第14話 同期の桜

 2020年4月12日 16:03 市ヶ谷


 防衛省市ヶ谷庁舎内の一室。

 そこは、やたら広いがどことなく薄暗いイメージのある部屋だった。

 天井近くには、軍服に身を包んだ男達の写真が掲げられている。壁のあちこちにも額縁が幾つか。何かの訓辞なのか、明朝体で書かれた箇条書きの言葉が並んでいた。 

 窓際には、大きな国旗が真鍮のポールにくくりつけられている。風が吹くわけではないので、白地に赤の半円しか見えなかったが。

 その端の横に、重厚なマホガニー製の机が置かれている。上には書類らしき紙が数枚と、無造作に積まれたファイルが散らかって、大きさのわりにはゴチャゴチャ感は否めない。使用者は、かなりおおざっぱな人間だと言えるだろう。

 そのおおざっぱな人間はというと、机の向う側で大きなイスに座っていた。

 彫りが深く目鼻立ちのハッキリした人物である。頭にカフィーヤでも被れば中東人のようだ。しかし、そう見える一番の要因は、鼻の下にあるカイゼル髭だろう。どこぞの将軍よろしく立派なそれは、白い物が混じる頭部と違って黒々していた。


「さて、どうするか……」


 彼、航空幕僚副長・後藤田政宗は低い声でそう唸った。左手のボールペンを置き、自慢の髭を指先で整え始める。考えごとをする時は、無意識に出てしまう癖だ。

 彼は今、嫌な問題に直面していた。


 きっかけは国税庁に勤める友人からの電話だ。


『巨大ロボットがあるんだ』


 そんな馬鹿な、と思ったものだ。しかし、念のためにと義弟の田神に調べに行かせてみれば、本当にそんな物が存在しているという。

 微妙なことになってしまった。もちろん空幕僚長に報告するのが一番だが、子供の使いではあるまいし、『ロボットがありましたから、何とかして下さい』では洒落にならない。

 来年はワンステップ昇りたいと思っている。通例に従えば、航空総隊司令官あたりだろうか。思えば二十年前、中東方面へ人道復興支援活動の為、輸送部隊司令官として派遣されて以降、彼はとんとん拍子に出世街道を上り続けた。だからここに来て蹴躓きたくないというのが正直な気持ちだった。

 特に今は微妙な時期である。北の国が騒がしい。それに伴って、周辺国がにわかに浮き足立っている。情報合戦は過去十年のうちで一番盛んだろう。

 そんな折りにロボットだ。それも公安調査庁や警察庁が出張っているかもしれないと、田神から報告があった。となると防衛省情報本部もつかんでいる可能性はある。


(公調や本部が動いているとすれば厄介だな、いや、警察もか)


 警察庁は歯牙にもかけたくないが、粘着されると正当な捜査権を持っているだけ面倒だ。


 それにしても、と思う。

 確かに大宝寺直太朗は国際的に有名な科学者である。しかし、その人物が作ったロボットはそれほど大騒ぎする代物なのか、後藤田としては疑問が残る。

 というより、巨大人型ロボットとは……。

 ミサイルというなら分かる。爆弾や細菌の類も危惧されて然りだろう。レーダーやレーザー、もしくは新型の傍受システム等々というのもある。考えられる軍事的アイテムの中で、巨大ロボットはもっとも想像しにくいものだった。


(アニメじゃあるまいし)


 そのそも巨大ロボットの利点とはなんだ?

 手足があることか?

 二足歩行の移動になんのメリットがあるというのか。人間が二足歩行をするようになったのは、手を使う為だ。移動方法としては四つ脚に敵うものではない。ということは、そのロボットも手が必要ということなのか。だったら四つ脚かキャタピラに手を装着させればいい。地球上の生物に似せる必要な何処にもないのだから……。

 その時、内線の呼び出し音が鳴る。

 胸騒ぎを覚えつつ受話器を外した後藤田は、今もっとも聞きたくない声を耳にした。


『後藤田か? 野木だが、今からそちらに行く』



 数分後、現れた人物と後藤田は不本意ながらも敬礼を交わしていた。相手は野木春臣情報本部長だ。防衛大の同期で、二人とも空将ある。


「わざわざ来なくても、呼び出せば足を運んだのだが?」


 相手を接客用のソファーに座らせながら、後藤田はそう呟いた。


「それは嫌味か?」

「まさか」


 わざとらしく顔をしかめる。


「君が情報本部に来れば大ごとになる。だから出張ってきたんだ」

「ほぉ」


 正式な秘書ではないが、後藤田にも野木にも秘書官に相当する部下はいる。しかし、そこを通さずに来たということは、かなり内密な話なのだろう。ソファーに腰を下ろした野木は、盗聴でもされているかのように声をひそめた。


「今、君の手飼いを、あるところに行かせてるな?」

「なんの話だ?」

「誤魔化すな。先ほど、ある方面から俺の所に連絡があった」


 ある方面とは、総合情報部または分析部。何れにしても諜報活動がメインの連中だろう。


「君は何かつかんでいるのか?」


 そう尋ねられ、後藤田は返事に窮した。知らないと言えば嘘になる。しかたなく「つかんでいる、と言ったらどうなる?」と逆に尋ね返し、急場を凌ぐ。


「まずは詳しい事情を聞かせて欲しい。君があの屋敷のことを知ったのはどういう経緯かを」


 もうこれ以上は誤魔化せないと知った後藤田は、正直に話すことにした。


「別に諜報活動をしていたわけではない。たまたま国税庁にいる友人が連絡をしてくれただけだ。そう勘ぐるな。高校時代の親友だよ。妙な物があるから見て欲しいと言われたんだ。俺だってそんな物があるとは信じていなかった」

「つまり、あるのは本当なんだな?」

「らしいな」


 野木は身を逸らすと、ウーンと唸りながら腕を組む。眉をひそめ、何を言おうかと悩んでいる様子だったが、やがて決意したように後藤田に裏事情を話して聞かせくれた。


「実はな、例の物については数ヶ月前から情報本部もつかんでいた。ただし、公調や警察が動いているので、目立った動きが出来なかっただけだ。知っての通り、内閣調査室や外務省も含め、我々は情報交換という名目の合同情報会議を開いているが、結局は縦割りの諜報合戦だ」


 そんな実情は後藤田も知っている。しかし、今更ここで告白されてどうなるというのか。

 彼の内面を読んだかのように、野木はニヤリと笑った。


「君には興味がない話だろうな。だが首を突っ込んでしまった事実はもう消せやしない」

「どうするつもりだ?」

「空幕長、いや統合幕僚長に報告はしないつもりだが……」

「脅しか?」


 同期とはいえ、後藤田は野木が嫌いだった。

 基本的に立ち回りが上手い人物である。幹部どころか、事務次官などの背広組にも媚を売る男だ。腹の探り合いとなれば、足元にも及ばないほど長けていた。

 しかし、内面では何を考えているのか、まったく捉えどころがない。媚びているようにも見えるが、その実、まったく迎合していないようにも見える。時折、反体制的なことを口にすることもあるが、それすらこちらの腹を探る手段であるとも考えられた。

 狐顔の野木を見るたびに、後藤田はその小狡そうな表情にツバを吐きたくなる衝動に駆られてしまう。もちろん自分より出世が早いから気にくわないということは否定しない。


「脅しているつもりはない。出来れば協力をして欲しいんだ」

「協力?」

「まずは例の物についての性能を知らなければならない。散々騒いでハリボテでしたでは洒落にならないからな。もっともあの科学者が作った物が、なんの価値もないとは思わないが」

「で?」

「次に、設計図を持ち帰ってもらえると有り難いな。もちろんあればの話だ」


 ははん、そういうことか。

 後藤田は髭の先を引っぱって、野木の言わんとしていることを考えた。

 つまり今後、軍事的に有利になりそうな技術であれば奪ってこいということだ。非公式にでも入手できれば、国防という意味でのちのち何かの役に立つだろうという算段だ。


「だが、設計図を奪っても完成品が現存しているのなら、意味がないんじゃないのか?」

「公調や公安が欲しいのは現物ではない。よもや、某国が現物を盗むとは奴らも考えてはいないだろうさ。人を拉致するのとはわけが違う。公調連中が欲しいのはその設計図だ。そしてもしも彼等が持っていってしまえば、二度と日の目を見ることはないだろうな」


 たしかに公調や公安に差し押さえられた後では、とても手に入る見込みはないだろう。


「現物の方はどうするんだ?」

「それはまた後々考えるが、現存するのは非常に厄介だ。国レベルでの調整や、憲法九条への影響も気にしなければならなくなる。アメリカに要求されたら、大宝寺の本拠地があちらにあるだけに、断るのも至難の業だ。だから上手く破壊できれば、それが一番なのだが……」

「それはいくら何でも無茶だろ」


 田神の話では、十五メートルほどの代物で、装甲強度も有りそうだという。超硬化金属で有名な大宝寺の設計だとしたら当然なことだ。そんな物体を解体するとしたらどれほどの時間がかかるか。他国のスパイどころか、下手をすればマスコミにすら嗅ぎつけられかねない。破壊となれば大量の爆薬か、もしくは何らかの兵器でも使わなければ出来るとは思えなかった。


「まともな手段を使わなければ、あっという間だよ。防衛など無視した方法だがな」

 そう言って、野木は意味深に笑った。

「馬鹿なことを……」

「後藤田、お前は大宝寺直太朗に関しての噂を知ってるか? もう十五年近く前の話だ」

「噂?」

「なかなか興味深い噂だよ」

「何が興味深いのか分からないね。どうでもいいじゃないか、故人のことなど」

「そういうところがお前の良いところでもあり、弱いところでもある。部下の不始末如きにビクビクしていないで、もっと企図に長けるべきだな」

「余計なお世話だ。それはお前の領分だろ」


 後藤田は白けた気分になっていた。野木が何を企んでいるのかは分からなかったが、同調する気には金輪際なれない。


「まあ、いいさ。今は設計図が先決だ」

「では早速、指示を出そうか?」


 携帯を取り出した後藤田の手を、野木がさっと押さえた。


「待て」

「何か問題でも?」

「ストレートな命令は止めてもらいたい。まだ公安部隊の動きもつかめていないことであるし、それに軍事的にどの程度の物なのか分からない。できれば情報がもう少し欲しい」

「どうしろと?」


 野木の指示に従うのは不愉快だが、こう言うことは専門家に導いてもらうしかない。


「大宝寺に張り付いているよう指示をしてくれ。もちろん直接的な言葉ではなく」


 直接的な言葉でないなら、どう言えばいいんだ。

 そんな気持ちを察したのか、野木は「彼の性格を考えれば簡単なことだ」と言った。

 後藤田は髭を整えながら、田神の人となりを思い返した。

 どう言えばもっとも効果的だろうか。たとえば“君に任せる”と言った場合、彼は大胆な行動でこちらを翻弄するようなことをするだろうか。

 いや、と後藤田は心の中で首を振った。

 きっとどうしたらいいか悩みながらも、しばらくは現状維持に徹するだろう。結局は決断力が乏しい男なのだ。彼に妹を託したことは本当に悔いが残る。日和見主義といえば聞こえがいいが、つまりは優柔不断。出世欲はあるが、それに対する熱意を表すこともしない。だからこそ学歴も経歴も申し分ないくせに、総務課の部長補佐で二等空佐止まりなのだ。

 そんなことを思い出して、後藤田の顔が曇る。

 すると野木は吊り気味の細い目を更に細め、嫌らしい笑みを浮かべた。


「図らずも、君の義弟は申し分ない人材だろうな。だから彼には情報本部のことを話すなよ」

「敵を欺くなら、まず味方からというわけか」

「大宝寺側に彼が深く食い込むまで、彼には泳いでいてもらおう。よしんば公安らに目を付けられても、彼本人が情報本部との繋がりを知らなければ、それでいい」

「なるほど……」


 後藤田は不請不請に納得した。

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