第二話 Each of Feelings


みんなは“振り子の法則”というモノを知っているだろうか。

知っている人は思い浮かべて、知らない人はこれから教えよう。

ある所に一人の心優しいお嬢様がいたとしよう。この娘がもし、何かの拍子にグレてしまうと収まりがつかなくなってしまう、というモノだ。

優しいひとが何かの拍子にその繋ぎ止められた理性を放たれると、手が付けられなくなる。良いことが沢山出来る人は悪いこともたくさんできる。

逆に言えば、良いことが少ししかできない矮小な人間は悪いことも少ししかできないし、とんでもない極悪人はとんでもなくいいことも出来る。

人は自分の性格を振り子に見立てることが出来るのだ。

あなたの振り子は、どこまで振れますか?




「……」

我が家に謎の沈黙が一瞬生まれる。別に誰かが変なことを言ったわけでもなく、ただその現場を俺と秋人が目の当たりにしただけだ。

そこにはニコニコと笑顔を浮かべたアキちゃん、そして額から滝のように汗を流している梶が見える。

傍から見るとどうってことない風景だろう。

…ただ、今この場は何をする場だったのか、そして本来ならば字で埋まっているであるはずの梶のノートが真っ白なことから、推測は容易かった。


「陽夏ちゃん、去年は何をしていたんですか?」

「あの…亜紀…?」

「何をしていたんですか?」

「えっと…亜紀?あのね?」

「何をしていたんですか?」

「うぅ…」


なるほど。状況は深刻なようだ。


「ねぇ秋人。あれはどういう状況だと思う?」

「そうだな、冬野の精神が大分冒されているな。心の声がブレにブレて不安定すぎる」


心の声が聞こえる秋人がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

ただ、まぁ粗方の検討はつくものだけど…あんなになるものかね?


「どうだかな。冬野はああ見えて意外と完璧主義者だったりするからな。中途半端なことはしたくはないんだろ」

「えぇ…梶に完璧押しつけちゃってもなぁ」


実際、これまでだって最下位層を抜け出したことのない梶だ。こんな一朝一夕に問題が解けるはずもない。つーかこれは秋人にも言っておきたい。馬鹿なめんなよ。


「……」


秋人が何か言いたそうだが、この際無視しておこう。

しかし目下でこのような諍いが生まれてはどうにも居心地が悪い。どうかここはアキちゃんに静まってもらうしかなさそうだ。

…え?これ俺が何とかするの?

ちらと秋人の方に目線を送る。すると顎をくいっと梶たちの方へ振った。

なにその態度、文字通り人を顎で使いやがって。

だが仕方ない。ここで立ち止まっていても何も自体は好転しないのだし。

ゆっくりと重い腰を持ち上げ、二人のいる空間まで足を運ぶ。


「あー、えと、アキちゃん?もうそろそろその辺で…」

「何ですか、牧野君。邪魔しないでください」


…完全に言うこと聞かないやつですよこれ?

首どころか視線すらもこちらに向けないで拒否されたら、流石の俺もメンタルがやられるわけで。


「どうしよう秋人、俺にはどうすることも出来そうにないよ…」

「弱いな、お前のメンタル」


そう言わないでほしい。


「しょうがないな、頼りない春也に代わって俺が冬野を鎮めてくるわ」


そう言うと秋人はゆっくりと立ち上がった。ため息交じりに。

そのため息はどちらへの落胆の意がこもっているんでしょうか?俺?もしかして俺?


「ほら冬野、梶がどれだけ出来ないか、これを把握できただろう?今日はその辺にしておけ。もう時間も遅いことだし」


そう言うとアキちゃんはピクッと反応し、時計を見た。


「そうですね、もうこんな時間ですし。今日はこんな感じでいいでしょう」


あれ?アキちゃん?そんな簡単に引き下がるの?俺との違いは何だったのだろう。


「はふううぅぅぅぅぅぅ…」


だらしのないため息をつきながら机に突っ伏しつつ伸びをする梶。どうも親近感と同時に同情の念を抱かずにはいられない。これからヤバそうだなぁ、こいつ。

そんなこんなで、様々な不安要素を残しながら初めての勉強会は幕を閉じたのだった。



時は流れて夜、みんなが白熱(?)した勉強会からおよそ1時間経った。あれ、思ったほど経ってなかったや。

結局、俺と梶は二人から宿題を出されてしまった。宿題と言っても、やることはかなりの基本的範囲でこれが出来ないとテスト勉強どころじゃないらしい。というかそれを勉強会でやって欲しかった。

まぁそんなことを言っていても仕方のないことこの上ない。時刻は8時弱。これからどれだけ集中して問題が解けるかに大きなポイントがあるだろう。幸いなことに集中することは昔からやっているFPSゲームで鍛えられている。FPSって面白いよね。俺多分あれと出会ってから人生変わった。悪い方向に。中学の時仲良くてずっと一緒にいた友達もFPSやっていたけどそいつはゲームのやりすぎで勉強をしなくなり、俺と一緒の高校に行けなくなってしまった。というか俺が巣坂高校に入れたのも奇跡なんだけども。高校なんて入ってしまえばこっちのもので、面接がある学校でもとりあえず


「運動部入りたいと思っています」


とか言っておけば好印象間違いなし。それで結局入学後には入らないんですよね分かります。しかしなんで学校側って運動部の評価高いんだろうね。あるスポーツで地区優勝してますっていうのと、絵を描いて地区で賞をもらいましたってのだと断然スポーツの方が凄いってなる不思議。やっぱり運動部に入っておくべきだな。俺は入ってないけど。

あれ?なんでこんな話になっているんだ?勉強だろ勉強。

おもむろにペンを取り、机の上に開いた問題を見る。

なになに?


次の文章を和訳しなさい

“John can swim fast.”


何だこの問題。簡単すぎるだろう。舐めてるのか?

 “ジャンは早く泳げます”…と。

 その時だった。俺の机の上から消しゴムが落ちたのだ。

 触ってもないのに。

 みんなも無い?こういう事象。

 普通なら、なんだよもー、で済ます問題なのだろうが俺は幽霊が見えるのだ。

 何か不可思議なことが起こるとそいつらを疑うことが当然で。


 「何してるんです?前田さん」


そう言うと俺の背後にスゥーっと現れる人影。


「何でござるか?春也殿」


紹介しましょう。私の“守護霊”こと前田さんです。

よく自称霊媒師とかが言うように、本当に守護霊っているんですね。もしかしたら彼らは俺と同じように幽霊が見えているのかもしれない。

 しかしながら、“守護”霊だなんて言うが実際は何にも守ってくれたりしない。ただ、自分の周りをふわふわ揺蕩っているだけだ。正直こんなもの見えたところでなんのメリットもないし、なんなら見えなくてもいい。寧ろ見たくもない。

 しかもこいつらは暇なのか知らないがやたらとちょっかいかけてくる。この世には存在していないものなのでモノへの干渉はできないが、俗にいう(何が俗にいうのか分からないが)すり抜けライフを楽しんでいるそうだ。ポイントがたまると何かいいものが貰えるらしい。ポイントってなんだよ。


 「前田さん、あんた暇だからって俺にちょっかい出すのやめてもらえません?」

「む…?私は何も手出ししておらぬが?」


 ん?前田さんじゃないのか?


