第三話 Our Secret
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時は少し戻って、係、委員会決めが終わった後の健康診断。会場は部室棟がある場所から校舎寄りにある小体育館だ。卓球部とバドミントン部が活動している場所だが、今日は全ての用具が片付けられ、それ用の機器が置かれている。
健康診断と言ってもそんな大それたことはやらない。内容としては視力検査、身長、体重、心電図みたいなものだ。その他はまた別の日にやるらしい。とりあえず今日やる分をそれ用の用紙に記入していく。
俺、小見川秋人はぱっぱとその用紙に数字を記入していく。今年も背は伸びなかったが、まぁ170㎝あればいいかなと自分では思っているので不満はない。体重は少し減ったか。先生からは細いと言われているが確かに自分でも細身だと思う。春也にも何回も言われている。
今回は流石に河霧は勝負を挑んでこないようだ。というか、流石に身長じゃあ、女子である河霧に負けるはずも無し。体重は河霧も言いたくはないだろうし、もし俺より重かったらそれは彼女も喜べないだろう。凹む姿が目に浮かぶ。
だが、俺の所へ来ようかどうかは、本人自身迷っているようだ。人混みに紛れてどことなく河霧の心の声が聞こえてくる。
『どうしよう、小見川君には身長じゃ明らかに勝ってないし。体重は…勝負の内容にしたくないし…というか少し増えちゃったし…あ、視力。視力なら何とかいけるんじゃないかな?私一応両目ともAだし。うん、そうだ、行ってみよう…!よし…!』
来るのかよ…ずっとそこでもじもじしていればいいのに。それよりも河霧。体重増えたのか。
何か知っちゃいけない情報を知ってしまい、申し訳ない気持ちになる。しかしやはりこういう場だと何もしなくても勝手に情報が、心の声が聞こえてしまう。数字を見ると誰でも脳内で読み上げてしまうのは人の性だ。しょうがない。誰が悪いのかと言えば、心の声が聞こえてしまう俺が悪い。
そんな事を考えているうちに河霧が近づいてくる。
相変わらず外面だけは自信満々だな、こいつ。
「小見川っ!勝負よっ!」
「…はぁ」
お馴染みの言葉で、右手の人差し指をビシィッ‼!と俺にさして高らかに宣言する。お前、人に指さしちゃいけないって言われなかった?
「…で、一体何で勝負するんだ?体重?」
「馬鹿ッ!わたしと小見川とじゃ勝負にならないでしょ!…それに増えちゃったし」
何か聞こえたが、あえて触れないでおこう。というかさっき聞いたし。
「じゃあなんだ?」
「ふふんっ!今回は悪いけどあんたに勝たせてもらうわ!」
視力だろ。分かっているんだよ。
「視力で勝負よっ!」
知ってた。
「おい河霧、一体視力でどうやって勝負するって言うんだ。数字か?まさか数字か?」
「ふふ…わたしも馬鹿じゃないわ。それだけじゃあすぐ終わっちゃってつまらないって言いたいんでしょう?」
「いや、そんなことはないんだが…」
「うるさいっ!いいからこっちに来なさい!」
俺の手を掴んでズカズカと人混みを掻き分けていく河霧。その顔はこちらからは確認できないが、とにかく手が熱い。こいつ、なんでこんなに手が熱いんだ?
「ここよ!」
いや、ここって言われても。手を引かれて向かった先はあのお馴染み、視力検査の時に使われる板。ある方向が欠けた輪が描かれたり、小さい文字が書かれたりしたアレ。アレがあった。
「ここって言われても…何するんだ?」
「言ったでしょう?視力で勝負って。大丈夫、あんたが心配しているであろう審査員はこちらで用意したわ!」
「いや、微塵も心配してないんだが」
その審査員とやらは手に指し示すための長い棒を持ちながら、腕を組んでいた。なんか見覚えがあると思ったら…
「やぁ、小見川」
「…島崎先生何しているんですか」
「なに、可愛い教え子に頼まれたのでな。私も教師として一肌脱がねばと考えたのだ」
「先生、こいつの頼みはあんまり聞かない方がいいですよ?」
「それは私も分かっている。だが今回は私が視力検査の担当だったのでな。その一環だ」
「島崎先生、ひどくないですかっ⁉」
流石島崎先生だ。生徒をよく見ている。
「ところで…本当に何するんだ?」
「小見川よ、その質問には私が答えよう」
「何で島崎先生が…やっぱり一枚噛んでいるんじゃないですか」
この先生も大概ノリがいいんだよな。春也と梶の担任なだけはある。
「一言に噛み砕いて言えば視力検査だ」
「粉砕しちゃってますが…」
「なんだ、分からないか?」
「…えぇ」
「つまりだな。私が指す文字、輪の穴の向きをどれだけの精度で正解できるかというモノだ」
内容は思った以上に視力検査だった。
それよりもいつの間にこんな舞台をセッティングしたんだ、河霧は。
島崎先生まで巻き込むとは今までよりも手の込んだ真似をするようになったものだ。
「ルールは理解した?小見川」
「理解したけど、理解したくないな…」
「男でしょ?シャキッとしなさい!」
「俺がそうなるのは興味があるときだけだ」
「ほら、小見川、位置につけ。始めるぞ」
「問答無用ですね⁉」
河霧から片目を隠す例のアレを手渡される。仕方あるまい。こうなったらやるしかない。
何となくだが、負けるわけにはいかない。というか負けたくない。
やるからには勝つ。それが俺のモットーだからな。
「準備はいいか?小見川」
「はぁ…いいですよ」
「では行くぞ」
島崎先生は手の棒で小さな文字を指し始めた。
「これから指す文字を読んでいけ」
「はい」
「えと…き、れ、…い」
「いやだな小見川。照れるじゃないか」
「いや別にそういうのじゃないんですけど…」
「どんどん行くぞ。ほれ」
「……つ、…く、え」
「なんだ?掃除に来てくれるのか?」
「だからあなたが読ませてるんですよね?」
「まだまだ行くぞ」
「……す………き?」
「ダメだ小見川。私も教師の身だからな。生徒の好意に答えるわけにはいかない」
「あんた既婚者だろ!?」
「ほれ」
「……あ、…き、た」
「そうか、じゃあここまででいいか?小見川」
「あんたもかなり飽きてますよね⁉」
「そもそも最初から乗り気ではなかったんだ。私も忙しいしな」
「じゃあもう止めません?」
「そうだな、おい河霧。私はこれから身長を測らなければならないからな。悪いがこの辺で失礼させてもらうぞ」
「絶対嘘ですよね⁉もうちょっと良い言い訳無かったんですか⁉」
「そうか、流石に今のは失礼が過ぎたな。訂正しよう。これから夜の合コンのためにセッティングしなければならないから失礼させてもらう」
「「だから先生既婚者ですよね⁉」」
本当にこの先生の相手は疲れる。だが結果としてこの視力検査勝負は流れそうだ。
俺としては、今日は早めに上がって春也の勉強を見たいのだ。あと一週間切っている状態だからな。
「え?島崎先生…ホントに行っちゃうんですか?」
河霧が少し泣きそうな顔で島崎先生を見ている。そんな顔をされると何か申し訳なくなってしまうじゃないか。
だが、俺としても引き止めたくはない。どうぞ早く退散してくれ。
ふと時計を見る。よく見たらもう健康診断も終わる時間じゃないか。周りもほとんど人いなくなっているし。残っている人も機器の片づけなどに当たっている。もう俺も行っていいかな?
