第3話 マルサの女は色っぽい
2020/4/10 13:45 神奈川県・大宝寺邸
地下工場にやってきたのは、ショートヘヤーの三十女。国安隆子と書かれた名刺を手にしたまま、彼女は口をあんぐりと開けて固まっていた。耳元で切りそろえた黒髪、縁のない眼鏡、濃紺のスーツスカートがいかにも才女といった容姿だが、その驚き具合は愛らしさすら感じるなと空人は思っていた。
彼女がここにいる理由については、地下工場があるこの屋敷の説明をする必要がある。
大宝寺直太朗は十二年前、日本から超セレブリティな街ビバリーヒルズへと移住した。その莫大な資産もまた、そのほとんどをアメリカへと移していた。
つまり直太朗が死んだ後、その遺産を相続税というぼったくりの憂き目にあわずに済んだという意味である。数年前に相続税を廃止した彼の国において、日本のように遺産の八十%近くをぼったくられることがないからだ。国税庁は国外の資産には、課税できない仕組みとなっている。
だが、日本国内にあるこの屋敷には、相続税が発生するという。なので減価償却分を除いた資産を算出し納税しようした空人だったが、ここで税務署から待ったがかかった。
『もう一度、調査させて下さい』
そう申し出てきた。たぶん、税金対策に他国へ逃げた非国民から、出来るだけふんだくろうと企んだのだろう。屋敷内を念入りに調べた税務署の役人は、ついにこの地下工場を発見したのだった。
空人は困り果てた。こんなものが有るなんて全く知らなかったからだ。
彼らもまた困り果てたようだ。ロボットの相続税が計算できないという。
引きつった笑顔を見せながら帰っていった彼らから、再び連絡があったのは一昨日の夜。
『専門の者が行きますので』
ロボットの専門家かとその電話で尋ねた空人だったが、速攻で否定された。
『いえ、諸問題に詳しい者です』
国税庁本庁から人を派遣するという。つまり、税務署レベルでは限界だと言いたかったようだ。
そして空人の隣に立っているのが、詐欺師も黙る国税庁査察官。いわゆるマルサの女だ。そんな彼女が、呆然とロボットを眺めていた。
無理もない。前代未聞の諸問題だったのだろう。
やがて気を取り直したように、国安女史はコホンと乾いた咳をした。
「なるほど、分かりました」
冷静な声で取り作ったが、その瞳にはまだ信じられないという表情が浮かんでいる。
「へぇ、分かったんですか?」
「い、いえ、詳細は分かりませんが、こちらとしては粛々と評価をしていきたいと思います」
粛々となんてセリフを耳にするのは初めてだと空人は思った。
「大きさはどれくらいありますか?」
「正確にはわからないですけど、たぶん十五メートルぐらい?」
「動きますか?」
「動くかも知れませんが、動かし方が分かりません」
「分からない?」
国安女史はやや驚いたように、メモ書きしていたノートから空人の顔へと視線を移した。
「エネルギー源が分からなくて。マニュアルはあることはあるんですけどね、読めないんですよ」
「それは、日本語で書かれていないという意味ですか? そういえば大宝寺さんはアメリカ居住でしたね。すると英語でもないと?」
「何語だか知りません。言語であるのかどうかも。ええと、あれっぽいですね。ほら、シャーロック・ホームズに出ていた変な文字」
「『踊る人形』に出てきた暗号ですか?」
「それです」
「ああ、そうですか」
国安女史の片眉が僅かに上がる。完全に疑われたようだ。
「本当ですよ」
「いいですか、大宝寺さん。もしも貴方のお父上が一般の方なら問題がないのですよ。これが巨大なただのハリボテであると主張されても、なるほどと頷けるのです。ですが、大宝寺直太朗は世界的に有名な科学者で、ノーベル賞まで受賞されている。そんな人が作られた物であるならば、動かないはずがないと思うじゃないですか?」
「そりゃそうですけどね。おい、伝十郎、あのマニュアルを持ってきてくれ」
現物を見せれば納得して貰えるだろうと、空人は秘書兼執事にそう命令した。