「私はそなたの世界のものへは触れることが叶わぬ。重々承知であろう?」

「え?なんか念力みたいの使ったんじゃないの?」

「私は忍ではないのだ。忍術のような真似はできぬ」


そういえばそうだった。さっきも言ったばかりじゃないか。こいつらは現世のものには触れないって。というか前田さん。一人称が私だったり、念力を忍術と聞き間違えたり、いろいろツッコミどころに事欠かない人物?だ。ちなみに生きていた時代はなんか“天正の世”とか言っていたんだけどそれなに時代?

 まぁ前田さんは放っておこう。どうやら消しゴムが落ちたのは彼のせいではないらしいし。となれば、なにか気付かぬうちに肘でも当たっていたのだろう。

 気を取り直して再び問題へと向かう。

 すると背後からぬっっと覗き込む半透明の頭が。


 「むぅ…これは」

 「え、なに?前田さん分かるんですか?」

 「昔見た南蛮の字に似ておるのぅ」

 「ダメだ、こいつ使えない」


 さっきも言ったが前田さんは“天正”の世に生きているのだ。本当にテスト関係には使えない。昔、周りのみんなが見えないのをいいことに前田さんを使ってカンニングを試みたが、こいつ、文字が読めなかった。昔と違うとか何とか言って。それなのに英語とか出来るわけないだろ何期待してんだ俺の馬鹿。

 その時だった。

 俺の机から今度は筆箱が落ちた。

 筆箱は机の上の教材の上に置いてあったので、手が触れることはまずありえない。かと言って下の教材も動いた痕跡は無い。正に、筆箱が自ら動いて落ちた、という感じだ。というか床に中身がとっ散らかってマジでヤバい。こんな入ってたっけ?


「……前田さん?」

「違うと言っておろう。そなたが最も知っておろうに」


 しかし前田さんじゃないとなると、いよいよ分からない。頼むから勉強に集中させてくれ。こんなポルターガイスト頻発されちゃあ勉強に集中どころか、そっちの世界の不思議を研究するために山奥に籠っちゃいそうだ。

 容量の少ない頭をふんだんに活用し、この状況を打破する手を考える。しかしポルターガイストかぁ。別名って騒霊って言うんだってね。“騒”がしい“霊”なんて昔の人はよくこんなネーミングしたね。そのセンス俺に下さい。

 まるでポルターガイストって地震が来てる風だったり、透明人間がガヤガヤしてるみたいだ。

 ん?透明?

 この透明人間というワードにピンとくる。まさか…


 「前田さん。この辺に俺たち以外に誰かいない?」

 「ん?なんでござるか、藪から棒に」

 「いいから、辺りに誰かいない?」

 「ふむ…そうでござるな…」


前田さんが辺りを見渡す。すると俺のベッドの方を見て目を顰める。これは…


「なんかあった?」

 「いや…そなたの寝床の上に何やら女子が見える」

 「そいつの身なりは?」

 「肩までの髪に右眉上になにか黄色い装飾を付けた…」

 「おっけーおっけー。もういい前田さん。わかったから」


 大体の想像はついた。そういえば一人いたんだった。俺の周りにこういったポルターガイスト的なことが出来て、尚且つ、俺の部屋に平気で入ってきて悪戯する不届き者が。


 「何してるんだ、桜」


 俺が件の人物の名を呼ぶとどこからともなく声が聞こえる。


 「あれれ、もうばれちゃった」


 声は俺のベッドの方から聞こえると同時に、そこに不自然な窪みが生じているのが目に入る。言われてみないと気づきそうにないそれの上の空間がぼや~っと霞み、徐々に人の形になっていく。俺が二年前まで来ていた中学校の制服を身に纏い、黄色のヘアピンを右眉の上で留めたその姿は最早も慣れ過ぎて飽きすら来ている。


 「お前なぁ、俺が珍しく勉強をしようとしている時間をピンポイント狙撃するんじゃねぇよ」

 「も~、実の妹をそんなに煙たがらないでよ~」


 そう、こいつは“牧野桜”。俺の二個下の中学三年生の妹だ。さっきので何となく察せると思うが、こいつは自分の姿を透明にできる。俺が“見えないモノを見る”能力なら、さしずめ、こいつは“見えるものを見えなくする”能力。ただ実際、桜は自分の姿を消す程度しか能力を使えないのだが。

 この桜、今年は受験が控えているというのにそんなのもお構いなく、昔と同じように俺に悪戯を仕掛けてくる。姿を消して。見えないから性質が悪いったらありゃしない。

 ただ、なぜか前田さんには見えるようで、こいつが居そうなときは大抵前田さんに探してもらう。何で見えるかは定かでは無いが、透明と半透明同士、なにか共通点があるのかもしれない。というかなんで俺は幽霊が見えて、こいつが見えないの?不思議で仕方ないんだけど。


 「ね~ね~、なんでにーちゃんは急に勉強始めたの?明日地球滅亡でもするの?」

 「うちの高校は進級テストがあるんだよ。で、そのテストで赤点取ると補修なの。それがやだから勉強してるだけだ」

 「ふ~ん…」


 桜がどこか不思議そうな目で俺を見てくる。なんだ、その目は。


 「でもにーちゃんが補修あるからって勉強する?今までだって何回補修受けてきたの?」

 「ん?それはだな…あれ?」」

 「ホントにそれだけなの?」

 「……何を怪しがってるんだよ。別に深い理由は無いぞ」

 「ふ~ん…」


 何か裏があるんじゃないかって目で俺を見る桜。でもまぁ確かに今まで補修を受けたことが無いわけではないし、むしろなんでここまで必死になっているのか…あれ?


