第四話 I don't want to lose to that


今日の空は、雲一つ見られない小春日和だった。

気温も徐々にではあるが上がっており、そろそろ厚手の手袋も付けていかなくていいかな、などと思う程度には温かい。

少し風は冷たいが、その冷たさが今日の温かい陽気と程よく噛みあっていて心地いい。

自転車通学の俺にとっては嬉しいことだ。

向かい風でもなく、すいすいとペダルが回った。

教室に入ってもその温かさは衰えておらず、それどころか、人が多いせいだろうか、外よりも温かさを感じることが出来る。

窓から差し込む陽の光は、そこへ座るものを微睡の世界へ誘おうとしているのだろう。

事実、教室に入った時から、窓際の席の宏一は机に突っ伏していたし。

だが、俺は昨日の河霧さんとの勉強で頑張る理由を見つけたのだ。

こんな天気の中で居眠りなどかましている場合ではない。

今日は4月6日。今日から普通の授業が始まるのだが、授業とは言っても一年の頃の総復習。つまり今回のテスト対策のようなものだ。

我が巣坂高校の授業時間は、他校と比べると長い気がする65分。いつもなら集中力なんぞ持つわけも無く、必ず半分過ぎるかどうかの所で寝落ちする。

…が、今日の俺は今までの俺とは違うのだ。

新しく編成された文系講座で数学を受ける。

数学担当の先生はやはり、と言ってはなんだが去年に引き続き、矢巾先生だ。

いつも居眠りしては起こされていたものだが、今日は姿勢正しく授業を受ける俺を見て見直したのだろうか。驚いているのを隠し切れない、そんな表情をしている。

数学のテストは二種類あって、一つは基礎数学。これはいつも平均点が60点を超えるかどうかの簡単なテストだ。逆にいえば赤点、補修になる点数も他教科より高い。気を抜けない科目だ。

もう一つは応用数学。これが今回のテストの山場だろう。平均点はおよそ40点あるかないかを行き来している危険な科目だ。その名の通り、応用編の数学なのでよほど数学を理解していないと点数が取れない。数学が嫌いで文系を選択した俺のような奴らにとって、まさに鬼門と言ってもよいだろう。

俺は秋人に貰っている対策プリント、というか宿題をしっかりこなしたのである程度は基礎を理解できた。ただ、どうしても確立問題が苦手だ。

んで、今は確率の復習授業。

然るに、この授業をいかに理解するかに俺の命運がかかっていると言っても過言ではないのだが…


「牧野」


不意に矢巾先生から声をかけられた。


「あと梶」


同じ文系を選択し、同じ講座だった梶もまた真面目に授業を受けていた。目の下に珍しくクマがあるところを見ると昨日はもうホントにご愁傷さまって感じだったんだろうな。

その梶と俺を交互に見ながら矢巾先生は一言告げた。


「お前たち、保健室に行ってきなさい」


今まで寝てしかいなかった奴が急に真面目になったらこうなりますよね。わかります。



なんだかんだで昼休み。

さっきの数学の授業だけでなく、その次の現代文の授業でも、次の生物基礎でも同じことを言われたことは、最早新しい講座の伝説となってしまった。初っ端から新しい仲間に変な印象を与えてしまい、僕、とても心苦しいです。