「なぁ河霧、俺ももう行っていいか?」
「え?…えと…うん…」
シュン……って感じで俯いてしまう河霧。う…なんか本当に気の毒になってきた。
いつの間にか島崎先生もいなくなっているし…
ヴヴヴヴヴヴヴッ
「ん?」
突如俺の携帯が鳴り始めた。なんだ?メール?
このご時世にメールを送ってくる奴なんて俺の知り合いに一人しかいないはずだから、差出人は粗方検討がつくが…いったい何の用だ?
「………はぁ?」
まじかよ、これじゃあ今日の午後は春也の勉強は見てやれないな…
どうする?流石に昨日の惨状を見るに一人でやらせるのにも抵抗があるし、かと言っても冬野に頼むのは腰が引ける。というか冬野に春也が殺されないか心配だ。精神的に。
どうする…本格的に手詰まりになってしまった。誰か…誰かいないか。
俺は辺りを見渡したがそう都合よく人がいる訳もない。いるのは河霧だけ…ん?
河霧か…いいんじゃないか…?
「な、なによ?そんなにじろじろ見て…」
「なぁ河霧、お前今日の午後暇か?」
「ふえっ⁉え、き、今日?な、な、何もないけど…」
何でこんなに挙動不審になるんだよ。
しかし何もないなら都合がいい。
「なぁ河霧、お前の力を見込んで頼みがある」
「え、えと…その、小見川君、痛いよ…」
「あ、悪い」
思わず河霧の肩を掴んでいたらしい。これは申し訳ない。
肩から手を放し、目を見て話す。
『え、え、え、えぇっ⁉何、何なの?一体…いつになく真剣な目をしてるし、一体どうしたんだろ。もしかしてさっきの勝負がいけなかったのかな?やっぱり島崎先生に頼んだのが間違いだったよぅ…うぅ…』
そんな心の声が聞こえてきたが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「今日の午後、牧野春也の勉強を見てやってくれないか?」
「……………え?」
「すまない。本当は俺が見るはずだったんだが、さっき急用が出来ちゃってな…お前の成績を見込んで春也に勉強を教えてやって欲しいんだよ」
「ま、牧野君って、6組のあの…?」
「そうだ」
「そ、それは別にいいけど…どうせ今日の午後は何も予定は無かったし…って、え?それだけ?」
「それだけだ。簡単だろ?」
「え、う、うん…」
よかった。何とかやってくれそうだ。きっと春也のことだ。女子と勉強なんて言うことになれば張り切って頑張るだろう。ましてや学年三位の河霧だ。その学力には定評がある。十分に俺の代役を任せることが出来る。
『な、なんだ、小見川君とじゃないんだ…で、でも!初めて小見川君から頼み事されたっ。これはある意味大きな一歩かも。ここでちゃんとすれば見直してもらえるかもしれないし…』
「じゃあ頼んだぞ河霧。あぁそうだ。今日やるに当たってアイツに渡して欲しいものが幾つかあるし、やって欲しいこともあるからな。一旦教室に帰るぞ。詳しい話はそこでだ」
「え、あ、ちょっと…!」
俺は河霧の手を引いて早足で教室へと向かった。くそっ、よりによって今日連絡が入るなんて…まぁ明日、明後日とか直前じゃなかっただけマシなのだと考えておこう。
河霧なら安心して任せることが出来る。これでもずっと俺と点数を争ってきているんだから。
「ねぇ小見川…」
「なんだ?」
「あの…今日頼まれてあげるから、一つだけお願いしてもいい?」
「あぁ、変なのじゃなければな」
「あ…じゃ、じゃあ…今度一回だけ、わたしのお願いも聞いてくれる?」
「まぁ、こっちもお願いしている立場だからな。それくらいなら…」
「ん、ありがと…」
ん?なんかあまり話を聞かないで承諾してしまったけど、なんて言ってた?
まぁいい。そんなのは置いといて早く教室へ戻らないと。
『……これでまた、一歩近づけるのかな…』
河霧の心の声は真意をうまく読み取れなかった。
★
【わりぃ、今日勉強見てやれないから河霧に頼んどいた】
秋人から突如届いたこの連絡。…いやいや、何言っちゃってんのこのアホは。いや待て、もしかしたら俺の見間違いかもしれない。きっとそうだ。
と、いうわけでもう一回見てみる。
【わりぃ、今日勉強見てやれないから河霧に頼んどいた】
………マジ?
というか河霧って…あの河霧?
河霧幸と言えば、秋人、アキちゃんに次いで常に学年三位に居続ける才女じゃないか。
え?秋人ってそんな子と知り合いだったの?アレ?クラス一緒だったっけ。
「どーした?春也」
「ん、いやぁ今日秋人と勉強するはずだったんだけどさ」
「秋人って、4組の小見川クン?」
「そうそう」
「あぁ、あの人頭いいもんなー。そんなのに教えてもらえるなんて羨ましいわ。あっはっは」
「なら代わるか?」
「うんにゃ、絶対ヤダ。勉強したくないし」
「だよなぁ」
「で?その小見川クンがどうしたって?」
「あーそれがさ、今日勉強見てやれないからって河霧さんに代理頼んだとか抜かしてて」
そう言うと、宏一は少し驚いたように声色を上げて身を乗り出した。
「え、うっそまじ?お前河霧さんに教えてもらえるのかよ!うわぁいいなぁ。それなら俺も代わって欲しいわ!」
「そんなに?」
「だってお前!河霧幸って言ったら学業優秀、容姿端麗でかなり人気あるんだぞ?いや、うちにミスコンが無いのがおかしい!あったら多分、いや、きっとミスに選ばれること必至だぜ⁉」
「へ、へぇ…」
少し早口で捲し立てる宏一に少しだけ引いた。こいつ、割と情報通だから他クラスの情報も沢山持ってたりするんだけど、流石、こういった女の子情報もお手の物なんだな。
じゃあ何?俺はそんなに有名な子に勉強を教えてもらえるって言うの?なにそのご褒美。良いんですか?神様。そんな優しさを俺に分け与えて。不安なんですけど。取り立てとか来ないでくださいよ?