 ―勉強しなくてもいいんじゃないか…―


そんな考えが脳裏を過る。

ここで勉強しなくても何回か受けた補修を受けるだけじゃないか。

 じゃあやらなくても……


 -春也…お前、わかってるんだろうな…?-


 「――っ!!」


 危ない、桜の誘惑に負けそうになっていたところに、今日垣間見た秋人の顔が浮かんだことで踏みとどまれた。

 大体今回の勉強はしっかりやらないと秋人にまでしわ寄せが行ってしまう。


 「今回は部活で点数勝負をしてるからな。変な点数を取るわけにはいかないんだよ」

 「へぇ…中々面白い趣向だね~」


 そうだ。今回は俺一人で補修を受ければ全てが丸く収まるわけじゃない。秋人も巻き込んでいるんだ。あの二人のことだ。負けたらとんでもない命令を下されるんじゃないか?焼き肉奢れとか。そんなのまっぴらだ!


 「ほら、そういうわけだからお前はどっか行け。お兄ちゃんはこれから勉強するの」

 「あ~、それなんだけどね」


 ん?


 「これからご飯だってお母さんが」

 「なんで今それ言うの!というか食べてなかったね忘れてた!」

 「じゃあにーちゃんは勉強するからご飯いらないって言ってくるね~」

 「おやめになって!」


結局桜と前田さん(冤罪)に邪魔をされて、今日は勉強どころではなかった。…やっべぇ、秋人に怒られる。




「さて、今日はみんなの入る委員会、係を決めるぞ」


翌日の朝のHR、今日は島崎先生曰く“委員会、係決め”らしい。高校までくると中学までのように、全員が全員どこかしらの委員会に所属することは無く、大体クラスの半分くらいの人しか委員会に入らない。

対して、係というのは名ばかりで実際に仕事があるのは模試を運ばされる“進路指導係”ぐらいのもの。一応、書記という係もあるが仕事なんかない。だってクラスルーム長が書いちゃうから出番がない。従って、みんな進路指導係は避け、委員会所属も避け、やるなら書記。よって毎年どこのクラスでも倍率は馬鹿高い。

だがしかし、二年生になった俺たちには一つ新しい係が追加された。それは新聞委員会や図書委員会、スポーツ委員会などを最早視界の外に追いやるほどの存在感を放っている。

なんなら、俺もこの係に入りたかったまである。


それは“修学旅行係”


俺達高校三年間の華であり、最も楽しみであるはずの修学旅行。その準備から最中の挨拶など、少し内容には微妙な部分がちらほら見えるがそれでも魅力的でみんなの注目の的な係。クラス内はみんなどの委員会、係に入るかで仲のいい者同士会話に花を咲かせている。

一方、ルーム長である俺こと牧野春也、そして俺が任命した副ルーム長の梶。二人は既に係が決まっているので、黒板の前に立ち、みんなの係を決めていく進行の役を島崎先生から仰せつかった。ホントにいいように使われてるな、コレ。


「ねぇ、牧野牧野」

「ん?」

「早く進めなきゃ」

「あぁ、そうだったな」


梶から催促の願いが出されたので、事を進めていこう。しっかしこの黒板に書かれた係、委員会の名前、定員。なんか違和感があるな。なんだろうか。まぁそんなのは後回しで…。


「じゃあこれから委員会と係を決めていこうと思うんですが…んじゃ係から決めていこうか」

「ハイハイっ!」


決めていこうとした矢先に元気のいい声が。窓際の席から聞こえたその声の主を見やるとそこには昔から見慣れた顔が見える。


「春也、俺修学旅行係やりたい!」


近江宏一。奴は俺と保育園(幼稚園ではない)から今現在に至るまで15年弱もずっとクラスが一緒という恐るべき腐れ縁である。高校はクラス替えが無いのでもう二年同じクラスというのも約束されている、最早運命を感じずにはいられない相手。


「はいよ、ちょっと待て宏一。お前の熱意は伝わったから。誰かほかにやりたい人います?」


他の係は基本的に各2人だが、修学旅行係は3人までやることが出来る。まぁきっと多い方が先生たちとしてもやり易いんだろうな。

黒板に何故かルーム長であるはずの俺が宏一の名前を書き込む。梶よ。何もしないならせめて板書するとかあるでしょう。なんで俺の隣でニコニコしてんの?

名前を書き終え、体を回してクラスメイトの側へ振り返る。するとそこには俺が思い描いていた光景とは真逆の状態だった。

やはり、このクラスは俺の思う通りには事を進めさせてもらえないみたいだ


「あれ?誰もいないの?」


クラス内は誰がこの係に手を上げるんだと言わんばかりの静寂に包まれていた。


「あれ~。俺的にはこの係は取り合いになるって踏んでたんだけどなぁ。みんないいの?高校三年間の一番の華に関われるんだよ?」

「牧野、怪しい勧誘みたい」

「うるせぇ梶。お前も何か俺の助けになるように働きやがれ」


そうは言っても誰も手を上げないのであれば仕方がない。とりあえずは宏一が決定だ。


「じゃ、宏一は決定な」

「お~!やったぜ!サンキューな、春也!」

「俺は何もしてないし、その言い方だと俺が裏側から手回ししたみたいに聞こえるからやめてくれない?」

「え?そんな事してたの?牧野」

「お前話聞いてなかったのか!?」

「寝てた」

「寝るな!」


こいつらのペースに乗ってたらいつまで経っても係決めが決まらないので、ある程度無視することにした。


~30分後~


「さてと、意外とスムーズに決まるものだな」


係決めが始まってから残り時間が半分になる頃、俺が思っていたのとは裏腹にほとんど即決で各委員会、係が決まっていった。みんな予め指し合わせていたかのようにポンポン決まっていく様は見ていても爽快であった。ただ、ここまで来ても決まらない係が二つ。

新聞委員会と修学旅行係だった。


「ん?」


そして最初から感じていた違和感がここへ来て形を成す。


「あれ?これ人数合わなくない?」

「え~、牧野何言ってるの」

「いや、だって残りがあと二人だろ?新聞委員会が二人必要で修学旅行係も二人必要」

「あ、本当だ。どうやっても人数が足りないね」

「島崎先生、これはどういう…」


教室の窓側の壁に凭れかかった島崎先生へ抗議の視線を送る。

すると島崎先生は少々深いため息を吐きながら腕を組み、首を振った。


「なんだ、気づいてなかったのか」

「え?何がです?」

「今年はお前たち、ルーム長と副ルーム長もどこかしらに所属してもらうことになってる」


そう言うと俺達から視線を外し、クラスメイトの方へ体を向ける。


「君たちは知っていただろう?」


島崎先生がそう言うと、周りのクラスメイトは別段驚きもせずに口を開いた。


「当たり前だろ」

「そもそも最初から人数がそういう感じだったし~」

「それな」

「俺は先輩から聞いてた」

「まじか、俺は3組の奴からだわ」

「それな」


言葉は違えどどうやら皆さん知っていたご様子。それなら事前に言ってくれても良かったんじゃあないですかね…。

まぁそれなら話は早い。俺と梶、そして残りの二人を割り振ればいいのだ。それよりも、ここまで残っている奴は一体誰なんだ?チラと視線を向けてみる。するとそこにいたのはクラスの中でも割と知っている女子二人だった。


「あ、あとは千里とミカンなんだ」

「はろはろ~陽夏ちゃん」

「それよりもどうしましょ。チサちゃんどっちがいい?」


うちのクラスで梶とよく一緒にいる二人、片山千里と槙野美香(通称ミカン)。梶と一緒にいるからアホかと思っていたが二人とも成績は良い方という不思議。類は友を呼ぶんじゃなかったのか?