「あっはっは!春也お前ホントに最高だな!」

「…うっせぇよ宏一」


教室の窓側に位置するホームルームでの宏一の席辺りでクラスメイトの机を借りてご飯を食べている。

席は窓際から名簿順なので、“近江(おうみ)”宏一はそれなりに名簿順は前の方だ。

というかこいつも俺と同じ講座だったんだな。

梶がいたからもしかしたらと思っていたが、名簿を見る限り5、6、7組の文系選択者は同じ講座なのだろう。

逆にいえば3組のアキちゃん、4組の秋人は隣の文系講座に配属となった。あの二人がいる講座とかなに?先生も逆にやりづらいと思うんだけど、どうにかならなかったものか。

多分、1、2、3、4組に比べ、5、6、7組には文系が多かったのだろう。

だからといって、そんなことするなら全部まとめてランダムに配置すればいいのに、とか思う。ホントに変なところでこの学校はおかしい。

まぁ周りがほぼ知っているメンツばかりだったのが救いだったかな。

そういう意味もあったのかもしれない。


「でもさぁ、去年までの姿勢と今日の姿勢を見れば、あの反応は当然だと思うぜ?なんなら俺も、こいつ熱あんのかな?とか思っちゃったし?」

「お前それはいくら何でも失礼すぎやしない?」

「当然の反応だって!」

「ったく…」


宏一は今日も相変わらずだった。

机に広げた母親特製の弁当をつまみながら、宏一にジト目を向けておいた。

そういやこいつ、昨日は何で帰っちゃったんだろう。せっかくなので聞いてみることにした。


「なぁ宏一」

「んー?」

「何で昨日帰っちゃったんだ?」


ビシィっと音が聞こえたかと思うくらいに、宏一の動きが止まった。

何だ、どうした。


「バイトっていうのも嘘だろ、うち禁止だし」

「ふぐぅっ」


おい何だこいつ、汚いな。食べ物を口に入れたまま咽ないでくれ。


「あぁ…それは、だな」


どうにも歯切れが悪い。

こんな宏一を見るのは長いこと一緒にいる俺でも初めてだ。

…いや、一回だけあったような……

あれは小学6年生の頃だっただろうか。

あの時は確か、クラスのまぁまぁ可愛かった子が好きになったときだったかな。

どうもその子を前にすると目を見れなくなって挙動不審になっちゃうっつって、よく相談されたもんだ。俺がそんなアドバイス出来るわけないっていうのに。

ん…まさか…


「宏一お前、まさか…」

「あぁ、そのまさかみたいだ」


マジすか。


「いや、だがこれはお前が思っているほどのものではない。これはいわば憧れだ」

「はぁ」

「何だ、その反応は!俺はあんなに綺麗な子を見たことが無い!その綺麗さに惚れ込んだんだよ!ん?いや、惚れ込んだわけじゃないな。とにかくすごいと思ったんだよ!」

「アーハイソウデスカ」

「気持ちがこもってない!さてはお前、分かってないな。恋と憧れは似て非なる存在だ!」

「知らねぇよ。どうでもいいし…」

「あぁん!?マジかお前…そこまでの存在だったのか、お前はぁ!」


あぁ駄目だ。こいつ完全にあの時と同じ面倒くさいモードに移行してやがる。

こうなった宏一は止まらない。

どうせこいつのそういった感情は長続きしないと思う。燃費が悪いんだよ、どうせ。

ほとぼりが冷めるのを待つしかないか。


「で、春也。昨日はどうだったんだ?」

「どうって…?」

「はぐらかすんじゃねぇよ!二人で勉強したんだろ!何かあったんだろ!?」

「何かってなんだよ…あるもなにも、ずっと勉強だよ」

「嘘をつくな!男女が二人で勉強して何も起きないわけがないだろ!」

「何も起きないだろ!むしろ何か起きるって考えがつくのが驚きだわ!」

「んだと!馬鹿の癖に!」

「あぁ!?なんだ聞こえなかったな!もう一回言ってみろよ!」

「「………………!!」」


二人して声を荒げて睨みあう。

しばらくやった所で…


「やめだやめ。こんな無意味なことしてどうすんだ」

「ホントだよ。無駄無駄」


少し周りの視線が気になるが、とりあえず怒りは収まった。

怒りというか、少し煽られたから乗っただけだったんだが、思った以上に声が出てしまったから、少々の申し訳なさが残る。

きっと宏一もそうなのだろう。顔を見れば分かる。

15年も一緒にいるんだ。これくらいには上手くやれる。喧嘩するほど何とかとかいうが、俺達はそもそも喧嘩まで行かないのだ。途中で両方が冷めてしまうから。ある意味楽でいい。


「それよりも宏一、数学教えてくれよ。確率がまだよく分かんないんだけど」

「いや春也お前、俺が数学嫌いなの知ってるだろ?」

「お前の場合、出来るけど嫌いなんだろ?苦手ではない」

「まぁ苦手意識はないけど…俺も確立はなぁ」

「んだよ。じゃあ誰かいない?出来そうなやつ」

「小見川クンに頼めばいいじゃん」

「今は昼休みだろ。わざわざ行くのは悪いかなって。あと、アイツに頼ってばかりなのもどうかと思って」

「へぇ、お前も考えてるんだな」

「これでもな」


まぁまだ言うほどアイツには頼っていないが、今朝見た感じだと疲れている様子だった。

昨日の用事と何か関係があるのだろうか。

ただ、そんな秋人に放課後見てもらう予定だし、今わざわざ教室に押しかけて「この問題教えてくれ」なんて悪い。

今はクラスメイトを頼りたい。


「でさぁ、誰かいない?数学が得意だったやつ」

「ん~」


宏一は考えてくれているが、俺も一応考えておこう。

クラス中を見渡してみるが、イマイチ、ピンと来ない。

とりあえず数学が得意な奴は大体理系に行っているはずだから、理系選択者を当たるのが得策ってところか?

となると、数学が得意だったはずの仲村か生田か。


「ん?」

「どった?春也」

「いや、仲村も生田も見当たらなくて…」

「あぁ、仲村は今日の昼休みに部長会があるって言ってたぞ」

「え?あいつって部長だったっけ?もう先輩いないの?」

「アイツの部活は特殊だからな。先輩なんていてもいなくても同じらしい」

「だから何部だって」

「SML」

「はぁ?」

「Susaka Mathematic Laboratory。巣坂数学研究所の略だ」

「何だそりゃ…」

「まぁいないものはしょうがないな。諦めろ」

「そうか…じゃあ生田は?」

「あいつはバスケ部の集まりがあるとかなんとか」

「マジかよ。救いは無いのか…」

「あれは?槌谷はどうだ?あいつは文系だけど確立得意って言ってた気がするぞ」

「なるほど。じゃあ行ってくるわ」


宏一の言う通り、クラスの真ん中あたりでご飯を食べていた槌谷の下へ駆けていった。

槌谷は俺と同じ文系で、やたらと社会が得意な生徒だ。

彼は別に数学が得意なわけではないはずだが、宏一が言うには確率は得意ということ。

……ホントだろうな。


「なぁ槌谷」

「ふん?」


ご飯を口に運んでいた槌谷に声をかける。


「あ、悪い。今大丈夫か?」

「今?別にいいけども…」


箸を置いて体をこちらへ向けてくれた。

やはりこいつはとっつきやすくていいわぁ。

とりあえず和んでいでもしょうがないので、件の質問をぶつけてみる。


「なぁ槌谷」

「うん」

「確率は得意か?」


…………………

変な沈黙が生まれた。

遠くで宏一が頭を抱えているのが見える。

え?何?なんかあった?


「は?確率?」


当の槌谷も眉間にしわを寄せて首を傾げている。


「うん。確率」

「また何で?」

「…あぁ、悪い。横から失礼するな」


後ろの方で頭を抱えていた宏一が困った顔をしながら近づいてきた。

どうしたんだ?


