第16話 リア充爆発しろ! ③

 教室から出て。

 各々、配置に着く。

 本日の最後の授業が終わり、本日の学校生活が終わってから二十分経っている。

 部活に入っていない唐草史郎は、本来だったら既に帰宅している時間であった。だが、唐草史郎はまだ教室にいる。

 そう断言することが出来る。

「なあ唐草ー。聞いてくれよ唐草ー」

 ――二年三組の教室から、とある男子生徒の声を確認した。

 その男子生徒は唐草史郎の席の隣に座り。

 唐草史郎と随分話し込んでいる様子が、伺える。

 ――ここまでは、作戦通りであった。

 ここがネックであった。私達の話し合いが終わるまで、唐草史郎を下校させないこと。この第一歩が上手くいっていなければ、私達が今から行う作戦は始まりもしなかった。

 その男子生徒は、授業中、唐草史郎の席の左に二つ隣の席に座っている男子生徒である。

 すなわち唐草史郎の隣に座っている藤堂彩芽の隣に座っている男子であり、ミッション中に藤堂彩芽に怒った人物であり――藤堂彩芽が能力を発動した相手でもあった。

 藤堂彩芽は自身のミッションの後、その男子と隠れて付き合っていた。

 ――「ぶっちゃけて言うとね。私、あの人のこと昔から好きだったの」

 青山郁美の能力が発動しミッションが終了し、学内のあらゆるところに設置してあった監視カメラを片付けつつデータを削除していた時に二人の関係を知り、そのことについて私に追及された後の藤堂彩芽の発言が未だに忘れられない。

 あんだけ散々言っておいてそれはどういうことだよと言ってやりたかったが――というかあの時は苛々していたため言ったが――とにもかくにも、利用できるものは利用させてもらう。

「だからよう、俺、彩芽のことが大好きなんだよー。クールぶってるのにさ、俺と一緒にいるときは猫撫で声出してきて無茶苦茶可愛いんだぜ。先週の雨の日なんかさ、俺の傘使って相合傘したんだけどさ、彩芽のやつ、折り畳み傘バッグの中にいれてあったんだぜ。それなのに『傘忘れちゃったから入れてくれない?』なんてクールぶって言ってきてさ。そう言ってる顔すっげー真っ赤なの。可愛いのなんの。もうね、ほんと可愛いよ彩芽。大好きだ、彩芽ー!」

 胸糞悪い会話が教室から響き渡ってくるが、それも仕方のないことである。唐草史郎と男子生徒にばれないように教室をのぞき込む私の傍で、「あわわわわわわ」と顔を真っ赤にしながらだらしのない顔ひっさげている藤堂彩芽の額を頭突きしてやりたい気持ちも、仕方のないことなので抑えなければならないのが何とも歯痒い。

 藤堂彩芽と同じように私の傍にいる結菜も、藤堂彩芽の行動に対して苛立ちを隠せないようだったが抑えてくれている。助かるよ、結菜。いつか藤堂彩芽を一発ぶん殴ろう。

 他方、青山郁美も私の傍にいる。青山郁美は教室の中をチラチラ見ながら、「授業終わり……なかなか帰らない二人の男……し、史郎君、浮気は駄目だけど、あの、その、二人が夜まで残ることがあるなら、私に、こここ、こっそり見せて……」と留まるところを知らないのがまた怖かった。

 ――藤堂彩芽には。

 藤堂彩芽に惚れている男子生徒を使って唐草史郎を足止めさせる仕事を一任した。唐草史郎のことだ。クラスメイトが喋りかけてきたらそれを無下にすることはないだろう。そう判断してこの手段を取ったのだけれども、男子生徒の話す内容がこんな内容だとは。こんなものを二十分も聞かされている唐草史郎の心中は穏やかではないだろう。

 ごめんよ、唐草史郎。

 その代わり、リア充にしてやる。

 握りしめていたケータイのバイブがほぼ同時に二回作動する。ケータイの画面を見て、それが伏見北四季と外岡愛からのものであることを確認する。伏見北四季と外岡愛の仕事が終わった合図である。藤堂彩芽が私と目を合わせてくる。私は無言でうなずき、藤堂彩芽は無言で教室に入っていた。顔を、赤くしたまま。