あ、それで呼ばれたのは俺なんじゃないか?誰がアホだ!

ちなみに槙野美香の“槙野”は俺の“牧野”とは違うので間違えないように。テストには出ません。


「ん~でもミカン、陽夏ちゃんは副ルーム長で忙しそうだし、ここで更に新聞委員会なんて大変だと思わない?」

「え?う~ん…確かに。大変だよねぇ」

「じゃあここは牧野君と一緒に修学旅行係をやった方がいいよね?」

「そうねぇ…陽夏ちゃんはどうしたいの?」


あの~まだ俺も残ってるんですけど。なんで俺の意思は無視なの?なんで俺は梶と一緒だと決まったんだろう。


「え!?わ、私!?私は別に何でも…それなら千里とミカンと一緒に新聞委員会やるし!」

「おい梶。それは駄目だ。各クラス所属人数は決まっているんだからな」

「島崎先生ひどいっ!」


なに、梶はそんなに俺と一緒の委員会になるのが嫌なの?別に気にしないけどそこまで言われちゃうと流石の俺といえども傷ついちゃう。

でも確かにそうだな。俺と梶は一応ルーム長をやっているわけで、ここで更に別の委員会を掛け持つとなるとその労働量は計り知れない。ここはあの二人が新聞委員会をやるのが妥当か。


「じゃあ私たちが新聞委員会やるよ」

「そうね、それが一番いいかも」

「えぇ!?二人とも…」

「じゃあ、書くぞー」


これで決定した。片山千里と槙野美香が新聞委員会。俺と梶が修学旅行係だ。


「おぉ!春也も一緒か!よろしくな」

「またお前とか。なんなんだ。運命なの?」

「いいじゃんいいじゃん!いやぁ、修学旅行が楽しみだ」


まったく、宏一と来たらこれだ。まぁ昔からこういう楽観的な奴だったしな。それにやるときはやる奴だ。一緒にやって不安な相手ではないことが幸いかな。あとはこいつ…。


「もぅ…二人とも…。私の気も知らないで…」


なんでこいつはこんなにブスッとしてんだ?そんなに俺とやるのが嫌なの?そうなの?凹むなぁ…。


「……むしろ私たちは陽夏ちゃんの気を知っての行動なんだけどねぇ」

「……これでなにか変わればいいんだけど…」


あの二人が何か話しているのは分かったがイマイチ何を言っているのかは聞き取れなかった。





朝。学校への道のりで小見川秋人は悩んでいた。悩みの種というのも今回のテストのこと。だが自分のテストのことで困っているのではない。彼は友人のテストのことで困っていた。


「はぁ、どうして俺が春也の為にこんなに…」


昨日の勉強会を通して彼、牧野春也の実力を知っておきたかった。彼はテストがある毎に


「やばい、マジヤバい、何がどうヤバいってマジでヤバい」


と言っていたので勉強が苦手なのは知っていたが、まさかあのレベルで駄目だとは想像もしていなかった。去年一年間の学校生活は何だったのだろう。もはや彼の思考回路は読めない。

しかしそうだ。あれほどのアホでも曲がりなりにもうちの高校に入っているのだ。きっと地頭はいいはず。いや、よくないと困る。俺が。

隣でやっていた梶、冬野ペアもどうやら苦戦をしているようだし、それが唯一の救いなのかもしれない。

相手が不調なのを喜ぶなどとはあまり褒められたことではないが、こればかりは仕方あるまい。

ふと空を見上げる。昨日の朝はおよそ春とは思えない程の冷たい風が吹き荒れていたが、今日は暖かな春の気候と言ってもよいだろう。青空が雲の隙間から覗いているし、風もない。とても過ごしやすい温度だ。一つ不満があるとすれば、今日はマフラーはいらなかったということ。風が無い分、寒さはあまり感じないから首周りに熱がこもる。昨日が寒かったからその分気負って来たのが失敗だった。

学校への途中にある大手24時間営業のスーパーに立ち寄り、昼食の足しを買う。

そのスーパーを出ればうちの学校はすぐそこだ。市役所を超え、横断歩道を渡るとうちの高校が見える。今日も野球部は朝練か。毎日毎日ご苦労なことだ。それで授業を寝ていては本末転倒だというのに。そういえばそれが原因で成績が伸び悩んだモンスターペアレントのせいで、俺の中学校で全部活朝練が禁止になったらしい。

世知辛いものだ。俺達はそれでも一定の成績を維持してきたというのに。その程度で落ちる成績など落ちるべくして落ちているんだ。自ら言い訳を潰してどうする。

俺は朝練は反対ではないけど、もうそんなに早起きはしたくないね。只でさえ朝は弱いんだから。


『あーだりぃー』

『今日って何やるんだっけ?』

『今日結構あったかいな』

『うっきゃ――――☆彡!今日も頑張るぞ―――!!』


流石に校門付近まで来ると人も多くなる。すると必然的に心の声も多くなる。

それよりもこの時間に校門付近にいるわけ分からんことを考えてる奴は誰なんだ?完全に頭がすっ飛んでるな。

心の声が聞こえるというのは、多くの人が一度は欲しいと思う能力らしい。(春也談)どのように聞こえるのか、それははっきりとは伝えづらいが感覚としては、スーパーなどに行ったときに流れている音楽が人の声になった感じだろうか。つまり常に様々な雑音、もとい各々の本音が俺の脳内に延々と流れていることとなる。

心の声。それは各人の本音を語る。それが意識的か無意識かなどは関係ない。そのどちらも在り得るからだ。人は無意識のうちに自分の意見を考えてしまうものだ。自分の本当の気持ちを心の中では考える。それを口に出すか否か。そこで本心からの発言かが分かれるのだ。人間一日に何回かは本心とは違う発言をする。人づきあいがあれば必ずこれはやっているはずだ。だれもそこに突っ込まないし、ん、いや、突っ込むことも出来ない、か。

