モラトリアム少年とニート志望の魔道士 2

「だっ、旦那様」

「出港の手伝いもしないで、何をしているかと思えば。どう言うことだ、カシム」

「はぁ、あの……ただ申し訳ないと、そうおっしゃって……」

「あの放蕩息子が。海竜族が陸に戻って、何をしようと言うのだ」

 海にいればこその海竜族である。海竜族が富や名声を得られるのも海に出てこそ、である。


 ランドメイアは事実上、光族のカリディア帝国が支配している。光族の天敵とも言うべき海竜族の帝国での地位は無に等しい。事実、帝国貴族以上の実力を持ちながらも、都ではリヴィウス家は、地方の一豪族としてしか扱われていない。

「旦那様。私が次の寄港地から引き返します。次の商船に乗るように、きっと説得いたします。ですから……」

「構わぬ。放っておけ。あれももう成人したのだから、やっていることの始末は自分でつけよう。それよりカシム」

「はい」

口伝鳥くでんちょうの用意をしろ。恐らく、シリウスの行き先はカディスだろうからな。通行証を用意させておいてやる」

「……旦那様」

「私からのはなむけだ。留守ばかりしていて、父親らしいことを何もしてやれなかったからな。それに、リヴィウス家の者が城門破りでは示しがつかん。あいつなら、やりかねんぞ」

 やがて、主人の伝令を帯びた口伝鳥が、水平線の上に消えかかっている、カーシアの街に向かって飛び立った。カシムはシリウスの旅の無事を祈って、一人それを見送った。



 シリウスが海に飛び込んだのは、ミサキを港の雑踏の中に見つけたからだった。先のことなど何も考えていなかった。ただ、このままミサキが、彼の前から消えてしまうことが我慢できなかったのだ。

 まだ何も、何も聞いていなかったし、何も言っていなかった。

 それに……

「あいつ、あぶなっかしいしな」

 シリウスは、自分に言い聞かせるように言った。

「放っとけないじゃないか。ここのこと何も分かってないみたいだし」

 自分の行動に、あれこれと理由をつけていたシリウスだったが、ふいに、船を勝手に下りてしまったことに、少し後ろめたさを感じていることに気付いて軽く頭を振った。

「俺が、そう、決めたんだからな……」

 何があっても、後悔だけはすまいと思う。とにかく、ミサキを見つけ出すことが先決だ。全ては、それからのことだ。


 シリウスが岸壁に辿り着いた時、ミサキはすでに姿を消していた。しかしそんなに時間が経っているとは思わないから、それほど遠くへは行っていないはずだ。シリウスはそう思いながら、ミサキが消えた通りへ足を踏み入れた。そこは、帝国の都カディスへ向かう街道へと続く、カーシアの中央通りであった。




 港のバザールと反対側の岬には、都の貴族達の別荘が立ち並んでいる。カーシアは温暖な気候であったから、冬の間、避寒にここを訪れる都人は少なくなかった。しかし春も半ばを過ぎるこの時期になれば、ほとんどの貴族達は都へ帰っているから、この辺りでは、人影もない。

 その一画の、とある屋敷の入り口に、一台の馬車が止まっていた。

 今朝方、都からこの地を訪ねていたのは、宰相ラーラ・マルクスの第一書記官インディラ・アディラであった。彼女は、まだ十六だったが、現在の帝国で宰相に次ぐ肩書きを持っていた。宰相の代理としての用事を済ませて出てきたインディラに気付いた護衛の若い女騎士が、一礼して馬車の扉を開いた。

