第8話 虎vs黒豹

 2020年4月12日 13:55 神奈川・大宝寺邸地下


 空人は、目の前に居並ぶ顔を無言でガン視していた。

 一昨日会った国税庁の女がいる。前回とは違う薄紫の、丈がやや長い残念系スーツスカートだ。中年男は濃紺のスーツ。伝十郎も黒のスーツ。そして空人自身も薄茶のスーツを着込んでいた。

 そんなスーツ軍団に取り囲まれているのが国税女の妹だ。その出立ちは黒リボンのツインテール、黒薔薇模様のフリルワンピース、黒チョーカー、そして黒のレース編みハイソックスと、色んな意味で完全装備。もちろん空人も男だから、雰囲気を無視すれば近くにいるのは悪い気はしないはずなのだが……。

 何故だか知らないが、見ているだけで気分が暗くなるなと空人は思った。

 その表情が原因なのか、服装のせいなのか。例えば前世で、こういうにタイプの女に上から目線で命令され、足蹴にされ、こき使われ、いじめ抜かれたとか。はたまた、仇として追われ続け、非業の最期と遂げたとか。

 自分も妙な妄想に、空人は自虐的な笑みを浮かべた。

 心の奥底に、取るに取れない魚の骨のようなものがあるは確かだ。しかし、そんなことを思い出しても意味があるとは思えない。

 たぶん、以前に見たアニメか何かが要因だろう。

 そう思い直した彼は、嫌な気分を払拭させるまじないとばかりに、鼻の下を何度も擦った。

 やがて、抑揚のないツンデレ仕様な声が聞こえてきた。


「ふぅん、ロボットね」


 見た目と口調が完全に一致して、空人はやや仰け反った。

 だがそれ以上に彼を仰け反らせたのは角刈りオヤジの方だった。見た目とは裏腹に、彼は子供のようにはしゃいでいた。


「ホントにロボットなのか! 信じられない! これはちゃんと中身が詰まってるんですよね? まさか内部は段ボールとかそんなことはないですか?」


 ねぇよ。

 ムッとした空人を尻目に、男はロボットに近付くと、白銀のボディーにべたべたを指紋をつける。更に拳でガンガンと叩き始めた。挨拶という社交辞令すら忘れるほど、興奮しているらしい。


「あ、あの田神さん。こちらが大宝寺氏のご子息です」


 場の雰囲気を取り繕うように、国安女史が中年男に声をかけた。


「すみません、つい興奮してしまって。こういうのに弱いんですよ。男のロマンです」


 コントロール不足のロマンを抱えた男は、バツが悪そうに皆のもとへ戻ってくると、胸元より出したケースから名刺を三枚抜き取った。

 空人と伝十郎と国安女史にそれらを渡す。すると少々機嫌を損ねたゴスロリ少女が、「わたしは?」と催促をした。仕方がなく男はもう一枚出している。

 名刺に羅列された漢字に目をチカチカさせながら、空人は声に出して読んでみた。


「防衛省……ぶくぶくほさ?」

「いえ、防衛省航空幕僚監部総務課総務部副部長補佐、田神芳雄二等空佐です」


 長いし! 意味分からねーし!