だが、心の声が聞こえる俺には別だ。本心が筒抜けになる以上、俺に“嘘”は通じない。

だからこそ、春也のアレに困っているのだ。

まぁ別に、分からないなどと嘘をついているわけがないし、そんなことをする必要もないのだが、あの出来なさは本当なのだという真実はあまり受け入れたくはない。俺が。

昇降口へ入り、靴を履き替える。他の高校は知らないが、ウチの高校は部室にも下駄箱を置いていたりもするのでわざわざ昇降口で履き替える人はおよそ6割と言ったところか。俺は普通に昇降口で履き替えるけど。

あと、これも他校はどうなのか気になるところだが、うちは靴ではなく、サンダルだ。学年ごとに赤、青、緑と割り振られている。

このせいで走れなかったりとかはあるが、まぁ別に支障はないか。冬寒いくらい。

俺のクラスは二年四組。春也たちのクラスの二つ隣だ。個人的には悪くないクラスだと思っている。何せ、風紀を乱すやつもいないし、クラスのみんなとても仲がいい。

春也のクラスをちらと覗いてみたが、まだ来ていないのか、春也を確認することは出来なかった。あまり覗いていても気持ちのいいものではないので、さっさと通り過ぎ、自分のクラスへ入る。


「お、小見川はよーっす」

「はい、おはよ」


去年から変わらない野郎どもと挨拶を交わし、自分の席へ着く。

さて、あのバカへの宿題でも作るとするか…

カバンの中から愛用のルーズリーフを取り出し、ペンを走らせようと……


「小見川秋人っ!勝負よっ!」


はぁ…捕まってしまったか。


「毎度毎度懲りないなぁ、お前」

「ふんっ!その余裕も今回までよ!この河霧幸があんたを下してやるんだから!」


【川霧幸かわぎりさち】うちのクラスメイトにして、テストとか何かしらの行事がある度に俺に勝負を挑んでくる女子だ。因みにこいつは何も無謀に学年二位の俺に勝負を挑んでくるわけではない。こいつは学年三位、つまり学力では俺に次いで優秀ということだ。この順位は高校入学当初から一年経った今でも変わることなく、今に至る。まぁ彼女はずっと三位でいるのが不服なんだろうな。


「でもお前、それ毎回言ってないか?前の期末テストの時も言ってたじゃないか」

「う、うるさいわね!今度こそよ!何度目かの正直よ!」

「つーかお前、事ある毎に勝負勝負言ってるけどさ…暇なの?」

「暇じゃないわよっ!ずっとあんたに勝てそうな勝負の内容を考えてるわ!」

「暇じゃねぇか」

「暇じゃないっ!」


うーーっと足をダンダンやりながら手をブンブン振っている。傍から見れば可愛い光景だが絡まれているこっちからするとそんな感情は微塵も湧かない。可愛いんだけどなぁ、もったいない。


「お前そんなこと言って、ちゃんと勉強してんのか?」

「し、してるわよっ!馬鹿にしないで!」


ふむ…別に嘘はついてないか。


『…おい見ろよ、また河霧さんが小見川に絡んでるぞ』

『…あんなかわいくて頭もいい子と仲良いなんて、許すまじ…!小見川秋人…!』


…教室のどこかからそんな声が聞こえてくる。というかこのクラスの奴らは基本的に正直なので、心の声と発言がほぼほぼ一致してる。みんな素直なのだ。


『…あ、また幸が小見川くんと話してる』

『…幸もホントに健気だよねぇ』

『…それにしても小見川くんも本当ブレないよね。もう少し幸に笑いかけてあげてもいいのに』

『…頑張れやぁ幸。うちはあんさんを応援しとるからなぁ』


ついでに言えばうちの女子も素直だ。本当に嘘をつかない。というか今のような会話は普通は聞こえないのだろうが、心の声として俺に響いてくる。

嘘をつかない。そんな人がいるとは到底思えない。というか、嘘をつかないということが必ずしも良いこととは思わない。嘘をつく。言い換えれば言葉を濁す。程よく、相手の神経を逆撫でしない程度には必要だろう。

とはいえ…


「生意気なこと言って…あんたなんか今回ぼっこぼこにしてやるんだからっ!!」

『でも…今回も勝てなかったら…どうしよう……うぅ…』


これほどまでに外面と内面で差が出る河霧みたいな奴は珍しい。

こいつは口では大抵強がっているが、内面ではかなりびくびくしている。今までいろいろな人間を見てきた。人間は大雑把に三つに分類される。素直にモノを言うやつ。嘘ばっかりつくやつ。そして天邪鬼のようなやつ。

河霧は天邪鬼タイプだが、ここまではっきりと発言と本音が分かれるやつは珍しい。


「……お前って面白いよな」

「……っ!!?はぁっ!?」


おっと、つい本音が出ちまった。俺の悪い癖だ。いつもいつも他人の本音ばっかり聞いているからか、俺もたまに本音が出てしまう。


『…聞いた今の。あの小見川くんが…!』

『…うん見た。笑ってたよね』

『…うわぁ、幸、顔真っ赤』


どうやら周りの反応を見るに、無意識のうちに笑ってもいたらしい。無意識って怖いな。

しかし、河霧も顔を真っ赤にして反論をしてくる。


「だ、誰が面白いのよっ!この馬鹿っ!!」

『お、面白いって…またやっちゃったよぉ……恥ずかしい…』


…この内面をもっと外面に出していけばもっと可愛いのに。多少の勿体なさを感じながらも少し話を逸らす。


「ところで、その勝負に俺が勝ったら何が起こるんだ?」

「へ……え…と、そうね…」

「なんだ、何も考えてなかったのか」

「かっ、考えてたわよ!え…と…」


少し考え込む河霧。そして顔を引き攣らせながら声を出す。


「あ、飴ちゃんあげるわ…」

「うわ…」

「な、なによ!」

「そんなもん自分で買うからいいよ」

「そ、そうよね…」


プルプルと肩を震わせ、顔はさっきよりも真っ赤に染まっている。まさに茹蛸と表現しても遜色ない赤さだ。

眼には少量の涙を浮かべ、唇を噛みしめている。え?なに?どうしちゃったの?


『あ、飴ちゃんって…わたし一体何言っちゃってるのよそもそもこんな条件じゃあいつはわたしなんか相手にしてくれないし、というか面白いとか思われてるしわたしやっぱりもっと素直にならなきゃいけないのかな、え…と』


心の声は今にも泣きそうなほど弱かった。というかもう本人も泣きそうだし。


「…こ、小見川の馬鹿――――――――――っ!!!!!!!」


そんなセリフを言い残し、彼女は教室から駆け出して行ってしまった。

入り口のドアをバンッと開き、「うわああああっぁぁあぁっっ……」とどこかへ走っていった


ポカン。

まさにそんな擬音が今の俺に相応しかった。俺だけでなく、クラスのみんなも。

なんだろう、この状況。女子からも男子からも微妙な視線を向けられている。

え?今のって俺が悪いの?