 私と結菜と青山郁美は。

 藤堂彩芽の行動を見送ると、廊下を歩いて階段を昇る。

 二年三組の教室から「おお彩芽! 今の聞いてたか!」「もう、恥ずかしいよ。嬉しかったけど」「あっはっは! じゃ、唐草! 話聞いてくれてありがとな! 今度は青山の話聞かせてくれよ!」という会話が聞こえてくるのが本当に本当に鬱陶しかったが、藤堂彩芽のおかげで私たちの作戦を実行できるということは間違いない。だからその会話を罰するようなことはしない。頑張って我慢することにしよう。

 私を含めた三人は。

 屋上へと繋がる踊り場へとたどり着いた。

 扉を開き、屋上へと入る。

 誰もいない屋上。風が強く吹いていて、髪がなびく。通常ならば鍵が開いていない筈の屋上。伏見北四季のミッション時に色々あって、結局屋上の鍵を閉じてもらうことを指示するタイミングがうやむやになってしまった。誰とも会わずに喋らずにミッションの現段階の状況を掴みたいときに、意図して使っていた屋上。もしかしたら伏見北四季はその場にいたのかもしれない。透明になって屋上に居るなんて思ってもみなかったから。

 屋上に居る時ならば、何でもできるのだろう。

 能力を他人にかけたり、他人からかけられる能力を防いだり。

 そんな大それたことを、簡単にやってのけてしまうのが、伏見北四季の能力である。

 ――屋上に、居る時ならば。

 扉が付いている校舎の一部の構造上出来てしまっている部分に、アンテナを設置する為に足場がつくられていて。

 扉の横に鉄の梯子が付いてあり、それを伝うと屋上よりも更に上の足場にたどり着くことが出来る。

 青山郁美は扉を閉めてそのまま待機し。

 私と結菜が、梯子を伝って昇る。

「ねえ、君子ちゃん」梯子を昇り切った私に、結菜が真剣な表情で聞いてくる。「四季ちゃんは今、愛ちゃんと一緒にいるんだよね」

「伏見北四季の仕事は、外岡愛の手伝いだよ」

「ねえ、正気なの君子ちゃん。愛ちゃんの仕事って、愛ちゃん一人でなんとかなる仕事でしょ」

 結菜が。

 訝しげな視線を、私に向けてくる。「今から私達三人が屋上でやろうとしている作戦には、四季ちゃんが――四季ちゃんこそ、必要なんじゃないの?」

 私は。

 結菜の質問に、答えることが出来なかった。

 後ろめたいことがあるからである。

 後ろめたいことが、あるからである。

 私はそれを大っぴらにさらけ出すことはしたくない。でも今はミッション中である。だから私は、「今は私が現場監督なの。私の采配に不満があるの?」と言い、無理矢理結菜の意見を押しつぶそうとした。

 最低なことをしている。

 私は、最低なことをしている。

 自覚はある。私は結菜の目をみて話すことが出来ない。どうしようもないから、どうしようもないからこそ、私は結菜の発言を潰そうとしている。

 そんな私の様子を察知してくれたのか。

 結菜は何も言わなくなった。下を向いて私に表情をみせないようにしながら、「可哀想な四季ちゃん」とだけぼそりと呟いて、何も言わなくなった。

 ガチャリ、と。

 屋上へと入れる扉が開かれる。

 その主は。

 何を隠そう、唐草史郎本人である。

 唐草史郎の手には。

 白い手紙が、握られていた。

 二番煎じと罵ってもらって構わない。

 唐草史郎のことだ。

 誰かからのラブレターを無下にすることは、ないだろう。

 伏見北四季の時と、同じように。

 ラブレターを下駄箱に入れたのが外岡愛であり――その手伝いをしたのが――伏見北四季である。

 手伝い。

 唐草史郎を、屋上へと誘い込むことに繋がる手伝いである。

 因みに藤堂彩芽と男子生徒には、その行動をせかす言動をしてくれたはずである。万が一唐草史郎がラブレターを無視して下校するような事態に陥った場合には私のケータイに着信を入れるように藤堂彩芽に指示をしていた。

