呆れてますけど。人に仕事を言い付けておいて、仕事の中味を言っていかないんですから」
「私達が都に着く頃には、お戻りでしょう」
「……だとよいのですけどね」
サラはそう言って、風になびく髪を鬱陶しげにかきあげた。
インディラは暗い馬車の中で、うとうとしながら、昼間会った若者のことを考えていた。
「ミサキ……」
彼は自分を何と呼んだのか。
「アカリって……それが私の名前なの?」
彼は自分の何を知っているのだろう。
「考えちゃいけないわ」
もしも記憶の封印が解けてしまったら、ダーク・ブランカに過去の記憶と引き換えに与えられた、魔法の力が消えてしまうのだ。
「私はインディラ・アディラ。宰相様の書記官。ダーク・ブランカ様が戻られるまでは、インディラだわ」
心の中のミサキの影を消すように、インディラはそう呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます