第10話 校長ではない、公調だ!

 2020年4月12日、14:40 神奈川・大宝寺邸内


「大変とか、危ないとか、どういうことだよ!」


 走りながら叫んでいるのは空人だ。後ろから田神と伝十郎が付いてくる。三人は地下階段を一段飛ばしに駆け上がっていた。

 女二人は“危ない”と伝十郎に言われ、工場内に残っている。空人はその言葉が異常に引っかかっていた。


「てか、危ないのに、俺に先頭を走らせるってどういうことだ?」

「家主ですから」


 そうだ。伝十郎はそんな奴だったと空人は思い出した。

 普段は忠義心あふれた言動を繰り返すくせに、いざとなると自分可愛さに空人を楯にする。十年前にサンディエゴの町中で銃撃戦に遭遇した時のことは、忘れられない思い出だ。わずか十歳だった空人を文字通り楯にしたのは、他ならぬ伝十郎その人だった。


「また俺の体を使って、弾丸を防ごうって魂胆じゃないだろうな?」


 ここは日本だし、そんなわけはないと思いつつも空人が文句を言う。すると思いがけず伝十郎は、「そうです」と即答した。


「そうですって、お前……」

「銃撃戦なんですよ」


 その言葉に空人は足を止め、「くだらない冗談は止めろ!」と振り返る。

 だが、すぐ近くにあった伝十郎の顔は、冗談はでないと語っていた。


「マ、マジなのか?」

「はい、マジです」

「銃撃戦って意味、お前分かってる?」


 空人はあくまでも疑り深く、伝十郎を睨み返す。


「拳銃を持った二人組が、スーツ姿の若者を追いかけています」

「なぜお前はそれを知っている?」

「さきほど三時のティータイムに、庭からハーブを摘んでこようと外に出たところ、彼らがすぐ近くを走り去っていきました」

「っていうか、若者が逃げてるなら、銃撃戦じゃなくて追撃だよな?」

「そう言うことになりますでしょうか」

「なんだってウチの庭で……」


 薄暗い階段の途中で、三人は腕組みをして考え込んだ。地下室への隠し扉まではあと数段だが、何となく気後れして、誰も先に進み出そうとはしない。気付かないふりをして後戻りしたいというのが、共通の本音だった。


「でもさ、庭に死体が転がっていたとしたら、厄介だよな?」


 ようやく空人がぽつりと呟いた。


「では今のうちに警察にでも通報しましょうか?」


 そう言いながら携帯を取りだした伝十郎を、それまで黙って付いてきていた田神が、上擦った声で制止した。


「いや、待て下さい」


 立場上、警察沙汰はマズいと言うことなのかもしれない。


「拳銃を持っていた連中というのは、黒いスーツの男達ですか?」

「ちらっと見ただけですが、そんな服装でした」

「ならば、もしかして……」

「もしかして?」


 言葉を切った田神を、空人と伝十郎が覗き込む。なにやら心当たりがあるようだった。


「ここに来た時、そのような連中を正門近くで見かけました」

「丸暴か?」

「いえ、どちらかというとこちら側の人間だったような……」

「こちら側?」


 首を傾げた空人に、田神は大きく頷いた。


「そうです。断定は出来ないのですが、匂いを感じました。もしも自分の感覚が正しいとしたら、あれは丸暴ではなく丸公ですね」


 空人はますます分けがわからなくなり、次の言葉を待って、田神の顔をジッと見つめた。


「つまり公務員。もっと詳しく言うなら、公安か公調かもしれません」

「考案? 校長?」


 たぶん違うなと思いながら、言ってみる。ただし字で書いたわけではないので、空人のボケも今ひとつ伝わらなかった。


「公安は県警か警察庁の警備部公安課で、公調は公安調査庁ですよ。何れにしても厄介な相手ですね」


 何のことやらサッパリだが、厄介だという部分だけは空人にも理解できた。


「まさかと思うけど、あのロボットの件で?」

「かもしれませんね。管轄は違いますが、公安も公調もテロ方面の担当です」

「テロって、まさか……」


 国安女史も内乱罪だの国家反逆罪だのと言っていた。ロボット一つで、何故そんなに大騒ぎになるんだと空人は声を大にして言いたくなる。


「非常に厄介です」

「防衛省から何とか出来ないんですか?」

「公安警察なら何とか出来なくはないかもしれません。防衛省情報本部には何人か警察庁の人が出向してますから。ですが、自分をここに派遣した上司が公安を毛嫌いしていましてね。そのうえ情報本部とは非常に仲が悪いのです。ああ、これはオフレコでお願いしますね」


 オフレコも何も、空人には田神が何を喋っているのか半分も分からない。とりあえず困惑気味に「公安調査庁っていうのは?」と尋ねてみた。


「そちらは法務省の管轄ですが、もっと厄介ですよ。捜査権はなく、名目上はただの調査機関となっていますが、実際はスパイみたいなものですから。極秘に法外活動を行使しているのではないかと噂されてますしね」


 ジジイの悪趣味の為に、下手をすれば暗殺でもされかねないではないか。

 そんなことを思うと、空人は頭痛すら感じ始めた。どうやら他の二人も同じらしい。本気でこのまま気付かないふりをした方が良いのではないか。そんな雰囲気が三人の間に漂っている。

 だが、このまま突っ立っていても仕方がない。自分には関係ないとシラを切り通せるほど甘くはないだろうことは、空人にだって分かっている。心情はともかく、臨機応変に対処していかなければならないのだ。


「追いかけられているということは、その男はロボットについて何か知っていると言うことだよな?」


 同意を求めて伝十郎を眺めると、明言したくないのか彼は視線を泳がせながら、呻くような声を漏らした。

 代わり田神が返事をする。


「その可能性はあるかもしれませんね」

「防衛省としての考えを聞かせて欲しいな。田神さんの正体が奴らに知られるのは時間の問題だろうから。もしかしたらもうバレてるかもなぁ。もしバレたら、防衛省はロボットから手を引くつもりっすか?」


 物言いはかなり尊大。地が出たと言うべきか。

 ただし空人自身は気付いていない。


「せっつかないで下さい。自分は一介の自衛官に過ぎないんですからね。こういう微妙な問題は、上司に指示を仰がないと……」

「だったら早く連絡を取って下さいよ。こうしている間にも、その男が捕まってしまうかもしれませんよ。ああ、そうだ。伝十郎、お前は今すぐ戻って、あの国税庁の女を連れてこい。あっちはあっちでまた、事情や考えも違うだろうからな」


 いざとなると空人は統率力がわりとある。ハイスクール時代もプロムやフェスティバルの主催を押しつけられても、それなりにこなしていた。もっとも人望と人徳のないのが災いして、生徒会長選挙は無惨なまでに敗北したが。

 階下へと降りていく伝十郎を見送ると、空人は田神に向かって階段の先を人差し指で示して見せた。

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