そんなことを考えていると、またしても携帯がブルブル震えた。
なんだろう、秋人かな?
【至急、俺のクラスに来ること】
…だからなんでこいつは必要最低限の内容しか書かないの?
「ん?また小見川クンから連絡?」
「あぁ、なんでも今すぐ4組に来いって言う感じで…」
「マジ?それってもしかして…もしかしてだけどさ、河霧さんに会えるのかな⁉」
なんか宏一が凄いウキウキしている。
なんだろう、こんな感じの目、どこかで見たような…
あ、そうだ。餌を貰う前の犬だ。下校途中にたまに見るアホみたいな顔した犬がご飯貰う前にしてる眼だ。コレ。
「まぁ、会えるんじゃないの?多分秋人が呼んでるのもきっとそのことだろうし」
「マジかぁ!なぁ春也、俺もついて行っていいか?」
「いいんじゃない?別に」
宏一がついてきたところで特に困ることはないだろう。これでもこいつは社交性が高いから初対面の人でもすぐ仲良くなる。その社交性に何度助けられたことか。
…ま、河霧さんがどうかは知らないけど。
でも宏一だって勉強はできなくはない。英語も学年TOP5だっていう話だし。
今日は英語を重点的にやるつもりだからいてもらった方がより内容の濃い勉強が出来るかもしれない。
「よっしゃ!そうと決まれば善は急げだ!急いで4組へ行くぞ!」
「え…ちょっ、待って…!」
ガタッと勢いよく立ち上がった宏一は俺を置いて弁当をしまい、すぐにでも行ける準備を整えていた。こういう時の手際は引くほど早いから困る。対して、俺はいつも自分のペースで片づけるからこいつのペースにはいつも振り回されっぱなしだ。まぁ15年も一緒にいればそんなのも気にならなくはなるが。
俺は食べた昼飯のゴミをゴミ箱へ叩き込み、宏一を引き連れて2つ隣の4組へ向かった。
★
「じゃあここまでを頼むな」
「分かったわ」
4組を覗き込むと見覚えのある、男にしては少し長めと思われる髪をしたヘッドフォンが誰か女子生徒と話しているのが見て取れた。彼女が河霧さんだろうか。
かくいう俺だって河霧さんの存在くらいは知っていた。だが、高校まで来ると実際知らない生徒も多くなってくる。接点が無ければ他クラスの生徒、しかも異性となれば中々知る機会が無い。だがそんな俺でさえ河霧さんは知っていたのだからそれなりの知名度だと言えるだろう。
だけど、あくまで“名前だけ”知っているというだけである。
容姿端麗だとか眉目秀麗だとか称される彼女の容姿は未だに見たことが無い。
やっぱり俺があまり女子に興味がないこととか、雰囲気で人を区別していることが影響しているのだろう。別に女子に興味が無いとか言っちゃうとアレだけど…ぶっちゃけどうでもいいかなとか思っちゃうくらいには冷めていると思う。
だから少し、ほんの少しだが宏一がそこまで絶賛する河霧さんを見るのはドキドキしている。
ここから確認できるのは、濃い朱色のような色のシャツの上に薄手のベージュのカーディガン、そして黒いパンツを着ていること。肩のあたりで切り揃えられている薄っすら色素の抜けた淡い茶髪。背はアキちゃんと同じくらいかな。160㎝ないくらい。
しかし、なるほど。何で宏一が騒ぐのかは分かる気がする。
「おい、あれだぞ春也。あれだ…!」
「いや、それは分かったけど何でお前そんなにこそこそしてるの?」
話している途中らしい秋人と河霧さんの間に入るのが何故か申し訳なく、入り口辺りで立ち止まっていたのだが、宏一はどうしたことか、俺の背後に隠れている。
いつもは前に出たがる宏一がこうなるなんてやっぱり、河霧さんのオーラが違うのだろうか。俺には分からんけど。
「馬鹿、お前。あの河霧だぞ?おぉ…本物だぁ…!」
「お前気持ち悪いぞ?帰ったらどうだ?」
「いや、ここで帰ったら男が廃る!絶対に今日で仲良くなってやる…!こんな機会中々ないからな」
「あぁそうかい」
こいつは軽いんだか、軽くないんだかイマイチ分からないな。いや、でも彼女いたとかそういう話は聞かないからな。そこまではいかないんだろうけど。きっと友達としてなら…って感じなんだろうな。こいつ本人も彼女欲しいとかは言わないし。容姿は悪くないと思うんだけどなぁ。
しかし、いつまでも此処にいる訳にもいくまい。というかそろそろ周りの人から変な目で見られ始めてる。
「あれ?あれって6組の牧野君と近江君じゃない?」
「あ、あの噂の?」
「あの二人ってさぁ“デキてる”って噂だよねぇ」
「そうそう…!しかも二人とも結構かっこいいからさぁ」
「ぐふふふふ……!やっぱり牧野君が受けなのかなぁ?」
「いや、でもそれだと当たり前すぎてつまらなくない?わたしは牧野君はベッドの上では積極的になるんじゃないかなって思うんだよね」
「「「それだっ!!!!」
……なんか未知の世界に迷い込んだみたいだ。どうやら歓迎(?)されてなくはないみたいだけど、どうも視線が痛い。あと俺の下半身に視線が集まっているのはどうして?そんなに見られたら穴が開いちゃうよ。
そんな熱い視線を受け流しながら、秋人と河霧さんが話している机へと向かう。
流石に動くとなると宏一は邪魔なので引きはがして歩かせた。
「ん?あぁ、やっと来たか」
「…君が牧野君?」
「ど、どーも…」
「……」
おぉ、なんていうかこう、顔を見ると確かに整っている。
少し釣り目気味だが、その顔は綺麗というよりも、可愛いと称したほうが相応しいかもそれない。少し、息をのんだ。
顔は梶に近い感じかな?いや、でもそうなると梶が可愛いと認めることになるな。いや別にあいつも可愛くはあるんだが、如何せん性格がな。そこに目を瞑ればいいんだが、そこは俺的には瞑っちゃいけない項目だと思う。
って今は梶がどうとかはどうでもいいんだ。
宏一だよ宏一。どうしちゃったんだ?無言なんだけど。
「あれ?春也、その後ろのはもしかして近江?」
「ん、秋人って宏一のこと知ってたんだ」
「よくお前と一緒にいるじゃないか。春也からもよく話聞くし」
「そうだっけ、まぁそれなら話は早いんだけどさ、宏一も今日一緒に勉強していいかな?」
「ふぁっ⁉」
「…何気持ち悪い声出してんだよ、宏一」
「い、いや…お、お、れはいいや」
「はぁ?」
「あ、あぁ!そうだ!そうだった!今日俺、バイトあったんだ!いやぁ悪いな春也!じゃ、また明日な‼」
言うが早いが、宏一は駆け足で教室を後にした。
……え?何アイツ。そもそもバイトなんかしてないだろ。ウチの高校バイト禁止だし。
一体何が何だか分からない。アイツと長い付き合いの俺ですらも意味わからないのだから、さっき会ったばかりの河霧さんとか、付き合いの浅い秋人はちんぷんかんぷんだろう。
まぁ大方河霧さんに恐れを成したとかそんなところだろう。憧れの彼女を目の前にして居ても立ってもいられなくなって…って違うか。使い方も違うか。
「な、何だったの…?」
ほら、やっぱり河霧さんは混乱してるじゃないか。
「あぁ、無視してもらっていいよ。あいつはああいう変な奴なんだ」
「へ、へぇ…」
どうも戸惑いを隠せない様子の河霧さん。なんか変な空気になってしまった。
くそっ!宏一め!空気を悪くして帰りやがって!