『小見川も小見川で…うーん…』

『幸…まったく…』

『小見川の野郎、河霧さんを泣かせやがって…!』


心の声も少し俺を凹ませて来る。というか凹む凹まない以前に何が何だか分からない、と言った方が正しいか。

もう本当に勘弁してほしい。ほら、もう朝のホームルームが始まる時間になっちゃうじゃないか。この時間で春也の勉強用紙を作ろうと思ったのに…

本当に女の子は難しい。言葉の裏に隠された真の意味を汲み取らなければならない。心の声を聞くことが出来る俺でも難しいのだ。いや、心の声が、本音が聞こえるからこそ難しいのか。流石の俺も表面上の本音しか聞こえない。深層心理での本音は聞き取れないのだ。


これだから、女の子は予想がつかない。心の声が聞こえたとしても。




朝、冬野亜紀は放心していた。いや、正しくは放心ではない、呆けていた、と言った方が事実には近いのかもしれない。

あたしは昨日の牧野君の家での勉強会で陽夏ちゃんの勉強を見た。

今回の進級テストであたしと陽夏ちゃん、牧野君と小見川君との男女それぞれのペアで獲得した総合点を競おうという、陽夏ちゃんの提案で始まった今回の勝負。

実際、あたしと小見川君の点数は5点と変わらない。

そして、陽夏ちゃんと牧野君の点数も大して変わらない。

しかし、しかしである。その二人は学年でも最下位層にいるのだ。

最下位層、という表現はしたくない。“誰よりも伸びしろがある”とでも言おうか。

それでも昨日の陽夏ちゃんの様子を見ると、あと一週間で何とかするのは大変だ。

今日は4月4日。木曜日。テスト初日は4月10日。水曜日。

一週間を切っている。

幸い、このテストまでの授業は――明日から授業は開始だ――これまでやってきた、今回のテスト範囲をやってくれるそうだ。だがそれも金曜、月曜、火曜の三日間。それだけに頼るわけにはいかない。あたしも自ら行動を起こさないと。

電車の中で決起した。いつもはスカスカのうちのローカル電鉄も流石に平日の朝は混み合っている。満員には程遠いが。

電車通学も楽じゃない。定期代だってかかるし、帰りは時刻表とにらめっこだ。只でさえ本数が少ないのだ。読み違えると最悪一時間近く待つこともある。

そんなこんなで漸く高校の最寄り駅に着いた。この駅はローカル線の中央的位置だ。それはもう沢山の人が乗り降りする。私服の人はうちの高校かな?

改札もないので駅員に定期券を見せる。それだけだ。ここから約15分歩けばうちの高校へたどり着く。

実家から40分…と言ったところだろうか。字面だけ見るとかなりかかっているが、もう慣れた。苦ではない。

駅から続く橋を渡り、かつてはアウトレットとして賑わっていたであろう店を横目に橋の階段を下る。

…はぁ。本当にどうしようかな。


「…アキぽん」

「ふあああぁぁあっ!」


背後からポンッと背中を押され、思わず変な声を出してしまった。恥ずかしい…


「って、楓ちゃん?」

「おっすおっす~」


クラスメイトの碓氷うすい楓ちゃん。中学校からの同級生だ。短く切られた髪からは些か似合わないほんわかした女の子。


「あ、また何か食べてる」

「あ~これ?こないだ新発売したおやきなんだけどね~?中にあんこが入ってるの」

「それって、おやきなの?」

「あんこおやき、って書いてあってなぁ」

「そのまんまだね…」

「でなぁ~、気になって買ってみたらな~なんだったかなぁ。江戸川焼?」

「…もしかして今川焼?」

「そうそう~その島川焼みたいな感じで意外とおいしいの~」


やっぱり朝でも楓ちゃん節は止まらない。癒されます。

楓ちゃんはいっつも何か食べてるんだけど、その割には体の線が凄く細い。その食べた分はどこへ消えて行っているんでしょう?やっぱり運動してるからかなぁ?


「楓ちゃん、部活の方はどう?」

「あぁ~それなぁ。ウチの部活そんなに強くないからなぁ。気軽にできるよぉって誘ってるんだけど中々なぁ」

「難しいんだね、やっぱり勧誘って」

「なぁアキぽん。今からでもウチと一緒にバスケやろうよぉ」

「無理ですよ。あたしだって部活入ってるんだから」

「むぅ~アキぽんのいけず」

「よしよし」


変にむくれてしまった楓ちゃんの頭をよしよしと撫でてあげる。すると楓ちゃんは気持ちよさそうに「ふにゃぁ」と声を漏らす。

こんな彼女だが、実はバスケ部員だ。とはいえ、うちのバスケ部はきちんとした指導者がいないため、半ばお遊びなんだとか。でも去年は地区予選一回戦を突破していた。なぜだろう。

でも、楓ちゃんと話せたおかげで少し気が楽になった。楓ちゃんに相談でもしようかとも思ったが、これはあたしと陽夏ちゃんの問題。このことで悩むのも彼女の為なんだろう。私ならできる。そう言い聞かせる。悩んで、もがき苦しんで、足掻いて、悩むほどの問題ではないのだ。きっと大丈夫。うまくいく。