「ん?近江?」

「ごめんな。うちの春也が馬鹿で」

「ちょっと?なんで俺ディスられてんの?」


宏一は槌谷に向いていた体を後ろの俺の方へ向きなおすと、俺の肩に手を置いて一言言った。


「ごめんな。春也。お前がこんなにアホだとは思っていなかったよ」

「なんだよ…」

「うっせぇ!お前の情報伝達力がこんなに低いとは思わなかったわ!何だ今の!?急に確立得意?って、アホか!ボケか!春也か!」

「おい、春也は悪口じゃないだろ…」

「おーい…あの…」


槌谷が困った顔をしている。

一緒に食べていたやつらもなんか怪訝そうな顔で見ている。

あ、まずい。怪しまれちゃう…いや別にそんなやましい事は無いんだけどさ。


「あ、あのさ…」

「もういい。春也。お前はしゃべるな」

「ひどくね!?」

「で…近江。なんなんだ?」

「それがな、この馬鹿が何を血迷ったか勉強しているんだよ」

「おいこら」

「まじか…それは由々しき事態だな…」

「槌谷もお前何言ってんの!?」

「それでな、このアホがどうしても確立が理解できないっつってなー。槌谷確か確立出来たよな?」

「あぁそういうこと?でもなぁ…」

「だめか?」

「俺だって数学の中じゃ確率が出来るってだけで、他の奴から見れば平均あるかないかだぞ?」

「それでもいいんだ。俺はもう数学はからっきしだからさ」


宏一の説得に槌谷は悩んでいるようだ。

それよりも宏一と槌谷にすごい勢いでディスられてたのが地味にショックなんですがその辺どうお考えですか?お二人さん。


「いやでも、やっぱり俺には荷が重いな。ましてや牧野の勉強を見るのは」

「なんなの?二人とも俺が嫌いなの?」

「そういうことじゃなくてさ。聞くならもっとちゃんとした人に聞いた方がいいだろ?」

「ん…まぁ…」

「それならさ、先生の所に行ったらどう?」


槌谷から思いがけないアドバイスが飛び出した。

なるほど。確かに数学担当の先生に聞きに行けばそれはもう確実だろう。

しかし、数学研究室かぁ…

他校も同じだろうが、高校まで来ると所謂職員室などというモノは無く、各教科の研究室という名で、担当教授の居場所が割り当てられている。

数学担当の先生がいる数学研究室は新校舎と旧校舎をつなぐ連絡廊下の一階だ。

ただなぁ、怖い。

別に矢巾先生が怖いわけではなくて、野球部の顧問の村島がいるんだよな。

去年の姿勢で何かと目を付けられてるから、あまり近づきたくはないんだけど…

しょうがないか。


「さんきゅ、槌谷、宏一。じゃあ一応数研に行ってみるよ」

「あぁ、健闘を祈る」


槌谷が親指を立てて笑いかけてきた。

なにその笑顔。怖いんですけど。


「待て、春也。俺もついてく」

「宏一も?なんで?」

「俺も聞いておきたいからだ」

「なるほど」


本当に宏一はちゃっかりしているなぁ。

時計を見ると12時30分。

昼のホームルーム開始が1時だからそれまでに帰ってこないとな。


「じゃあ、行ってくるよ」


手に数学のテキストを持って、数学研究室へ向かう。


「牧野、良い奴だったよ。どうか幸せになって欲しいな…」


どこか遠い声で槌谷が何か言っていたが、聞かなかったことにしよう。

だってアレ、死亡フラグでしょ?




教室がある新校舎二階を出て、数学研究室がある連絡廊下へ向かう。

昼休み真っ最中だからか、廊下に人影はほとんど見られなかった。

見られたのは部室でいつもご飯を食べている野球部か、その部室棟へ向かう何部か分からないが、その類であろう生徒くらいのものだ。

旧校舎には主に一年生が授業で使っているが、何故か一部理系の生徒も使わされている。

俺達の部室、とは言ってもただの空き教室なのだが、3年生の理系選択者の授業で使われている。

とは言っても、今回の目的地は旧校舎ではなく、数学研究室だ。

件の研究室がある連絡廊下は一階から四階までのどこにも通っており、それぞれ各階に広い会議室のような教室が置かれており、授業だけでなく、演劇部などの部活でも使われていたりと、凡庸性が高い。数学研究室は一階だ。ちなみに向かいには冬場用の灯油置き場があるので、爆発しないかな~とか思わなくもない。あ、冗談ですよ?


「しっかし数研かぁ~久しぶりに行くわ~」

「呑気だなぁ…お前…」


宏一を連れ立って歩いているが、やっぱり何でついてきちゃったの?こいつ。


「でもな…矢巾先生はともかくとして、監督が怖いわ」

「なんだ春也。お前村島センセなんか怖いのかよ」

「宏一は怖くないのか?」

「怖いよ」

「なんだそりゃ」

「ただ、お前ほど目を付けられてないからなぁ。そういう点では怖くないかも」

「はぁ…」


監督こと村島先生は、その異名の通り野球部の監督だ。

野球部員は皆が恐れる鬼の教師だが、一般生徒にもその厳しさは衰えを知らず、持ち前の声量で多くの生徒から畏敬の念を抱かれている。

いやまぁ、基本的に善人だとは誰もが分かっているのだが、それでも恐れを抱かずにはいられない。

特に俺とかは、去年の度重なる数学研究室への出頭命令を経て、直接授業は持っていないがヤバい奴と認識されているようだ。


「はぁ…億劫だ…」


とか考えている間に数研の前に来てしまった。

この教室、来るときは大体呼び出しくらう時だから、もう無意識のうちに構えてしまう。つか俺が悪いんだけどね。


「入んないの?春也」

「いや、もうちょっと心の準備をしてから」

「なんだそりゃ」


一度、深く深呼吸をする。


「よし、行こう」


そして意を決し、数研の引き戸を開ける。

さて、どうなる…?


「失礼します、2年6組の牧野春也です。少し分からないところがあって…」

「ん、牧野か。ちょっとこっちに来な」


入るや否や、やはりマークしていた監督に捕まった。

何故だ、いや、俺は何もしていないんだ。やましい事は何一つしていないのだから胸を張っていればいい。


「何ですか?」

「お前今日おかしかったらしいじゃないか。真面目に授業を受けるなんて」

「先生、それは日本語がおかしいと思います」


じゃあどうしろというのか。

どう説明したものかな、と思っていたところで、後ろから宏一も入ってきた。


「あぁ、それは俺が説明しますよ」

「おぉ、近江か。久しぶりだな。珍しいじゃないか」


ここで近江宏一の説明タイムが始まった。

何で、こいつは俺に説明させてくれないんだろう。そんなに俺は信用が無いんだろうか?


「ほう、牧野が自分から分からないことを聞きに…ねぇ」

「でしょう?自分の領分を弁えろって感じですよね」

「おいこら宏一」


宏一はこんな軽口をたたくが、内容としては間違ってはいなく、監督もなんとなく察してくれたようだった。

しかし、ここでなんとなく感じていた違和感がここで確信に変わる。


「あれ?あそこって矢巾先生の机じゃありませんでした?」


横側を指さして質問する。

確かあそこは去年、矢巾先生が使っていたはずの机だが今は別の先生が使っている。

何回も去年呼び出された先だから、間違えるはずがない。

そもそも先生を間違えるはずがない。只でさえ矢巾先生はキャラが強いのだ。背が高くてかなり体格のいい先生だ。学生時代は陸上競技で国体に出ていたらしいし、屈強な肉体を持つ彼を見間違えるなど、明らかな眼の病気だろう。


「あぁ、知らなかったのか?矢巾先生は今年から3年生の進路指導の先生になったから、しばらくは進路指導室に行っているんだ」

「へぇ、そうだったんですか…」


そういえば矢巾先生は3年生の担任だったか。なら進路指導をしていても納得だ。

しかし、そうなると矢巾先生に聞くはずだった俺の計画が総崩れだ。

マジかぁ…

仕方あるまい。


「仕方ありません。監督。確率教えてください」

「お前な…話の流れって知ってるか?」


はぁ…と軽いため息をつく監督と頭を抱える宏一が見える。

何だ?今なんかしたか?