マニュアルは屋敷の金庫へ厳重にしまってある。後ろで突っ立っていた伝十郎が出口へと小走りに向かっていった。
「現物を見ていただいたら納得して貰えると思います。ですけどね、これが動くか動かないかで、何か問題があるんですか?」
「ええ、あります。動かなければ建造物、動くのなら機械類に相当するでしょう。更に構造によっては、特許権などにも関わると思います」
そんなことかよ。
という空人の気持ちを察したのか、国安女史は更に続けた。
「むしろそれ以前の問題があります。もし動くのでしたら、或いは他の省庁に連絡しなければならないかもしれません。もしもこの……人型ロボットに攻撃用装置があるなら、銃刀法違反、いえ、もっと重罪に科せられる可能性があるかもしれません」
「じゅ、重罪?」
「例えば破防法違反や、内乱罪など」
そんな大ごとに考えていなかった空人は、その言葉を聞いて思わず仰け反っていた。
「内乱罪って、俺がですか?」
「貴方はアメリカに住んでいらっしゃるんですよね? そうなると更に微妙になってきます。もしかしたら憲法第九条にも関わる問題に発展する可能性もありますから」
話がだんだん大げさになっていく。ジジイの趣味だと思っていた代物が、空人には重くのし掛かかる。
その時、伝十郎がマニュアル書を大事そうに抱えて戻ってきた。それは、厚さ十センチはある書類の束だ。
「はい、どうぞ。自分の目でご確認下さい」
伝十郎から受け取った空人は、国安女史へと手渡してやる。彼女はその中身を見た瞬間、目眩でも覚えたのか、やや頭を後ろに反らせた。
「本当にこれがマニュアルですか?」
「中にロボットの図解が書いてあります。言っておきますが、こんなのを本物と偽って作るほど、俺は暇じゃないっすよ」
「まあ、それは確かに分かりますが。これは厄介ですね」
国安女史がそう言うのも仕方がない。なにしろ全文、例の『踊る人形』的象形文字で書かれているのだ。むしろ文字であるかどうかも疑わしいぐらいだ。
嫌がらせだとしても程がある。
「設計図の方はどうですか?」
「あ……」
その言葉に空人はギクリとなる。隠しておこうか、それとも言ってしまおうか悩んだ末、正直に話すことにした。
「その辺の経緯は俺にもよく分からないんですが。ええっと父の死因はご存じですよね?」
「もちろん」
大宝寺直太朗はショッピングセンターの屋上駐車場から落下して死亡した。“暗殺事件”などと世間で騒がれたが、何のことはないアクセルとブレーキの踏み間違いだった。
「その時に同乗者が居たんです。名前は山口といって、歳は四十前後だと思います。その人は幸いに右足骨折と打撲傷だけ済んだのですが……」
国安女史は眉をひそめ、訝しげな様子で空人と見つめていた。たぶんその話と設計図とどう繋がるのか思案しているのだろう。
「事故後、病院に見舞いへ行ったんです。運転は父だったので、入院治療費や慰謝料の件がありましたから。で、その時に山口氏が『退院したら、隠してある設計図を渡します』と俺に言ったんです」
「それがロボットの設計図だと?」
「かもしれません。その時はロボットの件は知らなかったんで、過去に開発した何かだろうと思ってましたけど……」
「お尋ねにならなかったのですか?」
「もちろん尋ねましたよ。そしたら『後日説明します』とだけ言われました。ところが数日後、病院から連絡が入りまして、山口氏が消えてしまったと言うんです。彼には親族もいないので、入院費を払って欲しいと」
完璧に疑われている。
彼女の表情を見ながら、空人は確信した。
『よくも、そんな手の込んだ嘘をつけますね』
大方そう言いたいのだろう。国安女史の口は、パクパクと開いては閉じを繰り返し、そんなセリフを言おうかと悩んでいるようだった。
「ホントですよ。なんなら川崎厚生病院に行って尋ねてみて下さい」
「つまり仰有りたいのは、ロボットの設計図は山口氏が持っている。そして彼は何らかの理由で消えてしまったと?」
「そういうことです」
空人の返事を聞いて、国安女史は鼻を鳴らした。
本当なんだっ!
