第12話 熊の書

 日本で最も汚らわしい存在は何か知っているかい。見るも無惨で、酷く醜く、まわりを不幸にすることしか頭にない最悪の存在だ。それが日本には古来から顕在化して、山や森に住んでいる。そいつらは恐ろしい獣であって、時として人間を襲い、人肉を食らう。そいつらはおそろしく知恵がまわり、知恵の神とされることもある。

 その獣は悪魔だ。この物語は日本の悪魔について書き記した書だ。日本人は元来、内向的で思慮深い。日本人は悪魔の血を引いているのだ。日本において知恵とは悪魔であり、大衆をたぶらかして支配する醜悪な権化だ。

 日本の悪魔について語ろうと思う。日本の悪魔は、これはもう何者かはっきりしている。熊野神社だ。紀伊山中に存在する「くまの神社」は、実は、頭に「あ」をつけて「あくまの神社」であり、日本の秘中の秘とされている。

 熊野は、修験道などが盛んな地域であり、彼らが何を求めて荒行をするのかわからないが、まずまちがいなく、日本の悪魔との対話を修行の中で行っているのだと思う。日本の悪魔は知恵なのだ。

 古来、日本に住んできた人間より賢い生き物、悪魔とは、知恵の化身、支配の象徴であり、ひとつの獣である。日本に縄文より古くから住んできた。その獣とはずばり熊である。熊、平仮名で書いて「くま」。日本には太古から熊が住み、日本人と混血した。それゆえに。日本人は熊の血を引いているのである。

 日本人は悪魔の血を引いている。熊野神社が神武天皇の東征に関わった神社であることから明白であろうが、天皇家は熊の血を引く悪魔の一族である。日本は悪魔を天子さま、天の子として祭って崇めてきたのである。

 日本は悪魔に支配された国だ。日本のクマは、獰猛で、町に出てきては人を襲う。しかし、元来、クマは山にこもり、知恵の研鑽をしている。クマで集まり、クマ会議を開いている。クマは始終、考えごとをしている。日本をどう苦しめて統治するかをである。日本はクマに統治された悪魔に支配された土地である。

 熊野神社は、イザナミの埋葬された土地だという伝承もあり、黄泉の国の支配者イザナミの土地である。だから、熊野は死のにおいがする。そんなもの、島根県にある黄泉平坂がイザナミの埋葬された土地ではないかというかもしれないが、古代の伝承は錯綜していてよくわからないのである。はっきりしているのは、悪魔の神社から天皇家が始まり、悪魔の神社を天皇家が大事にしていることである。

 クマは、日本の歴史を支配してきた。日本の歴史が動く時、必ずクマがいたといわれるほどである。日本が縄文の時代に王を決めたのも、クマによって選ばれた者が大王となったのである。簡単にいえば、天皇家が日本の支配者だと決めたのはクマたちである。クマは日本人を襲いながら、知恵によって大王家を傀儡して支配した。

 出雲の時代、大国主が国譲りをしたのはクマがそう勧めたからである。クマは大和の大王を傀儡して、出雲から日本の支配権を奪ってしまった。

 鎌倉武士が朝廷に反乱したのもクマが知恵を授けたからである。クマは鎌倉武士が西軍を打ち倒すのを喜んで見ていた。日本のクマは鍛冶ができるので、日本刀の鍛冶職人たちの親方はたいていクマである。

 足利氏が戦国の時代に突入して殺しに殺しまくったのも、クマの策略である。クマはその時、金山、銀山の採掘に余念がなく、日本人をかまってやる余裕がなかったのである。豊臣秀吉がクマたちと仲良くなり、豊臣秀吉は天下を統一した。徳川家康に天下が転がりこんだのももちろん、クマたちの会議でそう決まったからである。

 桂小五郎は、長州で知恵のあるクマに会い、明治維新を決意した。

 昭和天皇が外国を侵略したのは、クマがたまには外国の鮭が食べたくなったからである。侵略したせいで日本は占領され、日本人は苦しんだが、クマは平気だった。クマは日本に隠れ住み、日本政府を傀儡して人々の苦しみを楽しんでいるのである。