「春也…お前はやっぱり春也だな…」


宏一が肩に手をポンッと置いた。

その目は何故か今までにないほどに慈愛に満ちていて、その、正直気持ち悪かった。


結局…宏一がまたしても監督に説明をし、結局監督に確率の基礎的部分を教えてもらった。

時間が無かったが、それでもある程度理解が及んだのはやはり監督の教育能力の高さの賜物だろう。

この人、やっぱり頭は良いし、教え方も上手いんだよな。

隣で宏一もフンフンと頷いたりしていたので、まぁ来てよかったかな、とは思う。

結果、俺達は昼のホームルームまでの時間、監督にみっちり確立を教えてもらった。

これで、基礎数学はそれなりな点数が期待できるかな?

残りの復習は今日の秋人との勉強で補えると思うし、問題の応用数学を何とかすることだろう。

あれマジでどうしたものかな…

今日秋人に相談しよう。




「はぁ~…終わった」


金曜日、全5時間授業を終えた。これは学生ならばみんな共感してくれると思うのだが、休み明けの最初の授業日って変な感覚あるよね。これまでどうやって授業受けてたっけ?って感じの。

ましてや、俺みたいな突然まじめに授業を受け始めた奴は上手いペース配分というやつを出来ず、常に頭フル回転させてしまうので疲れもヤバい。

頭が良い人って、きっと授業を受ける時にも上手く息抜きしているんだろうな。

じゃないと絶対に無理だわ。ウチの高校みたいに65分も授業やると集中力がもたない。どこかで上手いことやっているはずだ。秋人に聞いてみよう。

それはさて置き、五時間目の授業が終わったら今度は掃除だ。

長野県には古くから続く“無言清掃”なる風習があるのだが、残念ながら高校生にもなるとそんな風習は息をしていない。話しながら何となく掃除しているのが現状。

だって小学生とか中学生の時の無言清掃は本当に気まずかったからね。

無言で15分も掃除していたら、気がおかしくなるんじゃないか、とかも思うんだけどこれは歴史ある?風習だからしょうがない。

掃除場所はクラスごとに割り当てられており、我らが2年6組は教室、教室前の廊下は勿論、週替わりの外掃除、理科研究室、トイレの五か所を割り振られている。

各クラスに40人くらいいるので、それぞれ8人くらい担当者が出来る。その8人は名簿順なので変更が無い。

以上のことから、俺は教室の掃除を割り振られていた。

よくわからないって?俺もよくわからないから気にするな。


「ふぅ…やっと半分か…」


椅子が乗った机を教室の後ろ側にまとめて箒を掃くこと五分、ざっくりとだが一応前半分は掃除終了。

というか、何が悲しいってね?俺の名簿番号は35番なんだけども、名簿番号33~40までの人で男は俺一人なんです。寂しい上に激しくアウェイ感。

さっきも言った様に、名簿順は変わることないし、掃除要員の入れ替えも無いので三年間掃除はこの感じでやる羽目に…俺が何したっていうんだ。


「ねぇねぇ」


肩を不意に叩かれた。

女生徒に話しかけられたら、何故か知らないが少し身構えてしまう。

俺は肩越しに首だけ回した。


「ん?」

「やぁやぁ、おっす」


槙野美香。

梶と仲の良い三人組の一人だ。何でここに居るんだろうと思ったが、名字の漢字が違うとはいえ、同じ“まきの”なのだから名簿番号で決まる掃除場所が同じなのは当たり前だろう。

しかし、こいつから話しかけてくるのは珍し…くもないか。割と話しかけてくる方だもんな。


「何だよ…マキ」

「いやぁ、なんか面白いことやってるらしいからね」


これは割とあるあるかもしれないが、自分と同じ苗字の異性ってどう呼べばいいか迷う。

俺の場合、普通に「槙野」って呼ぶのはなんか気持ち悪い。自分が人から呼ばれるのと同じ呼び名で他人を呼ぶのは、なんかグルグルする。所謂、ゲシュタルト崩壊というやつだろうか。

その結果として、槙野のことは“マキ”と呼ぶことになった。

ついでに言うとあっちは問題なく牧野君と呼んでくる。図太いな。


「面白いこと?」

「そうそう。陽夏が頑張ってるじゃん」

「…それの何が面白いんだ?」

「またまた、牧野君も頑張ってるんデショ?あの6組のアホの双頭が勉強してるって少し話題になってるよ」

「え?待って?なにその異名。初めて聞いたんだけど」


そもそも話題になっているのも知らなかった。

でもまぁそりゃあそうか。あの問題児共が途端に勉強に目覚めたってなったら、それに至る経緯を知らない人はびっくりするわ。なんなら俺もびっくりする。

その異名も少し残念だ。誠に遺憾である。


「でさでさ、この勝負で勝ったら何か一つ命令できるんでしょ?」

「そうだけど…なんでそんなに知ってるん?あ、梶か」

「うんうん、その通り。で…牧野君は勝ったら何を命令するつもりなのかな?」

「は?いや、考えてないけど…」


そもそも勝った後のことを、勝つ前から考えていたら足元を掬われかねない。

勝った後のことは勝った後に考える。最初に俺はそう決めたのだが。


「やれやれ…牧野君は今回の勝負、やる気あるの?」

「いやあるけど…なんでアンタにそんなこと言われなくちゃいけないの…」

「陽夏、頑張ってるよ」


途端に声色を変えて、俺の目を覗き込んでくる槙野。

確かに、梶も頑張っていないはずがない。

それは誰の目にも、俺の目にだってそう映っている。だって俺の相手だから、そんなことは分かり切っている。

だが、俺なんかよりも、何倍も梶と一緒にいる槙野が言うと何故だろうか、異様な説得力がある。


「大体、陽夏は牧野君と話すのを我慢してまで勉強してるんだからね」

「あぁ、道理で最近大人しいと…」


確かに最近、梶と会話をしていない。とは言ってもまだ2日間だけなのだが、これまでのことを考えるとこれは珍しい。部活も同じということで、ほとんど毎日のように話していたから今の梶は、よほど集中して勉強しているか、そんな余裕も無いくらいなのだろう。

というか、もう2日間も話していないことに驚きだ。そういえば全然話してなかった。俺も気づかないなんて、それなりに余裕が無かったのかもしれない。


「でねでね、何が言いたいのかっていうと…牧野君もなにか勝った時のことを考えた方がいいんじゃないかなって」

「それか…俺は今はそんな余裕は無いんだ。勝った後のことは勝った後に考える」

「じゃあじゃあ言い方を変えようか。勝った後のことを考えておいた方が、モチベーションが違うと思うよ」

「…どういうこと?」

「はいはい、そんな怖い目をしない。つまりね、勝った後の具体的な報酬、まぁこれは命令だね。それを考えておいて、それを叶えるために勉強するの。ただ漠然と勝つってだけじゃあいつかモチベが下がっちゃうよ?」

