もう太陽が西に傾き山の峰に隠れようかという夕暮れ時である。

旅装姿の武士が山道を急いでいる。

武士=朝比奈正次は駿府より火急の用件で武蔵の国に向かう途中であった。


夜道を徹して急ぎたいところだがそこはなれない山道、

『もう少し登ったら、どこか野宿できるところを捜さねば……』

と、思っていた時である。

道の脇の木立の中から声がした。

「もし」


夕暮れ時は逢魔が時という。

それでなくてもさびしい山の中、人気のない場所から突然声がした。

正次は日頃より豪胆さにおいては人一倍を自認していたのだが、さすがにギクリとして足を止めた。

正次は油断なく刀の柄に手をかけながら問いかけた。

「何者じゃ?」


木立から現われたのはこれも旅装姿の僧侶であった。


「拙僧は旅の修行僧で天海と申します」

現われた僧はまだ若い。青年といったところだ。

『怪しい者ではないらしい……』

一瞬は安堵した正次だが、なおも油断なく問いかける。

「ここで何をしている? わしに何の用じゃ!?」

「これは、いきなりお声がけしてご不快に思われたら申し訳ありません」

天海は軽く頭を下げると、さわやかに微笑んだ。

「実は拙僧はこの山に化け物が現われる、という噂を聞きまして……」


青年は天台宗の僧侶だという。

やはり旅の途中でこのあたりで野宿をしようとしていたのだそうだ。

「旅は道連れと、申します。山を下りるまで、ご一緒できないかとお声をかけた次第で」

「お主、化け物が出ると知りながら、一人で山に登って野宿しようとしていたのか……?」

正次は僧の豪胆さに驚いたが、

「いえ、拙僧は大丈夫でございます。私は少々、妖怪退治もやっておりまして」

「なんと、妖怪退治……」

あまりに浮世離れした回答に正次はあきれたが、ふと思い当たった。

「すると、拙者に声をかけたのは、まさか拙者を守る為か!?」

「そうなります」

てっきり武士である自分に守ってもらいたいから声をかけたと思ったが……。

普通に考えればうさんくさい話である。

だが、ウソを言っているようには思えなかった。

正次は天海を信じる気になった。

「わかった。こちらこそ、ご同行をお願いしよう」


夏である。山中とはいえ、この日は蒸し暑かった。

「拙僧は何度かこの山に来た事があります。もう少し行けば川に降りられるところがあります。砂地もあるのでそこで野宿いたしましょう」

道々、天海がその『化け物』について語った。


「この山中に立ち入った旅人やマタギがよく狙われます。犠牲者はいずれも一人の時を狙われるようです。拙僧も何度か退治しようとこの山を探索したのですが、用心深いやつでなかなか姿を現さない。毎年十人あまりの人間が命を落としています」