「インディラ様。お話は分かりますが……」

 インディラの後ろから歩いてきた若者が、書記官に問い質すように言った。

とおっしゃったのよ。ダーク・ブランカ様はね」

「だけど、もう半年だ。いくら魔道を使ってもこれ以上の延命は……」

「しっ、声が高いわ。魔道師ランディス。宰相閣下も手を尽くされているわ。とにかく、帝国を継ぐものが 見付からなければ、この国はこのまま滅びるしかないのだから」

「まいったなぁもう……ダーク・ブランカ様、どこまで行っちゃったんだろう……」

 ランディスは頭を抱えて呟いた。

「インディラ様、急ぎませんと」

 ランディスを横目で見ながら、インディラを待っていた女騎士が、急かすように言った。

「そうね。明日の日暮れまでには都に着きたいし。とにかく、ダーク・ブランカ様には、一度戻っていただかなくては」

「連絡取れるんですか?」

「私はそのための、代理です」

 きっぱりとそう言って、馬車に乗り込んだインディラに、ランディスはそれ以上何も言えなかった。


 自分より四才も年下の少女が、時折、妙に大人びて見える。半年前、インディラが宮廷に上がるまで、何処で何をしていたのか、誰もその素性を知らなかった。だが、彼女を書記官に推挙したのが、他でもないダーク・ブランカだったし、彼女の実力もまわりを納得させるに足るものだったから、そんなことは大して問題にならなかったのである。大魔法使いダーク・ブランカとは、この国では、それほどの影響力を持つ存在なのである。

「気のせいか……前にどこかで会ったような気がするんだよな……」

「ランディス、あなたも早く乗って。インディラ様がお待ちよ」

 傍らに立っていた女騎士が彼を急かした。

「ああ、すまない。サラ、都に戻ったら、四騎士を集めてくれ。やってもらいたいことがある」

「はい、司令官殿」

 にっこり笑ってそう答えたサラに、ランディスは、顔をしかめて、すかさず訂正した。

「俺はただの魔道師だ」

「でも、今は私達、太陽の四騎士の司令官なのでしょう?」

「人手不足だからね。ダーク・ブランカ様が戻ったら、さっさと解任してもらうよ。皇帝騎士団の精鋭、太陽の四騎士の司令官なんて、俺には荷が重い。魔道師長ってだけでも、憂鬱なのに……」

 そう言って肩をすくめて、ランティスは馬車に乗った。




 カーシアの市街を抜けて都へ向かう街道へ入り、更に小さな丘陵地を越え、広い平野へと抜ける辺りまで来ると、目の前に突然視界を遮る城壁が現われる。この辺りには、かつての光族と海竜族の幾度にもわたる戦いの折に、海竜族がカーシアの防衛のために築いた城壁が未だに残っていた。


 この城壁の城門をくぐると、帝国領である。

 今では皇帝の門と呼ばれているこの城門は、帝国の南側の入り口になっており、外国の使節をはじめ、多くの商人や旅人達がここで通行証を手にして帝国領へ入る。むろん通行証のないものは帝国へ入ることは出来ない。城門監察官の審査を受け、身元の不確かなものは即追い返された。

 外国の商人や旅人達も、母国の発行する身元保証書がなければ、入国が許されなかった。だから外国商人のほとんどは、カーシアで商いをするだけで帰国する。もっとも、カーシアまで来れば、ランドメイアのものは大抵揃ったから、外国の商人達があえて都まで行く必要はなかったのである。都へ行く商人といえば、カーシアで海外の商品を買い取り、都へ売りに行く海竜族の商人達が主であった。その商いも、カーシアの三商家と称される、大商家がそのほとんどを独占していた。