「……そういうもんか?」

「そうそう。その願いを叶えるために勉強を頑張るの。なんかロマンチックじゃない?」

「お前は一度ロマンチックを辞書で引いてこい…」


仮にも俺は昨日、河霧さんから鼓舞を受けて、それを糧に勉強している。

結論には成りえないが、理由は貰ったのだ。

今はそれで十分だ。


「何度でも言うけど、俺は勝った後のことは考えない。負けないために勝つんだ。それ以上もそれ以下も無いんだよ」

「ふむふむ、自分の意見は曲げるつもりはないと」

「まぁ、そうなるな」

「ほうほう…」


槙野は何度か頷いて、腕を組んだ。

上にある手の指で、腕をトントンと叩きながら数歩歩いて俺の方を振り返る。

その顔は、まるでこれから悪戯でもするかのような幼さを残した笑顔だった。


「ならなら、一つだけ言っておくね。牧野君」


槙野はそう言うと、先ほどとはとても違う笑顔を顔に表した。

その顔からはさっきまでの幼さはどこへやら。まるで何かを孕んでいるような不敵な笑顔だった。

俺に背を向けると、組んでいた腕を下ろし、またしても振り返ったかと思うと俺の横を通り過ぎた。

そして通り過ぎる瞬間、彼女の声が俺の耳に囁かれた。


「そんなんじゃあ、今の陽夏には勝てないよ」


「…!お前…」

「ほらほら、牧野君。早く掃除終わらせないと」

「あ…あ、あぁ」


言われるがままに、俺は掃除に戻った。

戻ると言っても、俺達が話している間にほとんど掃除は終わっており、残りは机を元に戻すだけだ。


【そんなんじゃあ、今の陽夏には勝てないよ】


槙野の声が未だ俺の耳に焼き付いている。

そんなん、とはどういうことだろうか。勝った後のことを考えていないことだろうか。

だというなら、梶はおそらく勝った後の命令を既に考えているのということ。

その命令の為に、今は死に物狂いで勉強している。


知ったことか。


相手がどうであろうと、俺は俺のやり方を貫くだけだ。

梶がこうだから、という理由でどうということをする必要も無い。

机を運ぶ。

この机は…梶の机だろうか。

間違いない。確かこの列の前から三番目は梶の席だったはず。

……重い。

去年までのすっかすかだった梶の机とは大違いだ。

本当に頑張っているのだろう。

なら、俺だってそれ以上の努力をするだけだ。

遠くで槙野が見ている。

その目は、「どうだ、うちの陽夏の頑張りを痛感したか」とでも言いたげな眼だ。

あぁ、とても痛感してるよ。槙野がそんなに言うなら本当に頑張ってるんだろ?


尚更、負けられないじゃないか。


椅子を下ろし、放課後のホームルームを始める準備をする。

他の掃除場所に行っていた皆が帰ってきた。

よし、あと今日を入れて5日。

頑張ろう。




「ってことがあってさぁ…」

「なるほどな」


時間は過ぎてもう空は日が傾き、蒼く濁った黒色がキャンパスを染めている。

時刻は6時。昨日河霧さんと帰った時刻だ。

今日もしっかりと勉強が出来た。

放課後に秋人に教えてもらいながら数学を確認、そしてよくわからなかった範囲…確立も昼休みの監督のおかげもあり、それなりに理解できるようになった。

秋人の持っている数学問題集を今日は主にやったが、範囲である“数と式”、“二次関数”、“三角比”、“確立”、“図形の性質”は概ね合格点を取れるようになった。

勉強を始めて3日でここまでできれば上出来だろう。と秋人も褒めてくれた。

ただ、秋人曰く、


「確か確立と図形は選択でどっちかだから、好きな方を重点的にやった方がいいな」


とのこと。

とはいえ、俺は両方ともそんなに好きじゃない。確率はアレだし、図形は綺麗に図が書けない。

結局のところ、計算と理解が出来れば何とかなる確率を重点的にやることになった。

これであとは、日常的に秋人から(渡されたのは河霧さん)渡された数学プリントをやっておけば大丈夫だろう。基礎数学はきっとそれなりな点数を取れる。

目標は基礎数学が80点、応用数学が60点だ。

これだけ取ればそれなりな順位がでるだろう。

まぁ基礎数学はともかく、応用で60点をとるにはまだまだ足りない。

もっと実践問題を解かなければ。

数学は計算力も大事だが、経験値も求められるとのこと。一度解いたことのある系統の問題ならば、解けないことは無いが、初見の問題は解くのが難しい。

よって、今日はたくさんの問題を解いたのだ。

因みに部室はまた梶が缶詰なので、図書館へ行った。


「ふぅん…まぁお前はあと英語と国語だな」


秋人は目の前のメロンソーダをストローで飲んだ。

今俺たちは、学校の近くにある桃のマークのあのファミレスに入っている。

この時期、6時以降は校内に残ってはいけないという謎ルールのおかげでこうなっています。めんどくさい。


「そうだね。でも英語はともかくとして国語ってどうすればいいの?」

「そんなに焦るな。そのための作戦会議だろうが」


そう、今学校を出ても帰らず、近くのファミレスに入っていたのは明日、明後日の予定を決めるためだった。

明日から土日なので学校は無い。

となると、このままだと俺は一人で勉強する羽目になってしまう。

それはヤバいということで秋人を交えての作戦会議なのだ。


「休日はうちに桜がいるからな…ちゃんと勉強できるか怪しいし」

「あぁ、桜ってお前の妹だったか」

「うん、母さんはまだしもあのバカがいるとまともにペンが握れねぇ」

「そんなにか…」


桜とは俺、牧野春也の妹だが何かとちょっかいをかけてくる万年小学2年生みたいな奴なので、そいつが家にいる以上、我が家は案から外れる。


「秋人んちは?」

「お前…うちまで来たいのか?片道で40分以上はかかるぞ?」

「えぇ…面倒くさいな」

「だろ?…となると無難に学校の自習室を使うか…」

「まぁそれが一番無難だね」


わが校は一応進学校を自称しているため、それなりに学習環境は整っている方だ。今回のようなテスト期間中でなくとも、常に自習室というか、空き教室が解放されている。まぁだから俺たちが休日に学校に集まれるんだけど。

ただ、自習室を使う上で問題が一つ。


「でもあそこって三年生ばっかりなんだよなぁ」


基本的に二年生は自習室なんてものを使う意識の高い生徒は稀だ。そういうやつでもあまり学校には来ず、自宅か近くの図書館に行く。因みに俺は図書館は嫌いだ。トイレが近くなるから。


「そんなの黙ってれば分からないだろ。気にし過ぎだ」

「そうかなぁ」


まぁ集中してれば分からなくなるか。

きっと周りの先輩も余程のことが無い限り気にしないはず。

…はず、だよね?

