第4話 失われた牛すじ辛スープ

 新宿は曙橋界隈、そのはずれに一軒の小さな居酒屋さんがあった。こぢんまりとしたお店で、ランチはリーズナブルだったので昼食時は毎日小さな行列が出来ていた。お店はマスターがメインで切り盛りしていて、ランチ時は海外留学生ぽいバイトが何人か働いて気がする。古い感じの居酒屋なのに少しだけ国際色がある、なんとも独特な雰囲気のお店だった。


 そこの名物メニューに「牛すじ辛スープ」があった。ランチ時は定食で、夜営業の時は一品料理として提供されていた。ハーフサイズもあり、他の定食に漬けることも出来たので、少し余分にお腹が空いている時はよく頼んでいた。


 料理そのものは文字通り「牛のすじ肉」が具として入った「辛いスープ」。味付けは塩と醤油がベースのあっさり味だった記憶がある。日にもよるがそこそこな辛さで、辛い食べ物に弱い人は汗をかなりかきながらせっせと食べていた。前日飲み過ぎて酒が残っている状態の時でも食欲をかき立てられ、また汁物なので食べやすく、辛さで汗をかくので酒を抜くのに重宝していた。呑みすぎた翌日のランチはかなりの確率でこれだった気がする。


 結構な辛さではあるものの丁寧に処理された柔らかいスジ肉と独特の味付け、辛いことは辛いがどこかまろやかな感じの辛みにファンは多かった。一度マスターに聞いた所、韓国産の唐辛子を使うのが秘訣だが入荷にばらつきがあるので確保が大変という話をしてくれた記憶がある。とにかく、他の店では未だに見た事も味わったことも類似のものさえ未だに見た事が無い。


 職場が変わりお店のある界隈にあまり寄る機会も無く数年が過ぎたある日、SNSのフォロワーさんがこの料理のことを話題にしていたので「もしかしてあのお店?」と聞いてみたら、やはりそうであった。ならば久しぶりに行こうと言うことで、二人して夜営業の時に久しぶりにお邪魔した。この時はマスター一人で営業をしていた。


 二人とも少し別の料理と、あとフルサイズの牛すじ辛スープでちまちまとビールなんぞを呑んでいた。この日は自分たち以外のお客さんが珍しくいなかったので、マスターも交えて色々と話をしていた。その時にマスターが「そろそろ引退して店閉めてもいいかな」とぼそっと言っていた記憶がある。


 それから一年後ぐらい、ちょっと用事がありその界隈に寄った所、お店には閉店の張り紙がしてあった。最後にマスターに挨拶できないのが残念ではあった。がマスターも高齢になっていたので仕方が無いな、と思いながら店の前を通り過ぎた。こうしてお気に入りのお店がまた一軒失われてしまった。のれん分け等の話も聞かないので、牛すじ辛スープも永久に失われてしまったのであろう。残念だが世の中諸行無常。また新しいお店を開拓すべく、飲み屋街に足を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る