「そんなにですか。して、何か化け物の仕業だという証拠でもあるのでござろうか。あるいは盗賊のたぐいでは?」

正次が問うと、もうあたりも暗い中、天海の目がキラリと光った。

「……首です」

「首、とな?」

「いずれの死体も首を後ろから噛み付かれて死んでいる。肉が抉り取られているのです」

「なんと、しかし、熊か山犬の仕業では……?」

天海は黙って視線を前に戻すとぼそり、とつぶやくかのように答えた。

「あれは、人の歯形です」

言うなり、天海はすばやく振り返った。

何事か、と正次も振り返った。

暗くなってきたが正次は非常に目がよく、夜目も利く方である。

目を凝らすと天海の視線の先は、風もないのにかすかに藪の笹が揺れているのであった。

『小動物でも通ったのか?』

と正次は思い、視線を天海に戻すと天海はもう歩き始めながら言った。

「気のせいであったかな。先を急ぎましょう」


しばらく歩くと、山中にしては広めの河原に出た。

この頃には日はすっかり暮れ、頼るは月明かりのみである。

大きな岩がごろごろしているが、砂地もありそこで野宿することとなった。

天海は手際よく小枝を集め焚き火をおこすと、

「ここなら見通しもよく、守りにはよいでしょう。交代で起きて見張りをしましょう」

「なるほど、心得た」

「少し、小枝を集めてきましょう」

天海は近くの木立の繁みの中に入って行った。

正次は火の番をしつつ、油断なくまわりに注意を払う。

天海の姿は繁みに隠れて見えないが、足音や枝を集める音は聞こえてくる。

あまり離れぬよう、注意しようとした矢先の事だ。

「おおっう!」

という悲鳴とも吼え声ともつかぬ声が聞こえたかと思うと、人がどさり、と倒れる音がした。

「どうなされた!?」

正次が繁みに飛び込むと、月の薄明かりの中に天海が倒れているのが見えた。

思わず、助け起こそうとかけ寄って気がついた。

「な、なんと!」

天海の首がない。

倒れている天海の体に……首がない、のであった。


正次があまりの驚きで呆然とした瞬間、

背後の繁みから大きな鞠のような『真っ黒いもの』が飛び出し、正次の首のうしろ、うなじをめがけて飛んで来た。

そしてそれは正次の左肩にがぶり、と噛み付いた。

「うおおおぉっ!!」

あまりの激痛に目がかすむ。

首に噛みつかれず済んだのは、正次が天海を助け起こそうと屈みかけていたところふいをつかれたせいで、バランスを失い倒れこんだからである。

なんとか、左肩に噛み付いている物を引き離そうと肩を見ると……それは、なんと『生首』であった。

ぎょろり、と目が合う。しかもこの顔は!


その時、背後の繁みからさらに何か飛び出してきた。

人だ。僧形である。その人物は声高に何か叫んだ。

信心深く仏の道に造詣が深い正次はそれが真言……大日如来の真言であると気づいた。

真言を唱え終わると同時に、ほんの一瞬、あたりが真昼のように明るくなった。

『生首』は、正次の肩から離れると宙に浮かび上がった。

そして、叫んだ。

「よくも、じゃましたなああああぁっ!!!」

人の声ではない。なにか化鳥のような不気味な響き渡る声である。

生首は叫び終わらぬうちに、僧形の人物に向かって飛びかかって行く。

それと僧形の人物が不動明王の真言を唱えながら錫杖を振り下ろすのが同時、であった。

正次は意識を失って倒れた。


正次は気づくと、河原の砂地に寝かされていた。

そろそろ夜明けのようだ。

左肩には布が巻かれている。

あわてて起きようとすると、傍らの人物に気がついた。

「かたじけない、拙者の手当てをしていただいたようじゃな」

先ほどの僧形の人物である。まだ若いようだ。

「化け物の妖気にあてられたようですな。もう大丈夫です」

「化け物はどうなりました? 拙者の連れの者は無事ですか?」

「その説明の前に……もう起きられますかな?」

正次が立ち上がると、僧は先ほどの繁みに連れて行った。

繁みの中には、天海の首のない体があった。

「その首の切り口をよく御覧なされ」

うながされた正次は、言われるままに切り口をみて驚いた。

まるで首など元からなかったように、皮膚でふさがりつるつるしている。

「一体、これは!?」

「それは人間の体ではありません。化け物…『ろくろ首』の体です。あなたはだまされていたのですよ」

僧はそう言うと、首のない死体の傍らに置いてあった昨日の化け物……『生首』の顔をこちらに向けた。

それは天海の顔、であった。


「ろくろ首とは夜になると、体から首が抜けて自由に宙を舞うという妖怪です。昼間は人と区別がつきません。そこで、一人旅のあなたをだまして自分の縄張りまで連れてきたのです。本来ならあなたが寝静まるまで待ってから襲うつもりであったのでしょうが、どうも私の追跡に気づいたようで事をいそいだのでしょう。私は遠くからあなた方二人連れを見て、かすかに妖気を感じたので、気づかれぬよう追って来たのですが……私が遅れたばかりにあなたに怪我をさせてしまい、申し訳ありません」

僧は深々と正次に頭を下げた。

正次はあわててそれを制しながら、

「いえ、命を助けていただいたうえ、手当てまでしていただいて恐縮至極、すべて自分の未熟さゆえ招いた事です。それにしても見事な法力、感服いたしました」

今度は正次が頭をさげながら、

「あらためて拙者、朝比奈正次と申します……御坊のお名前をうかがってもよろしいですかな」

僧は笑って答えた。

「拙僧は天台の僧、天海と申します」



(了)

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天海対魔伝 印度林檎之介 @india_apple

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