第9話 日本では銃の使用が禁止されています


2020年4月12日 14:20 神奈川・大宝寺邸前


 着慣れないスーツは動きづらい。

 南雲純樹は、その事実を初めて知った。

 おまけにサイズが合っていない借り物の革靴では、思い切り走ることも適わない。やっぱりいつも作業着にすれば良かったと後悔した。

 が、今は余計なことを考えている場合ではない。

 鈍い衝撃音とともに、足元の小石がはじき飛ばされた。直後、運悪くその破片が純樹の右足に当たり、痛みが走る。なんとか我慢して歩を進めれば、今度は外壁のレンガに穴が開いた。

 よほど腕に自信があるのだろう。純樹の体すれすれを狙ってくる。それとも本当は狙っているのだが、腕が悪くて当たらないというだけなのだろうか。殺人はしないという良識を持ち合わせる連中だと信じたいのだが、根拠は何処にもなかった。

 薄グレーのズボンに血が滲んでいる。クリーニングに出さなければと、一瞬そんなことを考えた。たぶん現実逃避の一種だろう。


「ちくしょう!」


 痛みをこらえ、純樹は思わず叫んでいた。



 純樹がいつもの立ち飲み屋で、諸先輩方に例の件を命令されたのは三日前のことだった。

 あのロボットを見つけ、きっと途方に暮れているだろう息子に、大先生の遺志を説明するという、重大かつ難儀な任務だ。

 しかし、屋敷を取り囲むレンガ塀にあるという、秘密の入口がどこだか分からない。万が一、正面突破が出来なかった場合にそこから入れと、大先輩から教えてもらった外塀の抜け穴だ。


「どこだよ」


 早く見つけなければ……。

 焦りながらも純樹は、レンガ塀をところどころ蹴飛ばして歩く。ブカブカ革靴がそのたびに脱げそうでイライラした。


「ジイサン、ちゃんと場所ぐらい教えてくれよ」


 そう呟いた瞬間、近くでレンガが砕かれるような音がした。

 無意識にヒィという声をあげてしまう。


「ホント、シャレになんないよ。抜け穴よりも、オレに穴が開きそうじゃんか。っていうかここは日本だよな!?」


 愚痴っても仕方がない。

 仕方がないが、ついつい涙目になる。

 早く奴らを振り切りたい。この弾丸雨から抜け出したかった。


 ここ二日間、奴らはずっと正門を見張っている。だからなかなか勇気が湧かなかくて、純樹は屋敷の周りをウロウロしていた。大先生が生きていた頃は毎日のように通っていた屋敷が、まるで難攻不落な城のようだ。

 ところが今日、謎の三人組が屋敷を訪れるのを目撃した。その中の一人は、純樹よりずっと年下のロリ系少女だった。他の二人は教師のようにも見えたが、それともあの少女の両親なのか。


『あんなロリ女が奴らの手先なはずはないよな。友達か、それとも親戚かな?』


 ならば自分も何食わぬ顔をして、一緒に入ってしまおう。

 そう思って正門に近付いたところで、背後から黒尽めの男に羽交い締めにされた。

 泣き叫びながらも、回し蹴りと飛び膝蹴りと裏拳で抵抗してみた。これでも純樹は空手の有段者である。『ヘタレ有段者』と揶揄されるが、実力を発揮できれば関東地区で右に出る者はいない。運が良いことにその時は奇麗に決まって、男はその場に崩れ落ちた。

 それがいけなかったのかもしれない。思わぬ抵抗に、奴らはブチ切れたようだ。逃げ出した純樹に向かって、拳銃を使い始めたのだ。


 大宝寺家の屋敷は、小高い丘の上に建てられている。周辺には雑木林と小さな寺と、住宅が少々あるばかりで人通りはあまりない。それにサイレンサーとか言う代物を装着しているらしい。もちろんテレビに出てくるように、全く音がしないと言うわけではなさそうだが、音の広がりは殆どないようだ。

 いくらブチ切れたとはいえ、まさか飛道具を使ってくるとは、純樹も思っていなかった。


(あれじゃ、丸に暴が入った連中より酷いじゃんか!)


 たぶん威嚇射撃だと思うが、その保証は何処にもない。その気はなくても、流れ弾が飛んでくる可能性だってある。それとも、当たったら当たったで、闇から闇へ葬り去ろうと考えてるんじゃないだろうか?  そう考えると、法律で取り締まれない連中だけに、純樹の背中に冷たい物が流れていった。


 後方にいる連中が、もう間近に迫っている。純樹はすっかり焦りまくり、片っ端からレンガ塀を蹴りまくり始めた。


「くそっ!」


 頑張らなければならない。

 たとえ体に穴が開こうとも、大先生と先輩達が四年の歳月をかけて造ったあれを守らなければれば……。


『世界を救うのは、男の夢なんだよ、純樹くん』


 大先生はそう仰有っていた。

 先輩──特に最年長の“宮下のジイサン”などは、寝食を削ってまでロボットの創作に打ち込んでいた。


 『負の遺産を残さない為に』


 それがジイサンの口癖だ。

 みんな、利益を度外視して頑張って来たのは純樹も知っている。材料費は大先生が出してくれたものの、人件費などは一銭ももらわなかった。


 そう言う純樹も大先生に拾われて以来、ジイサンの工場で働きながら微力ながらも手伝ってきたのだ。

 先輩達はみな、高度経済時代から日本を陰で支えてきた技術屋だ。零細企業と呼ばれながらも、加工、板金、研磨、塗装といった腕はきっと世界一だろう。他にもICチップや基盤を知り尽くしている人や、プログラマーなどもいる。もちろん彼らも、大企業の下請けの下請けの下請けという、IT社会と呼ばれる世界において、草の根のような存在だった。

 あの地下工場を造ったのは、四十年以上も土木工事に従事してきた掘削の達人。更に従業員一人という土建会社の社長や、大工の棟梁もいる。

 純樹の脳裏に、彼らの浅黒い顔、脂まみれの手、屈託のない笑顔が浮かんできた。幼い頃から不幸を背負って生きてきたような純樹とって、彼らは家族以上の存在だった。


『そうだ。みんな、オレを信用してくれたじゃんか』


 そう思うと、とにかくこの事態を打破しようという気力が湧いてきた。


 レンガ塀を、走っては蹴り、走っては蹴りし続け、やがて純樹は屋敷の隣にある雑木林との境目まで来てしまった。塀はその雑木林のところで九十度にまがり、奥へ向かって伸びている。


「ジイサンは確か、レンガ塀だって言ってたよな」


 だとしたら、雑木林へ入っていくのは得策ではない。

 純樹は願いを込めて、塀の角ギリギリを力一杯蹴りつけた。

 するとどうだろう。十個ほどのレンガが音を立てて崩れ落ちる。


「ここか!」


 そう叫ぶと、彼は素早く屈み込み、その狭いすき間へと体を滑らせた。追跡者の足音がすぐ近くまで聞こえてくる。だが、ここまで来ることはないだろうと、純樹はそう確信していた。

 この中は私有地だ。強制執行でも発動しない限り、奴らはきっと諦めるだろうと……。

 しかし、自分の考えが甘かったと純樹が知るのは、その二分後だった。

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