そのためには陽夏ちゃんの協力も必要だ。あとでまた連絡しておこう。

目の前の坂を登れば学校だ。

今日もまた、平凡な一日が始まる。




時は流れて昼休み。私、梶陽夏はご飯を食べながら、英単語帳を眺めていた。

ご飯と言っても今日はいつものお弁当じゃなくて、朝、近くのスーパーで買った菓子パンだ。だから単語帳を眺めながらでも食事が出来る。

問題は山積みだ。

今までやってこなかった自分が本当に恨めしく思われる。後悔先に何とかっていうけど、私ほど今痛感している人は中々いないんじゃないかな、と思うほどには後悔している。

だけど、今するべきなのは後悔じゃなくて、勉強だ。

考えうる最悪の状況は、牧野がやたらと伸びて、私が伸びなかった時だ。

それはやだなぁ。私だって亜紀には迷惑をかけたくない。

牧野たちが変な命令をしてくるとは思えないけど、だが……勝負をふっかけた私としては無様な点数は取りたくない。でも…


「はぁ…」


やる気と根気は無益、とは誰が言ったか。全然頭に入ってこない。


「どしたの?陽夏ちゃん」

「今日のお昼それだけ?…足りるの?」

「あ…千里、ミカン」


机を合わせて一緒にご飯を食べているのは、友達の千里とミカン。二人とも入学当初からの親友だ。


「それにしても珍しいね、陽夏ちゃん。勉強してるなんて」


千里に突っ込まれる。う…やっぱりそう見えるか。


「陽夏…何か悪いものでも食べちゃったの?」


次いでミカンにも突っ込まれた。これはもう相談しておくべきかな。


「あのね…来週に進級テスト?があるじゃない?」

「あぁ、確かあったね」

「で…それがどうしたの?いつもならそんなのお構いなしじゃない。陽夏の場合」

「それがね、部活で昨日、私が提案したんだけど、その、勝負することになったのよ」

「勝負?陽夏ちゃんが?」

「いったい誰と?牧野君?」

「う~ん…平たく言えばそう、かな。細かく言うと私の部活の男女ペアで得点勝負、ってことなんだけど」

「陽夏の部活っていうと、あの小見川君と冬野さんだよね」

「あぁ、あの学年TOP2の」

「そうそう。で、昨日勉強したんだけど全然できなくて」

「「だろうね」」

「二人ともひどいっ⁉」


ミカンが机上の野菜ジュースを飲んで顔を上げる。


「男女ペアってことは…陽夏と冬野さんがペア?」

「うん」

「じゃあ、牧野君と争うってわけだ!」

「そうだけど、なんで千里そんなに元気になったの?」

「まぁまぁ陽夏。で?」

「で?って?」

「勝負なんでしょ?勝ったらどうとか無いの?」

「あぁ。そういうこと。一応、勝った方は負けた方に一つだけなんでも命令できるの」


そう私が言うと千里とミカンは顔を見合わせ、ニヤリ、と笑った。

え?なに?


「ふ~ん、なんでも一つ、ねぇ」

「だからそんなに一生懸命勉強してるんだ」

「いや…確かに勝ちたいけど…そんなに命令には固執してないっていうか…」

「はい嘘」

「早くないっ⁉」

「陽夏ちゃん、嘘つくとき、体が左右に揺れるんだもん。わかりやすいよ」

「え?嘘?」

「うん、嘘」

「でも、今のはホントに嘘でしょ。何となくだけど、女の勘?」

「チサちゃん流石女の子!」

「あんたもでしょ~」

「「あははははははっ」」

「ちょっと…」

「まぁまぁ。陽夏の考えてることなんて大体お見通しってこと」

「そうそう。どーせ命令のことなんて何も考えてないんでしょ?」

「そっ…そんなことないもんっ!」

「へぇ…じゃあ陽夏ちゃんは牧野君にどんなお願いをするのかなぁ?」


千里がニヤニヤしながらこちらへ問いを投げかけてくる。

言われて少し考える。

…なるほど、確かに何を命令しようかなどとは考えていなかった。


「う~ん…」

「考えてないんだぁ」

「どうせそんな事だろうと思ったよ。陽夏のことだし」

「だ、だってそんなこと考える暇なんかなかったんだもんっ!」

「じゃあさ、私たちで考えてあげるよ!」

「そうね、何か明確な目標があった方が捗るだろうし」

「え…」


二人は何かこそこそと話し始めた。しばらくその光景を眺めていると、いつの間にか菓子パンが終わっていた。やっぱり足りないなぁ。

あ、こっそり千里のお菓子一つ貰っちゃおう。気づいてないみたいだし。美味し。


「…うん。それいいね」

「…でしょ?今まで全然進展が無かったからこれくらいしないと、陽夏はいつまでたっても変わらないよ」


どうやら、意見がまとまったらしい。こちらを振り返った二人はさっきまでよりも顔がにやけきっている。なんだろう。一体二人は何を命令させようとしているのか。


「陽夏ちゃん。ちょっとこっち来て」

「え?なに?」

「………で、……を…って…」




「……ええぇっ‼!?」

「まぁこれくらいはやらないとねぇ」

「ちょ、ちょっとっ!それは…えと…」

「まぁまぁ、陽夏ちゃんも悪くは思ってないんでしょ?」

「う…ま、まぁ…」

「じゃあそれくらいいいじゃない。ひとまずはそれを目標にしてみよ?」

「う、うん。わかったよ…」

「じゃあその目標を達成するために私たちも一肌脱ぐとしますか」

「え?いいの?」

「いいっていいって。私たちだってそんなに成績悪くないんだしさ」

「そうそう!私たち、陽夏ちゃんに協力しちゃうよ」

「あ、ありがとう」


確かに二人とも成績はいい方だ。多少なりとも勉強の方法を教えてくれるというならそれはとてもいいことだ。

ふと教室内を見渡す。後ろの方に楽しそうに談笑している一人の男子生徒を見つけた。いつも通り耳の上の髪が跳ねている。相も変わらず少し眠そうな目をしている。

出会ったのは一年生の春だった。あの日のことはまだ鮮明に覚えている。

彼の力のことも知っている。だけど、彼には私の力を教えていない。

もし教えたら、もしかしたら、今まで積み上げたものが無くなるかもしれない。

私の過去を知ったらどんな反応をするだろう。

彼なら、と思わないことはない。だけど、今の関係はとても居心地がいい。

だから、まだ教えなくてもいいかなってそう思っている。

ひとまずは、千里とミカンの案に乗っかってみよう。

もしかしたら、ずっとあるこの胸のモヤモヤの正体が分かるかもしれない。


この胸にずっとあるモヤモヤは、胸をキュウっと締め付けた。


「ん?あっ!陽夏ちゃんお菓子食べたでしょ⁉」


あ、やばっ。ばれちゃった。





待ちに待った昼食の時間。俺、牧野春也は15年来の親友、近江宏一とご飯を食べていた。いや、食べていた…か。

実はさっさと食べ終わって、今は英語の熟語?を覚えている。なんかいっぱいあるなぁ。これあと一週間で覚えられるのかなぁ。不安でしかないんだけど。


「でさぁ春也」

「ん~なに?今忙しいんだけど」

「何が望みなんだ?」

「ちょっと待て。お前は何を言っているんだ」


宏一は基本的に楽観思考なんだけど、だからなのだろうか?時々意味不明なことを口走る。何が望みって…


「望みなんてない。俺はただ、テストで点が取りたいだけなんだ」

「ふ~ん。またどうして?いつもお前は赤点連発じゃん?だから?」

「だから?」

「たまには勉強していい点数でも取りたいのかなってな」

「うっせ。中学までは成績は悪くなかったんだよ」


仮にもこの高校、巣坂高校は地元でも、というかこの市内では一番の進学校だ。

だからこの高校にいるということは、曲がりなりにもそれなりに入試で点数を取ったということ。

まぁ俺の入試の数学は33点だったけどね(笑)