 ぴくりと動いた空人の眉が、その内面を吐露していた。

 すると「私も……」と名刺を取り出す国安女史。ロボットの前で名刺交換など、かなり不毛な行為であることは気付いていない。

 そんな二人を咎めたのは、やはり黒少女だ。


「早く例の物を見せていただけないでしょうか?」

「こういうことには順序というのがあるのよ、ひより。大人の社会としての常識なの」

「お言葉ですが、お姉さん。今時、名刺交換をしているのは、役人だけだそうですよ。民間会社では、スマホによるメルアド交換が普通ですわ」


 姉の口元がピクピク引きつる。


「そ、それはね、社会通念が狂ってきてるからよ。いい大人が携帯突き合わせて挨拶なんて、どう考えても可笑しいでしょ」

「あれれ~? 『地球温暖化が深刻です。無駄な資源は使わないで下さい』と毎日毎日宣伝している環境省は無視ですか?」

「そ、それはエネルギーのことを言ってるだけで、そ、それに名刺ぐらいで……」


 妹の言葉に、しどろもどろになっていく姉。完璧に形勢不利に追い込まれている。


「では環境省に、各省庁と地方自治体で作られる名刺の量を尋ねてみたらいかが? 税金の無駄遣いを阻止するのも、国税庁としてのお仕事ですわ」

「あ、あんたって子は、妹のくせに!」


 最終兵器『くせに』を投入した姉だったが、時既に遅し。勝敗は決したようだ。妹はしらっとした顔で、そっぽを向いていた。


 なんなんだ、この姉妹は!

 二人の様子を漠然と眺めていた空人は、姉が敗北したところで我に返った。

 人の家に来て姉妹喧嘩とはこれ如何に。というか、このアニメキャラのような妹はいったい何者だろう。辛辣なのか冷静なのかは知らないが、いずれにしても性悪なのだけは空人にもよく分かった。


「まぁまぁ、国安さん。今は話を先に進めませんか?」

 田神自衛官が割って入る。

「あ、ああ、そうですね」


 ギャラリーの複雑な表情に気がついて、国安女史は慌てて真顔に戻った。それから空人の方を向き直り、何ごともなかったように話しかける。


「大宝寺さん、あの件は調べていただけましたか?」

「ああ、金についてですか。ここ三年間で研究費という名目で五百万ドル、日本円にして約五億ほどありました」


 空人が目配せをすると、伝十郎がそばのテーブルから書類を国安女史に手渡した。


「そこに詳細が書いてあります」

「分かりました。あとで確認いたします」

「それから設計図の件ですが、やっぱり屋敷内にはなかったですね」

「そうですか、仕方がありませんね。マニュアルを解読して、それからまた考えましょう」


 あっさり解読とか言いやがる。それが問題なんじゃねぇか。

 そんなことを思いながら、空人は黙って国安女史をジッと睨んだ。

 すると彼女は意味有りげに妹へ目配せを送ると、「それでですね」と声色を改めて切り出した。


「はい?」

「今日、私が妹を連れてきたのは、その解読の件なんです」

「まさかと思うけど、彼女が解読できるとか?」


 幾ら何でもそれはねぇだろ。

 そんな気持ちを表すように、空人は疑るように少女を眺めた。


「信じられないみたいですね?」

「全国の幼稚園児がスワヒリ語を話せると言われた気分ですね」


 もっとも、あの踊る人形的象形文字をこの少女が読めるという非現実加減は、巨大ロボットと同等レベルだ。つまり、ロボットが存在している以上、絶対読めないとは言い切れないが……。 

 その時、少女が姉を押しのけて前に進み出てきた。その顔には、明らかに不快感が滲み出ている。フランス人形のような顔立ちが、呪い人形と化していた。


「幼児と比べられた非礼は不問としますので、早くマニュアルを」

「ホントに読めるんですか?」

「読めるかどうか確認します。それにIALS会長としてプライドがありますから」

「IALS?」

「とにかく、つべこべ言わずに早く出しなさい!」


 空人より十センチ近く背が低い少女だが、目線は明らかに上からだった。

 人形のような顔立ちのクーデレ娘に凄まれて、空人はついつい従ってしまった。伝十郎も少々怖がってるらしく、マニュアルを少女に渡す態度は、猛獣に餌をやる観光客のようだ。

 ひったくるようにマニュアルを受け取った少女は、近くにあった椅子に腰を下ろし、食い入るようにその中身を眺め始める。

 しばらく呆然としていた空人だったが、ハッと我に返り、唇の端を歪めながら少女を見下ろした。


「あのなぁ、何様か知らないけど、いくら何でも態度がデカくないか?」


 空人にしてみれば、傍若無人な態度は最小限に留めたつもりだったが、どうやら少女にはお気に召さなかったらしい。睨め上げるような目付きで、「わたしはボランティアです」と吐き捨てると、再びマニュアルへと視線を落とした。