「ま、そんなことは置いといてだな。今日は俺が急用でお前の勉強を見てやれないんだ。だから河霧に俺の代理を頼んだ。いいか?大丈夫?」
「なんでそんなに優しい目で言ってくるの?子供じゃないんだからそれくらいわかるわ」
いちいち腹立つなこいつ。
「で、うちのクラスに来てもらったのは他でもない。河霧に勉強を見てもらうためだ」
「え?いつもの部室じゃダメなの?」
「…冬野から連絡があってな。今日はあの教室で梶を缶詰にするらしい」
「………へぇ」
ご愁傷さま、としか言いようがない。
「それとこれはルールの改変なんだけどな…勝負の科目は主要三科目になった」
「え?主要三科目って、国語、数学、英語だよな。またどうして?」
「お前、あと一週間切ってるのに8つも9つも科目教えられねぇよ」
「あ、そうか。さすがにそれはきついね」
一日に一科目以上押さえなければならないのはいくらなんでも厳しいだろう。
「なんなら三科目も厳しいだろうけどな…まぁ主要三科目はそれだけで順位も出るし、そこは将来的にも絶対に押さえなけりゃいけないところだしな。今後、こういったのをやるならまずは土台を、ってわけで昨日冬野と話した」
「っ…!」
へぇ…そんなに深く考えて今回の勝負に挑んでるんだ。
と、思ったところで秋人から蔑視の眼差しが浴びせられたが無視しておいた。
しかしなんで河霧さんが少し顔を引き攣らせたんだろう?気になる。
「そういうわけでな、河霧には今日やる英語はかなり基礎的なところを押さえてもらうようにしたから、ちゃんと教えてもらえ」
「わかったよ。俺も今日はやる気あるんだから」
「ふぅん。じゃあ安心だ」
秋人が皮肉めいた言葉を口にして、不敵に笑った。
「小見川、今日やるのはいいけど、ちゃんと約束は守りなさいよ?」
「約束?あぁ、わかってるよ」
「ホント?ならいいけど…」
河霧さんが秋人に話しかけているが、その口調はやはり勝手知ったる、旧知の仲のような雰囲気を醸し出している。
やはり一年間も同じクラスでいれば自然と仲も良くなるということか。
俺だってクラスの友人とはこの一年間で大分仲良くなったと自負してはいる。が、やっぱり少し女子とはまだ仲がいい、とまではいかない。とはいえ、別に仲が良くないという訳ではないし、親しくないといった方が正しいかもしれない。
だけど、この秋人と河霧さんはかなり仲が良さげだ。
羨ましい、とは思わなくもない。
彼女が欲しいとかじゃなく、悩みを話せたり、軽口を言い合える異性の友人は同性の友人とはまた毛色が違いそうだ。
「じゃあ、俺はそろそろ行くぞ」
「え?もう行っちゃうの?」
「あぁ、というか時間も時間だしな」
そう言われて前の方にある黒板の上部、吊らされている電波時計に目をくれると、時刻は1時20分程、周りを見れば四組の生徒は誰もいなくなっていた。
きっと部活の説明会に行ったのだろう。あれは参加しなくても見学は自由だ。部活に入っていなくても友達が何か面白いことをするのだと聞けば飛んでいく。それがうちの高校の伝統だ。
「ふぅん、そういえば聞かなかったけど、なんの用事なの?」
「…あー、それは…また時が来たら教えてやる」
「…はぁ?なんだそ――
「悪いな、じゃあな」
俺の言葉を遮って秋人は行ってしまった。
一体何なんだろう?あんな遮り方をする秋人は見たことが無い…けど、あそこまで言った以上、きっと無理やり聞き出そうとしても口を割らないだろう。
いつか自分から話してくれるのを待つしかなさそうだ。
そこまで俺が覚えていればだけど…
「はぁ……じゃあ河霧さん、やろうか」
「…そうね、わたしも頼まれた以上、手は抜かないわ」
あの、出来ればお手柔らかに…お願いしたいのですが……
『頼まれた以上は……ね』
★
さぁて、時刻は2時前。この二年四組にいるのは俺と学年三位の才女、河霧幸さんだ。
どうしてそんな女生徒と、学年でもトップクラスのアホである(自虐)俺がいるかというと、全ては小見川秋人って奴の仕業なんだ。
誰もいない教室で男女が二人きりなんて、どこかの女子が見たらよからぬ噂が立ちそうだが、そんなことは万に一つもなかろう。
何故かって?