 指示を出している。

 あらゆる場合に備えて、あらゆる指示を出している。

 私の作戦は、これまで順調に進んでいる。

「…………」唐草史郎が青山郁美を見つめる。

「ご、ごめんね史郎君。いきなりこんなところに来てもらっちゃって」

 気のせいだろうか。

 唐草史郎の首が、横に振られたように見えた。

 その行動に。

 どんな意味が、含まれているのだろうか。

「あのね、屋上に来てもらったのにはね、理由があるの」

 青山郁美が。

 たどたどしい口調ながらも、しっかりと唐草史郎に向けて言葉を紡ぐ。

 私と結菜はそれを見守っている。

 今はただ、見守るしかないから。

「史郎君さ。今日の昼休みに、女の子二人に言い寄られてたよね」

 その言葉を聞いても。

 唐草史郎は、無表情である。

 対して。

 青山郁美は、笑顔になっている。

 たどたどしい口調がいつの間にかどこへやら。

 可愛らしい笑顔が、とてつもなく恐ろしい。

 作戦を青山郁美に伝えた時、青山郁美は「わ、私が、史郎君をいじめるなんて……あの、想像しただけで、その……ぞくぞくする……」と言っていたのを聞いているので、余計に恐ろしかった。

「ねえ、史郎君。何で屋上に来たの? 史郎君が今手にしているラブレターの差出人――伏見北さん、だよね?」

 伏見北四季には、外岡愛の手伝いをしてもらった。

 屋上に唐草史郎が向かう手伝いを、してもらった。

「答えてよ史郎君。私という恋人がいながら、何で屋上に来たの?」

 そこまで青山郁美がいったところで。

 私は、驚くべき光景を目の当たりにした。

 それは私と伏見北四季が死ぬほど望んでいる光景で。

 伏見北四季の能力なしにはみられない――そんな、光景。


「ら、ラブレターを、無視しちゃいけないと思ったんだ」


 小声であったが、何とか私と結菜の耳に届いた。

 声が、届いた。

 唐草史郎の声が、間違いなく届いた――!

 無言でガッツポーズをする私に、「やったね君子ちゃん! 四季ちゃんの能力なしで唐草君が喋ったよ!」と喜びながら結菜が抱き付いてくる。

 ――過去のトラウマにより唐草史郎が貫いている、無言と無表情を取り除く。

 作戦の第一段階が、これにて達成された。

 唐草史郎をリア充にするためにはまず、トラウマを気にして自らに課している無言と無表情を取り除く必要があると私は考えた。

 その為には。

 どうあがいても喋ることしか解決できない状況を、作り出せばいい。

 こう考えた私は、唐草史郎を屋上へと誘い込み――青山郁美から疑われた浮気を弁明せざるを得ない状況を、作り出した。

 その際、筆記用具やケータイが手元にあってはいけない。

 だからこそ、藤堂彩芽に指示を出した。

 ――「バッグなんか俺らがみていてやるから、ここに置いて一目散に走り出せ! 二十分以上も待たせたら、伏見北さんのことだ……殺されるぞ……!」と男子生徒に言わせろという指示を。

 嬉しいことや悲しいことがあっても、唐草史郎は無表情を貫ける。

 クラスメイトに何かいわれても、唐草史郎は無口を貫いていた。

 では――唐草史郎自身が惚れている彼女にならば、どうだろうか。

 唐草史郎の許容限界は終わりを告げ、狼狽えた表情で弁明をしようとするのではないだろうか。

 作戦の第一段階は、恐らく成功した。

 恐らく、成功した。

 唐草史郎は無茶苦茶うろたえている。「ごめん、青山さん」だの「確かに来たけど、ただ話をしようとしただけなんだよ」だの「大体なんでここにいるのさ。伏見北さんは? もしかして……いないの・・・…?」だの。

 今までの無表情と無口が嘘のようで、可愛いなと思ったのは内に秘めておく。

「じゃあ、第二段階に移るとしましょうか」

 私は結菜に向けてこう言い。

 結菜は、笑顔で大きく頷いた。

 ――私は。

 風にあおられながらも勢いよく立ち上がると、大声で、こう叫んだ。


「ギャアギャアギャアギャアとうるさいっての、青山郁美!」


 声を聞いた唐草史郎が、驚いて上を見上げる。 

 その視線の中に私が入っていて。

 昼休みの出来事を思い出したのだろうか。ほんのりと顔を赤くしつつも、それでも、唐草史郎は言うべきことをきちんと言う。「危ないよ依代さん! 今日は風がとても強い!」

「そうじゃねーよ!」

 全身全霊の叫びを唐草史郎に向けると、私は梯子を伝って下り始めた。

 結菜も後から続いて下りてくる。青山郁美からの追及並びに私の登場により唐草史郎はパニックを起こしている筈なのに、何故だかそこにクラスメイトである結菜が笑顔で参入してくる。想像するだけで気が狂いそうな場面である。そんな状況にいる唐草史郎に心の中で謝罪しながらも、私は作戦を遂行しようと再度心に決める。

