靄がかりの風景
原子核の周りを回っている電子は、場所を特定できないものらしい。
詳しい理屈は知らないが、観測者が観測しようと光を当てた瞬間、電子が位置を変えてしまうため、本当の位置が分からなくなるそうだ。
理屈はともかく、光の当たっていない原子では、電子はどの場所にも存在し得る。
観測できない以上、どこか特定の場所にあると決めてかかる事はできないから、電子の位置について話そうとするなら、そういう風に曖昧に言うしかない。
原子は、原子核と電子の薄い靄(もや)とで作られているのだ。
だとすれば、私たちが日頃見ている光の世界は偽りの世界であり、光の無い、真暗な世界こそが本当の姿だということになる。
ただそれは、誰にも確かめることはできない。
光がなければ、私たちは見ることはできないのだから。
世界は、その存在も、姿も、誰にも分からない。
闇の中に薄い靄が広がっているだけだ。
否、世界だけではない。
ともすれば私自身さえも端の方からだんだん靄がかってくる。
靄の中を見ることはできない。靄はもはや靄でしかない。
世界はそのまま靄がかりの風景としてでしかとらえることができない。
その中を、私は靄として通り過ぎていく。
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