向かい合った二つの机でカリカリとペンを動かしているからだ。
あーでもこれ人によっちゃ、勘違いするかも。
さっき秋人から聞かされた通り、勝負は主要三教科での順位勝負となった。
ふと、それだとほかの教科で赤点を取ったら補修待ったなしなんじゃないかと思ったが、河霧さんによると補修を行うのはその三教科だけらしい。
なんでも他の科目は今回が初のテストだからだとか。
確かに、去年やってた世界史は無くなって、地理になったし。
一応文系の選択科目なので、日本史も取っているのだが、そこはまだ授業をしていないので、ひとまず国名だけ出る地理のテストをやるらしい。
理科科目も、去年やらされていた物理とかいう凶悪な科目が無くなった。
まぁ丸暗記の生物は残されているんだが、それは例年補修していないし、最悪一夜漬けだ。
これらの情報も全て河霧さんの提供だ。本当にありがたい。秋人とは大違いだ。
今は彼女に英語を教えてもらっている。
昨日の秋人の数学とは違い、少し遠回りして例を挙げてから説明するのでとても分かりやすい。
「えっとね、この例文は覚えちゃった方がいいかも」
「あ、そうなの?」
「ここはきっと先生も出すはずだから」
河霧さんはこのように、出る可能性が高いものはその都度指摘してくれる。
それは覚えておいた方がいいうえに、今後テストでも似たような問題が出そうだから覚えておいて損はないという。
「覚えるときはね、書きながら口に出すといいよ。目で見て、手で書いて、口で言って、耳で聞く。これだけでもだいぶ違うんだ」
「へぇなるほど。五感をフルに使うんだね」
「嗅覚と味覚は使わないけどね…」
聞くと、河霧さんはこの暗記方法をよく使うのだそう。
ぶつぶつと呟く勉強法だから人の多い図書館などでは使えないけど、家や友達と一緒に勉強する際には使えるらしい。
「意味が分からない問題は絶対にそのままにしない。今度出た時に絶対に間違えないようにしないと。わたしは自分で説明できるようにするけど…」
「そうなの?じゃあこの問題ってどう説明する?」
「canの助動詞の意味だよね。それには、【できる】とかの可能の意味だけじゃなくて【~し得る】とか【~かもしれない】っていう可能性の意味があるんだ。Canと【できる】、【可能性】とか断片的に言葉を覚えるより、自分で他人に教えるニュアンスで覚えるのがコツかな。こうすると忘れにくくなるんだ」
「おぉ、河霧さん流石っす…!」
このように自分の例も挙げてくれるから本当にやりやすい。
ただ…これは俺の直感なんだけど、きっと河霧さんは秋人やアキちゃんとはまた毛色の違う才なのだと思う。
あの二人はきっと俗にいう天才なのだろう。何もしなくても他人よりずば抜けた成績を残す。
対して河霧さんは、…言っては悪いが彼女は天才ではないのだ。
きっと秀才、といったほうがいい。
秀才は一を聞いて十知るもの。天才は一を聞かずに十出来るもの、とは誰が言ったか、しかし、真に的を射ていると思う。
彼女はきっと努力を惜しまないのだろう。
常に上を見続けているのだろう。
俺にとって、その志は眩しすぎる。
「すごいね、河霧さんは」
「え?」
「勉強をすることに楽しみを見出しているみたいだ」
それは俺の本心だった。
「……そう、見える?」
「うん、そんなに勉強方法知ってる人なんて中々いないと思うし」
「…そう、ね」
ん?なんだろう。俺何かまずいこと言ったかな?
一瞬、ほんの一瞬だが河霧さんの顔が暗くなったような気がした。
「ほら、まだまだ範囲は残ってるんだから。無駄足踏んでる場合じゃないよ」
「あ、うん」
なんだろう。気のせいかな。
チラと目線を上げる。
そこには自分の勉強に勤しむ河霧さんの姿があった。
少し垂れてくる髪が煩わしいのか、たまに髪をかき上げる仕草をする。
その仕草が妙に目に入り、視線を奪われてしまった。
「…?どうしたの牧野君。ボーっとして」
「え?…あぁ、ごめん」
どうやらしばし呆けていたようだ。
再び視線を下に落とし、英語のテキストに取り組む。
いかんいかん、そんなボケっとしている場合じゃない。
そうだ、宏一が言っていたな。英語のテストはテキスト丸暗記で行けるって。
でも英語ってReadingとWritingの二種類あって、前者は長文読解だからあまり丸暗記効かない気もするんだけど、そこんとこどうお考えですか?宏一さん。
しかし今日はWritingの勉強だ。Readingは今は考えないほうがいいのかな。
あぁ駄目だ。考えないようにしようと思えば思うほど、気になってしょうがない。これは考えていないというのはそのことを考えているというのと同じだという永遠ループパターンいやそもそもReadingは個人でやった方がいいのかでもそれだと多分普通に補修くらうからダメで…………
ああああぁぁぁぁあああぁあぁぁあぁぁぁぁああぁあぁぁぁぁぁあぁああ………
「もぅ、むり…」
そう言い残し、体を机に放りだした。
「そう?じゃあ少し休憩にしようか」
河霧さんもペンを置き、んーっと背伸びをする。いやそんな真正面で伸びをされるとある一点が目に飛び込んじゃって…
俺には少々刺激が強い。
思わず俺は、目を背けた。
「ん?どうしたの、牧野君。そんな明後日の方向を見て」
「いや、あっちの方向に何か妖精が見えた気がするからさ」
「妖精?」
そういうと彼女は俺が目を向けていた方向へ首を捻る。
何この純粋な子。
梶とか秋人なら、一蹴するか、最悪無視を決め込むところだ。
アキちゃんなら多分乗ってきそうだけど。
「いや…冗談だよ?」
「え?あ、あぁ!そうだよね!嘘よね!」
目に見えて慌てふためく河霧さん。
まさか、まさかとは思うがホントにいるとでも思っていたのだろうか。
ピュアだ。ここにピュアな子がいる。
「ところでさ、牧野君」
「ん?」
やはりさっきの一連の流れが気恥ずかしかったのか、いくらか顔を朱色に染めながら話を切り出した。
「牧野君って、小見川と仲良しなんだよね?」
「え、ん~…まぁ、同じ部活だし?でもアイツうるさいしなぁ」
「ふふっ、それって、仲が良いってことだよね」
…突然、仲が良いとかなんだとか言われると、少し気恥しい。
この辺に男子と女子の友情の違いがみられると思うんです。俺は。
「急にそんなこと聞いて…どうしたの?」
「いや、よく一緒にいるのを見るから、ホントに仲が良いんだなぁって」
「へぇ…そう、なのかな。まぁ嫌いではないけど」
「…………いいなぁ」
「え?」
「何でもないよ。ただ……ね」
…いや、ね?って言われましても。
俺はそんなに人の感情を読み取るのは得意ではないのだ。
秋人なら考えるまでも無く聞こえてくるのだから、こういう時のモヤモヤはかんじないのだろうが…
「じゃあ…わたしが小見川とよく勝負してるって…知ってる?」
河霧さんがこことぞばかりに俺に質問をぶつけてくる。
う~ん。知ってるも何も、今日まで秋人と河霧さんが知り合いかどうかはおろか、同じクラスであるということさえも知らなかったんだから、知る由もない。
つか、秋人って自分の交友関係を全然話さないんだよな。
あいつの中学校時代の話も聞かないし。
確かアイツの中学校からウチの高校に来ている人っていない。
こう思い返してみると、秋人の過去も現在もイマイチ解明されていないのだ。
まぁあんな力を持っていれば、思い出したくもない記憶の一つや二つはあると思うのだが。俺だってあるし。
「いや、秋人からは一切、これっぽっちも聞いてないよ」
「…そ、そう、なんだ」
目に見えて凹む河霧さん。
「何だったら秋人の交友関係って謎なんだよね。河霧さんと知り合いだったって言うのも今日知ったし」
「はぅっ…」
ぐはぁっとでも言いそうなくらいにのけ反る河霧さん。
あれ、なんか追い打ち掛けちゃった感じ?