 シリウスがその足を止めたのは、その城門の前だった。ミサキを追ってここまで来てしまったのだが、どこかで追い越してしまったのか、まだミサキを見付けられずにいた。

「あいつはここから先へは、行かれないしな」

 開かれた門の向こうは帝国領である。幅にしてわずか数ミニオン(1ミニオン=約3.3メートル)の城壁だったが、それが隔てているものは計り知れない。

「あまりこの辺をうろうろしていて、あの人に見付かっても面倒だしな……」

 そうつぶやきながら、シリウスは踵を返した。

「街に戻って、もう一度捜してみるか。それから……」


……それから……どうしようか……


 仮に、ミサキが見付かったとして、その後は、どうしよう。ここに来て初めて、シリウスは自分が何も考えていなかったことに気が付いた。


 何かに引き寄せられる様に、後ろを振り返る。

 灰色の城門の向こうに見える四角い風景。

 幼い頃から何度となくここに来ては眺めた、見慣れた風景である。

 その風景の彼方に消えていく旅人達を見送りながら、思いを馳せていたのは……

「帝都カディス。カディスの皇帝騎士団」


 シリウスは幼い頃、父親に連れられて、一度だけカディスへ行ったことがあった。現皇帝ラディウスⅡ世の載冠式の時である。日頃は帝国各地に散らばっている、皇帝騎士団の騎士達が、その日、即位したばかりの皇帝に、忠誠を誓うために一同に会していた。

 皇帝軍の精鋭を集めて結成されるという皇帝騎士団の、華麗で颯爽とした雄姿は、載冠式に集まった人々を圧倒した。そしてそれは、憧れという色を添えて、まだ子供だったシリウスの心に、深く深く刻みこまれたのである。


 大きくなったら、皇帝騎士団に入る。

 そう心に決めて、眠れない夜を過ごしたのは、幾つの時だっただろうか。

 そして、その夢を忘れてしまったのは、幾つのことだったか……


「……皇帝騎士団か」

 シリウスは、その言葉の持つ響きを確かめながら、ゆっくりとつぶやいた。

「もうずっと、長いこと忘れていたな……」

 大人になったら、船に乗り、いずれは商人として、兄達のように親の片腕となり働く。それが、シリウスの考えていた将来だった。

 誰に言われた訳でもなく、カーシアに生まれ育った少年なら、ごく普通にそう考える。だが、今現実に、彼が居る所は、海上ではなく陸上なのだ。

「とにかく、あいつを見つけてからだ。後のことはそれから考えるさ……」

 そう独り言を言って、シリウスは城門に背を向けて歩き出した。しかし、数歩も行かないうちに、彼の歩みは止まってしまった。


 彼の視線は、前方からやって来る一台の馬車の脇に馬で伴走している女騎士、恐らく馬車の護衛なのだろうが、その女騎士の上で止まっていた。彼女の風になびく長い髪は、燃えるような緋色で、強い意思を秘めているような瞳は海のように青い。人目を引く端正な容姿であるのには違いないが、少年が見とれるほどの、とびきりの美人だと言うわけではない。

 シリウスが彼女に目を止めたのは、まだ少女の顔を持ちながら、すでに騎士の風格を備えた彼女に興味を持ったからである。カーシアでは、右に出るものはいないという剣の腕を持つシリウスであったが、その彼が見ても、彼女は相当の剣の使い手であるという気がしたのだ。

 丁度、彼女がシリウスの前を通り過ぎた時に、その腰の剣が彼の目に入った。

「……火鳥の紋」

 剣の柄の部分に彫られた紋章は、翔飛する火の鳥を模した火鳥の紋章であった。


 ランドメイアでは、剣にその家の紋章を彫り込む習わしがある。その剣の紋章を見れば、相手がどこの誰か分かるのである。また、剣の紋章とは、その出自と同時に騎士の位を示すものでもあった。

 火鳥の紋と言えば、リンクス家のものじゃないか。シリウスは心の中でそう思った。同じカーシアの三商家に挙げられている、リヴィウス家のシリウスにとっては馴染みの深いものである。

 とすると、彼女は……

「そうか、サラマンデル・リンクス……」

 本人に会うのは初めてだが、その名前だけは知っている。女だてらに皇帝騎士団に入り、あまつさえ、騎士団最高位である太陽の騎士の称号を持つと言う、女丈夫だ。

 そんなことを考えながら、シリウスが馬上の人を見送って、再び城門の方を振り返った時、シリウスの視界の端に人影が映った。

 反射的に、焦点をそちらに合わせた彼の目に飛び込んできたのは……

「ミサキ!」

 シリウスがミサキに気付いたとき、彼は女騎士の制止を振り切って、馬車に駆け寄ったところだった。シリウスはそれを見て、あわててミサキの元へ走った。



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