第2話 民主主義といじめ
民主主義は数の多い方が正しいと思っている人がいくらかいるがそれはまちがっている。ルソーの「社会契約論」には全員一致の意見だけが民主主義で正しい意見として採用され採決されるとしている。
だが、民主主義の実用的な側面において、全員一致で決まることなどほとんどない。日本の国会でも、全員一致で決まることは数年における千回以上における議決において一回あるかないかであり、全員一致しないのに、民主主義は実用性を重んじて、数の多い意見を政策として採択していくのである。
つまり、立法府は正義ではない。多数決は正義ではない。民主主義において多数決が行われるのは実用性のためであり、道徳的に正しい採決のあり方というものを我々人類はいまだに知らない。
だから、いじめはまちがっている。子供たちは多数決が正しいと勘ちがいしていて、大人も同じように多数決が正しいと勘ちがいして、多くの者に嫌われるいじめられっ子が悪いと思いがちだがそれはちがう。民主主義とは少数派の意見を重んじるものなのである。
カントはすべての人々の欲望するところの共通したところだけを法律として定めて、民主主義の国を作れといったけれども、同じように、すべての人々の欲望の共通するところだけを法律としただけでは政府は機能しない。
そのため、民主主義は、ルソーやカントの主張とは異なり、正しくないけど、多数決で法律を決め、政府を運営しているのである。だから、多数決に敗れたいじめられっ子が悪いというのは民主主義における正義でもない。
また、ならばいじめられっ子が賛成した全員一致で決めたいじめなら正しいのかというとそれもちがう。魔法少女まどか☆マギカに見られるように、満願成就は正しい目標ではない。満願成就は楽園ではない。いじめられっ子が賛成しても、いじめてはいけない。
民主主義は実用性のために多数決で議会を運営しているが、民主主義は多数決を正義としているわけではない。
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