天海対魔伝

印度林檎之介

むじな


まだ、江戸に幕府ができる前、関東平野が開かれる前の話である。


街道を急ぐ旅装の僧侶がいた。

年は若い、青年といったところか。

傘をかぶり、手にした錫杖は鋼鉄製のようだ。

後の時代では、関東山地と呼ばれている一帯にある、山を目指していた。


目指す山のふもとには一軒の茶屋がある。

ここは、老夫婦が二人だけで切り盛りしている。

「これはこれは天海様。お久しぶりでございます」

店の親父は愛想よく挨拶する。

天海と呼ばれたこの僧は修行時代、このあたりの山々で修行をしていた事があり、親父は覚えていてくれたのだ。

天海は白湯を所望し、ありがたく飲む。

「今日はまた、どんな御用で?」

「この先の谷あいの村まで用がありまして。こちらで向かえを待ち合わせしておりまして」

天海は懐から書状を取り出すと、何度も読み返している。

しばらく待つと、峠の方から屈強な男がやって来た。どうやら猟師のようだ。

「天海様でございますか? 私は猟師の友蔵と申します。村長むらおさに呼ばれてお迎えにあがりました」

「これはこれは。では参りましょう」

天海は老夫婦に向かって挨拶する。

「ありがとうございました」

人のよい老夫婦も礼を返す。

「また、いつでも寄ってくだされ」


……その時、天海がぼそりとつぶやいた。

「尻尾がみえておりますぞ」

親父は怪訝な顔をした。

「はて、何かおっしゃりましたか……?」

「いやいや、ただの一人ごとじゃ」

笑った天海は別れをつげると、友蔵といっしょに山路を登る。


天台宗の僧、天海はこの先の谷の村の村長から書状で依頼を受けていた。

『村の者が山に住むあやかしに何人も食い殺されている。

それでも以前は数年に一人といったところであったのであるが、近年、被害が激しくなり今年はもう三人も食われてしまった。

村でも化け物に対抗するために村や近隣の猟師を動員し多数の鉄砲をそろえ、退治を試みた事もあるのだが巧妙に隠れてしまって出てこない。

もう、打つ手はなくなった。

どうか、天海の法力によって化け物を退治して欲しい。

考えるに、化け物の正体は……』


「友蔵殿も妖退治に加われたのでしょうか?」

「はい、しかし、こちらが人数を揃えている時や、備えている時……今、私は鉄砲をもっておりまするが……は決して化け物は現われません。非常に用心深いやつです。一人で山に登ると危ないですな」

友蔵は村の近況を語った。ほぼ、村長の手紙と内容は一致する。

話の途中で天海は何の気なしにつぶやいた。

「……尻尾が見えておるぞ」

友像は聞き返した。

「今、何かおっしゃりましたか?」

「いえいえ、暗くなってまいりましたな」

「ああ、ここを少し上れば、後はくだりです。いそぎましょう」


なるほど、ここ、山の上からはるか遠くの谷の村の灯が見える。

天海が『もう少しじゃな』と思った時、こちらに呼びかける声が聞こえた。


「天海様ではありませぬか?」

少し上ったところで老人が一人と村人が三人待っていた。

「これはこれは、村長むらおさ。ここまでいらっしゃるとは。天海殿をお連れいたしました。」

「友蔵、ご苦労だったな。天海殿には山の見張り小屋でお話する。お前は村に帰ってよいぞ」

友蔵が一礼して去った後、村長が挨拶した。

「あらためてご挨拶申し上げます。村長でございます。この度は高名な天海様に遠いところまで来ていただき、ありがとうございました」

「何の、これが拙僧の務めでございますから。して、見張り小屋とは?」

「はい、この前の空振りに終わった化け物狩りの際に建てたものでしてな。長旅の後で申し訳ありませぬが、一刻も速く退治に取り掛かっていただきたく、食料なども運び込みいつでも使えるようにしてあります」

要するに、化け物退治の前線基地というわけである。


村長と村人達はさらに山をかなり登ったところにある山小屋に天海を案内した。

深い山の中にぽつんと、ひらけた岩場があり小屋が立っていた。

八畳ほどの広さのなかなかしっかりしたつくりの小屋だ。


「ほほう、これはりっぱな山小屋ですな」

「どうぞどうぞ、お入りください」

入ると、釜戸ではすでに飯が炊かれており、ささやかながらの料理が皆の前に並べられた。

村長と天海が囲炉裏をはさんで向かい合い、村長の両隣に村人が並ぶ格好だ。

「まずは、腹ごしらえをいたしましょう」

「これはありがたい。早速いただきましょう……時に、村長殿」

「はい、なんでしょう?」


「尻尾が見えておりますぞ」


言われた村長の表情がサッっと変わったかと思うと、自分の背中を覗き込む。

そして振り向いた表情は悪鬼のようになっていた。

「尻尾など出てないではないかッ!!」

「正体を現したな、化け狸!!」

いうなり天海はパッっと飛び下がると、鋼の錫杖を掴むと片手で印を結び、大日如来の真言を唱え始めた。


一瞬、辺りが霞がかり、小屋の壁や屋根が半透明になっていく。真言によって、妖怪の幻術が打ち破られたのだ。

見る間に村人達の全身に毛が生え、獣のような唸りをあげて天海に襲い掛かってくるが、天海は錫杖の一撃で打ち倒す。

と、村長の体がむくむくと膨れ上がり倍ほどの大きさになった。

なんとしたことだろう……髪は伸びて振り乱し、長い牙まで生えている。

村長が吼えると、地面がぐにゃりと端からめくれ天海を巻き込もうとする。

天海は不動明王の真言を唱えながら村長に向けて跳躍した。

手にした錫杖を裂帛れっぱく気合とともに、村長の眉間に突き立てる!

『ギァアアアアッー!!!』

村長が地響きをたてて倒れ、辺りの景色が一瞬、グニャリと歪んだ。


気がつくと、十尺を超える大狸が口から舌を出してたおれていた。

この場所には元より小屋などなかった。

天海は八畳もある、大狸のふぐりの上に立っていたのである……。


天海は山を下り、村を目指した。すると山を登ってくる村人の一団があった。

友蔵が狸にだまされた事に気づき、村総出で天海の身を案じ来てくれたのである。

大狸の死骸を見て驚きあきれる村人達。

「私に化けるとは……恐ろしいヤツですな」

本物の村長は感慨深げに言った。

「天海様、本当にありがとうございました」

「なんの、村長殿の手紙に救われました。

あやかしの正体は化け狸であろう』との一文がなければ危ういところでした」

天海は村人達に狸を埋めさせ、手厚く供養した。


……山のふもとの茶屋である。

「これはこれは天海様。村への用事はお済になったのですか?」

にこにこ白湯を差し出す茶屋の親父。

天海はありがたく受け取って飲み干す。と、つぶやいた。

「尻尾がみえておりますぞ」


親父は怪訝な顔をした。

「はい? 今、何か言われましたかな?」

「ハハハ、いやいや、ただの一人ごとじゃ。

ご馳走さまでした。」


天海は愉快そうに笑うと、江戸をめざし街道へと降りていった。



(了)

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