「またまたぁ。そんなこと言っちゃって。入試の時だって半ば賭けだったじゃんか」

「いいんだよ。受かったんだから」

「というか落ちた人の方が少なかったけどな。良かったな!あの5人に入らなくて」

「もういいよ!その話は!」


俺達の時の定員は280人だったのに対し、志望者は287人。結果受かったのは282人だった。二人余計に受かったのはまぁ例年通りだし、多分俺はその二人に入ってるんじゃないかとか思ったりもする。でもいつの間にかこの学年は転校だとか、退学だとかで3人減って279人になっている。

全七クラスで各クラス40人くらいだ。


「しっかし…英語って難しいな…」

「ん?なんだ。英語苦手だったっけ春也?」

「むしろ得意教科なんて無かった気もするよ…」


中学までは国語はそれなりに取っていたが、高校に入ってからは全然だ。

なんでだろうなぁ。本を読まなくなったからかなぁ?


「へぇ…まぁ英語なら俺に聞いてくれよ!」

「あ、宏一って英語得意だっけ?」

「馬鹿野郎、これでも学年TOP5だぞ」

「え…そんなに英語出来たんだ…」

「ふふ…もっと褒めてもいいんだぞ?」

「いや、あまり褒めてなかったけど」

「ちなみに数学は追試ギリギリです」

「流石典型的文系だわ」


宏一もどうやら文系選択らしい。というかまだ理系見てないんだけど、本当に理系は居るんだよな?


「俺も春也も、中学校から数学は出来なかったからなぁ!そう簡単に苦手意識は消えないわ」

「中学…か。あまり思い出したくはないな」

「っと…悪い」


こう言ってはなんだが、あまり中学校にいい思い出は無い。これも全てこの“幽霊が見える目”のせいだ。

何だったら、見ようと思えばその辺にいっぱいいる。でも意識しなければもう気にはならなくなった。昔は気にしまくっていたものだ。だから昔はあまりいいことは無かった。

というか前田さん。宏一をすり抜けまくってるんだけど、何あれ?ポイント貯めてるのかな?

まぁ無視だ無視。


「そんなことは置いといてだな。とにかく英語のコツを教えてくれよ」

「ん?そーだな…」


宏一は顎に手を当てて考えに耽る。しばらく考え込んだ後、何か思いついたのか、こちらへ視線を戻す。


「深く考えないこと…かな」

「え?」

「英語苦手な奴は総じて、難しく考えすぎなんだ。何がどうなってこうなるのか、とか」

「そう…なのか?」

「だからとりあえず何も考えず覚えるんだ。これはこういうモノなんだ。そう自分に言い聞かせる。無心で口に出しながら白いノートにでも何でも書き続ける。俺はこうやって英語は勉強しているな」

「お…おう」


思っていたよりもなんかちゃんとした答えが返ってきた。宏一、昔から要領は良いからな。割と参考になるかもしれない。


「まぁ、学校の英語テストなんてテキスト丸暗記でいいんだけどな」

「そうなの?」

「そうそう。丸暗記で70点くらいは取れる」


まじか。記憶力にはそれなりには自信がある。これならやれそうだ。


「あ、ちなみにだけど国語もそうだからな。教科書付随のテキスト丸暗記しとけ。それでいいと思う。数学は知らん!」

「というか俺が一番教えてほしいのは数学なんだけどな…」


まぁそこは秋人に教えてもらおう。今日もどうせ勉強するだろうし。

ひとまず、宏一から教えてもらったやり方は今日から実践してみよう。テキストは今日全部持ってきているから大丈夫。そのせいで、今日のカバンは未だ嘗て見たことが無いほどパンパンだ。お前、そんなに入ったんだな…


「ところで今日の午後ってなにやるの?終わり?」


宏一が俺に尋ねてくる。確かに今日は係決め、委員会決めをした後、健康診断をやった。また背は伸びていなかったので残念だったが、梶を弄って楽しかったのでそこは良しとしよう。

ん~…今日の午後…ねぇ。

確かプリントが机の中に入っていたはず。体を倒してゴソゴソと探す。お、あったあった。

え~と…


「1時30分から部活動説明会だって」

「あぁ、そんなのあったか。俺達部活入ってないから知らなかったんだな」

「宏一はともかく俺は一応入ってるんだけどな…」

「なんだっけ?あの空き教室を不法占拠してる部活」

「言い方が悪いぞ。日常生活研究会だ」

「研究『会』だっけ?『部』じゃなかった?」

「いや、どっちでもいいよそんなの。ぶっちゃけ名前とかどうでもいい。梶のセンスだし」

「あ~梶ちゃんか。ちっちゃくてかわいいよね~」

「それ禁句だけど。まぁ俺と30センチも違うからちっちゃいわな」


ふと黒板前あたりで食べてた梶から視線を感じた。なんだろう。ちっちゃいって言ったのがばれたんだろうか?だとしたら侮れないな。


「で?」

「で?とは?」

「お前らは説明会でないのかってことだよ、春也」

「おま…出るわけないだろ。非公式だぞ。あれ」

「ふ~んつまらないの」


宏一はまだ残っていた弁当に目を落とした。つーかまだ食べ終わってなかったんですね。冷え冷えだろそれ。

そもそもうちの部活は特別な奴らが集まるために作った薄っぺらい部活だ。別に部員を募集などしてはいない。

しかし思い返すとうちの部活、中々アクの強いメンツが集まってるよなぁ。

学年TOP2の秋人とアキちゃん。ちっちゃいけど可愛いと評判のいい梶。あれ?俺だけ平凡じゃね?いや、先生に目を付けられているという点では俺もアクが強いか。

ってそんなことを考えている場合じゃない。

今日は英語を重点的にやるって決めているんだ。

なんだったら今日中に基礎的な部分は終わらせたいこと。

なぜこんなに意気込んでいるんかというと、ただ単に負けたくないからだ。本気を出したアキちゃんは怖い。それを痛感したしな。

こちらが勝った時のことは何も考えてはいないが、負けたら何されるか分かったもんじゃない。

半ば身の保全のために頑張ってる感があるが、今はそれで十分だろう。

その時、ふと俺の携帯が鳴った。


「ん?なんだ?」


連絡は秋人からだった。何々?


【わりぃ、今日勉強見てやれないから河霧に頼んどいた】


……何言ってんだ、こいつ。

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