 肉食獣同士のいがみ合いといった感じだったが、結果は歴然。黒豹に脅されて退散した虎と言ったところか。ただし虎にもプライドがあるので、彼は黒豹の姉へと近付くと、今度は彼女に噛みつくことにした。


「で、なに、あれ?」


 今までは礼儀として一応敬語を使っていたが、そろそろ慇懃無礼モードに突入する予告でもある。


「私もよく分からないのですけれど、何でも妹と貴方のお父様は、個人的な付き合いがあったようなんです」


 申し訳なさそうな表情で、国安女史がそう弁明する。


「はぁ?」

「さっき、妹が言っていたIALSとかいう団体と関係があるようなのですが……」


 そういえば前回も、国安女史はそんな略語を口にしていたことを、空人は思い出した。

 何のことなのか、今度はきちんと尋ねてみようと思ったのだが、女史は田神に近付いていくと、二人でコソコソと内緒話を始めてしまった。

 そうして空人は独り、取り残された。

 伝十郎は場の雰囲気を察してか、屋敷の方に戻ってしまっていた。役人の二人会議に参加する気にもならない。となると、残るは子供の出産に立ち会う父親の如く、所在なげにウロウロしているか、それとももう一度、黒豹との小競り合いを開始するかだろう。

 空人は何となく後者を選んだ。別に深い意味はない。敢えて言うなら、アメリカでは殆ど見かけない珍獣に興味がそそられたからだ。

 十六年ぶりに帰国したせいか、何となく浦島太郎気分だ。父、伝十郎、そして日本人の友人達を除けば、ほぼ英語で日常会話を過ごしている。半世紀前ならともかく、今はインターネットという物があるので、日本について全く分からないということはなかったが、それでも日本在住の若者と接するのは、空人にとって滅多にないことだった。

 だからなのか、たとえ辛辣な言葉で攻撃されようとも、果敢にアタックしたくなる。これはいわゆる『恐いもの見たさ』というものだろうか?

 隣に腰を下ろした空人を、少女はチラリと斜視する。だが何を言うこともなく、彼女は再びマニュアルに視線を戻した。

 どうやら本気で読もうとしているらしい。

 ロリータ嗜好はない空人だが、ひよりには妙に興味をそそられた。彼女の外見と言葉と態度が、どこか非現実な雰囲気がある。特に外見については、なぜそんな服を着ているのかと、それだけはぜひ尋ねてみたかった。


(何か、どっかで見たことがあるような服だよな……)


 ふと、そんなことを思った。

 何故だか分からない。

 記憶のどこかに、まるで点滅する光のような物が存在している気がするのだ。

 ひとしきりそんな時間が続いた。

 相変わらず、国家公務員達はぽそぽそと語り合っている。ひよりは空人の存在など気にもとめていない様子でマニュアルを眺めていたが、急に顔を上げると、その大きな瞳で空人を睨みつけた。きっと、彼女の服をジロジロと見ていた為だろう。


「この服、気になるんですか?」

「ま、まぁ、珍しい服だから……」

「珍しい? この服が珍しいと思うんですか?」

「少なくてもアメリカでは、テレビやアニメ以外で見たことがないな」

「ふぅん。やっぱりそうなんですね」

「やっぱり? やっぱりって何だよ?」

「別に」


 やけに意味深な言葉と態度だ。

 空人はそんな少女の様子に、何故か亡き父を思い出していた。


(そういえば、オヤジも時々、こんな態度をとったよな)


 言うなれば、奥歯に物が挟まったというような感じだ。

 そこに何があるのか。それともただの気のせいなのか、空人にはよく分からなかったし、深く考えることもしたことはなかった。



 それからまた時が流れる。

 時間にして三十分と言ったところか。

 やがて、酷く慌てた様子で伝十郎が現れた。妙に落ち着きがなく、彼には珍しく汗をかいている。


「お、お坊ちゃま、大変です」


 上擦ったその声に、みなの視線がいっせいに伝十郎へと集まっていった。


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