「………なによ小見川君……わたしなんか眼中にないって言うの…?」
何か小声でぼそぼそと呟いているが、残念ながらその声は俺の耳には届かない。
俯いてしまった姿はどことなく哀愁が漂っていたので、俺もなんとなく居たたまれなくなる。
なんとか、なんとか話を持ちなおさなければ…
「え、と、秋人と勝負だっけ?してるんだよね?」
「え、うん。そうだけど…」
「例えば、どんなのやってるの?あいつ意外と器用だから一筋縄じゃいかないんじゃ?」
「そう!そうなのっ!」
…ん?
「あいつってあんな雰囲気してるわりに、頭も運動神経もよくて…。まずはテストでしょ、体育の時も大体の競技で勝負したわ。でもてんで駄目ね、わたし。今まで一回も勝ったことが無いの」
「そ、そんなに?体育って…」
「体育は、一対一で出来るものね。バドミントンとか卓球とか、バスケとか。まぁ全部負けてるんだけど。50m走はホントに敵わなかったわ…意外と足早いのね、小見川」
「あ、あの…」
「でも、諦められなくて、他の分野でも勝負を挑んだわ。一年の時の美術の授業でも勝負したり、カラオケで得点勝負したり…結局どれも勝てないんだけど。どこまで器用なのよあいつ…」
俺が聞いてもいないことを、洗いざらい話してくれる…が所々に突っ込みたい部分が点在している。
まず、あの野郎、河霧さんとカラオケなんて行ってたのかよ。
別に羨ましいとかそういう感情は湧いてこないが、とりあえず死ねばいいと思う。
「まぁあいつはむかつくけど何でも出来るからなぁ。絵がうまいのは初耳だけど」
「そうなのよ。そこであいつと仲が良い牧野君なら、何かあいつの弱点…というか苦手なモノを知ってたら教えてほしいのよ」
ん~そうか。秋人の弱点…ねぇ。
ん~……
それが全然なくてマジヤバい。
そんなのがあったなら俺が教えてほしいくらいだが、彼女の眼は真剣そのものだ。
実際、一年間一緒に過ごしていた時間の長い俺であっても、あいつ、そしてアキちゃんの完璧具合には舌を巻いていた。
そして俺と梶はあいつらが何とかしてくれるから楽してた。
そのツケが今の状況を生んだわけですね。
いつまでも頼りっぱなしではダメなのだろうが、いつまでもこの環境は改善されない気がするなぁ。
ここは少し視点を変えて、秋人よりも河霧さんの方が優れている点を探してみるか。
とはいえ、今日、それも今さっき会ったばかりの彼女のことなどほとんど知らない。
何かないものか…と一考してみるも、中々都合よくは見つかりもしない。
そもそも、河霧さんには教えてもらってしかいないわけでそれ以上のことは…
ん?
そうか、それがあったか…!
「あったよ、河霧さん。俺から見て秋人よりも優れているところ」
「えっ!嘘!ホント⁉」
ずいっと身を乗り出して彼女はこちらを覗き込むような姿勢をとる。
いや、だからそんなに前傾姿勢をとったら、見えちゃうから。何かが。
でもそんなのは気の無い相手だから油断してるだけだ。
勘違いはいけない。
それよりも俺が見つけた、河霧さんが秋人よりも優れている点。
これは今、俺がこうして彼女といることで見つけられたのだ。
「秋人よりも、教えるのが上手い」
それは、俺が心から感じたことだ。
別に秋人が教えることが下手、という訳ではない。
ただ純粋に、俺個人からの視点で考えた時に、より分かりやすかったのは河霧さんだ。
「わたしの方が、小見川よりも教え上手…」
彼女は俺の言った言葉を反芻していた。
秋人は天才故に、なぜわからないかが理解できないだろう。
だが、河霧さんはきっと天才ではない。悪く言うと良くできる凡人だ。
でも、だからこそ、凡人の気持ちを理解できる。
何故わからないか、どこで躓くかは彼女には理解が出来る。
天才にはできない教え方だ。
「俺は素直に河霧さんの方が上手いと思うよ」
「そう…なんだ」
河霧さんは下を向き、少し呆けた表情から徐々に笑みを溢した。
「ありがとう、牧野君。わたし、少し自信が持てたよ」
「いや、何か力になれたなら」
まぁ…この際凡人天才の話はしなくてもいいだろう。それこそ蛇足というやつだ。
だがそれよりも、俺は聞きたいことがあった。
「というか、何でそこまで秋人との勝負に拘るの?」
ぶっちゃけ、最初から気になってた。
何故そんなにあいつにムキになるのだろう。
そこんとこ、気になります。
「え?う~ん…改まって聞かれると…」
「跪かせたいの?」
「……牧野君ってもしかしてS?」
そんな事は無い…はず。
「まぁ…なんていうか、もう勝負するのが日課…みたいになってるから…なに、その、うぅん…」
どうも河霧さんは歯切れが悪い。
まるでなにかを隠して、それを避けるように。
ただそれの正体が分からないし、まぁ分からなくてもいいかなって思う。
つまるところ、聞いてみたのだってただの興味本位だったし、明確な回答を得ようなんて思ってはいない。
…はい、嘘です。
めっちゃ気になります。
そこんとこ、どうなんですか?
「あぁ、別にいいよ。興味本位で聞いてみただけだから」
まぁそんなことは言えませんよねぇ。
嬉しいことに、その言葉は嘘っぽさを纏わずに、すらすらと出てくれたので別段怪しまれずに済んだ。
探っている、なんて今日会ったばかりの人に思われるのは心外だからね。
「そう?でも、確かに改まって聞かれると難しいね…あはは…」
小首を傾げながら、天使のような笑顔をこちらへ向けてくれる。
ただ、その顔は何かを孕んでいそうだったが、そんな些細なことは気にしない紳士こと牧野春也です、以後お見知りおきを。
「ちょっとごめんね、お手洗い行ってくる」
「うん、わかった」
そう言い残すと彼女は教室を後にした。
黒板に背を向けているが、巣坂高校は教室の前と後ろに時計を配置している。
きっと板書を見る生徒用と、教卓の先生用なのだろう。
おかげで俺はわざわざ振り向かなくても時刻を確認できる。
5時。結構いい時間帯だ。
もうこんなに経っていたのか。集中していると時間が過ぎるのが早いな。
FPSを思い出すぜ…
っと、いかんいかん。あれを思い出しちゃうと今でもたまにやっちゃうからな。
そんな事してる余裕なんてもちろん無いし、一度入ったら日が昇ってしまう。
しかし、秋人め…あんな子と知り合いだったら早めに俺に言ってくれよ。
どうしてアイツはあんなに執拗に自分のことを話してくれないんだろう。
…でも、それは俺も同じか。
俺だけじゃない。梶もアキちゃんも同じだ。
みんな中学校は違う。何だったら小学校も地区も違う。
それだからといっても、きっと普通は昔の思い出とか、友人には誇らしげに話すモノなんじゃないだろうか。
俺の世間認識が間違っているのだろうか。
もう一年近く一緒にいて、昔話をあの三人から聞いたことが無い。俺も話したことはない。
自分のことは自分が良くわかる。
俺は話したくはない。
思い出したくもない。
あの、苦しかった生活を。
しかし、あの頃に比べ、俺も大分成長した。
ある程度能力を自由に扱えるようになったし、もう間違えることも無い。
前田さん(守護霊)だって嫌いじゃない。
うざいけど。
たまにというか、結構な頻度で居なくなるし。
……つか今もいないし。全然守護してくれないし。
でもそんなところもアイツ等幽霊なんだろうな、と思う。
地に足ついてないと言うのは皮肉だが、その自由さが羨ましくもある。
この目は、俺に何をしてほしいんだろう?