「あ、あの、えと、依代さん」

 先ほどまでの笑顔が消え去った青山郁美が。

 懐疑心に満ちた目線を、私に向けてくる。「な、何で伏見北さんではなく、小瀬さんがここにいるんですか……? あの、その、私の記憶違いでなければ、事前の話し合いでは――昼休みに史郎君に告白した、依代さんと伏見北さんがいると言っていた筈です……」

 ――青山郁美のこの発言は嘘が含まれている。

 青山郁美には、この場で登場する人物は私と結菜の二人であると事前に話してある。

 見失ってはいけない。

 大事なのは青山郁美につかせた、嘘ではない。

「何言ってんのよ青山郁美。私は予め結菜が来ると言っておいたよ」私が言う。

「で、でも、そしたらなんで、伏見北さんにこの手紙を書かせたんですか」青山郁美が言う。

「まあまあ二人とも。まずは一旦落ち着いて」結菜が言う。

 この場にそぐわないイレギュラーな全ての存在が。

 少しの間だけ、唐草史郎の存在を無視する。

 その間、唐草史郎は今自分に降りかかっている状況を理解する余裕が出来る――!

 唐草史郎は冷や汗を流しながら、あーでもないこーでもないと言い合う私達の言動を理解しようとしていた。その行動がとても大事なのである。私は会話の端々に唐草史郎の方を向いてもおかしくないような言葉を入れつつ、唐草史郎の方をチラチラ見る。顔面蒼白に近かった唐草史郎も、ようやく事態が飲み込めてきたのだろう。今与えられているヒントではほとんど飲み込める事態はないが、それでも、出来うる限りの事態は飲み込んだ。

 それを確認して。

 わたしは、「あーもう、うっさいわね」と言って、無理矢理青山郁美の抗議を打ち切った。「そんなことはどうでもいいでしょうよ。とにかく、私達は唐草史郎に伝えなきゃいけないことがある」

 この言葉を皮切りに。

 私達三人は、唐草史郎の方を向いた。

 私達三人の表情は真剣そのもので。

 唐草史郎は、一挙に視線を受け取る。

 今から言う私の話は、どうしようもない内容で。

 普通ならば許されない内容で。

 それでも、言わなければならない内容だった。

 全てはミッションを終わらせるためであり。

 全ては唐草史郎をリア充にするためのものである。

 息を吸うと。

 私は、何の躊躇いもなく、こう言ってのけた。

 

「本日付で、私たちは唐草史郎を中心とするハーレムを形成することにしました」

  

「…………は?」

 ポカン、と。

 呆けた口を開ける、唐草史郎。

 意味が分からないと言いたげなようだった。わかる。唐草史郎の気持ちは痛いほどわかる。突然こんなことを言われたら、理解が追い付かないのは当然であろう。

 でも。

 それでも、私は間髪入れずに唐草史郎に言う。

 ――考える隙を、与えない。

「私と伏見北四季が、昼休みにて唐草史郎に告白したでしょう。それを見た青山郁美が私たちを女子トイレに呼んだ。カモフラージュの為に、唐草史郎の周りの生徒全員を呼んだ。そこで私と伏見北四季は、青山郁美に言われたんだ。『史郎君は優しいから、どうせ誰か一人を選ぶなんてことは出来ない。出来ないことで苦しむ史郎君を見たくない。だから、ここは一旦全員史郎君と付き合ってしまいましょう』というような旨を。私と伏見北四季にとっちゃ好都合。棚から牡丹餅、鴨が葱を背負ってくるとはこのことだと思ったね」

 ――本当は、違う。

 女子トイレに呼んだのは私であり、話した内容は今行っている作戦のことであり。

 今までの私の発言は、嘘偽りしかなかった。

 だが、事実も含まれてはいる。

 虚構には、少量の事実を含ませると良い。

 虚実入り乱れた話は、現実味を帯びてくる――!