 このように、日本にはクマが住んでいて、悪魔によって日本史は作られてきた。悪魔こそ日本人の本性であり、日本人はクマの子孫である。

 日本の天皇家なんて何のことはない、クマの手下である。日本ではクマが知恵を司り、悪魔に魂をゆずりわたしたものたちによって上層部は動かされている。日本人として生まれて、まだクマを見たことがないというのなら、たいへんに危険である。日本の支配者はクマである。クマが知恵を司り、悪魔として人民を苦しめ、支配している。

 ああ、もうおしまいだ。日本は悪魔に支配されてしまった。悪魔が日本を食いつぶす。悪魔は非情で狡猾で、獰猛で乱暴だ。日本は悪魔の国だったんだ。窓に、窓に。クマがいる。おお。もうぼくの人生は終わりだ。悪魔によって食い殺されるのだ。この国ごと、悪魔に食い殺されるのだ。


 追記。

 日本に仏教伝来以前の悪魔は何であるかというのは面白い視点であるが、これではただの駄洒落ではないかといわれた。それで、仏教伝来以前の日本の悪魔はなんであったかというと、「荒ぶる神」と「まつろわぬ民」であるという。

 「荒ぶる神」は、古事記に曰く、「荒振神」であり、ニニギノ尊が天孫降臨した時に日本にそれまでいた出雲系の国津神たちを指して「荒ぶる神」だといったらしい。

 で、「まつろわぬ民」は、祭りをしない民であり、神社や朝廷の祭りごと、政(まつりごと)に参加しない民のことであるらしい。

 まあ、「荒ぶる神」も「まつろわぬ民」もどっちもクマのことだと思ってまちがいないだろう。


 追追記。

 かつて、クマが日本を支配していた頃、クマは火を起こし焼いて肉を食べた。

 日本でいちばん強い獣はクマだった。

 クマは悪魔だ。縄文人を支配していた。縄文時代はクマたちの時代だった。クマたちはいった。「この国をクマに明け渡すなら、クマは山籠りしてすごそう」。縄文人の大王はそれを引き受けた。日本をクマに譲渡し、クマたちには山籠りして暮らしてもらうことにした。

 日本を支配しているのは引きこもりのクマたちだ。クマは引きこもって知恵を研鑽して、あれから何万年もたった今、どれほどの文明を築いているのか想像もつかない。

 悪魔が引きこもり、悪だくみを練っているというのだが、はたして日本の未来はどうなるのだろうか。

 日本の若者よ。クマに会え。そのクマが隠し持つ秘密を解き明かせ。超古代文明がそこには眠っている。

 日本はクマの国、悪魔の国なのである。


 追追追記。

 あなたの悪魔の定義は何なのかと聞かれた。そもそも、日本神道に悪魔の概念はなく、「荒ぶる神」や「まつろわぬ民」が悪魔だというのなら、それは神と変わらず、悪魔を定義しなければ、日本の悪魔とはいえないというのだ。

 それでぼくは考えた。ぼくにとって悪魔とは何なのか。ぼくにとって、悪魔はだいたい決まっている。ぼくが悪魔の正反対に位置づける天使は、正義の象徴であり、ぼくにとっての正義とは、明確に定義できる。

 条件は二つある。一つは、プラトンの「国家」第一巻における正義が正義であるということである。それは、正しいものが損をして、不正なものが得をするけども、それでも正義を行い、正義を行うのは困難であるけども、正義を実行するもののことである。つまり、悪魔はその反対の、不正をして怠惰である存在のことである。

 もう一つの条件とは、正義とは、仏教では、目的に適ったものが正義であるということである。ぼくの目的は、世界人類を幸せにすることなので、ぼくにとっての悪魔は世界人類の幸せの邪魔をする存在である。

 まとめると、ぼくのとっての悪魔とは、不正をして怠惰であり。世界人類の幸せの邪魔をすることである。

 この定義の悪魔を日本の悪魔とすると、どうなるのかわからない。だが、とりあえず、クマは不正をして怠惰であり、世界人類の幸せの邪魔をする存在である。ということになる。


 そしたら、プラトンや仏教を根拠とするなら、それは日本固有の悪魔とはいえないのではないかとかいわれるから、いっておくけど。そもそも、古代日本で最も忌まれた禁忌など、悪魔ではなく、宮中の内裏(だいり)ではないのか。だから、天皇家がクマの子孫だということでちゃんと説明がつく。


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