そうだろう。きっと。


「じゃあ明日は学校に9時な」

「9時かぁ。起きられるかな…」

「起きろ。というか毎朝7時には起きろ。頭がフルに働くのは起きてから2時間後だからな」

「善処するよ」

「…頼むぞ、おい…」


秋人が不安そうに俺を見ながら、メロンソーダを飲む。

まぁ朝は弱い方ではないのだが、休日のパターンで何度寝かしてしまうことがあるので気を付けなければ。

しかし、一応決まってホッとしたのか、少し小腹がすいた。

まだ時間はあるし、何かつまもうかな。


「ねぇ秋人。俺少し腹減ったから何か頼んでいい?」

「別にいいけど…何で俺の許可が必要なんだ?」

「帰るかと思って」

「まだ、全然大丈夫だから気にすんな」


と、秋人の許可?も得たので何か注文しようと思う。

何がいいかな、とは言っても俺はここではいつも炒飯しか頼まないんだけど。

あれ頼めばしばらくはスープバーで何とかなるし。

じゃあ、決まった所で呼び出しボタンを押そう。

押すとすぐに店員さんが現れる。早くね?押してから五秒くらいだよ?


「はい、何でしょうか」

「すいません、炒飯一つ下さい」

「炒飯ですね。かしこまりました」


ふう。これでしばらくすれば炒飯がやってくるだろう。

小腹も空いたが、決めるべき明日の予定も決まった。

とりあえずこの炒飯を食べてから家に帰ろう。

と、そこで店の入り口に二つの人影が。


カランコロン


「あぁ~ホントに疲れた~」

「ふふ、でも陽夏ちゃん頑張っていますよ。今日は何か甘いもの食べましょ」

「あ、いいね!…って、ん?」


…誰か入ってきたと思ったら、それはとても見たことのある顔でした。


「お、おう。梶、アキちゃん」

「ん?あぁ奇遇だな」


「ふえぇっ!?なんでここに牧野と小見川が!?」

「あらあら~」


こうして、久しぶりに日研のメンバー四人が集合したのだった。




「「「「……」」」」


一応俺たちが座っていたテーブルは四人用の所だったので、梶とアキちゃんは流れで俺達と同じ席に着くこととなった。

というか、同じ部活なのである以上はそれくらい普通なのだろうが、何分二日間も会話が無かったのだ。これまで毎日話していたのに…

積もる話もあるのだが、どういうことだろうか。少し気まずい雰囲気が流れている。


(ちょっと秋人。何か話してよ)

(何で俺が…別にいいじゃねぇか)


何が良いんだよ。この空気ちょっときついよ?

だが会話が無いとはいえ、それは女子二人がメニューとにらめっこしていてこっちに顔を向けないからである。

なるほど。メニューが決まるのを待っていれば自然とこの静寂は崩れる、と。

ならしばらくは待ってみよう。


「どうしようかなぁ、あ、杏仁豆腐おいしそう!でもこのトーストみたいなのもいいなぁ…亜紀はどうする?」

「あたしはこのフルーツオーギョーチにします。これ美味しいんですよ」

「へぇそうなんだ…ホントだおいしそう…」


あの…まだ決まらないんですかね?

というかそんなに悩んで、何に悩んでいるのかと思えばデザートですか、そうですか。

まぁ急いでいる訳でもないのでゆっくり選ばせてあげよう。きっと梶にとっては久しぶりに羽を伸ばせる時間だろうし。


「どう?陽夏ちゃん。決まりそうですか?」

「え~と、う~ん……ちょっと待って」


梶がやたらと悩んでいる。


「でもおなか空いちゃったしなぁ…炒飯もいいかもしれないし…でも家帰ったらご飯あるし…いやでも炒飯おいしそう…うぅ、どうしよう」


どうやら相当悩んでいるようだ。

確かにここでがっつり食べるかどうかって意外と悩むよね。家帰ったらご飯あるんだよなぁって考えればそんなに食べなくていいか、ってなるけども食べ盛りの男子高校生は出てきた料理を全て平らげる。だから俺は遠慮なく炒飯注文したけど、梶よ。お前はそんなに食べられるのか?その小さな体で。


「うぅん…炒飯も悪くないけど…家帰ったらあるから…いい、かな。うん!よし!決まった!」


顔をあげて、ぱぁっと明るい笑顔を振りまく梶。

余程悩んだうえでの選択だったのだろう。その笑顔はまだ悩んでいることを表出していた。どんだけ悩んでいるんだよこいつ。


「決まりました?じゃあ店員さん呼びますよ」

「ん、ちょっと待ってアキちゃん。こっちに店員さん来そうだから」


俺がボタンを押しそうなアキちゃんを抑えて厨房があると思われる方へ目線をやると、手に何かを持った店員さんを見つけた。

あれ、そういえば俺が頼んだ炒飯来てなかったね。それかな?


「お待たせいたしました。こちら炒飯です」

「あ、ありがとうございます」


俺が手を少しあげると、前に炒飯が置かれる。

そうそう。これだよこれ。

このちょっと少ないんじゃないの?って思うくらいがちょうどよかったりするんだよ。スープバーもあるし。

と、思って手を付けようとしたところで何か視線を感じた。その視線の方向を見やると、梶がジト目をしていた。なんだよ、そんな目をしたところでやらないぞ?