「嘘、でしょ……」

 私の話を聞いた唐草史郎は。

 そう言いながらも、私達三人をみてみるみるうちに顔を真っ赤にし始めた。

 唐草史郎は、徐々に私の発言を理解していっている。

 と、同時に。

 自分に降りかかっているとんでもない幸福を、強制的に噛みしめられている。

 ――唐草史郎が自身をリア充と認識できない最大の理由として、男女関係のなれの果てが性行であると唐草史郎が思ってしまっていることにあると私は考えた。

 固定概念が――通常の男女交際のなれの果てが――唐草史郎を苦しめていると、私は考えた。

 だったら。

 その固定概念を、覆してしまえばいい。

 男女二人が入り乱れる、男女交際。

 ならば、男女交際を二人だけで構成させるのではなく、複数人で構成させてみてはどうだろうか。

 唐草史郎が想像だにしていなかった展開の為、今まで想像していなかっただろう。

 男女二人のなれの果ては、気持ち悪い。

 男女複数人のなれの果ては――わからない。

 とりあえず。

 気持ち悪くは、ない。

 だったら、受け入れるしかない。

 唐草史郎が、複数人からの頼みを無下にすることなど出来ないからである。

 ――同時に。

 これ以上ないほどの充足感を、味わうことになるだろう。

 複数の女子たちが自分を好いてくれて、しかも自分のことをこれほどまでに理解してくれている。

 もしかしたら、自分を救おうとしているのかも、しれない。

 認めるしかない。

 唐草史郎は、認めるしかない。

 自身がリア充であると、認めるしかない――!


「ありがとう」


 ――聞きたかった言葉だった。

 私が唐草史郎から一番聞きたかった言葉だった。

 一言一句、違わない。

 しかし。

 言葉に込められた感情は、まるで正反対のもの。

 刹那。

 唐草史郎の真っ赤だった顔が、一瞬にして蒼白になった。

 その発言には感謝の気持ちしか含まれていなくて。

 綺麗な笑顔を、私たちに向ける。

 どうしてこうなった。

 どうしてこうなった。

 胸騒ぎがする。

 唐草史郎が、全てを諦めたような――そんな状況に、見えてしまった。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 唐草史郎がこのような状態になったのが――唐草史郎の右手を一瞬だけみたからだということを、認めたくない。

 嫌だ。

 唐草史郎が、ゆっくりあとずさっていく。

 私と結菜と青山郁美の向かい側に唐草史郎が居て。

 唐草史郎の後ろには、フェンスがある。

 簡単によじ登れる、フェンスが。

「僕は『自身が認識したリア充を爆発させる能力』を持っている。昔、両親に一度使ったときに、自分が持っている能力がどんなものであるかという情報が頭の中に入ってきたんだ」

 唐草史郎は、右の掌を私たちに向けている。

 止められない。

 唐草史郎が、「一歩でも近づいたら君達ごと僕を爆発させる」と言ったから。

 止められない。

 唐草史郎の行動を、止められない。

 フェンスをよじ登る数秒だけ右の掌を私たちに向けない。

 けれども、私たちは知っている。

 私たちに向けずとも、唐草史郎は能力を発動できる。

 だから、止められない。

 近づくことすら、出来ない。

 網状のフェンスの向こう側へと唐草史郎が行ってしまう。

「僕はさ、こんな突拍子もない能力を持っているんだ」唐草史郎が、フェンスの向こう側という狭い足場で私達の方を振り向く。「僕なんかの為に、あんなことを言ってくれてありがとう。僕は間違いなく世界で一番幸せな男だと思う。三人もの可愛い女の子に、こんなに好いてもらったんだから。ハーレム、かあ。その先には何が待っているんだろう。今の僕にはわからない。わからないから、君達の好意を受け取ってしまおうかと思った。――でもごめん」

 ――君達を殺してしまう可能性が少しでもあるなら。

 ――僕は、君達をリア充にする訳にはいかない。

 そこまで言うと。

 唐草史郎は、もう一度振り返った。

 唐草史郎は、下を向く。

 誰もいないことを、確認したのだろうか。

「嫌……」

 誰の声かと思ったら自分の声だった。

 こんなにか細い声が出せるのか、私は。

「嫌っ!」

 止められなかった。

 自分を、止められなった。

 私は全力で走り出す。

 ――唐草史郎の体が、屋上の外へと向かい始める。

 思いっきり走っているのに。

 全然唐草史郎に近づいてくれない。

 信じたくなかった。

 唐草史郎が選んだ選択肢を、信じたくなった。

 それでも、現実はあまりにも非情で。

 唐草史郎の足が屋上から離れて。

 唐草史郎の体が宙に浮き。

 ゆっくりと、それでも確実に見えなくなっていく、唐草史郎の体。

「――――ッ!」

 声にならない声が出る。

 やっとフェンスに辿り着いた。

 フェンスから下を眺める。

 ――もう、遅かった。


 爆発が起こった。

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