胸ぐらを掴んでそう訴えたい空人だったが、大人の品格として小さく頷くだけで我慢する。相手も大人の品格として、納得したような素振りで小さく頷いた。
「分かりました。とりあえずこちらは今できる調査を行わせていただきます。と言っても、このロボットの価値については、設計図やマニュアルがないと正確な判断が出来ないでしょうが、もしもマニュアルが解読できれば、詳しく算出したいと思っています」
さすがは詐欺師にも納税請求を行うと言われる国税庁。内乱罪だ、反逆罪だと人をテロリスト呼ばわりしたわりには、本当に粛々と相続税額を決めるつもりのようだった。
その後彼女は坦々と作業を進めていった。全長を計ったり、胴回りを計算したり、果てはロボットの上に乗ると言って、伝十郎に脚立まで持って来させた。
(意外と色っぽいなぁ)
脚立のついでに持って来させた椅子に座りながら、空人はロボットよりもスカートの下から見える太股に注目していた。登りづらいのか裾をちょっとたくし上げている。生足でないのが残念だが、お尻から太股にかけてのラインが梯子を上がるたびに強調されて、なかなかエロチックだった。
やがて頭上から国安女史の声が降ってくる。どうやら親切にもいちいち報告してくれるようだ。
「腹部に搭乗できるコックピットがあるようです。窓がありますが、たぶんこれは強化ガラスでしょう」
「あーそうですかー」
伝十郎が入れたコーヒーを飲みながら、空人はそんな報告を聞いていた。
「直径三十センチほどの穴が二つ、胸部にあります。ここから攻撃ミサイルでも発射するのかもしれませんね」
「へー、そうですかー」
やはり顧問弁護士か会計士を呼んでおけば良かった、と空人は考える。
「側面にプラグのコネクタが隠されいました。大きさは約十センチ。電気用のコンセントにも見えますが……」
「ほー、そうですかー」
(幾ら何でも電気式じゃねーだろ)
とは思ったものの、電気力学に精通していた父親を思い出して、反論できない。
一通りの調査が終わった国安女史はロボットの上から降りてきた。空人は立ち上がって、わざわざ脚立の下で待ちわびる。視線はやや上目遣い。もちろん、あるポイントに釘付けだが、残念ながら禁断の領域はチラリとも見えなかった。
短めのスカートについた埃を払い、更に眼鏡の位置を直しながら国安女史が空人の前に立つ。気付かれたかとドキドキした空人だったが、幸い話題はその方面には行かなかった。
「制作費がいくらかかったかわかりますか? 早急に調べていただきたいのですが」
「アメリカの弁護士に調査させましょう」
「出来れば明後日までに。今から帰って上司と相談して、明後日にまた来ますので」
「でしたら、顧問弁護士を同席させて下さい。もちろん日本人ですが」
「それはダメです!」
彼女は激しい口調で拒絶した。
「でも俺だけじゃ、どうにもならないし……」
「さっきも言いましたが、これは重大な問題が含まれているのです。政府レベルの問題かもしれません。事によっては軍事機密に相当する可能性もあります。なので、以後は他言無用です。もちろんアメリカの弁護士にもです」
「そんな無茶苦茶な……」
訴訟大国アメリカで育った空人にとって、弁護士を呼べないというのは絶対に有り得ない。
「貴方は莫大な遺産を受け取ったばかりで、世界中のマスコミから注目されますからね。ちょっとした噂も広まってしまったら、大変なことが起こるかもしれません」
どうでもいい、激しくどうでもいい!
と口は出さなかったが、顔には書いてあったのだろう。国安女史の表情は更に険しくなった。
「いいですか。ロボットの性能如何によっては、軍事的問題が発生するのです。キャッチオール規制にも引っかかるでしょう。もっとも私どもはどのような性能であろうと、粛々と税額を算出するのみですけどね」
キャッチオール規制って何だろう?
という疑問が浮かんだ空人だったが、尋ねる気すら起きなかった。
「マニュアルはこちらで持って帰っても?」と国安女史。
「それはダメです!」
今度は空人が拒絶する番だ。理由の半分嫌がらせだが、半分はどうにか解読できないか、一人で悩んでみようと思ったからだった。
「解読する方法について、少し考えがあるんですれど……」
何故か彼女の声が、遠慮がちに小さくなる。
「考えって何ですか?」
「あの、一つお尋ねしてもいいですか?」
一つどころか、さっきから質問攻めだったじゃねーか。
という言葉を喉元で何とか押し止めながら、空人は仕方なく尋ね返した。
「なんですか?」
「お父上からIALSという言葉を聞いたことがありませんか?」
「ICRAなら聞いたことがありますけどね。父がよく出席していたので」
「ICRA?」
「IEEE International Conference on Robotics and Automation。『ロボット工学とオートメーションに関する国際会議』です。それとも、IACG? International Association of Computer Gameの略で、日本語だと『国際ゲーム協会』かな。父はゲーム業界とも関わってましたから。確か最新のゲームシステムも開発に携わっていたはずですよ」
「いえ、私が言ったのはIALSです」
「知りませんね」
「そうですか……」
妙なことを尋ねてきた国安女史の様子が少々気になった空人だったが、面倒なのでそれ以上追求はしなかった。
その後、彼女は「また来ます」と言い残し、粛々とした様子で帰っていった。
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