「……やっぱり炒飯もおいしそう」


まじかよ。早く決めろよ。アキちゃん待たせてんだから。


「そうですね。じゃあこうしましょう。牧野君の炒飯を陽夏ちゃんが少し貰う。で、陽夏ちゃんは好きなデザートを注文する。ちょうどいいんじゃないかしら?」

「ちょっと待って。アキちゃん。何で俺の炒飯が梶に行くことになってるの?」

「あぁそれでいいんじゃないか。どうせ春也だって全部は食べきれないんだし」

「食べきれるわ!むしろ足りないくらいだわ!」

「ありがとう牧野!じゃあ注文ボタン押すねー」

「梶、お前はもう少し当人とコミュニケーションを取れ!」


俺の静止もむなしく、梶は呼び出しボタンを押してしまった。

瞬間、店員さんが俺たちのテーブルに現れる。だから早くない?来るのめっちゃ早くて怖いんだけど。


「何でしょうか?」

「フルーツオーギョーチを一つお願いします」

「えっとねー、この“蜂蜜揚げパン、バニラアイス添え”を一つ下さい。あと取り皿を一つ」

「かしこまりました。少々お待ちください」


ちょっと待て梶。なんだその美味しそうな名前のメニュー。美味しくないわけがないじゃないか。そんなのあるんだったら俺も炒飯じゃなくてそれ頼むわ。

つかサラッと取り皿もお願いしているし。完全に俺の炒飯狙ってやがるな。


「おい梶。俺の炒飯はやらんぞ。食べたいのなら自分で注文しなさい」

「何言ってんだ春也。お前はそれ喰う前に俺のメロンソーダとスープバーを取って来いよ」

「何で秋人のパシリみたいになってんだ!?絶対嫌だ!」

「はぁ…分かった。じゃあジャンケンしよう」

「何で!?」

「はい、ジャンケン…」


唐突に手を振り始める秋人に、あ、これは断ってもダメな奴だ、と考えて渋々ジャンケンすることになる。

あれ、心読める秋人って確かジャンケン無敵だったような…?ヤバい、これはどう足掻いても絶望。

いや、まだわからない。俺が何も考えなければ大丈夫な話だ。よし、俺はグーを出すぞ。グーだグー。そして手ではチョキを出してやる。これで勝つる。


「「ポン」」


出した手は俺はチョキ。秋人はグーだった。


「ぐああぁぁっ!何故だぁぁ!」

「いや、俺を前にあんなに考えて良く勝てると思ったな…」


結局全部読まれていたらしく、普通に俺の裏をかいて秋人が勝利。なんてこった。


「ほら、春也。早くメロンソーダとスープバー持って来い。喉が渇いた」

「くそっ、何で俺が…」

「ぶつくさ言うな。男に二言は無いだろ」

「俺は負けたら取り行くとは一度も言ってないんだけどなぁ…」

「でも取りに行くんだ…流石牧野」


渋々立ち上がり、秋人のコップを持ってドリンクバーの下へ向かう。


「おい梶!勝手に食ったらただじゃおかないからな!」


そう言い残して、ドリンクバー、そしてスープバーを取りに行った。


「あんなの完全にフリじゃんねぇ。あ、ありがとうございまーす」


俺と入れ替わりでタイミングよく取り皿が来たらしく、帰ってきたら取り皿の方が俺の席の前に置かれていた。

なに梶、お前そんなに食っちゃったのか…




「で、そっちはどうなんだ?勉強」


そう言いだしたのは秋人だった。

いや確かに気になるところではあるけど、それを敵である二人に直接聞くあたりは流石、物怖じしない秋人ならではの行動だ。

だが、そんな秋人の挑発(?)にもアキちゃんは顔色一つ変えずに、


「ふふ、教えませんよ」


と言ってのけた。

秋人も「ほぉ…」なんて言っていたのでどことなく二人の間に火花が散って見えた。

因みに、俺は残された炒飯とスープバーをちびちび食べ、梶はすごい美味しそうな揚げパンを食べている。我ながらマイペースだなぁとか思うが仕方ない。腹が減っては戦が何とやら。


「でも、実際陽夏ちゃんは頑張っていますよ。このままでは勝負にならないかもしれませんね」

「ふん、春也だって序盤に比べたら、だいぶ目を当てられるレベルになったからな。負けた後のことを考えておいた方がいいんじゃないか?」

「それはこっちのセリフですよ~」

「言うようになったじゃないか、冬野…!」


秋人とアキちゃんが壮絶な舌戦を繰り広げている。秋人もそうだが、アキちゃんってこんな挑発するタイプだったんだな。少し意外。

しかし負けた後のことねぇ。

勝負の前から、あとのことを考えるなんて俺には出来ないことだが、やはり普通は考えているのだろうか。しかし何を?言い訳か?


「ふぉうだ、ふぁふぃお」

「何?梶それもしかして俺呼んでる?」


梶が口に食べ物を入れたまま話しかけてくる。俺の方を見ていたので何とか俺に話しかけているのだと分かったが、梶よ。口にもの入れたまま喋っちゃいけないって教わらなかった?


「んっ…そっちはどうなの?頑張ってる?」

「いや…頑張ってないわけないだろ…」


仮にも勝負だ。しかも相手はあの梶なので負けたくはない。


「なぁんだ。つまんないの」

「つまんないって何が…?」

「その答え」


そういうと梶は俺の目を見据えて言った。


「せっかく久しぶりの会話なのに、話が途切れそうな返事して。もっと会話続けようよ」

「…なんでそんなに話さなきゃいけないんだよ。別に話すことはないし」

「………だって今までは毎日話してたのに」

「…それはお前も俺も頑張っていてそんな余裕無かった証だろ?もし話してたら、緊張感切れちゃってままならねぇし」


実際、梶と話すとそれまでの勉強への気持ちが切れてしまい、手につかなくなりそうなのだ。きっとそれまで、そういう環境下でいたことが無いからだと思う。

が、これからはそうはいかないはずだ。あと一年もしたら受験が控えているし、その時期になっても部活は続くだろう。

そうなると、この部活のこのメンバー、特に梶とは一緒に勉強できるようにならねばならない。多分、アキちゃんは大丈夫だと思うが、それも試したことが無いのでどうなのだろう。

まぁまだ一年もあるんだ。来年のことを言えば何とかが笑う。まずは今なのだろう。


「じゃあ、今こうやって話してるのはいいの?」

「今?今は勉強休憩中だし、そういうスイッチは切ってあるから大丈夫だよ」

「…そんなのできるんだ。牧野の癖に…」

「喧嘩売ってる?」


流石に俺だって試験を受けて進学校に入学しているんだ。何度も言うが集中力には自信がある。やっぱりまずは興味を持たないと難しいね。未だに数学には興味持てないけど。


「俺としてはお前にびっくりだわ。お前いっつもウロチョロして落ち着きが無いからさ」

「え?私ってそう見える…?」


でも周りからは6組のアホ二人が急に勉強し始めたって話題になるくらいだから、俺の周囲からの評価は梶と何ら変わらないんだよな。

だけど…


「いや、でもお前のこと見直したよ」

「……へ?」

「いや、だってお前の周りの奴らは凄い頑張ってるって褒めてんだぞ、お前のこと」

「え?誰が?」

「マキとか宏一とか…周りから評価されるってのは、凄いんじゃないか?」


自分で頑張っているつもりでも、結局自分の評価を下すのは自分ではない。周囲の人間だ。かと言って周りからの評価を得るのは簡単そうで難しい。

それでも梶はそれなりに周りから評価されている。…まぁ今までの勉強に対する評価がどん底だったのもあるかもしれないが。


「ま、結局は結果次第だからどうなるか分かったモノじゃないけどな」


俺だって頑張っていないわけじゃないから負ける気はないけどな。


「………」


すると梶は俯いてしまった。

何だろう。何か悪い事でも言ったか?