「分からないな…」
ボソッと呟いた。
誰も反応は無い。
傾いた日差しが教室に入り込んで少し眩しい。
…日、長くなったな、とか益体もないことを考える。
…うしっ、あと少し。覚えちゃうか。
残り時間は分からないが、今日中に終わらせちゃおう。
当たり前だけど、考える時間があるって、余裕があるってことだなぁ。
★
時刻は6時。いくら4月に入ったとはいえ、そこは陸の孤島“長野”。流石に肌寒い。
そして暗い。街灯が少ないのが悪いのだが、それに加えて民家も少ないのがさらに暗さを助長している。
「河霧さんって家どっち方面?」
「わたし?わたしは歩きで駅をそのまま下るけど…」
「そうなの?じゃあ駅まで送るよ?」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて送ってもらおうかな」
なんて会話をして、今は彼女を駅まで送り届けている。
俺は自転車通学だし、電車の時間を気にする必要もない。
俺は校舎から道を挟んだ自転車置き場へ自転車を取りに行き、先を歩いていてもらった彼女と合流した。
「ちょっといい?」
「なに?」
突然俺に話しかけられてもびっくりすることなく対応する河霧さん、まじ河霧さん(謎)。
「駅の裏ってことは、もしかして市内?」
「そうだよ。歩いて15分ってところかな」
「へぇ、近くていいね。羨ましいよ」
「牧野君だって自転車なら近いってことでしょ?」
「いや、俺は自転車で15分だから、もし歩くと倍はかかるし…微妙なところ」
実際、雪が積もる冬なんかは、自転車なんか乗れたものじゃないので歩いていくか、親に乗せて行って貰うのだが、歩いて行ったときの悲惨さは計り知れない。靴下はスペア必須だし、防寒を怠るとマジで死にかねない。
「あぁ、冬は大変だよね。そうなると」
河霧さんは察してくれたみたいで、お互い大変だね、なんて言ってくれた。
何この子、すごいええ子や。
「でも駅裏ならそんなにうちから遠くないなぁ。でも中学校も小学校も違うもんね?」
「そうだね。確か駅の横当たりの河で学区が分かれるんだよ。」
「そうそう。ウチその境目の町でさぁ、保育園の頃仲良かった子とか、小学校違くなっちゃって哀しかった思い出があるなぁ」
「あぁ、あるあるだよね。じゃあさ――――
同じ市内であるということもあり、共通の話題が見つけやすい、というのがこの会話を盛り上がらせた。
梶も同じ市内だが、学区が違い過ぎる。
うちはかなり端っこの学区なのだが、梶はその真逆と言っても悪くないくらいの方向なので意外と噛みあわないことがある。
まぁあいつと話していると、たまーに厳しい言葉が飛んでくるからなぁ。
常にツッコミの体制を解除できないのだ。
そして言い合いになるんですね、分かります。
ふと、それまで快適に進んでいた足が止まる。
近くの某24時間営業スーパーを通り過ぎたところにある信号に捕まってしまったのだ。
うわ、ここ引っかかると長いんだよなぁ。
などと思っていると河霧さんが「ねぇ」と声をかけた
「…ところで、さ。牧野君」
「ん?どうしたの、改まって」
さっきまでとはなんか雰囲気が異なる。
どうしたのだろうか。
「その、小見川って、…」
「秋人?」
「うん…その、小見川って…」
「うん」
「その…」
「…女の子、好きなのかな?」
………………はい?
「あの、それってどういう…」
「あ、ち、違うの!逆なの!」
「逆…?」
ますます混乱する。
え?何?秋人ってソッチだったの?マジ?
危なくない?俺。
「その、好きな女の子…いるのかなって…」
「ん?あぁ、なるほど」
漸く合点がいった。
びっくりした。まさか秋人が同じクラスの女子からソッチ疑惑をかけられているのかと思ったよ。
そんなことが知れたら、俺はもうアイツの目を今まで通り見ることが出来なくなってしまう。
「にしても何でそんなことを……」
「あ、いや、別にっ、別に深い意味はないんだけど…その」
「ははぁ、なるほど…」
ここまでお膳立てをしてもらえばさすがにわかろう。
いやぁ、まさか河霧さん。そんな方だとは思いませんでしたけど、まぁ人を見かけではね?判断してはいけないってね?お天道様も言ってるじゃない?なら俺はもう受け止めるよね。寧ろそれはそれで面白いし。
これはあまり言葉に直さない方がいいのかもしれないが、ここは河霧さんの為だ。今一度俺が声に起こしておこう。
「秋人が叶いもしない恋に溺れているのを見て、陰で大笑いするつもりだね?」
「………………………………………………………………………………………………え?」
いや河霧さんも中々黒いなぁ。そんな秋人の恋愛模様をまるで見下ろすかのように望むその姿勢。良いと思います(イケヴォ)
「でもごめんね、河霧さん。俺、アイツのそういうことどころか私生活全般に及んで把握できていないんだよね」
「え?あ、あぁ!そう、なの…残念だわ…」
本当に残念そうに俯く河霧さんに何故か申し訳なさを抱いてしまう。
「…………まぁイマイチ真意は伝わらなかったけど…しょうがないわね」
俯きながらなにか声らしき声が聞こえたような気もするが気のせいだろうか?まぁ車通りもこの時間帯は多いから、車の音でも聞き違えたのだろう。
「あ、あの、これはわ、わたしの友達からの質問なんだけど…」
「うん」
「小見川って、どんな子が良いのか、分かる?」
「秋人が、どんな子が…う~ん…」
さっきも言ったようにアイツの情報は事実、持ってないに等しい。
だが、こう聞かれた以上、またしても分からないで答えるのは失礼だと思う。
そうなると、俺の今まで見てきたアイツから分析して答えを出そう。
実際、アイツは本当に器用だ。流石にアイツより優れた能力を持った奴を連れてこい、なんていうのはほぼ不可能だと思う。まぁアイツはそんな望みの高い男とは思わないが。
能力についてはアイツはそんな気にしないとは思う。
そうなると、次点で評価するのは中身だろうか。
優しい人、うぅ~ん…ありきたり過ぎて実感がわかないな。
お淑やかな人、ん…アキちゃんみたいな感じだろうか。でもそんな感じはしないしな…適当な答えに他ならない。
清潔感のある人、は当然か。清潔感の無い人は容姿の良し悪しに関わらず無理だろう。多分。
…これ、結局何言っても適当な答えじゃね?