「おい梶、どうした?腹でも痛くなったか?」

「――――…」ボソ

「ん?」


梶が何かを呟いたが上手く聞き取れなかった。


「ちょっと牧野君。あたしの陽夏ちゃんをいじめないでください」

「いや、別にいじめてないんだけど…」


隣からアキちゃんが乱入してきた。さっきからずっと秋人と激しく言い合っていたが、それはとりあえず一段落したようだ。

つーか頭いい人の言い争いって凄いな。さっきもちらちら見ていたがまず語彙が凄い。

よくそんな言葉がポンポン出てくるものだ。


「何だ春也。梶をいじめていたのか」

「いや秋人。そんなことは無いんだけど」

「そうやって戦力を削るなら人に見えないところでやれとあれほど」

「いやそんなこと考えてないから!こいつには正々堂々と真っ向勝負で勝つつもりだから!」

「なにをぉ、あんたなんかにぃ、負けないんだからぁ」

「だから何でお前はそうやってフ抜けた声で反論してくるんだ!」


その梶はアキちゃんの胸元に抱き寄せられて顔をうずめていた。

けしから…羨ましい。


「そうだ冬野。勝負の審査方法なんだが」

「あら、なんでしょう」


秋人とアキちゃんが何かを話し始めた。

それに伴って胸元から話された梶が、少し残念そうな顔をしたのがどことなく小動物感があって不覚にも可愛かった。なんだ、この敗北感。


「順位で勝負するとなると、結果が出るまでしばらく時間が空く。それに比べて点数の合計点ならすぐに結果が出るんだが、どっちの方法がいい?」

「あぁ、確かに。そこまでは考えていなかったですね」

「秋人、何の話?」

「順位で勝負もいいんだが、それだと結果が出るころには緊張感が切れちゃってるってわけだ」

「そうなの?」

「お前なぁ…一年の時だって結果が出るまで3週間くらいかかってただろ?そんなに待ってていいのかって話だ」

「あぁなるほど。それならすぐ返されるテストの点数だけで勝負しちゃえば早いってわけね」

「流石梶だ。春也とは大違いだな」

「いや分かってたし!反応が遅れただけだし!」


詰まる所、早めに勝負の結果を下すべきか否かというところか。

うちの学校は結果が貼りだされないので、ほぼ自分くらいしか詳しい順位は知らないのだが、その順位が書かれた紙は配られるのがやたら遅い。

だから、その勝負の緊張感が薄れないうちに、テスト後1週間以内に返却されるテストの点数で競おうということか。


「まぁ概ねそういうことだ。春也」


やっぱりそうらしい。


「そうですねぇ。どうです?陽夏ちゃん」

「え?う~ん…まぁいいんじゃない?点数で」

「そうか。じゃあ点数でいいな」

「ねぇ秋人。俺には聞かないの?」

「聞くだけ無駄だろ?どうせ同じなんだから」

「まぁそうだけどさ…」


一応聞いてくれたっていいじゃないか…


「じゃあ、点数で勝負だな。不正が出来ないように全部持ってきてもらうからな」

「そういうことですから、変な点を取らないようにしてくださいね」


秋人が梶を、アキちゃんが俺を牽制する。いやそんなこと言われてもやらないって。

ただ無様な点数を取れなくなった…くらいか。でもそんなの結局最終的には見せなきゃいけないんだから変わらないよね。


「さて、話すことは話したし…どうする?帰るか?」

「なんでそんなに早く結論出したがるの?」


秋人がもういいかな、と言い出したが実際時間を見ると7時を回っていた。

確かにそろそろ帰る時間か?


「あ、そうでした。小見川君たちは明日どうするつもりですか?」

「明日?学校の自習室を使うつもりだが…」

「そうですか。ふふっ。わかりました」

「え?何?めっちゃ怖いんだけどアキちゃん」


アキちゃんが急に不敵な笑顔を浮かべたので、嫌な汗が噴き出す。たまにこういう時があるんだよなぁ、アキちゃん。すごい顔は整っててきれいなんだけど、その分こういう笑顔は怖い。


「じゃあ今日はこの辺で帰りましょうか」

「そうね。もう帰らないと。家でもやることあるでしょ?牧野」

「まぁそりゃ…な。じゃあ行くか」

「うしっ、じゃあ最後の追い込みだからな。この土日でどれだけ伸ばすかだから気合い入れろよ、春也」

「おっけ、任せとけって」


そう言ってファミレスを後にする四人。

途中、炒飯の支払いをどうするか揉めたが、結局俺が全部出した。何この理不尽。半分くらいしか食べてないのに。

外に出ると、もう真っ暗だった。この時間帯になると風も冷たく、寒い。

自転車には辛い気候だ。

駅まで行き、秋人とアキちゃんに別れを告げた後、数本だが梶の家方面までのバスが出ているのでそれに梶は乗るらしく、俺も一緒に待たされた。寒いから早く帰りたいのに。


「ねぇ、牧野」

「んだよ。ついてこいとかならお断りだぞ」

「そんなこと言わないよ。えっとね…」


少し口を噤んだが、すぐに口を開いた。


「やっぱ何でもない」

「何だよ、気になるじゃんか」

「教えないよ、牧野のバーカ」


そう言うと、ちょうどバスが来た。

本当に誰も乗ってねぇな…経営大丈夫なのかコレ?

ドアが開くと梶は足を運び始める。


「あんたなんかに、絶対負けないんだから」


振り返り際に言われたその言葉は、今までの会話よりも、俺の心に響いた。


「あぁ。俺だって負けねぇよ」


そう言い終わると同時にバスのドアが閉まる。

それをなんとなく見送ってから自転車を漕ぐ。

寒いな、ひどく寒い。

でも俺の頭は寒さのことではなく、これからのことでいっぱいだった。


絶対負けねぇからな、目にもの見せてやる。


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