「ごめん河霧さん。アイツの素性は何も分からないや」
「牧野君でも?」
「むしろ俺だから分からないんかもね。もっと昔からアイツを知ってる人がいればいいんだけど…」
「小見川の中学って凄い遠いところだよね。流石に知り合いはいないや…」
「だよねぇ」
力になれず申し訳ない。
気付いたら信号が青になっていた。
河霧さんに促され、俺も自転車を押して進む。
そうだな…俺、アイツのこと、何も知らないんだな。
「何度も悪いんだけどさ…牧野君」
「全然いいよ、何かな?」
「牧野君たちが入ってる部活?同好会?って何なの?」
う…その質問が来たか。
一応、あの部活の鉄の掟として、力のことを口外してはならない、というモノがある。
それは当たり前だ。
流石に俺だってそんなこと言われなくたって言わない。
と、なるとなぁ。どうしよう…
「んー…なんていうのかな?その…」
「共通点が、ね。見つからないのよ。あなたたちに」
「う…」
「教えて」
どうしよう…
こうなったら洗いざらい全部…いやいや、それは駄目だ。
四人で隠し続けている力なんだ。
俺一人の独断で決まりを捻じ曲げるわけにはいかない。
だが、ここを乗り切ることのできる上手い言い訳を思いつかない。
河霧さんは不思議そうな目で俺を見つめている。
その視線が…今は痛い。
「あの…河霧さん…実は」
ごめん…
「うん、わかった」
…………………………………………………………なに?
「分かったよ。牧野君」
「な、分かったって。何が…」
「分かるよ…」
「言えないんだなぁ…ってことくらい」
「誰にだって人には簡単には言えないことだってあるよね。牧野君の今みたいに。わたしだってそう。誰でも言えないことは一つくらい隠してる」
「でも牧野君たちは、四人で何かを隠しているんだよね。小見川だってそう。アイツは何かを隠している。それくらいは分かってるつもり」
「それが何かは分からないけどね。でもそれを聞き出すなんて野暮なことはしないよ。わたしなら嫌だし」
「か、河霧さん…その…」
「大丈夫だよ」
「……ただ、それをいつか話してくれたらなぁ…」
「……………」
「そう、思う」
俺は知った。
何かを隠すということは、誰かを欺くことなのだということを。
それは、いくら人の為を思っての行動でも、
良心の呵責があるわけで。
気付いたらもう少しで駅に着く。
部活の無いこの日に、この時間に、駅前を歩く学生は見当たらない。
河霧さんはちょっと駆け足になり、俺の前を歩いた。
「だから、わたしは小見川に勝負を挑むのかもね。ふふっ、まぁ冗談だけど」
「冗談、なのかよ」
少しあきれ顔になってため息をつく。
でも、不覚にも笑ってしまった。
「わたしが小見川に勝負を挑むのは……うん。内緒」
「教えてくれないんだ」
「言ったでしょ?隠したいことなんてみんな持ってるって。これは内緒なの」
「そう…か」
彼女は人差し指を立て、口の前へ添えた。
優しい笑みを浮かべて。
卑怯だ。
そんな顔をされたら、聞く気にならないじゃないか。
「わたしの秘密は言えないけど、あなたの近くの女の子は秘密を見つけてほしいみたいだしね」
「え…?それってどういう…」
「だから、それを知りたいなら、もっと勉強しなきゃね」
ふふっ、と笑みを溢す。
その表情はまるで悪戯をするこどものようで。
彼女の少し大人びた顔とのギャップのせいか、とても輝いて見えた。
俺には、その言葉が勉強を頑張って、という意味の鼓舞だと分かっている。
でも、なら、それに乗ろうじゃないか。
「そうだね、もっと、もっと勉強しなきゃ」
「そうだよ、牧野君、馬鹿なんだから」
こんな子に応援されたら、それに応えるしかないな。
大丈夫、相方はあの小見川秋人なのだから。
いくら相手が不動の学年主席のアキちゃんだろうと、負けはしない。
「秋人にも、アキちゃんに負けないくらいの点数取ってもらわないとね」
「あ、でもそれだと私が困っちゃうかも」
その言葉に、思わず俺は噴き出してしまった。
不意を突かれた。恥ずかしい。
だが、彼女も肩を震わせ、笑っている。
あぁ、そうだ。俺一人で戦う訳じゃないんだ。
そう思うと今まで張っていたと気づけるほどに、肩の力が抜けた。
やろう。あの二人の目にもの見せてやる。
二人の笑い声が、夜色に染まりゆく空に、無自覚に抱いていた思いと共に吸い込まれていった。
★
♦~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♦
一つ話をしよう。
俺は女の子というモノが苦手だ。
というよりも、ライトノベルや漫画の登場人物を見ていると、面倒くさい生き物にしか見えなくなった。
記念日を大切にするとか、言葉には大抵裏があるとか、ダイエットにうるさいとか。
流石にそこは創作と現実の区別を付けているつもりだが、一度ついてしまった偏見はそう簡単にとれるものではない。
別に嫌いだという訳ではない。
知り合いに会えば挨拶をするし、何か相談でもされれば一緒になって考える。
だが、そこで終わりだ。
俺には誰かと付き合うとか、恋人になるとか、そういった感情をイマイチ理解できない。
好きになるとはどういう感覚なのだろうか。
一度も人を好きになったことが無いということは、情緒が育っていないということなのだろうか。
LikeもLoveも分からないなんて誰に言えよう。
不安になる。
だが、好きになれ、と言われてなるものが恋愛感情なのだろうか。
個人差はあろう。だから、焦るものではないはず。
いや、だから不安なのだ。
焦ることすら叶わない。
俺は人知れず、まるで虚空を掴むような果てのない慟哭をあげ続けている。
俺はこのままでいいのだろうか。
この問いには誰も答えることはない
それは自分自身であっても。
見つけるしかないのだ。その欠けた感情を。
見るしかないのだ。その透明な心情を。
俺、牧野春也は恋愛感情を知らない。
♦~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♦
★
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